隣人

 「俺の部屋は2階、左右に二部屋づつあるんだが、右側の奥が俺んちだ」

エレベータで2階に上がると、そこは真ん中に通路が通り左右に二部屋づつ部屋があった。

一部屋づつの入り口の離れ具合を見る限り、全部屋そこまで狭くはなさそうだ。

ドアもグレーで比較的新しく、無機質で綺麗である。

白色の壁、ベージュの廊下と、見渡してみればフロア全体が感情的な温かみのある色ではない鉄面皮である。

南の方角の突き当りは窓があり、外階段があるであろうドアがその横にちょこんと存在した。

丁度南中した太陽の光が上方から鋭角で差し込み、フロア全体の空気を春の陽気らしく暖めている。


はずなのだが。


私の肌は、ひたりひたりとどこからか来る冷たい"ナニカ"を確り感受していた。

 Dは鍵を取り出すと鍵穴にそれを差し込み、ゆっくりと回した。

カチッと乾いた音を立て鍵は開けられた。


 「さぁ、どうぞ稀人よ。

広々とした空間を使ってゆっくり休んでいきたまへ」

馬鹿げているほど芝居がかっている。

長年の友人を、初めての来訪として家にあげるのが、愉しいのだろう。


Dは仰々しいセリフと作られた恭しい態度を取りながら私を中へ入るよう促す。

1DKの広い部屋だ。

壁は磨かれたばかりの白、雑多なインテリアは木目の棚に飾ってあり、部屋の真ん中には炬燵が置いてある。

はさんで南側にテレビが台の上に綺麗にこさえられており、北側の壁際にはまだ配置を考えあぐねているのだろうか、布団が置いてあった。


 その他にも本棚があり、週刊連載されてる海賊・トリコロールカラーのロボット・かつて流行った魔法少女ものの漫画を筆頭にそれなりに知名度の知れた面々が顔を連ねて鎮座している。

全体の印象を一言で言うなら「生活感のある、個人事業主始めたてのオフィス」だろうか。

どこか知的でお洒落でありながら雑然とした雰囲気がその部屋の持つ性格であり、映し出される部屋主の側面なのかもしれない。

記憶を掘り起こしてみれば、Dはお洒落な私服を着てる男だった。


 「ワインを持ってきたよ。そこそこ良質な渋めの赤。冷やして夜に飲むために冷蔵庫に入れておくよ。」

私はDの冷蔵庫に食材やと一緒にワインを冷蔵庫に収納した。

「おっ、サンキュウ。

早速だけど、ゲームでもやろうぜ。この手の好きだろ。」


 ゆっくりと談笑しているうちに、日は落ちはじめ、夕暮れが下りてくる。

月が暗闇をバックに太陽の光を反射するころまで、私たちは久々に会う旧友との他愛のない子供じみた遊びに興じた。

それは新しいカードプールを存分に使ったカードゲームであったり、或いは巨大な生物や円盤を落とすゲームであったり、また或いは新しく出た漫画のシリーズの話を延々するだけであったりした。

ただ、その間声以外の物音が空間を震わせない状況が私にはひどく不気味で仕方がなく、頼み込んでパソコンでミュージックを起動してもらっていた。


パソコンが単調に再生する懐かしいアニメの音楽や、少し古い子供のころの邦楽。

あぁ、まだ此方の方が落ち着く。

無音であるとどうしてだろうか、まるでナニカが背後から忍び寄るような背筋に感じる寒さであったり、縦横無尽上下左右どこかを何かが通過する足音が聞こえるような感覚を覚えていた。


極め付けに私がトイレを借りた時である。

この部屋のトイレは入り口入って左側にあるため、人が出入りしたり扉の開く音が分かる。

私はその時トイレに入ってすぐにインターホンと「コンコンコン」と丁寧に礼儀正しくも3回、玄関を叩く音が聞こえた。

しかし直ぐDが来客に対応するかと思いきや、応じる気配もない。

トイレを出てDに尋ねる。

「さっきインターホンとノックがあったみたいだけど、来訪の方は対応したの?」

しかしDは目を丸くするばかりであった。

「インターホン?ノック?

そんなの無かったぞ。なにか聞き間違えをしたのでは。」

目の前のこの男にはなにも聞こえなかったらしい。

成程聞こえなかったのならば仕方がない・・・否そんなことがあるだろうか?

少なくとも眼前に座りながら部屋のど真ん中で呑気にゲームをプレイし、ポテトチップとコーラを頬張る男は本当に何も聞こえなかったらしい。


結局それを聞いたか否か詰問をしてもまともには取り合ってもらえなかった。

私は別の部屋の音が聞こえたのではないかと、己を無理むり納得させることにした。


 そうこうしているうちに、夜中になった。

私達はワインを空けながら、チーズとトマトでつくったおつまみや、明太子パスタを頬張っていた。

「他の部屋の住人へ挨拶は回ったのか?」

「あぁ、行ったぞ。

まず向かいは若い夫婦だ、ほら例の胸のボインな奥さんの。

対角線にあたる部屋はちょっと年齢のいったおじ様だな。くらーい顔して活気のない顔した人だったな」

なるほど、それぞれの部屋に住人は住んでいるのか。


「そして隣の部屋。

隣の部屋は何度も挨拶に行ったんだがなぁ。

直に会ったことないんだわこれが!

でも人は住んでるらしくてさ、いつもギターの音がしてて練習してるみたいだぞ。

ただいつ出かけていつ帰ってくるのか全然見当がつかなくてさ、いつか会いたいと思ってるんだがな」

キチンと挨拶周りに行く辺りはまめな男だ。


それは置いても話を聞くに、その隣の部屋の住人が若干不気味に思わないわけがなかった。

もしかしてそのギターの音は、Dの妄想で実際に人なんていないのでは…と余計な思索すら膨らむ。


が、その思索も瞬間聞こえてきたギターの音がかき消す。

まるで己の存在を誇示するかの如く、アルコールで鈍る大脳へ規則正しい音の羅列が滑るように流れ込む。

「おっ、今日も聞こえてきたな。

いつも何の音楽弾いてるのか分からないんだよなぁ。

お前この曲聞いたことあるか?俺は無い!」

いくら耳を傾けても曲までは判然としない。

私自身が、洋楽以外で音楽にあまり興味を示さない人間なのもあるが、もしかしたらマイナーな曲なのかもしれない。

確りと言えることはまだ稚拙なのかゆっくりと弾き、またその音はどこか暗く海底の泥に沈む込むかのような旋律であったことだ。


にしても。

隣の部屋から物音一つ聞こえぬ無音だったのに、急にギターの音だけ聞こえるだろうか。

否、まさかもしかして。頭をよぎる一つの思考が喉から流れ出る。


 「なぁ、疑問に思ったんだが。ここの家賃いくらだったんだ」

「ここか、ここな。実は4万円位なんだよ。

立地と部屋の広さの割に安いだろ?

特に部屋に問題があるわけでもなければ、他の人だって普通に住んでいる。

不動産会社もこの部屋で人が死んだことはないって言うし、なに心配することはないさ」

真っ赤に酔った顔で口角をあげながらへらへらと笑うD。

コイツは本当に何も疑問に思わず、此処に入ったのか!

頭が痛くなってきた、勿論ワインのせいではない。


 「おっ、一瓶空いたぞ!お前酒買ってきてくれ!

コンビニは駅と反対に行くとすぐにあるから」

人の不安を他所に気楽に人をパシリに出来るこの精神を見習いたい。

そう、私は判然としない視界の中思った。


 酒とつまみを買い足して、マンションへと戻る。

ここは1階。エレベータは3階に止まっているので、上行きボタン押す。

すると、何故か4階に向かったではないか。

そのまま降りてくるかと思えば2階に止まり、こちらへ降りてくる。


なんだか、まずい。やばい気がする。

何故そう思ったか分からないが、私はダッシュで奥の階段に向かい、2階まで駆け上った。

 「どうしたーそんな急いで。

急がんでもつまみは食い切らないぞ」

その場は『何でもない』の一言で切り抜けて買ってきた酒を投げ渡す。

その間も隣部屋のギターは悲しく聞こえていた。


 ・・・・。遠くから聞こえるギターの音色で目が覚める。

いつの間にか二人して寝てしまったらしい。

Dは炬燵に入ったまま寝息を立てている。

時計を見ると1時半、無論終電なぞ無いので泊っていくしかない。

幸い明日は日曜だ。

二度寝しようと(勝手に)布団を借りて寝ようとする、のだが。

先ほどよりギターの音が大きく、うねる様に響くように耳に入ってくる。

そこにはまるで無理にでも聞かせるかのような、強く湿った意思すら感じられた。

鬱陶しくなった私は隣部屋の壁を軽く蹴った。シン、と音が鳴り止む。


 (物分かりがよくて良かった)

そう思ったのも束の間、より大きい音をかき鳴らす隣人。

短気な私は今日の出来事を総て忘れて今度は思い切り、それは壁に穴が空くのではないかと思わんばかり蹴った。

再び、音が鳴り止む。その瞬間

ガチャ、バタン。―――ピンポン、コンコンコン。

来た、来てしまった。

隣の人がこちらに訪ねてきた。

相手を怒らせたか、と思い私は背筋が凍ったと同時にDも会ったことのない隣人がどんな人物なのか、という好奇心が私の心身を突き動かした。

 ドアの前に立ち、のぞき穴を覗く。

しかし、不思議なことにそこには誰もいなかった。

もしかしたら背丈が低くてのぞき穴に映ってないのかもしれない。


そう思った私は

 「どちら様ですか」

判り切ったことではある。

それでも人がいることを確認するため、その言葉を扉の向こうの誰かに向けて投げかけた。

一寸の無音の時間。返答がない。

再びコンコンコンと戸を叩く音がするまでの数十秒間、まるで時が止まったかのようであった。

 「どのようなご用件ですか」

痺れを切らし、チェーンロックのみかけてドアを開ける。


開けると当時に。

取っ手にかけた私の腕は。冷たく、骨ばった、黒ずみ、血の滲んだ手に思い切り掴まれた。

ドアの隙間から、見えるうねって茶色く濁った長髪、窪んだ眼窩には白く濁った眼、歯は何本か抜け落ち、頬はこけている。

そして、あのアパートに入る前に嗅いだ、酷く腐った肉の臭い。

 「アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

まるでずっと水にありつけず、喉が枯れ果てたようなガラガラの声で「それ」は叫ぶ。

 「離して、いたいいたい!」

腕を掴む力はその細さに反し異様に強く、段々と私の腕がうっ血し、爪が食い込んでくる。

 「アアアァァァァ!!!」

男か女かも判然としないそれは変わらず同じことを繰り返しながら、隙間から段々と中へ入ろうとする様はおぞましく卑しく、そして何より穢く私の網膜に投影された。

身の毛もよだつ忌避感から私は両手で思い切りドアを閉めようとする。

その度私の腕を掴む手は挟まれては徐々に力が緩む。


バタン!とうとう痛みに耐えられなくなったのか、その手は私を離し、ドアが閉まる。

不思議なことに締まるとと同時に呻き声は聞こえなくなった。

滝のような冷汗が頭から滴り、酷く寒かった。

掴まれた腕を見る。手の形が真っ赤に残り、食い込んだ爪痕から血が出ていた。


 浴室を借りてシャワーをひねる。

鏡には酷く青ざめた私自身が立っていた。

部屋に流れる空気が寒いのか、それとも私の心が冷え切っていたのかは判らない。

だが、その時のお湯はとても温かくて柔らかく感じられた。

早鐘を打っていた心の臓が正常な脈拍を打ち始めるまでお湯を浴び、再び鏡を見ようとした。

否、見ようとしただけで見ることはできなかった。


――いる。無意識だが私はそう確信した。

勝手にそう思い込んだだけかもしれない。

あの臭いと暗く冷たい腕の存在を感じる。

しかし、振り返らなくては風呂を出られない。

私は下を向いたまま、振り向く。

だが、そこには何もいなかった。

考えすぎだったのかもしれない。そう解釈することにした。


あの隣人は何者なのか、狂人なのか何なのか。

そもそも「ヒト」なのか。

酷く疲れてしまったのか、私はそんなことを深く考える余裕もなく、布団に倒れると眠りへと落ちていった。

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