28.怪物と怪物

「お前は……。ああ、お前か」


 得体の知れない何かが俺を認識したような言葉を発し、そして興味を失ったように視線を俺から外した。

 同時に俺の呪縛も解かれる。

 体も声もシズクのものではあるが、目を合わせた事で改めて確信した。

 これが記憶の蘇った本当のシズクなのか、それとも別の何かなのかは今の俺に分かろうはずもない。

 だが明らかにシズクの人格のそれではなかった。


 シズクの身体を借りた少女が俺の後方、瓦礫の山からゆっくりとした足取りで前方へ歩く。

 そして俺と佳苗の周辺に落ちていた、おそらく壊れたベッドの足らしき鉄パイプを拾い上げた。

 あまりにもゆったりと落ち着き払ったその動きは、未だ視界を奪われたままにその両腕を振り回す怪物と比べ恐ろしく優艶に感じられる。


 少女が拾い上げた鉄パイプとともに、その身体を怪物に向けた次の瞬間。


 ――ブシュッ!


 怪物の首が少女の投げ放った鉄パイプに貫かれ、串刺しにされていた。

 これまでのような絶叫をあげることすら出来ず、怪物が膝をつく。

 それでもなお、細かく腕を痙攣させながら鉄パイプを引き抜こうとしていた。

 いったいこの怪物はどういう仕組みなのか。

 普通ならば首の骨を粉砕された時点で脳から身体への命令が届くことはなくなり、その身体の機能は一切失われるはずである。

 もはや首筋を貫く鉄杭を引き抜いたとて死は免れないだろうが、臨死においてなお怪物は怪物であった。


 少女が悠然とした様で巨体に歩み寄る。

 窮鼠猫を噛む。

 それが本当にシズクであったならばそんな言葉を思い出し、まだ危ないから下がれと声を発しただろう。

 だが実際にはそんな言葉を掛ける隙すら与えぬ流麗な動きで近づき、跳んだ。


 トン。


 怪物の喉を貫き、今その震える両腕で抜かれようとしている鉄パイプの上に少女が降り立つ。


 トン。


 次は怪物の肩の上に軽やかに着地する。

 まるで巨人と遊ぶ妖精のような光景に息を呑む。

 俺に掛ける言葉など出てこようはずもない。

 ただただこの事の顛末を見守るしかなかった。


 肩に立ったままの少女が怪物の頭を、母親が子供を慈しむように撫でる。

 シズクが俺のベッドの中でしたように、優しく包み込むように抱きかかえた。

 そして。


 ――ゴギュッ! ブジュッ、ブシューーー!


 怪物の頭がねじ切られ、引き抜かれる。

 今度こそその巨体は動きを止め、首から鮮血を吹き出すだけのモノと化した。


 あまりにも非現実的な出来事の数々。

 そしてその中心には血を浴びながら、天井を仰ぐオッドアイの少女が居た。

 まるで夏場の噴水ではしゃぐ子供の様でありながら、その顔には喜悦の笑みが浮かんでいた。

 そしてそれは、俺がしずくの身体を借りたこの少女に見る、それまでの無表情とは違う初めての人間らしい表情でもあった。


 笑みを浮かべたまま、今度は腕を、足をねじ切り、潰し、おもちゃのようにして遊びだす。

 もはやその笑みは狂気でしかない。

 さっきの得体の知れない恐怖は収まり、今度はシズクの身体でありながら彼女とは似ても似つかぬ表情で怪物の遺体を弄ぶそいつに対し怒りを感じ始めていた。


「おい、もうその辺でいいだろう」


 俺の言葉に反応し、手をとめた少女がこちらを注視する。

 顔からは歓喜に歪んだの表情が消え、元の無表情に戻っている。

 俺を見つめる様に一瞬飲まれかかるが、しかしいつまでも怖気づいてはいられない。


「お前、シズクじゃねえな。記憶喪失に多重人格ってところか?」


 少女はこちらの言葉に答えず、視線を俺の隣の佳苗に、床に伏しているジェニファーに、最後に血まみれになった自身の身体にひとつひとつ何かを確認するように移動させた。


「この服、あんたか、それともシズクが選んだのか? 動きにくいが趣味は嫌いじゃねえぜ」


 それまでの美しい所作と無邪気な子供にも似た動きからは想像もつかない粗野な言葉遣いで俺の質問に答える。

 明言したわけではないが、彼女がシズクではない別の人格であると肯定したと取るべきだろう。


「シズクでないとすれば、お前は誰だ? お前にはシズクの失った元の記憶はあるのか?」

「…………」


 分からないことだらけな現状、どうしても問うことが多くなってしまう。

 我ながら刑事時代の尋問の様だと感じたが、しかしあの時の様に檻や手錠はない。

 それどころか、この少女と負傷した自分とでは明らかに置かれている立場に大きな開きがある。

 向こうの出方を待つしかない所か、最悪俺の首までねじ切られる可能性すらあるのだ。


「あんたはアタシの事を知らないが、アタシあんたを知ってる。禊征志郎だな? それに隣の女は、水奈瀬佳苗か」


 その名前を聞いた瞬間、自分でも身体が熱くなるのを感じた。


「なぜ彼女の名前を知っている!?」


 立ち上がって詰め寄ろうとするも、先の戦いで負傷した身体を碌に動かすことも出来ず、ただ前のめりに倒れるだけだった。

 

(ありえない。なぜこいつが彼女の顔と名前を知っている。シズクとこいつが記憶を共有していたとしても、知っているのは俺の名前だけだ。いや、俺の部屋や事務所でシズクが資料を見つけた場合……)


 こちらが様々なケースを頭の中で想定してみるも、確かな確証は得られずただ順繰りに思考の迷路に迷い込むだけだった。

 奴の方はというと既にこちらに背中を向け、また怪物の身体にその腕を突き刺し弄んでいた。

 内臓の感触を確かめているのか、ぐちゅぐちゅ嫌な音を立てながら巨大な身体をまさぐっている。

 そして何か赤黒いものを引き抜き、振り返る。

 その手には未だ不気味に脈打つ怪物の心臓があった。


「ッ!? なにして……」

「あんた、水奈瀬佳苗の事、何も知らないんだな」


 ちらりと一瞬ジェニファーの方を見た少女は、こともあろうにその心臓を俺の方に投げてよこした。


「お、おい!」


 その不気味な肉塊を咄嗟に受け取ってしまう。

 扱いに困るそれを手に、次に顔をあげたその時には既にシズクの姿はそこにはなかった。

 追おうにも、体中が痛くてそれどころではない。

 もっとも五体満足でも追う事の出来る自信はないが。


 彼女が消えて間もなく、今度は間髪開けずに建物内に複数人の足音が響いた。

 この足音を聞いたために彼女は立ち去ったのかもしれない。


「征志郎!! 生きてたら返事頂戴!!」


 良く通るエンジェルの声が聞こえる。

 縁起でもない事を言う奴だが、今度こそ本当に助かったのだろう。


 俺は痛みを訴える肺に鞭を打ち、出来る限りの大声でエンジェルを呼んだ。

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支払いは身体で~ツギハギの少女とバラバラな心~ 蒼井 露草 @tsuyukusa_aoi

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