第23話 砂漠の二人

 乾いた大地を一台のバイクが走り抜けていく。砂を巻き上げながら突き進むその灰色のバイクは、どうにも調子が悪く、嫌な音がボディ全体に響いていた。エンジンだけはまだなんとかなっているが、その他の部分がもうボロボロだった。

 防塵装備を施していてもこのありさまなのだから、やはり根本的なパーツに問題があるとしか思えない。

 それに、こんな風に早くもガタが来たのはあの余計な戦闘のせいに違いない。


「チッ」


 グレイは、ブスブスと音を立ててついに動かなくなったバイクから降りると、まずは各部をチェックした。問題は多数だ。何から手を付けていいのかさっぱりであり、これなら新しく別のものを捜した方が手っ取り早い。


 それでももらったものなのだから、あまり無駄にもしたくないし、これは依頼の対価なのだ。それをここで捨てるというのは、グレイのプライドが許さない。

 ケチともいえるが、グレイにそんな意識があるかどうかは不明だった。


 とにかく、こいつを手放すのは癪だ。ただ働きになるのは御免なのだ。そう思いながら、グレイはバイクを担ぐ。彼の力ならばこの程度軽いものだ。


 だが問題なのは担いだ瞬間にギシギシと嫌な音を立てていることだ。よもやそこまで危険な状態だったとは思わなかった。

 やはり捨てるしかないか。断腸の思いと言うべき感情がグレイの電子頭脳を駆け巡る。


 ふと、遠くで別のエンジン音が聞こえる。それはかなり遠いがグレイの耳には届いていた。その音から判断するに、数は一、武装をしている様子もなく、ハイエナたちの下品な笑いも聞こえない。


 その代わりに何やら甲高く、騒がしい声が聞こえていた。その声は「ギャー!」とか「うわー!」とかよくもそんな声を、この炎天下の砂漠の下で言えるものだと奇妙な関心をしていると、ついにその音の正体が判明する。


 一台のジープが猛スピードで砂を巻き上げ、そして危うくグレイに衝突しそうになるが、なんとか寸前でブレーキをかけることが出来ていた。

 運転席にはゴーグルをつけ、布をグルグルにまいた人物がいた。その人物はグレイを見つけるとなにかあたふたとしていたが、大きく深呼吸するようなしぐさをみせて、むせていた。布が思いのほか不快だったようだ。


 グレイはその一人芝居のような騒がしい光景をジッと眺めていた。

 咳込みが終わったその人物は面倒臭くなったのか、ゴーグルと布をはぎ取ると、汗でべとべとになった髪を振って、顔の汗をぬぐう。

 そこにいたのはアンナであった。


「はぁい、お兄さん。お困りのようね?」


 窓を開けて、艶っぽいような声を意識してみたものの、出てきた声はうわずったようなトーンのおかしい声だった。特に初めの言葉などしゃっくりみたいで、今になって恥ずかしくなってきた。

 それでもアンナはつづけた。顔を真っ赤にしながら。きっとそれは暑さのせいだと言い訳して。


「私、運転苦手みたいなの。お兄さん、運転してくれるならバイク乗っけさせていいわよ」


 アンナは親指でジープの後部を指した。ハイエナたちの改造したジープは元々武器や弾薬を乗せておく為か結構広めに拡張されていた。バイク一台を乗せるには少し無理をさせる必要はあるが、スペースは十分に確保できるはずだった。

 グレイはじっとアンナにサングラスの奥から視線を向けていた。口元は一切変化がない。


「砂漠の掟よ。お兄さん、東に行くんでしょ? 私も行くつもりだから、このジープ使わせてあげる。だから代わりに東の都会まで、エスコートしてちょうだいな」


 アンナはできる限りの努力で大人っぽいような笑みを浮かべたつもりだったが、ミラーに映る自分はなんともぎこちない顔をしていた。作り笑顔というのは中々に難しい見たいだ。


「……」


 グレイはやはり無言だった。だから何だと言わんばかりの顔を向けているようにも見える。アンナも事の成り行きに身を任せてみるつもりで黙っていた。

 周囲にはジープのエンジン音だけが響いていた。クーラーの効きが悪い。じりじりとした熱気は車内にまで広がっていた。

 そして、根気負けしたのは結局はアンナだった。


「あぁもう! 運転して! いいでしょそれぐらい!」


 駄々っ子のようにジープのハンドルを叩く。


「フッ……」


 そんなようなことをしているとグレイが小さく笑った。アンナが見てもわかるくらいに口元は曲がっていた。

 グレイは担いだバイクをジープの後部スペースに詰め込む。そして、アンナに変わって運転席に座ると、ギアを入れて、アクセルを踏む。エンジンの轟音が響くと車体は一気に加速して砂漠の上を突っ切っていく。


 窓を全開にしていると風が車内に入りこんでくる。助手席に座るアンナは、その突風を受けて髪の毛がバサバサと乱れていくのだが、気にせずその風の涼しさを堪能して、加速を続けるジープに気分を高揚させていた。


「今更だけど、私、アンナよ。アンナ・セカテ」


 思えばグレイの名前は知っていても、自分は名乗っていなかった。


「……グレイ」

「知ってるわよ、台帳に書いたもの。けど、自己紹介よ。フルネーム教えてよ」

「……R、アール・グレイ」


 やれやれといった具合で、グレイは名乗った。己の真の名前を。


「アール……」


 その名前はまるであのレオンとかいうロボットと同じだなと思ったアンナだったが、それ以上に、グレイのフルネームが彼女には印象的だったのだ。


「アール・グレイね……見ためにそぐわない可愛い名前じゃない」


 ジープは砂の丘を飛び超えていく。ガクンと車体が揺れた。日差しは変わらず地獄の大地を照らし続ける。灼熱の大地はそこに住まう生きとし生けるものを全て死に至らしめる。

 けれどもそのジープからは口笛が聞こえてくる。死すらも呆れて通り過ぎるような明るい口笛だった。


 アンナは傍で奏でられる口笛を聞きながら座席を倒す。子守歌にでもしたら案外よい曲になるかもしれない。そんなことを考えながらアンナは瞳を閉じてジープの揺れに身を任せた。


 結局、アンナは具体的な目的も持たないまま街を飛び出した。まずは、街の浄水器を直す技術者を見つけるしかない。そのあとのことは、その時に考えようと思う。このままグレイの旅についていくのも悪くないかもしれない。ちょっと刺激が強いが、そんな中にいれば目的の一つや二つは見つかるかもしれない。


 それに、外の世界をもっと知りたい。オロもきっとそうだったはずだ。狭苦しい街ではなく、無限に広がる外の世界を……そうだ、世界を見て回れば、自分の目的が生まれるはずだ。きっと、そうだ。

 そう思いながら、アンナはゆっくりと眠りに落ちた。


 空には一羽の名も知らぬ鳥が飛んでいた。鳥は鳴き声を上げながらジープを追い越していく。異様な程真っ黒な鳥は、まるでジープを先導するように先へ、先へと羽ばたいていく。

 延々と続く砂漠の先、まだ次の目的地は見えそうもなかった。


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砂塵のアール・グレイ 甘味亭太丸 @kanhutomaru

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