終章 いつかまた、この場所で

 それから、三か月が過ぎた。まだ朝晩は寒いが、昼間は夏の暑さの兆しを感じるようになってきている。この季節になると、人々もどこか活動的になり、町は活気であふれている。

 その活気を象徴するように、新しい国民議会では連日のように議論が繰り広げられている。さらに、そこで話し合われたことは、すぐさま新聞に載り、世間に配られる。それを見た国民は、家で、酒場で、通りで、自分たちの考えを話し合う。そして、議会に対し物申したいことがあれば、意見書として提出する。すると、次の議会ではその意見書が議題にあがる。

 そのように、誰もが政治に参加できる場が用意されたことで、町の政治熱は、空前の盛り上がりといえた。だが新しい議会は、次々ともたらされる国民の声に従うばかりではなく、自分たちが違う意見を持っていれば、きちんとそれを提示し、納得してもらおうと努力している。

 今の政治には、たしかに言葉がある。

 町の中を歩きながら、シオンはそんなことを考えていた。

 今日は少しだけ肌寒く、すれちがう人の多くは、薄手のコートなどを羽織っている。だがシオン自身は、そんな気分にはなれなかった。

 町を一周してから、シオンは自宅のある地区に戻ってきた。しかし、目的地は家ではない。

 この地区には、他の家がほぼない。それは、この地区が死を連想させるからだと言われている。その理由は二つ。一つは、処刑人の家があるから。そしてもう一つは、大きな墓地があるからである。

 今日の目的は、その墓地にあった。

「こんな近くにあるのにね……。薄情だって、怒られるかな?」

 この墓地には、多くの者が眠っている。その中にはもちろん、シオンが手を下した人間もいる。だから、来たくても、どうしても勇気が出なかった。

 それでも今日は、特別な日だから――。

 墓地の中を進んでいると、人影が目に入った。ある墓の前にひざまずき、顔を覆っている。

「フィオナ……」

 この墓地には、シオンたちのよく知る人物二人が埋葬されている。一人はヴァン。そしてもう一人が、クリスだ。クリスは本来、ここではない代々の王家が眠る墓地に埋葬されるはずだったが、本人の希望でここに、ヴァンの傍で眠りについている。

 フィオナがいるのは、兄の墓の前だろう。強くなったと思ったが、それはきっと王家の責任感からだったのだろう。兄を失った悲しみや不安は、いまだに癒えていない。だけどそれを誰にも見せられず、ああして一人で泣いているのだ。

 シオンは近くの木に身を隠し、彼女が泣き止むのを待った。

 しばらくすると、フィオナは立ち上がり、涙をぬぐった。それを見届け、再び歩き出す。

「やぁ、フィオナ」

「……シオン。コート着てないんだ」

 平静を装っているが、彼女の目は赤かった。

「もう、必要ないからね。黒い上着も、白い上着も」

「……そう。それはいい趣味。でも、覗きは悪い趣味」

 ジロ、とにらまれ、シオンは苦笑する。まさか気づかれているとは、思わなかった。

「クリスの前で泣くぐらいは、自然なことだろ? それに、僕らの前ぐらいは、王女でなくてもいいじゃないか」

 フィオナは、静かに頷く。今の彼女に、王家の威風のようなものはなく、以前のような気弱な少女の雰囲気をまとっている。でも、それが本来の彼女なのだろう。口調も、今の方が彼女らしい。

「……でも、寂しくて泣くのは今日で最後。これからは、シオンが一緒にいてくれる」

「もちろん。どこまでもお供しますよ」

 しばし、二人は見つめあっていた。やがて、互いの距離が近づいていき――。

「お邪魔だったかな?」

 響いたマレーの声に、二人は固まった。その距離が、徐々に元に戻る。

「――オホン。いよいよ出発だね、マレー」

 議会に再召喚されたマレーは、そこで改めて北方開拓の必要性を熱弁。その結果、責任者の一人として、開拓地に派遣されることとなった。そして今日は、その出発の日なのだ。だから、その報告を兼ねて、みんなで墓参りをするという話になったのだ。

「今さら取り繕われてもな……。だが、ああ、本当に二人には感謝している。この恩は必ず、働きによって返してみせる」

 恭しく頭を下げるマレーに、なんだかこちらのほうが恐縮してしまう。だが、フィオナはやはり複雑な思いがあるのか、厳しい瞳で彼を見る。

「……マレー。まさかとは思いますが、開拓の地で死ぬつもりではないでしょうね?」

 王女としての口調で、詰問する。図星を突かれたのか、マレーは黙り込んだ。

「……いいですか? 死ぬことは、決して許しません。生き抜いて、その成果をここで報告しなさい。それが、あなたの償いです」

 命を懸けることで、詫びる。たしかに、それで晴れる思いもあるだろう。でも、それで一番楽な思いをするのは、詫びる側かもしれない。少なくとも、罪悪感の苦しみからは、解放されるのだから。

 生きて帰ってくる。その約束は、マレーにとって、苦しみを抱き続けることを意味する。それでも、彼はそれを受け入れる。それがほかならぬ、フィオナの望みだからだろう。

「――親友たちの墓に誓って、必ず」

 マレーの目に、もはや迷いはなかった。きっと彼ならば、北方でその才能を開花させるだろう。シオンは、そう確信していた。

「それで、もう一人はまだ来ていないのか?」

「まだ来ていないよ。そもそも、彼女が約束の時間に来たことはないけどね」

「まったく、相変わらずだな……」

 呆れつつも嬉しそうに、マレーは笑う。今日集まるはずだった人数は、四人。いや、あるいは五人か。とにかく、もう一組が来るはずであった。

「君が誘ったんだろ? それなら、今日も連れてくればよかったのに……」

「いや、しかしだな……。どういう顔で会えばいいか……」

「そんなん、気にするような人じゃ――」

「ごめーん! お待たせ~!」

 妙に間延びした声を響かせ、その人物たちはやってきた。相変わらずのふわふわとした雰囲気に、胸に抱いた子供。変わらぬユール・ピオニエールの姿がそこにあった。

「ごめんね~、けっこう急いだんだけど~」

 そういうわりには、息一つきれていない。でもまぁ、彼女なりに急いできたのだろう。そう信じることにした。

「久しぶりだな……」

 どこか気まずそうに、マレーが挨拶する。ユールは、満面の笑みでそれを返す。

「久しぶり~。マレー君、ちょっとやせちゃった? だめだよ~。寒いところ行くなら、お肉つけてかないと」

 無邪気に振る舞うユールだが、ヴァンが死んだ直後は、見るのも気の毒なほど、衰弱していた。その後は、サントリアから少し離れたところに暮らす両親のもとに戻っていたらしい。そのために今日まで会う機会もなく、自分たちの知っている彼女がやってきて安心した。

「そうしたいのはやまやまだが、きょう出発だからな。今更、どうにもならんよ」

「む~、じゃあ向こうではたくさん食べるんだよ?」

「それでは、部下に示しがつかない」

「む~、相変わらずだね~、マレー君」

「君もな」

 四人の間に、穏やかな笑いが訪れる。これもまた、ユールの才能だと思う。

「……それが、ティフォン?」

 そしてフィオナは、残った一人に興味を向けた。

「そっか。フィオナちゃんははじめてだっけ?」

 のぞき込むフィオナに、ティフォンは笑顔を浮かべる。どうやら、気に入られたらしい。

「大きくなったね」

「うん。なんかちょっと、ヴァンに似てきた気がする~」

 たしかに、目元のあたりに面影がある。ただ、全体の雰囲気はユールに似ているのではないか。ヴァンの快活さと、ユールのおおらかさ。二つを持ち合わせたとすれば、大した人物になるかもしれない。

「……かわいい」

 うっとりとした顔で、フィオナは赤子を見つめている。

「……私も、ほしいな」

 突然視線を向けられ、シオンはたじろいだ。マレーが、薄い笑みを浮かべる。

「そういえば君たちは、どうするんだ?」

「僕はやっぱり、学校をつくるよ。フィオナには、その協力をしてもらおうと思って」

「……一応元王族だから、いろんなところに顔が利く。それに、シオンがそばにいれば安心」

 ある意味、互いの利害が一致しているわけだ。もちろん、それだけではないが。

「そっか~。二人は、昔から仲良かったもんね。お似合いだよ~」

「今度は、本当の騎士になるというわけだな」

 からかうように言われ、シオンは反応に困った。どうにも、こういう役回りはできない。

「それで僕らも、この町を少し離れようと思うんだ。中心部から離れたほうがいろいろ動きやすいし、本当に教育を必要としているのは、地方だと思うから」

「そうか……。それならば、我々はそれぞれの道へ旅立つわけだな」

 感慨深く思い、みんなはヴァンたちの墓を見る。もう、傍にいる人間はいなくなってしまうのだ。

「……あいつは、なんていうかな?」

 応援してくれるか、それとも「この町にいろ」と駄々をこねるか。なんだか、どっちもありえそうだ。

「……応援してくれるよ」

 ぽつり、とユールが呟く。

「ユール?」

「実はね……私が見つけたとき、ヴァンはまだ生きてたの。それで、一言だけしゃべってくれたんだ。それで、言ってたの。『俺の分まで、新しい国を楽しめよ』って。みんな、夢を持って行くんだもん。きっと、笑ってくれるよ」

「……うん。兄様も、きっとそう。私たちが自ら選んだ道なら、認めてくれる」

 二人の言葉を裏づけるように、風が吹き抜ける。背中を押されたように感じたのは、気のせいではないだろう。

 全員がそれを感じたのか、無意識のうちに笑っていた。

「――では、行こうか」

「ああ。いつかまた、この場所で」

「……必ず」

「うんうん、会おうね~」

 別れの挨拶と再会の約束を交わし、シオンとフィオナ、ユールとティフォン、そしてマレーの五人は、それぞれの道を歩き出す。

 皆の足取りは軽く、彼らの頭は自然と上を向いた。その視界には、雲一つない夏の青空が、どこまでも広がっていた。

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ローワン革命記~風と処刑人~ @kutaragi

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