矛盾
「起きろー昼だぜぇー」
気の抜けたDの声で起きる。既に12時のようだ。
普段からあまり機敏に動かない頭は、眠気と未だ残る酒気で更にも増して低スペックだ。
「おい、右腕どしたん?俺が寝た後何かあったの?」
その言葉に右腕を見る。なんだ、昨夜の手の跡か。
・・・そうだ!昨晩の出来事をDに伝えなくては!
先ほどまで低スペックだった脳みそが急に高稼働する。
「おい、D!隣の部屋の人に会ったぞ。
あれは普通の人じゃない、夜中にジャラジャラギター鳴らすだけならまだしも、きったない身なりに酷い臭いはするし、危害まで加えてくる狂人だぞ。
早く管理人に苦情言いに行ったほうがいい」
そう口から言の葉が滑り出るなり、深夜にあった出来事を一通り話した。
「うっわー、マジかよ・・・。
俺も時々あまりにも音が大きくて眠りづらい時あったけどまさかのモンスター入居者っつーのかな。飛んでもないやつだったわけだ。
ん?待てよ。
お前鍵閉めたんだよな、本当にいたとしたら、どうやってその人風呂場まで入ってきたんだ?」
確かに言われればその通りである。
昨夜は気にも留めなかったが、どうやって部屋に上がり込んできたのか。
それを一寸考える間に、何故かひやりと部屋の温度が下がったような感覚を私達二人の触覚が感じ取った。
「D、きっと考えすぎだ。
気のせいだろうし、あがりこんだ確証はない。
おそらく感覚と記憶がフラッシュバックしてその場に『いる』ように脳が勝手に再生しただけだ。
とにかく、まず大家に相談しよう」
それらしいことを言ってDを落ち着かせる。
「あー、それなんだけどな。
連絡するなら管理会社に問い合わせる方がベストかもしれねえな。
ここを教えてくれた店舗に近いうちに行くことにするわ。ありがとな」
やや青ざめた顔をしながらDは礼の言葉を述べた。
その顔はどこか生気を失ったような不健康そうな顔に様変わりしていた。
その日は夕方になる前に帰ることにした。
言うまでもなくもうあのギターの音を聞きたくなかったからだ。
例の夫婦の旦那さんだろうか、痩せた男が音もなく向かいの部屋に入っていくのを尻目に部屋の鍵を閉めそそくさと階段を降りていく。
駅前で二人でレストランで夕飯を済ませるとそのまま解散した。
久しぶりの旧友との時間は一つの『しこり』を私達の心のうちに作る結果になった。
後日、一週間もした頃だろうか。Dから連絡がきた。
この前のことを話したいし、飯でも行かないかと言うのだ。
特段断る理由もない私は、土日を使って再びS駅まで行くことにした。
着いて早々Dにレストランに連れ込まれる。
この前と同じ南中した春の陽気が差す窓際の席でDは話を始めた。
「あの後管理会社に行って話つけてきたよ」
行動が早い男だ、感心してしまう。
「結論、俺はあそこから引っ越して、駅を挟んで逆側に住むことにした」
「引っ越した、ってことはやはりあのマンションおかしいのか」
「ん、まぁ・・・な。
俺な、管理会社の人と膝突き合わせて相談したんだ。
『隣の部屋の人が何度か警告しても音楽を大音量で演奏するし、どうも変な人らしい。管理会社さんからも注意してくれないか』
って」
ひそひそとした声を発声しながら、まるで誰かに聞かれることへ気を払うかのような態度である。
顔色も優れた色ではない。
なにか聞かれたらいけないことでもあるのだろうか。
余計なことを考える間にもDは話をサクサクと続ける。
「そうしたら担当の人。
怪訝な顔してさ、『少々お待ちください』つって奥に引っ込んだの。
なんだか長く待たされてさ」
私はマンションの冷気を感じた時から、ずっと厭な予感はしていた。
「数十分して戻ってきた担当が顔真っ青にしながら言うんだよ」
やはり隣の人は…
「『申し訳ありません、Dさんの階は。あなた以外誰も入居しておりません』」
いま、何と言った?
想像の斜め上を行く答えに、一瞬至高が停止する。
もし。それが本当ならば。
若夫婦も
初老のサラリーマンも
私が腕掴まれた隣人もギターの音も
一体、いったい誰だったというのだ。
確かに、Dは挨拶回りをして喋っている。
私も演奏音を聞き、腕を掴まれている。
そして帰る際に向かいの部屋に帰っていく若い男性も目撃している。
全て。総て。凡て。すべて。それは誰なのか、いや生きている人だったのか。
Dが越してしまった今となっては、全ては確かめようのないことである。
「俺はその時、何を言われたか一瞬判らなかったよ。
続けて本当に誰も入居者いないのか確認してもさ
『1階は3部屋、2階がお客様、3階が2部屋の入居者で、その他の入居者はおりません。
駐車場利用もお一人のみです。近隣の住民からも、音楽演奏での苦情は一切来ておりません』
って言うんだよ。
俺たち、夢でも見てたっていうのかなぁ」
語るごとにみるみる白くなっていくDの顔は、まるで死んで血色を失っていくかのようだった。
と、同時に私はおかしなことに気付く。
「一寸待ってくれ、4階は誰も住んでないのか。
それに車は駐車場に2台あったぞ、綺麗な車の後ろに赤の古い車が」
「4階?誰もいないってよ。
赤の古い車だってあの日はおろか、入居してた時一度も見かけてないぞ」
あぁ、やはり。
錆びた車も、あの深夜のエレベータも…。
もし。
隣人が訪ねてきたときにチェーンロックをしていなかったら。
エレベータの前で「ナニカ」が下りてくるのを待っていたら。
私が訪ねずにDが異変に気付かないまま住み続けていたなら。
私やDはどうなっていたのだろうか。
今もそこにマンションは建っているらしい。
今も誰かがそこに入居し、あのギターの演奏を耳にしているのだろうか。
潜み住むモノ達 ひやニキ @byakko_yun
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