第5話

 こうして日々は流れていき、私たちが中学校を卒業する日がやってきた。

 青く晴れた空のもと、つつがなく式は進み、それは呆気ないくらい簡単に、私たちが中学生ではなくなる儀式は終わった。


 私と雪枝ちゃんは三年間、飽くことなく通い続けた通学路を、卒業証書を片手に穏やかな気持ちで帰途についていた。

 中学生の制服を着て歩く最後の道だ。

「トモくん、まだはしゃいでいるのかな」

 笑いながら雪枝ちゃんが言った。


 卒業式が終わると、智久は仲のいい男子たちとグラウンドに出て、どこからか持ってきたサッカーボールで即席の試合を始めたのだ。それはいつの間にか教師や下級生をも巻き込むちょっとしたイベントになってしまい、私たちもしばらくは観戦していたけれど、参加人数がどんどん膨らむその試合の終わりを待っていられなくなって、結局二人で帰ることにしたのだった。


「制服、もう着ないからって汚すんじゃない? 男子って子供よね。トモくん、いつ大人になるんだろうね」

「本当だね」

 ふたりで笑い合った後、ふと、雪枝ちゃんが真剣な目で私を見た。

「ねえ、本当に、宝花付属に行かなくて良かったの? 今更って怒らないでね。私、そのことが気がかりで」

「もう、雪枝ちゃんったら」

「まだ、二次募集に間に合うんじゃないかな」

「いいのよ、もう決めたの」

 私は明るく笑った。


 そう、決めたのだ。私は宝花付属を受験しなかった。私がこの春から通うのは地元の公立高校だ。そこで勉強しながら将来、何になりたいのか、何をしたいのか、ゆっくり考えればいい。焦らなくていいと思う。考える時間はたっぷりあるはずだ。

 雪枝ちゃんは第一志望の私立の女子校に、智久は宝花付属に通うことになる。三人、別々の道を進むのだ。


「雪枝ちゃん、私はピアニストにはなれないよ」

「あんぬちゃん!」

「待って。聞いて欲しいの」

 私は一呼吸置いてから、静かに話し始めた。

「私がピアニストになりたいって思ったのは、智久がいたからだよ。彼と同じ場所にいて、同じものが見たかったから。だけど、それが叶わなくなっていくことが怖くて悔しくて、智久から逃げていたの。私ね……智久が好きなんだよ、ずっと前から好きだったの」

「……うん、知ってる」

 雪枝ちゃんは優しく微笑んで頷いた。

「トモくんもずっと、あんぬちゃんのことが好きだったんだよ。私、なかなか本音を言わないふたりに焦れていたんだから。ねえ、トモくんとあんぬちゃんが同じ高校に行っていつも一緒にいることは、私にとって自然の成り行きなんだよ? それがどうしてだめなの?」

「宝花は本気で音楽の勉強をして、将来、プロを目指す人が行くべき学校なの。私はそうじゃない。だから、行くべきじゃないの。私が受験してもし、受かったら、本気で音楽の勉強をしたい人をひとり、落とすことになるでしょう? 私ね、誰の邪魔もしたくないんだよ」

「あんぬちゃんらしい言い分だね」

 溜息交じりに雪枝ちゃんが言った。

「トモくんも一緒の学校に行けないこと、がっかりしてたけど、あんぬらしいから仕方ないって言ってたよ」

「ごめんね。でも、同じ学校で同じ道に進まなくても、私たちは一緒にいられるからいいんだよ。智久の隣に座って一緒にピアノを弾く。私の居場所はそこだから、もう、迷わないんだ」

「判りました。もう、何も言いませんよーだ」

 ぷっと頬を膨らませる雪枝ちゃんはとてもキュートで、つい、私は笑ってしまう。そこでちょっと意地悪を言ってみた。

「それじゃあ、ついでに言うけど、もう嘘もつかないでよ」

「ええ?」

「忘れたとは言わさないぞ。智久が交通事故に遭って骨折したとか騒いでさ。あの時、心臓が止まるかと思うくらい驚いたんだから」

「えー、まだそれ言う? あの後、ふたりには謝ったじゃない。手作りの焼き立てクッキーもご馳走したでしょ。もう許してよ。それにああでもしないと、あんたたち、いつまでもぐずぐずして、じれったくて。ふたりが上手く行ったのは私の尽力の賜物でしょう? むしろお礼を言って欲しいくらいなんですけど」

「あ、反省の色がない! この嘘つき!」

「違うわ」

 しれっと雪枝ちゃんは言う。

「私は女優なのよ」

 そして軽いステップで私を追い越すと、二、三歩、先を歩いていく。その細い背中に私は誠実に言った。


「雪枝ちゃんも本当は智久のこと、好きなんだよね?」

 雪枝ちゃんの足が止まる。

 しばらくの沈黙の後、ぱっと振り向いた雪枝ちゃんは花が咲くような可憐な笑顔で私をみつめていた。

「トモくんはぜーんぜん、私の好みじゃないわ。知ってるでしょ、私、子供っぽい人、だめなんだから。トモくんは私にとって弟のような存在だよ」

「雪枝ちゃん……」

 私の言葉を振り切るように、彼女はまた背中を向けた。私は切ない気持ちで呟いた。

「嘘つき」

「違うよ」

 こちらを見ないで雪枝ちゃんが言った。

「私は女優なの」

 そして青い空に向かって深呼吸するように、大きく手を伸ばした。

「明日は明日の風が吹く。行こうよ、あんぬちゃん」

「うん……!」

 私は駆け出すと、空に伸ばした雪枝ちゃん手を摑まえた。そしてふたり、しっかりと手を繋いで笑い合いながら、中学生最後の通学路を駆け抜けていく。

 ずっと向こうまで続く青空は永遠で、今の私たちに終わりは見えなかった。

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十五センチの音色 夏村響 @nh3987y6

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