第22話 帰路

 アンナたちが街に戻った時にはすでに日は登っていた。ウーにトレーラーを運転させ、もし変な事をしようものなら砂漠に捨てていくと脅した。助手席には二人の少年を乗せて、見張りをさせている。二台のトレーラーのうちの一つは無理矢理牽引させているせいで、えらくバランスが悪く揺れに揺れたが、そこに乗る者たちは無事、家に帰れるという喜びの方が強いらしく文句の一つも出なかった。


 そして、街に着くと、大人たちが歓声を上げて出迎えてくれる。囚われていた者たちも各々の親の下に駆け出し、飛びつく。何人かの親はハイエナたちの手にかかってしまっていたが、そんな子どもたちすらも、大人たちは優しく受け入れた。


 アンナも常連の男たちにもみくちゃにされて、髪の毛を乱されて、またお尻を触られていたが、つけに回してやるのだけは勘弁してやった。


 ソゾウ婆さんも遠巻きにアンナを眺めていたが、その表情は今までの記憶の中で一番やさしかったと思う。


「おばあちゃん」


 男たちから抜け出したアンナは、どういう顔をしていいのかちょっとわからなかったが、困ったような笑顔を向けてひと言、そういった。


「ただいま」

「不良娘が……まったく顔に怪我までして」


 ソゾウ婆さんの手がアンナの頬を優しくなでる。今まで忘れていたがその部分は銃床で殴られたとことだった。どうやらまだ腫れているようで、今になってじんじんと痛み出してきたのだ。


「他は大丈夫だろうね?」

「大丈夫だよ……うん、大丈夫」

「そうかい」


 ソゾウ婆さんはそれ以上はなにも言わずに抱きしめてくれた。アンナもその腕をソゾウ婆さんの腰に回す。


 無意識に涙がこぼれてきた。本当に生きて帰ってこれたと言う実感がわいてきたのだ。そして、ハイエナに囚われ、コンテナの中で怖い、痛い思いもして、そして、オロのあの調子にのった声がもう聞けないんだということを改めて思い出したアンナはとめどくなく流れる涙を抑える事などできず、そして、大声で泣いた。

 ソゾウ婆さんは何も言わず、その背中を優しく叩いてくれた。


 ***


 街の死者たちの墓はどうしても共同という形になる。オロたちを含めた新たな遺体もまた、土葬という形になっていた。やはり火葬をするほどの余裕はないのだ。それに、生半可な火葬では肉は完全には灰にはならないし、悪臭もひどい。それだけは、死者に対する冒涜であると誰かが言っていた。ゆえに、彼らは、せめて故郷の土に帰れるように土葬という形で死者を弔うのだ。


 それは、かつての文明では宗教と呼ばれる問題であったらしいが、よくは分からない。だが少なくとも、ハイエナたちによって殺されたものたちが安らかに眠れるというのなら、彼らはなんでも良かった。

 彼らの遺体は、アンナたちが帰ってくるまでの間に男たちが埋めた。この砂漠の気温の中では、すぐに腐ってしまう。虫が沸く前になんとかしてやる必要があった。


 その為か、アンナは結局オロの死に顔を見ることはなかった。最後に見たオロの姿がレオンによって切り裂かれたあの姿であるのは、アンナにとって苦い思い出となったが、今この状態で彼の顔を見てしまっては、それこそ心に深い傷を作ってしまうんじゃないかと、アンナ自身も感じていた。


 アンナがオロの墓を訪れたのは、翌日の事だった。前日は、自分でもおかしいんじゃないというくらいに眠っていた。気が抜けたというのか、緊張の糸が切れたと言うのか、それは他の子どもたちも同じであり、街の住民の大半がそうであった。


 アンナは墓の参り方などは知らないし、どういう作法があるのかも知らない。ただソゾウ婆さんがやっていたように両手を合わせて目を閉じてやるぐらいだ。

 しばらくはそういう風にしていたアンナだったが、不意に目を開けると、オロの墓の前にしゃがみこんで、紐で通し首にぶらさげたおもちゃの指輪を取り出す。


「オロ、みんな帰って来たよ。あんたがグレイの奴を向かわせてくれたおかげだと思う」


 結局、グレイがこの街に戻ってくることはなかった。それはある意味当然のことだ。グレイは、何者であれ旅人なのだ。旅人は一か所にとどまる事は無い。この街に彼が来たのだって所詮は偶然にすぎないのだ。

 だから、もうグレイがこの街に来る事は無いだろう。この砂漠の上であの黒いジャケットを羽織り、あの無愛想な顔でバイクを走らせているのかもしれない。


「街のみんながいってたよ。これ、あんたが私の為に買ってくれたものだって」


 アンナはその玩具の指輪をオロの墓の前に、まるで生きているオロに見せるようにかざした。


「にしてもちょっと子どもっぽすぎるでしょ? 私はそこまで子どもじゃないっての」


 口調も、生前の彼に対するようなものを意識したつもりだったが、声はどうしても震えてしまう。目頭も熱くなり、頬を伝う涙を止めようとしても、アンナには出来なかった。


「なに、あんた。連れ出そうって……あたし、駆け落ちとかそういうの趣味じゃないし」


 アンナとて、オロが自分に向ける好意には気が付いていた。だが、それを自分が自覚するということが恥ずかしかったのだ。そのせいでオロにはつれない態度を何度も取っていたのに、オロはずっとまっすぐに自分に好意を向けていた。

 ある意味でアンナもオロに甘えていたのかもしれない。


「私ね、あんたの事を好きだったと思う。きっと今でも。これは嘘じゃない。それに、さ……この指輪も、玩具だけどさ。正直、嬉しいよ」


 嗚咽混じりの言葉だったが、詰まることなく最後まで言えたと思う。


「一緒に街を出ようなんて言われてたらさ、私どんな顔してたんだろうね? 喜んでたのかな?」


 だが、それはもうわからないことだ。


「あんたは外に出て何がしたかったの?」


 アンナもまた、自分が街の外で何がしたいかなどという具体的な目的はない。思えばそれは子どもが持つ特有の背伸びだったのかもしれない。

 それはオロもそうだったのだろうか。もうそれを聞くことは出来ないが、オロがそんな適当な理由で外に出たがっていたとは思えない。


 オロの唯一の家族である、祖父は彼の隣の墓の下で眠っている。優しいオロが、老人を一人残してまで街の外に出たがった理由は何だったのか。

 もしその理由がアンナ自身が外に出たいという願いを叶えてやろうというオロの好意だったとすれば、それはアンナにとって嬉しいような恥ずかしいような、余計なお世話のような、複雑な思いだった。


 ひとしきり涙を流したアンナはすっと立ち上がる。本当はもっと泣きたかった。オロがいなくなってしまったという現実から目を反らしたかった。だが、アンナはそれをしない。袖で涙をふき取り、玩具の指輪を懐へとしまう。


「それじゃ……ね」


 別れの挨拶という訳じゃない。また、明日会おう。そんなニュアンスの言葉だった。

 墓地を後にしたアンナはまっすぐと前を見つめていた。

 そして、アンナは……


 ***


 ウーは納屋の中にいた。彼がハイエナであることは街の住民たちも気が付いていることだったが、子どもたちの帰還に湧く住民たちは少なくとも今すぐ彼をどうこうするつもりはなかったようで、ひとまず縄で縛りつけて適当な納屋に放り込まれたというのが実情だ。


 情けない声で命乞いをするように泣き叫ぶ姿は、生への執着がすさまじく、多少同情するものもいたが、だからと言ってハイエナである彼を許せるものなど誰もいない。


 今すぐにでもなぶり殺しにされないだけ有りがたく思わなければいけないのだ。

 その納屋に誰かが入ってくる。ウーは直ぐにその方へと顔を向けると、そこにはアンナが冷たい視線をこちらに向けていた。

 ウーは卑屈な笑みを浮かべて、しかし口元は恐怖で歪んでいた。


「じょ、嬢ちゃんじゃねぇか!」


 どうにもこの男は自分にすり寄ってくる。正直気持ち悪い。


「な、なぁ! 俺は誰も殺しちゃいねぇんだ。わかるだろ? 俺はよ、専門は事務とかそういうんだよ。マッダバにそれを売りにして生き残ってたんだ! けど荒事は苦手なんだ、だから銃を握ったこともねぇんだよ!」


 次々と出てくる命乞いの言葉は筋が通っているようにも思えたが、そんなことを理解できるのはこのウーという男の人生を知っている場合だ。アンナは当たり前だがそんなことは知らない。


「街の連中にも言ってやってくれよ! 俺は役に立つぜ? 数だって数えられる、計算だってよ」

「悪いけど、それぐらいなら私でもできんのよ」

「……!」


 ウーのいう計算というものがどれほどのものかは知らないが、生きていく上で必要な計算はアンナにだって出来る。だてに店の娘をやってきたわけじゃない。


「た、頼む! 殺さないでくれ! 俺からお前らを殺すことは絶対にねぇ! 誓ってもいい! そ、それにお前らが街に戻って来れたのも俺の運転のおかげだろ? そうだろ?」

「まぁ、それもそうね」


 アンナの言葉にウーは表情を崩す。助かるのだと早合点しているのだ。


「けど、それだけじゃあんたを見逃してやる理由にはならないよ」


 ウーの顔が蒼白した。唇がわなわなと奮え、奥歯ががちがち痙攣する。目には涙を浮かべて、この世の終わりと言わんばかりに悲痛な声が喉から漏れていた。


「ひ、いいいい!」

「うるさい、ちょっと黙ってて」


 アンナはウーの顔の近くを踏みつける。大して音もしなければ衝撃もないが、今のウーにはそれで十分だった。


「別に私はあんたを殺してやろうだなんて思ってない。正直、どうでもいいと思ってる。けど、あんたの知識次第じゃ見逃してあげてもいいわ」

「何でも! 何でも聞いてくれ!」


 ウーはあらゆるものにすがろうとした。


「都会への行き方よ。そうね、方角ぐらいでもいいわ。それとどれだけの物資がいるのかも教えてちょうだい」

「へ、へへ! それぐらいならお安い御用さぁ! ちと計算は狂うがよ、あの廃墟……おめえ達が捕まってた場所からならわかる。カンパニーの連中が丁寧に教えてくれたからな」


 ウーは饒舌になっていた。それは生き残りたいという本能がそうさせていたのだろう。


「さ、さすがに詳しい距離まではわかんねぇ! けど、大体二〇〇キロメートル程のはずだ! 車を使ってまっすぐに東に進め! そうすりゃ着く! だが、砂漠の上だ。バギーでもジープでもバカみたいに時間がかかる。途中、他の街による必要があるが……」

「分かったわ」


 アンナは取り合えず、聞きたい情報だけは手に入れる事ができたと判断して、立ち上がった。

 ウーはポカンとした顔をしている。何をしているんだというような顔だ。


「お、おい嬢ちゃん!」

「なによ」

「た、助けてくれよ!」

「……」


 アンナの視線は冷たい。だが、アンナはすぐに溜息を吐くと、ウーの前にしゃがんで、


「ねぇあんたさ。自分でここから逃げようって気力はないの?」

「で、出来るならとっくにやってる! けどよ、無理なんだよ! 俺は荒事ができねぇんだ!」

「なっさけないわねぇ……」


 二度目の溜息は心の底から呆れた感情を吐きだすようにしていた。


「言っとくけど、うちの男連中はあんたの所の親分みたいに暴れはしないけど腕力だけはあるからね。あと、また人質を取るようなことをして見せなさい」


 アンナはウーの縄を解いてやっていた手を一旦止めて、緩くなりそれなりの長さが出来た縄をウーの首元に近づけた。


「そんなことをしたら、本当に殺されるからね」


 なるべくその言葉だけは冷たく、吐き捨てるようにいったつもりだった。声音も低く、視線も鋭く、うまい具合に脅迫は出来たのだと思う。

 ウーも無言でこくこくと頷いていた。ウーは完全に縄から解かれたわけではない。だが、縛られていた時よりもかなり緩くなっているのは間違いはなった。


「ここまでお膳立てしてやったんだから、あとは自分でなんとかなさい。まぁ、いますぐ抜け出そうなんて思わないことね」


 アンナは、それだけを伝えると、今度こそ納屋を後にした。後ろの方でウーの情けない声が聞こえるが、それを無視した。

 納屋の外に出ると、そこにはソゾウ婆さんが立っていた。だが、アンナは驚きはしなかった。やっぱりこの人には全部筒抜けたんだろうなぁという感情がそれを納得させていたのだ。


「おばあちゃん……私……」

「はっ!」


 ソゾウ婆さんは鼻で笑った。


「お前さんの考えてるなんてお見通しだよ。あの屑助けてどうしようってんだい」

「別に、助けたわけじゃないよ。まあ手伝ってはあげたけどさ。あとは自分でなんとかしろって話」

「フン、まぁ確かにあの男じゃこっちに殴り掛かってくることはないだろうけどね。それに街の連中も、あいつを本気で殺そうとは思わんだろうよ」

「そうなの?」

「少なくとも自分達の手で殺すことはない」


 アンナはその言葉に押し黙る。


「あんたは気にしなくていい。これは、ハイエナなんぞやっていたあの男の責任だ。それに、どうするかはまだ決まっていない。あたしとしては、こき使ってやった方が無駄にならんと思ってるがね」

「雇うつもり?」

「バカいうんじゃないよ。なんであたしがあんな屑を雇ってやる必要があるんだい」

「そりゃそうだけどさ」

「商人との交渉ぐらいには役に立つんだろう。まぁ商人がまたこっちにくるかどうかは分からんがね。ハイエナに襲われた街は、ジンクスってのがつくのさ」


 また分からない言葉だった。何となくそれが悪い意味だというのは理解できるのだが。


「……アンナ」


 しばらく黙っていた二人だが、先に口を開いたのはソゾウ婆さんだった。


「あんた、街の外にでて人をこの街に誘え。こうなっちまった以上、こっちから勧誘するしかないよ」

「え?」

「こっちだって黙って死んでやるつもりもない。あたしらが生きていられる間に、お前が商人なり、技術者なりこの街の送り込むんだよ。下手な奴送ってきたら承知しないからな!」


 その言い方はいつものソゾウ婆さんのものだった。

 だけども、その内容はソゾウ婆さんからは考えられないようなことでもあった。


「おばあちゃん……」

「街の連中にはこっちから説明しとく。車だってハイエナの連中が残していったもんがあるだろ。装備は店の方にいくつか集めておいたよ」


 ソゾウ婆さんはそう言いながらアンナの背中を押すように後ろに回った。


「さっさと、荷物、まとめて、持って行きな!」


 いつもの必要以上に大きな声だった。だが、その言葉が所々で途切れて、掠れていることにアンナは気が付いていたが、何も言わなかった。


『最後は自分で決めろ』


 グレイの言葉がよみがえる。アンナはキッと前を見つめた。その顔はもう泣いていない。アンナは決めたのだ。

 最後の一押し、ドンと背中を突き飛ばされたアンナはちょっとバランスを崩すが、そのまま走り出す。


「おばあちゃん、ありがとう!」


 後ろは振り帰らなかった。

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