ハッピーエンドと流れ星
牛屋鈴
流れ星
「別れよう」
目の前の彼、
放課後の校舎裏。初夏の日差しが届かない所で、私はフられた。
側に植えられた木々の葉が、そよ風に揺られてさぁさぁと音を出す。
私が何も言わずに立ち尽くしていると、『言うべき事は言った』とでも言うような顔をして、瀬島玲は私の横を通って下足入れへ歩いて行った。
瀬島玲が私の横を無言で通り過ぎた時、瀬島玲は私の温度を奪っていった。1度か2度か、もしかしたらもっと少ないかも知れないけれど、確実に奪っていった。
初夏。影の中とは言え、けして暑くないとは言えない空気の中、私は肌寒さを覚え、その場にへたり込んだ。
「……あぁ」
何とも言えない息が、私の喉から出た。
涙は出ない。放心しているからではなく、単純に悲しくなかった。ずっと前から、いつかこうなると思っていた。覚悟していた。
付き合い始めたのはいつからだったか、すぐには思い出せない。
どちらから告白したんだったか、きっともう永遠に思い出せない。
別に、この先ずっと一緒に居るつもりで付き合った訳じゃない。私も瀬島玲も、高校生なのだから、生涯を誓いあって付き合った訳じゃない。
ただ、こんな終わりを迎えるために付き合った訳でもない。
「あぁ」
さっきと同じような、何とも言えない声がまた出た。そして、まだまだ私の腹の底に溜まっている気がした。
私は私のお腹をさすった。
この声を出すと、気持ち悪くなって、お腹が少し痛むのだけど、それでも腹の底にずっと溜めているよりかは、きっと今すぐ全部出してしまった方がいいだろう。きっとこれは下痢みたいな物だ。
私は大きく、息を吸った。
後は体から出て行こうとする空気に、任せるだけだ。
「ああああああああああああああああ!!」
直後、ドサッと言う音が聞こえた。
私の叫び声が校舎に反射して、四方八方へ散らばっていく中、その音は舎外廊下から聞こえた。
人が転んだ音だ。
まさか、瀬島玲がまだそこに居たのかと舎外廊下へ駆け寄ると、そこには瀬島玲
ではない少年が居た。
「……どうしたの?」
私の問いに、少年は尻もちを着いたまま答えた。
「夕木さんが急に大声を出すから、びっくりして転んじゃったんだよ」
「……何で私の名前を知ってるの?」
「……同じクラスだったからだよ。僕の名前は
天野くんが立ち上がりながら言った。
言われて見れば、そんな名前の生徒が居たような気がしないでもない。
「覚えてない……でも、ほら、三年生のクラスになってまだ三か月しか経ってないから」
「……同じクラスだったのは去年だけど」
天野くんは苦い顔をした。
私は片目を閉じ、頭を軽く小突き、舌を出した。
「ま、確かに、僕らはもう受験生だしね。クラスメイト達の名前を覚えるより、英
単語の一つでも覚えた方が賢明かもしれないね……」
そう言いながら天野くんは廊下から下足入れへ向かう。そそくさと立ち去ろうとした。
私はその肩をガッと掴んだ。
「……何か用かな」
天野くんが振り返る。
「何時からここに居たの」
天野くんが目を逸らす。
「……君が大声を出した時に、ここを通りがかっただけだけど」
「本当の事を言って」
私は天野くんの眼を見つめた。
「いや、僕は」
「天野くん」
「…………」
天野くんが押し黙った。
「本当の事を言って」
「……ずっとここで、夕木さんが瀬島くんにフられる一部始終を、見てました」
天野くんが本当の事を言った。
「……そう」
「……怒らないの?」
「うん、別に」
「……何ていうか、悲しそうにしないんだね。フられたのに」
天野くんが私の顔を覗き込む。そこに涙の跡なんかは一切ない。
「……うん、悲しくない、悲しくない、けど……初恋。だったんだ」
自分で、声のトーンが下がるのが分かった。
「私は、綺麗に割り切れる人間じゃないから。きっと、二人目以降は、全部瀬島玲と比べちゃう。それがちょっと、嫌だ」
今はまだ、二人目以降ができるかどうかも分からないけれど。
「夕木さん、潔癖症なんだね」
「……うん。そうだね、潔癖症」
私の人生に、一度誰かと別れたという汚れが着いた事が、たまらなく嫌だ。
そこで私が俯いていると、天野くんが口を開いた。
「忘れさせて、あげようか」
「……え?」
「フられた所見ちゃったお詫びに、忘れさせてあげようか。瀬島くんの事」
「えっと……それは天野くんが瀬島玲とか及びつかない程のいい彼氏になってくれるって事?そういう宣言?」
だとしたら気持ち悪い。
「ち、違う!そういう事じゃない!」
天野くんが慌てて否定する。違うらしい。
「僕、流れ星が落とせるんだ」
天野くんが、妙な事を言う。
「……流れ星?」
「うん。願い事を三回唱えれば叶う、流れ星。僕はそれを七月七日に一回だけ落とせるんだ……やっぱり信じられないかな」
私の訝しむ視線を受け、天野くんは困ったように後ろ髪を搔いた。
訝しんでみた物の、しかし、天野くんがこんな噓を吐くような人には思えなかった。ついさっきまで名前を忘れていた、何も知らない人だけど。なんとなくそう感じた。
「私は、どうすればいいの?」
「夕木さんは七月七日に、僕の隣で素早く三回『瀬島玲を忘れたい』と唱えればいい」
「……それで、私は瀬島玲を忘れられるの?本当に?」
「うん。他の人と比べるなんて事はなくなると思う」
何より、これはとても魅力的な提案だった。
私は、天野くんを信じることにした。
「……分かった。七月七日に、よろしくね」
・・・
「天野くん居ますか」
次の日の放課後、他の生徒の喧騒を聞きながら教室で帰り支度をしていると、教室の扉から夕木さんの声が聞こえた。
どうやら僕を探して、扉付近の生徒に声をかけたらしい。
「あー、天野?どこの席だったっけ……」
生徒が教室を見回して僕の姿を探す。僕から出向く事にした。
「どうしたの夕木さん」
「ちょっと流れ星の事で聞きたいことがあって」
と、僕と夕木さんが二言三言交わした所で、教室の隅の女子グループの声がこちらに向いた。
「夕木、別れたばっかじゃなかったっけ」「もう二人目?」「しかも、天野」「誰でも良かったんだろーね」
こんな感じの会話が、僕達の耳に届く。
わざと僕達に聞こえるように喋っているのか、それともあの声の大きさで聞こえていないつもりなのか。どちらにしろデリカシーがない。
「……場所、変えようか」
教室から出る。早歩きで。
「あ、ちょっと」
夕木さんが僕が追いかける。
そして人気のない廊下に通りがかった時、夕木さんが口を開いた。
「別に、あれくらい、私は気にしなかったけど」
その声を聞いて振り返る。夕木さんの顔は、確かに気にしていない風だった。けれど。
「嘘つけ」
「えっ……」
夕木さんが自分の顔を撫でまわす。
「……別に、夕木さんの顔が分かりやすかった訳じゃないよ。ただ、ありえない
んだ。嫌な言葉を聞いて、嫌な気分にならないなんて。当たり前のことなんだから、強がらなくてもいいのに」
それに、僕なんか相手に強がっても意味はないと思う。
「……天野くんって、結構そういう事考えるんだね。……よく分かんないけど、ありがと」
夕木さんが照れくさそうに笑った。早歩きした甲斐があったという物だ。
「よく分かんないのに感謝されてもね……それで、聞きたい事って何?」
流れ星について聞きたいことがあると言っていたはずだ。
「うん。天野くんが落とす流れ星って、何秒くらい持つのかなって」
「確か……丁度2秒。夕木さんの願いは『せじまれいをわすれたい』……1セット11文字だから、ちょっと練習が必要かな。できない事はないと思うけど」
「……天野くん、一度私の早口言葉を聞いて欲しいの」
夕木さんが昨日のように大きく息を吸い込んだ。そして一気にまくし立てる。
「ままむみままもめままままも」
「嘘つけ」
イントネーションから察するに、きっと『生麦生米生卵』と言おうとしたのだろうけど、ま行しか発音できていなかった。
「これが私の実力よ」
夕木さんが僕を見つめる。真実らしい。
「……絶望的だね。言ってなかったけど、三回唱えるのに失敗したら、その願いは絶対に叶わなくなるんだ」
例え、自力で叶えられる願いでも。
「……そうなんだ」
「だから、そのレベルなら、何か別の方法を探した方がいいんじゃないかな」
「初恋を忘れる方法なんて、他にある訳ないでしょ」
……それもそうだけど。
「じゃあどうするのさ」
「猛特訓」
・・・
「頼もー!」
私は『演劇部』と書かれた教室の扉を開け放ち、叫んだ。
二人の部員が、教室にこだまする私の声に啞然とした。
「ねぇ、やっぱり止めとこうよ夕木さん。迷惑になるよ夕木さん」
天野くんが私の隣でオロオロしている。しかし、滑舌を鍛えるには、やはり演劇部が一番いいだろうと私は考えた。
「お腹から声出てるじゃない」
部長らしき人が、椅子からすっくと立ち上がった。
「あたしの名前は
部長だった人が魔女のような声で私達に問いかける。
「私は、夕木香です。滑舌を鍛えてもらいに来ました」
「ぼ、僕は天野才です。付き添いです」
「何故、滑舌を鍛えたいの?」
笹村さんがつかつかと上履きを鳴らしながらこちらに近づいてくる。
「流れ星に、願いを叶えてもらうためです」
「気に入ったわ!」
笹村さんがぐるんと後ろに振り返り、残り一人の部員に告げる。
「我が演劇部はこれから七月七日まで滑舌強化期間に入るわ!」
残り一人の部員が、あいさー。と、気の抜けた返事をした。とにかく承諾してもらえたようだ。
「夕木さん!今日からビシバシ行くわよ!覚悟はよろしくて!?」
「はい!」
「いいのだろうか……」
隣で天野くんが眉をひそめた。
・・・
「あえいうえおあおあえいうあおあお!」
「ちっがーう!」
今日も夕木さんの呪文のような声と、笹村さんの怒号が演劇部の部室に響く。僕はそれを、団扇片手に眺めていた。
六月三十日。土曜日。七月七日まで後一週間。季節はどんどん熱を帯び、初夏とは呼べなくなってきた。
「あえいうえおあおあえいうあおあお!」
「一つ一つの音を大事に言うこと、音が流れるのは最悪よぉ!」
笹村さんがスマホを見ながらアドバイスする。きっと適当に検索して出てきた物をそのまま話しているだけに違いない。
そこに、演劇部員の一人が僕の隣に座った。名前は聞いていないので部員Aとする。
「うっす」
「うっす」
部員Aと短く挨拶を交わす。部員Aも団扇で自分を扇いでいた。
「あの、ちょっと聞きたい事があるんですけど」
「何かな」
部員Aが僕の足元へ視線を落とした。
「その上履きの色、三年生ですよね?」
「いかにも」
「受験生ですよね?」
「……いかにも」
団扇で扇ぐのを止めた。今、頭を冷やしてはならない。目一杯汗を流して、思い出した事も一緒に流そう。
「それに、滑舌鍛えに来てるのはあっちの人だけですよね?何で休日にまでこんなクーラーも付いてない所に来てるんですか?」
「私が努力してるのに、天野くんが別の場所に居るのはズルいじゃん」
そこに夕木さんが現れ、僕の隣に座った。どうやら特訓が一段落したようだ。
夕木さんは団扇を持っておらず、丁度僕は自分を扇ぐのを止めていたので、夕木さんを扇いであげた。
「くるしゅうない」
夕木さんは偉そうだ。僕が協力してあげているはずなのだけれど。
「はぁ、付き合ってるんですか?」
部員Aが質問する。間違いなくデリカシーに欠けた質問だけれど、教室の時とは違い、嫌な気持ちはしなかった。きっと夕木さんもだろう。
「違うに決まってるじゃないか」
「……その通りだけど、即答されるのは何か傷付く」
夕木さんが怪訝な顔をした。乙女心は難しい。
「ごめん」
「ジュース買って来てくれたら許してあげる」
乙女心は簡単だ。僕は席を立った。
「何か奴隷みたいですね」
部員Aがまたしてもデリカシーのない発言をした。
しかし、嫌ではない。夕木さんのわがままはあんまり嫌いじゃない。
「何が飲みたい?」
「お茶」
ジュースじゃなかった。
夕木さんの注文を受けて、部室を出る。
自動販売機まで歩く途中、否応なしに、ひっきりなしに運動部の声がグラウンドから聞こえる。
今も彼らはこの暑さの中、グラウンドを走っているのだ。室内で口をもごもごさせているだけの夕木さんとは大違いである。その隣で団扇を扇いでいるだけの僕とはもっと違うけれど。
そして自動販売機に辿り着いた時、先客に休憩中の運動部員が居た。
「あ」
ボコンとペットボトルが落ちる音がする。
取り出し口に落ちたのではなく、こちらに振り返った運動部員が、硬直して地面
に落としたのだ。
その運動部員は、瀬島玲だった。
何と声をかけようか、いや、声をかける必要があるのかと考えていたら、瀬島く
んはすぐさまペットボトルを拾い、そそくさと別の場所へ消えていった。
僕を見てペットボトルを落としていたから、これはきっと明確な無視だ。
元カノとよく喋っている男子……きっと気まずい物なんだろう。恋人なんて居た事ないからよく分からないけど。
まぁ、さして言いたい事があった訳でもない。お茶を買ってさっさと部室に戻ろう。
そして自動販売機の前まで歩き、財布を取り出した所で、瀬島くんがもう一度現れた。
「……どうしたの」
瀬島くんの手には先程のペットボトルが握られている。十七茶だ。
「いや、無視してどっか行くのも、何か意識してるみたいでダメだな。って思って」
「……あ、そう」
僕から言う事は何もないので、相槌だけ打って財布から小銭を出そうとすると、
瀬島くんに止められた。
「なぁ、それ、夕木のパシリだろ?」
「……何で分かるんだよ」
「勘。それ、奢るよ」
瀬島くんが財布を取り出し、僕を押し退けて自動販売機の前に立つ。
「いや、いいよ」
「いいから奢らせろ」
そんな瀬島くんの力強い語気と運動部員のフィジカルに負け、硬貨の挿入を許してしまった。
「注文は?」
瀬島くんが指先をボタンの前でうろうろさせる。
「……お茶」
「十七茶と、綾鷲。どっちがいい?」
瀬島くんの手元を見る。
「綾鷲」
他意はない。
「ん」
ボコンとペットボトルが落ちる音がする。
瀬島くんが取り出し口からペットボトルを取り出し、僕に投げる。
それを受け取りながら、一応礼を言っておく。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
そして、ほんの少しの静寂が流れた後、瀬島くんが口を開いた。
「……お前ら、付き合ってるんだよな」
「いや、付き合ってない」
瀬島くんが驚く。
「えっと……じゃあ、付き合ってるのを隠してるとか?」
「それが本当だとしてもそうじゃないとしても、僕は『違う』と答えるね」
「……じゃあやっぱり付き合ってるんじゃないか」
瀬島くんは頭が悪いらしい。
「まぁ、どっちでもいいんだけどさ。伝言を頼まれてくれないか」
「伝言?」
「あぁ、そのお茶と一緒に、『ごめん』って夕木に伝えて欲しい」
あの時、言えてなかったから。瀬島くんはそう付け加えた。
「それじゃあ、頼んだ」
そして瀬島くんはどこかへ行った。
僕は部室に戻った。
「あ、お茶が戻ってきた」
部室の扉を開くと、夕木さんが温かい言葉で僕を迎えた。
「買って来たよ」
綾鷲を夕木さんに渡す。
「それから……」
「うん?」
夕木さんがキャップを開けながら、僕に耳を傾ける。
「いや、やっぱりなんでもない」
自分で言え。という話だ。
・・・
舌の付け根が痛い。
「今日も疲れひゃ」
時は夕方。笹村さんの猛特訓の帰り。休日の夕焼けは、いつもより優しい。
「辛そうだね」
「そうだ。流れ星に滑舌をお願いしたらどうだろう」
「絵に書いたような本末転倒だね」
天野くんにたしなめられた。
「流れ星を落とせるのは年に一度だから、チャンスは今年しかないからね。来年は
僕ら大学生だし」
「あー……そうだね」
「七月七日が終われば、本格的に勉強しないといけないから、こういう自由な時間
もなくなっちゃうなぁ」
天野くんが気だるそうに背伸びする。
「……天野くんは、難しい大学行くの?」
「うん。まぁ、そこそこ」
「でも、誕生日ぐらいは遊んだりするもんじゃない?」
「僕の誕生日はもう終わったから」
「……そっか」
じゃあ、七月七日が終われば、こんな風に二人でいる事はなくなるんだなぁ。
そう思うだけで、口には出せなかった。何でだろう。
「せじまれいをわすれたい」
代わりに、願い事を口に出してみた。
「これさぁ、『せじまをわすれたい』じゃダメなの?2文字減って楽なんだけど」
「それだと対象になる人が多過ぎると思うから。言ってなかったけど、あんまり大
き過ぎる願い事は叶えられないんだ」
「大き過ぎる願い事って、例えば?」
私がそう聞くと、天野くんが立ち止まった。
「天野くん?」
「……夕木さんにも関係のある事だし、言っておこうか」
天野くんが、一拍おいて、語りだした。
「最初は、折り紙だった。四歳の頃に、初めて流れ星を落として、折り紙をあの子にプレゼントした。次に、あの子が猫を飼ってもらえるように願った。けれど、あの子は焦って願いを噛んでしまった。その直後に、あの子は重度の猫アレルギーを発症した。二度と猫が飼えない体になってしまった」
天野くんの言葉を思い出す。三回唱えるのに失敗したら、その願いは絶対に叶わなくなる。
「次に、夏が涼しくなるように願った。三回きちんと唱えたはずだけど、この通りだ。きっと大き過ぎる願い事だったんだろうと、僕は思う」
天野くんが、夏の空を手で仰いだ。
「その次は、自転車。あの子が自転車を欲しがっていたから、自転車を願った。今度は成功して、あの子にプレゼントできた。けど、あの子はその自転車で事故に遭って、植物人間になった」
風に消されてしまう事を願うような、か細い声だった。
「次はもちろん、あの子が助かるように願った。けれど、その日にあの子は死んだ……今でも分からない。僕が三回唱えるのに失敗したのか、そもそも大き過ぎる願いだったのか、星に願うしかなかったのか、あのまま何もしなければ、病院であの子は助かったんじゃないのか……いや、分かってる。本当は分かっている。あの子が死んだのは僕の声が震えたからで、僕が余計な事をしなければ、あの娘はきっと助かっていた」
天野くんが悲痛な面持ちで言葉を紡ぐ。私は何も否定する事はできなかった。
「でも、だからってこの能力を封印するのは、きっと僕のやるべき事じゃないんだ。全然違う。そんな事は、僕にはあの子を馬鹿にしているように思う。折り紙だ、最初の折り紙みたいに、小さくても、誰も不幸にならない、誰かが幸せになるだけの願い事を、僕はこれから叶えていくべきなんだと思う……でも、これも結局自己満足だ。君の願いを叶えてあげると言ったけれど、僕はただ、君に共犯者になって欲しいだけなのかもしれない」
天野くんが、俯いた。どこを見ればいいのか、分からないようだ。けれど、そんなの、私にだって分からない。
だから私は、ただ思った事を口に出すことにした。
「天野くんは、優しいんだね」
天野くんが、驚いて顔を上げた。
「……そうかな」
「そうだよ。天野くんは、一人で色んな事を考えられるから、優しい」
「……そっか」
天野くんは、前を向いた。
それが正しい向きなのか、そもそも正しい向きがあるのかも分からないけれど、顔を上げたことは、きっといいことだ。
きっと、私は、この時に彼を好きになったのだと思う。
・・・
学校の廊下で、瀬島くんに出くわした。
「よう」
瀬島くんは自動販売機の時のように硬直せず、ナチュラルに僕に挨拶した。なんだかむしろ僕が逃げ出したくなった。
そんな僕の葛藤も知らず、瀬島くんは話した。
「夕木に伝言、してくれた?」
「してない」
「何で」
「自分で言え。瀬島くんが自分で言わないと意味ないだろ、こういうの」
もっともらしい言い訳を重ねてみる。けれどお茶代を返すつもりは露ほどもない。
「……うん。それもそうだな」
そう言うと瀬島くんはスマホを取り出した。
「何してるの」
「校舎裏に夕木呼び出してる」
何でLINEそのままにしてるんだ二人共。
「急に積極的だね……」
「おう、なんか、お前と話してたら吹っ切れた」
「勝手に僕をきっかけに使うな」
「よし、行ってくる」
瀬島くんがスマホを確認して、脇の階段を降りていく。
瀬島くんが行ったということは、夕木さんが承諾したということだろう。
「……」
僕も階段を降りた。
あれは何週間前だったか、二人は校舎裏、僕は舎外廊下に潜む。
夕木さんがフられた時と全く同じ構図だ。
側に植えられた木々の葉が、そよ風に揺られてさぁさぁと音を出す。
「ごめん」
瀬島くんが口を開く。
「ごめんって言わずに帰って、ごめん」
「……私も、ごめん」
二人が互いに謝りあう。
僕は、二人がどんな恋人だったか知らない。けれどこれは、彼ら彼女らなりに、必要な言葉だったのだろうと思う。
「うん。じゃあ」
瀬島くんが手を挙げ、来た道を帰って行く。
短い、さっぱりしている。吹っ切れ過ぎではないだろうか。
「ちょっと待って」
それに対して、夕木さんが呼び止める。何か他に言いたい事でもあるのだろうか。
「何?」
「私の事、忘れたい?」
夕木さんが、問う。それを聞いて、どうするつもりなんだろう。
「別に」
瀬島くんが短く答える。
「そっか」
夕木さんは、何か納得した風だった。
「それでもう一つ質問なんだけどさ、失恋の後って、どれくらい悲しんでればいいのかな?」
「……さぁ。好きにすればいんじゃね」
そう答えて、瀬島くんが今度こそ帰って行った。今度は夕木さんも呼び止めない。もう聞きたいことは聞いたということだろうか。あの質問が、一体何を意味するのかは分からないけれど。
「やっぱここに居た」
気付くと、夕木さんが舎外廊下の、僕の目の前に居た。
「……バレた」
「うふふ、さっきの話聞いてた?」
夕木さんがいたずらっぽく笑う。
「うん、まぁ、ご拝聴させていただいたけど」
「失恋しても、すぐに新しく恋をしてもいいんだよ」
……そういう意味だったのか。
「そうでしょ?」
「……そうだね」
特に異論はなかった。
・・・
「ばぁっちりよぉ!」
七月七日当日夕方。部室に元気な笹村さんの声が響く。
「完璧ね!必ず2秒以内に収まるはずよ!やったわね!」
「ひゃい……」
一方私は、は行がままならない。最終日の今の今まで猛特訓に次ぐ猛特訓。余裕
を持ってクリアできるレベルに達した物の、私の舌は痙攣寸前だった。
「よし、最終調整も終わったみたいだし、そろそろ行こうか」
天野くんが鞄を持って立ち上がる。
「あら、もう行くの?」
「うん。結構遠いから。この時間くらいから行かないと日帰りできなくなっちゃう
からね。今までありがとう。笹村さん」
「やぁだぁ。今生の別れでもないのに、改まっちゃってぇ」
確かに、もうこれからこの部室に集まることはほとんど無くなるだろう。曲がりなりにも、私達は受験生なのだ。
窓から空を見ると、夕日が暮れ始めていた。
何か、いい。終わりって感じでドキドキする。
「ほら、夕木さん、もう出よう」
天野くんが先に部室の扉をくぐる。私はそこで少し立ち止まって、あの言葉を早口で呟いた。
「ほら、行かないの?」
笹村さんが私に詰め寄る。
「ねぇ、笹村さん。私がクリアしたのって『せじまれいをわすれたい』の11文字じゃん」
「そうね」
「これ……12文字にしたらダメかな」
私がそう言うと、笹村さんは破顔して私の背中を思いっ切り叩いた。いい音がした。
「恋する乙女に不可能はないわ!やっておしまい!」
「……うん!行ってきます!」
背中を叩かれた勢いそのまま、部室の扉をくぐる。
扉の前では天野くんが待っていた。
「何話してたの?」
「激励貰っちゃった」
「そう、じゃあ、行こうか」
二人で、歩き出す。
「駅に着くまでに、何か飲み物でも買って行こうか」
「うん」
二人で綾鷲を二本買った。
そして電車に乗って、揺られる。
「はぁー……何か緊張してきた」
「まぁ、初恋を忘れるなんて、ダメで元々な訳だし。気楽にやればいいよ」
……いや、私が今覚えている緊張は天野くんが思っている物とは全く違う物なんだけど、今言う訳にもいかないので、別の事を言うことにした。
「でも、天野くんが落とせる流れ星は一年に一回だけな訳じゃない?そう考えたら、失敗しちゃうともったいないなぁ。って」
「それを言うなら、小さい頃から何回も失敗してるしなぁ。それに、これは僕の推論だけど、僕以外にも流れ星を落とせる人っていっぱい居ると思うんだ。ほら、あんなにお星様が浮かんでるんだから」
そう言って天野くんは空を指差したが、私達の住む街は都会で、星は全然見えない。
けれど、私達の乗る電車は都会から遠ざかっていく。一駅、また一駅と進む度に、夜空は晴れて、星達がふつふつと姿を現していく。
「わぁ……」
目的地に着くと、そこは天の川が流れる星の海だった。
「うん。これなら流れ星も十分見えると思う」
天野くんが隣で喋る。
「僕以外にもいっぱい願いを叶える人が居るんだから、僕一人が失敗した所で、そんなに影響はないと思うんだよね。なんとなくだけど」
後ろでプシューと電車のドアの開く音がする。
「降りよう」
天野くんを追いかけて降りる。そこには大きな河原があった。周りにはちらほら天体観測をしに来たカップル達が見受けられる。
「いよいよだね……特訓の成果を披露するときが来たよ」
「……うん」
「……行くよ」
天野くんが夜空に向けて両手をかざし、手を揺らす。
それはまるで、天の川が目の前にあって、それを手繰っているようだった。
ちりちりと、冷たい風が血に混ざるような気配がする。天野くんの瞳から、ぽつりぽつりと星が消えていき、やがてたった一つになる。
「来る」
一瞬、天野くんの髪が少しだけふわりとたなびいた。
「後10秒!」
後10秒。最後に自問自答する。
本当にこれでいいのか?願いで無理矢理に、なんてズルくないだろうか。
けれど、他の方法で誰かに取られたりして、我慢が効くはずもない。
そして何より、この想いを彼に伝えるなら、この方法が一番彼に相応しい気がする。
天の川の中、新しい星が生まれる瞬間を私の眼が捉えた。
それを皮切りに、願いを、思いっ切り叫ぶ。
「天野才と付き合いたい!」
天野くんにだけ聞こえれば良かったんだけど、思ったより大きくなってしまっ
た。周りの人達にも聞かれてしまっただろうか、構わない。急げ。
「あまのさいとつきあいたい!」
『せじまれいをわすれたい』より1文字多い12文字。間に合う、か?思ったより口の震えが酷い。1文字発する度に奥歯が鳴りそうになる。間に合え、間に合え。
間に合え!
「あまのさいとちゅきあいたい!」
噛んだ!予期せぬ舌の痛みに、思わず目を瞑る。急いで顔を上げて口を開ける。しかし、既に流れ星は、消えていた。
間に合わなかった。
間に合わなかった。これでもう一生叶わない。あぁ、やっぱり星なんかに頼ったから?だからって、違う。こんなつもりじゃ。
ひんやりとした風が、体を撫でる。体温が、奪われていく。
その時、天野くんが私の腕を掴んで引っ張った。
そして少し見つめ合った後、こう言った。
「結婚しよう!」
・・・
「えぇーっ!?間に合わなかったのぉ!?」
「それでそれで!?」
演劇部の部室。笹村さんと部員Aに夕木さんが話をしている。
「何とですね。付き合うのは無理という事でですね……結婚しようって言ってく
れたんですよぉ!」
「キャーッ!!」
笹村さんが黄色い声援を上げる。部員Aは上手な口笛を吹いた。
ちなみにこのくだりは今日六回目である。
「何回やれば気が済むんだ君たちは……」
「だって、ねぇ?」
「うふふのふ」
笹村さんも夕木さんも楽しそうだ。部員Aは上手な口笛を吹いた。
「しかしドラマティックよねぇ……我が演劇部で脚本にしちゃおうかしら」
笹村さんの眼が光る。逃れられない因果律を感じる。
「さぁ!猛特訓の借しを返してもらうわよ!瀬島くんにも頼んで全員本人役で出て
もらいましょう!」
「いや、瀬島くんを呼ぶのは……」
元カノの彼氏ともなればそれはもう気まずいだろう。瀬島くんは気にしなさそう
だが。
「大丈夫だよ、天野くん」
夕木さんが満面の笑みで僕に話しかける。
「天野くんが瀬島玲とか及びつかない程のいい彼氏になってくれたから、瀬島くんの事は忘れちゃった」
どうやら最初の願いもついでに叶ったらしい。
……やっぱり、何を願うか、失敗するかどうかなんて、あんまり関係ないのかもしれない。
ハッピーエンドと流れ星 牛屋鈴 @0423
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