猫舌ゴチソウ帳 第3皿「鬼の腸をすする」

神田 るふ

猫舌ゴチソウ帳 第3皿「鬼の腸をすする」

 文月に入りました、猫乃でございます。

 さて、この文月という月の名前の由来は七月七日の七夕であると言われています。

 七夕の笹飾りに願い事を書いた短冊をつるす習慣はよく知られていますが、これは元々字の上達を願った習慣でした。そこから文月という名前が付けられたのだとか。

 ちなみに、元の中国では星祭の一種であるのと同時に女子の裁縫の上達を願う習俗でした。中国では裁縫の上手な女性が結婚相手として人気があったため、良縁祈願の祭りでもあったわけです。日本において、今の様に笹飾りを立てたり短冊をつるすようになったのは江戸時代からだと言われています。

 この七月七日、七夕の日に食べるものが素麺です。

 「延喜式」に「七夕の日に索餅を供えた」という記述がありますが、この索餅が素麺の原型であるというのが通説です。この索餅、調理法が明瞭に伝わっていないためどのような料理だったかは諸説あります。一般的な説では小麦粉を揚げたデザートのようなものだったという説ですが、現在のような麺類だったという説も根強くあります。索餅は平安貴族の宴席では欠かせない食べ物であり、たいていの場合、宴会の〆に出される料理でした。宴もたけなわになると美しく着飾った女性たちが歌を歌いながら庭に現れ、貴族たちが歌に聞き惚れる中、索餅を作り宴席の客たちに供したといわれています。平安貴族の優雅な習俗ですが、料理のいちばん最後に出てくる以上、デザートでも麺類でもある可能性が高く、両方の説とも捨てがたいと思う所です。

 さて、この素麺ですが、地方によっては「鬼の腸」といいます。

 なんとも奇妙な名前ですが、この呼び名がついた定説は中国の故事によるものだといわれています。

 帝の息子が七月七日に亡くなった後、恐ろしい一本足の鬼となり疫病を起こして暴れたため、鬼が生前好物だった索餅を供えたところ疫病が収まったことから七月七日は索餅を供えて鬼の祟りを防いだ、とあります。

 ただ、浅学な私は寡聞にしてこの話の出典を知りません。

 帝とは言いますが、人間の皇帝なのか、何時の時代の皇帝なのか、それとも三皇五帝という神的存在の帝王の子だったのか。

 さらに、それを何故、日本では「はらわた」と言うのか。そして、何故、食べるのか。

 未だに謎の多い呼び名でありますが、私は中国の故事よりも、日本の民俗伝統に由来があるのではと推察しています。

 それは七夕はお盆と関係があるからです。

 現在ではお盆というと八月十五日というイメージが広がっていますが、本来のお盆は地獄の釡が開くとされた八月一日の釜蓋朔日から始まり、十六日の送り火で終わるという一連の宗教的行事からなる風習でした。その中の七日、つまり七夕の日は先祖の霊を出迎える棚を設けるという重要な日でした。七夕を「たなばた」と読むのは、本来「たなばた」とは「棚旗」、つまり、棚と旗を設けて祖霊を迎える準備をするという意味だったからだとも言われています。

 その時、棚に供えられた料理が素麺であったことは想像に難くありません。

 先程の中国の故事では鬼が疫病を起こす存在として登場していましたが、日本でも同じように疫病をもたらす邪悪な鬼を払うため、素麺が供えられたのではないでしょうか。

 何故か。

 それは、お盆の日に帰ってくるのは祖霊だけではないからです。

 地獄の釡が開くとあらゆる霊が地上を徘徊するようになります。当然、邪な霊もその中にはいるわけです。

 そして、霊は鬼でもあります。

 中国における鬼とは死霊を指す言葉であり、鬼という字そのものが甕棺の中で手足をくるめて入っている死体の意であるという説があるくらいです。日本ではさらに鬼の概念は多義的になっており、人間をむさぼり食らう恐ろしい鬼(『出雲国風土記』)や人間に幸福をもたらす鬼(「こぶとり爺さん」等の民話)等いろいろな性格の鬼が日本には伝わっていますが、その中に死霊という側面があることは否定できません。

 『日本書紀』では斉明天皇の葬列を三笠山の上から笠をかぶった鬼が眺めていたとあり、人々は「斉明天皇が起こした白村江の戦いで死んだ新羅人の霊だろう」と噂し合ったと書かれてあります。この記述からも古くから鬼と死霊とが結びついていたことがわかります。

 お盆の時は祖霊だけでなく、死霊もやってくる。

 その死霊を払うために素麺を「鬼の腸」に擬え、「この家に近づくとこうやってお前の腸を食べてしまうぞ」という脅しの意味を込めたのではないでしょうか。

 実際、日本人は祖霊に交じって行き交う邪霊を退ける習俗を伝えてきました。

 例えば、お正月に門に立てられる門松は本来魔除けの意があったという説があります。元来、門松は家の庭に立てられるものでした。元々、門とは庭を意味した言葉だったからです。昔の日本では庭とは神聖な空間であり、そこに松を立てることで神=祖霊を降臨させようとする習俗が門松の風習でした。一方、本来の門にはそれ以外の霊を退ける松飾が置かれました。松の棘が鬼=邪霊を払うと言われていたためです。

 現在では元日の夜は初詣に行くのが一般的ですが、この風習は江戸時代の江戸から始まった比較的新しい習俗であり、元々は家族全員、家に籠って朝まで起きて過ごすというのが本来の元日の夜の過ごし方でした。元日の夜は祖霊はもちろん、超自然的な神的存在が行き交う日なのでその祟りに触れないよう外出を厳に戒めたのです。そのような祖霊以外の危険な存在を払うのが門の松飾でした。何時しか庭と門の門松が混在されてしまい、現在では門の門松が祖先を出迎えるという風に性格が変わってしまっていますが、元々の門の松飾は邪鬼を払うためのものだったと思われます。

 他にも節分に日に飾るイワシの頭は、地方によっては鬼の子供の頭だといわれていました。鬼に連れ去られた人間の娘と鬼の間に生まれた赤子が母親である娘を救い出すという民話が日本各地に残っているのですが、村に戻った後、赤子は殺されて頭が門に飾られるという衝撃的なバリエーションがあります。追ってきた鬼はあまりのおぞましさに逃げてしまい、それ以降、その赤子にそっくりなイワシの頭を飾るようになったと物語は語りますが、このような逸話からも「鬼を避ける供物」というイメージが日本には古来からあったと考えるべきでしょう。

 あくまで推測の域を出ませんが、そう考えると素麺という何気ない食べ物にも日本の伝統や精神が受け継がれていると考えられるのではないでしょうか。

 

 それでは、今宵もご馳走様でした。

 

 

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