雪平鍋の中の銀河

吉岡梅

雪平鍋の中の銀河

 問題です。一人暮らしの男子に作ってあげたら料理は何でしょうか。たぶん大体の人は肉じゃがと答えて、男子の単純さを知ってる人はカレーかハンバーグと答えて、作った料理をインスタに上げるのが趣味な人はパエリア(貝は殻付き)かパスタ(ジェノベーゼとか。あの緑のやつ)と答えると思う。そして、あまり食べる事に頓着とんちゃくしない人は、「好きな人が作ってくれるものならなんでも」とか、「結局料理って、お母さんの作ってくれたのが一番美味しいんだよね」とか関係ない事を言い出すと思う。


 でも私には、この問題に関する絶対的な答えがある。好みとか生い立ちとか"いいね!"に関係ない明確な回答。その料理の名は「ポーチドエッグ」。


 ポーチドエッグの作り方は簡単で、少しだけ神聖な儀式じみている。雪平鍋ゆきひらなべなどにお湯を張って火にかけ、沸騰してきたら弱火にしてお酢をちょっと入れる。そして、菜箸でぐるぐるとお湯をかき回す。雪平鍋の中にちいさな銀河めいた渦ができあがったら、卵を割ってそっと流し入れると、殻から解き放たれた卵は渦の流れに乗って中心へと移動し、そこでゆっくりゆっくりと固まっていく。白身がふわっと広がりすぎる場合には、たまに菜箸で折り畳んであげると良い。そのまましばらくボイルし、固まり具合を見計らって、程良きところでお玉ですくい上げる。仕上げに一旦お皿かキッチンペーパーの上に置いて、水気を取り除けば、もうどこに出しても恥ずかしくない私の自慢の分身の完成だ。


 ちなみに、お酢を入れるのは、味付けというよりは、白身がまとまりやすくするためだ。別の手順としては、あらかじめ割った卵をラップに包んで巾着きんちゃく状にしたものをお湯に入れても簡単にできる。"白身広がりすぎ問題"や、"水気切りにくい問題"をたちどころにに解決できるけど、ちょっと儀式感が薄れてしまうのが残念なところ。


 出来上がったポーチドエッグのしっとりつるつるな白身の向こうには、うっすらと黄身が透けて見える。そのうす黄色に期待感を高まらせつつ、柔らかな膜をそっとつつけば、とたんにトロリトロリと山吹色の奔流が溢れ出す。口の中に入れるまでもない。もう確実に美味しい。予算や冷蔵庫の中身に合わせて自分が作れる範囲の適当な料理を作って、最後にポーチドエッグを載せてしまえば、もう、それだけでスペシャルなごはんへと早変わりする。


 ポーチドエッグの凄い所は、簡単で美味しいのはもちろん、なんでもしてしまうところだ。男子の好きなインスタントラーメンだろうが、からあげだろうが、カレーだろうがハンバーグだろうが、そこに、ちょこんとポーチドエッグを載せれば、何か凄いグレードアップした気になる。レトルトだろうがコンビニ弁当だろうが手作りだろうが、1.5倍増しだ。なんなら、オムライスやカルボナーラといった、元々卵を使った料理でさえも、とどめの追いポーチでさらに倍なのだ。


 他の女子が自慢げに作ったパエリアやパスタにだって、後だしで載せてしまえばこっちのもの。ベースの料理のインパクトよりも、どでーんと上に載ってトロトロして今にもこぼれだしそうなポーチドエッグの魅力は絶大で、あらがえる男子なんて、そもそもこの世に存在しません。


 何をヒトの料理に勝手に載せてくれてんの、と、ちょっとムッとした女子だって、薄皮を破ってとろりと流れてくる黄身を見てしまったら後には引けない。インスタでパシャる間もなく口に運べば、トゲトゲした感情とか"いいね!"の数なんて馬鹿らしくなってポーチドエッグの神様に感謝するしかない。


 もし、私が就職活動の面接官だった場合、「私は御社の潤滑油になりたいです」と言う人よりも、「私は御社のポーチドエッグになりたいです」という人の方を採用するだろう。ポーチドエッグは、裏方に回り、協調性を大事にして能力を最大限に発揮させたいという潤滑油とはちょっと違う。自らも、どでーんと主張し、パートナーである料理にもそれなりの存在感を要求する。そうでないと、なすすべもなく黄身の渦に飲み込まれてしまうのだ。ポーチも頑張るけどお前も頑張れよ。そうやって切磋琢磨して、見た目は爽やかだけど、実はちょっと暑苦しいハーモニーを奏でようとするのがポーチドエッグなのだ。はい、即採用で正社員。


 でも待って。それじゃあポーチドエッグって、結局は脇役じゃん。メインの料理の引き立て役なだけじゃん。そう言う人もいるだろう。私もそこは否定できない。でも、脇役だけでなくメインを張る事だってある。それが「エッグベネディクト」だ。


 エッグベネディクトは、簡単に言ってしまえば、「ポーチドエッグをパンに載せたやつ」だ。本当はパンよりもイングリッシュマフィンの方が見た目が綺麗でカリっとして良いのだけれども、普通に食べたいだけなら別に食パンでも構わない。トーストしたパンに、お中元とかで貰っていまいち使い道のないベーコンやらハムを、ちょっと厚目に切って焼いたものを乗せ、その上にポーチドエッグを乗せる。仕上げにオランデーズソースをかければ完成だ。オランデーズソースは、バターをベースにしてレモンや卵黄を使って作るマヨネーズに似た濃厚なソースだけど、めんどくさかったらマヨネーズかバターにサウザンアイランドドレッシングを混ぜてレンジでチンしたものをかけてしまえば、それっぽくなって美味しい。


 そもそもが、トロットロの半熟卵に、ハムにパン。間違えようが無い。できればレタスとかは挟んで欲しくない。凄く身近で、凄く信頼できる美味しさ。朝食で出されたら、もうこれは一日中して幸せな気分で過ごせるレベルの美味しさなのです。食べる直前に、目の前でトッピングとして黒こしょうをガリガリと削って載せられたりしたら、もうこの世には、あなたと私とポーチドエッグさえあれば何もいらないのだ。


 それでもまだ、なんだかんだと理屈をつけてポーチドエッグに手を出したがらない人もいるだろう。ご飯を身体からだでなく、頭で食べてるような人の場合だ。そんな時は、最後の手段として、「ポーチドエッグ載せご飯」を勧めてみるとよい。

 ほかほかのご飯の上に、ポーチドエッグを、どでーんと載せる。お醤油をちょろっと垂らす。そして、食べ始める前に、ちょっとだけかき混ぜさせるのだ。全体に卵が行きわたるのではなく、ご飯だけのところと、卵だけのところ、ご飯・卵・お醤油が混ざったところがになる程度が丁度いい。均一にさせないのがポイントだ。そして、食べ始める前に、できるだけ真剣な顔でこう言うのだ。


「このご飯は、普通の場所と美味しい場所があります。時には何の味もしない場所や、まずいと思ってしまう場所すらあるかもしれません。でも、そういう味気ない場所があるからこそ、美味しい場所の美味しさがより引き立つのです。なんか人生に似てるよね」


 最後にちょっとだけ寂しそうにニコッとするとベター。そうすると、頭でご飯を食べる人は、勝手に美味しいと思って食べてくれる。当たり前だ。だって食べているのはポーチドエッグで君は男子だ。最初から美味しいって決まっているのです。


***


 そんな話をあやちゃん相手に力説していると、午後の業務開始のチャイムが鳴った。はっと我に返り、熱く語り過ぎていた自分に気がついて顔が熱くなる。


「あ、そろそろ時間ですね、猪飼いかいさん。じゃあ次のお食事会のお料理は、エッグベネディクトにしましょう。なんだか私も凄く食べてみたくなりました」

「え、そう? でも一応、若松わかまつ君にも聞いてみた方が。今回は若松君のお祝いがメインなんだし……」

「大丈夫ですよ。若松さんは、猪飼さんの作るものなら、何でもいい匂いで美味しいって言うに決まってるんですから」


 文ちゃんは意味ありげに目を細めると、悪い顔をしてニヒヒヒと笑う。だからそういうのじゃないのと言っても、分かってます分かってますといって相変わらずヌフフフと笑う。もうこうなると仕方ないので、あきらめてお弁当を仕舞ってデスクへと向かうことにする。仕事仕事。


 今日の帰りには、イングリッシュマフィンとバターとレモン、そして念のため、ブラックペッパーのホールを買っていくことにしよう。それからえーっと……。

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