第4話 咲也② 愛はおもい
今日は図書室へ行ってきた。滅多に足を入れない司書室へ入るのはやけに緊張した。朝礼くらいでしか顔を合わせたことのない椎名先生に会うせいもあったかもしれない。本を選んでもらえたのは助かった。今度お礼に飲み会にお誘いしてみようか。
それにしても、その本がめちゃくちゃ重い。小学生の頃に読んだ攻略本と同じくらいの厚さなのに、重さは倍以上ある。表紙は学生時代に読まされた専門書と同じくらい硬い。そして実家にいる猫のごとく存在感がある。それが3冊。普段ならうんざりするようなそれも、今の俺にとっては希望の詰まった宝物みたいなものだ。これがあれば何でもできるのではないか!と錯覚しそうな勢いである。少々重いのと大きいのと硬いのが不便だが、それだけの情報が詰まっているということだ。紹介してもらった手前、文句も言えまい。
本を借りた理由は言わずもがな。植物の図鑑を見れば『愛の花』の正体が分かるだろうと踏んだのだ。ミステリアスな彼女のごとく、付き合っていくうちに少しずつ相手新たな一面を垣間見る…というのも乙なものが、そこまで余裕があるわけではない。何分、植物を育てるという点においては全く自信がないのである。専門書の知識はこういう時にこそ有効活用しなくては。植物を早く育てる方法や、万が一の対処法を見つけ出すことが出来れば万々歳だ。
少なくとも『愛の花』の本当の名前が知りたい。というのも、『愛の花』という名前がこっぱずかしいのである。まさか『愛の花』が正式名称ではないだろう。もしもそうならば、もう少し世間に広まってそうなものだ。名付け親はよほどお熱い人だったのだろう。
まぁ、それは余談として。
運良く午後は担当している授業がない。まずはやってみるだけやってみようじゃないか。
俺は職員室の机に戻ると、まずは花言葉図鑑を開けた。そして次の瞬間には一度本を閉じた。あまりの情報量に軽い頭痛を覚える。あいうえお順になっている花言葉図鑑は、まず花の名前が分からないことには調べようがない。逆引き機能もあるが、愛を表す言葉自体が多いために確実な方法とは言えない。国語教師をしているとはいえ、能力には限界がある。自分でも思いつかない言葉まで調べるには、1ページずつ花言葉を見ていかなければならなかった。インターネットを使うという手はあるが、誰でも書き込めるという特性上、信用にかける部分もある。だから、こうして本に頼っているのだが、まさかここまで手間の掛かるものだとは思わなかった。
「バラ………。アイリス…。アサガオ…。イチゴ………カーネーション…。キクもか…。」
愛の単語も多ければ、花の種類も多い。花の色ごとにも花言葉が違っているなんて初めて知った。
愛情、親愛、熱愛、真実の愛、永遠の愛、愛する力、愛する絆…
全て書き出すのでも一苦労。
ちなみに愛自体を表すのはバラとアイリスだけだった。
そこで次は植物図鑑の出番である。
植物図鑑でアイリスを引けば、球根や根茎で増やすものらしい。「愛の花」は種だったからアイリスではないことが分かる。それならとバラの種の画像を検索してみたりもしたが、こちらの種類も多く、しかもどれも見たことがないような形をしていて断念した。
長時間硬直していた首を伸ばし宙を見やる。
それにしても、地球上にはこんなにたくさんの植物が存在しているのか。さすが分厚い図鑑が存在しているだけある。初めて植物図鑑を作った人間は余りの作業量に絶望したに違いない。適当に開いたページにはびっしりと書かれた説明文とリアルすぎる花の絵。ご丁寧に漢字には振り仮名がついていて、ページの密度をますます増やしている。もう一度パラパラとめくってはみたが、「愛の花」という花は存在しないし、ほとんど花が咲いた植物の絵ばかり。まだ葉さえ出ていない「愛の花」は見つけようがなかった。
ここまでで分かったのは、セットになっていた鉢植えのサイズからして木にはならないだろう、というくらいである。
これではどうしようもない。
最後に植物の育て方の本を開けた。
こちらも論外。
どの植物か分からないから正しい育て方もクソもない。
総合的に全ての植物に共通しているのは…
・水をあげすぎても枯れる。あげなくても枯れる。
・肥料をあげすぎても枯れる。あげなくても枯れる。
・少しでも強い刺激を与えると折れて枯れる。土をひっくり返した日には根が切れて枯れる。
・ものによっては陽を当てすぎても、当てなくても枯れる。
という、絶望的な内容である。
ここまで来てしまったら怖くて怖くて説明書以上のことが出来なくなってしまった。
「ど…どうなってるんだ……。」
小学生の頃の感覚だと植物なんてとりあえず水やっとけば何とかなる…という楽観的なものだった。当時の俺からすれば、行為自体は簡単でも、それさえ継続できず、枯らしてしまった。それが今はどうだ。水をやるどころか雑草取りだの、温度・湿度管理だの、土が酸性だのアルカリ性だの、気にしていったらきりがない。下手をすると人間1人育てるくらい難しいかもしれない。
やはり、近道なんてなかったのだ。
というか、俺に植物ひとつ育てるだけの力量があるのさえ不安になってきた。
「俺にできるのか…?」
昨日はあんなに彼女のためにと息巻いていたのに、すでに心が折れそうである。
机に突っ伏すようにして気を落としていると、同じく授業の無いらしい隣席の柏木先生が声を掛けてくれた。
「どうかしましたか野上先生?へばっているなんてらしくないですね。」
「ちょっと自分に自信がなくなってしまいまして…。情けないです。」
「それはいけない。気が弱っていると生徒たちにも伝わってしまいます。思春期の子どもたちは敏感ですから。」
「そうですね。気を付けないと…。」
教え子たちにそんな繊細な部分を微塵も感じたことはないが、人の感じ方はそれぞれ。特に反論するつもりもない。
「それじゃあ景気づけに今夜どうです?今週末は部活動の付き添いで僕、行けないんですよ。」
くいっと一杯やる仕草をしてみせる柏木先生。俺たちは所謂飲み友というやつなのだ。
「まだ月曜ですよ。新婚の奥さんに怒られないんですか?」
「大丈夫大丈夫。嫁はその辺り寛容ですから。」
「ははは。いいですね。行きましょう。」
むしゃくしゃした気持ちは酒と一緒に過去に流す。
いつもやってきたことじゃないか。
俺はやけ酒をキメるべく、柏木先生の案に乗ることにした。
○ ○ ○
「愛の花」が俺の愛によって育つのならば、愛を注げば注ぐほど成長が早まるのではないだろうか。
愛を与えすぎて枯れるなんてことはさすがにないだろう!
「愛の花」の名が泣いて廃る!
千鳥足の帰り道。柏木先生の惚気話に当てられて、酒にも愛にも酔っぱらった俺が思いついたのはそんなことだった。普段ではありえないが、単純化した俺の頭は馬鹿みたいに閃いたのだ。
愛の力は偉大なり!
愛こそが正義!
愛こそがすべて!
今まで読んできたたくさんの文学も証明している。
ロミオとジュリエットも、かの漱石先生も、日曜朝にやっている子ども向け番組だってそうだ。
それが証明できるチャンスじゃあないか!
自宅のドアをよろよろと開け、こけそうになりながら食卓へたどり着いた。テーブルの端にあった手のひらサイズの植木鉢を中央に移動させ、むんっと向き合う。
もちろん昨日植えたばかりの「愛の花」は同じ姿のまま。
つまり、俺の前には平らな土しかない。
芽が生えるにはもう少し時間がいるだろう。それくらいは分かっている。
だが、彼女のことがある手前、「お前の愛はその程度だ」と言われてるような気がして腹が立ってきたのだ。
「お前に俺の愛を見せてやる!覚悟しろぉっ!」
素面の俺が見たら「なんだあの酔っ払いは…」としか思えないようなセリフを吐き、俺は「愛の花」に向かって彼女の好きなところをしこたまぶちまけてやった。最後には馬鹿らしいやら止まらないやらで泣いたり笑ったりしていた気がするが、ぼんやりとしか覚えていない。
その内疲れて寝てしまったことだけは確かである。
〇 〇 ○
スマートフォンのアラームで目が覚めた。昨日のアルコールが残っているようで頭が痛い。音の鳴る方へ手を伸ばしてアラームを止め、寝ぼけ眼のぼやけた視界で時間を確認する。いつもなら間に合う時間だが、風呂に入っておらず、アルコールやタバコの匂いのするスーツを着替えるにはギリギリの時間である。俺は「うわっ!」とか「やばい!」とか言いながら、飛び起きて、風呂場に駆け込んだ。変な体勢で寝ていたせいで体の節々は痛いし、顔はむくんでしまっている。いつも醜態を見られている教師仲間や生徒相手ならともかく、彼女にこんな顔を見せたら嫌われてしまうかもしれない。彼女の前ではかっこいい男でいたいのだ。こちらから告白した手前、幻滅させたくない。
(もしも彼女と同棲するような仲になったなら、飲み会は全て断らないといけないな。寂しい思いをさせたくないし、俺も彼女と一緒にいたいし…。)
なんてニヤニヤしているとまた遅刻しそうになったので、その後は無心を貫いた。
朝食のウィダーゼリーを流し込みながら、髪を乾かし、髭を剃り、服を着替え、今日の予定をチェックする。髪を撫でつけ終えた頃にはもう家を出る時間。どうやら間に合ったようだ。
しかし、玄関に立った瞬間、「愛の花」に水をあげるのを忘れていたことに気づく。
「あっぶね!」
俺は慌てて履いた革靴を脱ぎ捨てた。
こんなつまらないことで彼女との愛の結晶を壊してしまうわけにはいかない。
水遣り1回忘れたところで大丈夫だろう、と思う自分がいないわけではないが、何かあってからでは遅いという囁く自分との戦いでは当然後者が勝つ。結局昨日本で得た知識は俺にとって恐怖材料にしかならなかったのだ。
食卓の上にあるじょうろを手にとって、水をやるためテーブルを見た。
そこには「愛の花」があった。
確かにあった。
そこにあったのは不器用な俺が植えた「愛の花」の種が植わっているふかふかの土…ではなく、緑色の植物だった。丁度円形の植木鉢の真ん中から、青々とした若葉がぴょこんと飛び出している。
俺は思わずぽかんと口を開け、呆けてしまった。
種を植えてまだ1日と少し。
こんなことがありえていいのだろうか。
実は俺の都合のいい夢なんじゃないだろうか。
でも、風呂にも入ったし、食事もした。
シャワーは温かかったし、ゼリーはグレープフルーツ味で、机の角に足の小指をぶつけてちゃんと感覚もあった。
夢が覚める様子もない。
(これは…)
震え出した手で葉に触れた。
ひんやりしていて、フワフワしていて、儚げながら力強い。生命力ってやつだろうか。
そして確信した。
これは紛れもない現実だ。
『愛の花』の芽が出た!
ガッツポーズを決めると同時に時計が目に入る。
電車出発まで、あと15分。
「ってうわ!!!遅刻する!!!」
そこで時間を思い出し、俺はまた慌てて玄関へ向かい、思うところあってリビングに戻ってきた。
「ほらよ。」
先程対面したばかりの赤ん坊のようなそれに、水をやって、日当たりのよい窓際へ。
たしか、昨日読んだ植物の育て方の本にあったのだ。
植物に必要なのは水と酸素と土と太陽の光。
きっとこれくらいなら大丈夫だろう。
ここで枯れちゃあ笑い話だ。
「頼んだぞ!俺のキューピット!」
そう言って鉢をとんっと叩き、俺は上機嫌で家を飛び出した。
だってこんなに嬉しいこともないだろう。
俺の愛は本物だったんだ!
俺は本当に彼女のことを愛していたんだ!
それが証明された!
それが嬉しくて嬉しくて仕方なくて、俺は半ばスキップしながら勤務先にに向かった。
乗るはずの電車を逃して少々遅刻したし、学年主任にネチネチ文句を言われたが、そんなことも気ならない程の喜び。
俺はさっそく彼女にそれをメールで報告した。
―――――――
『葉子さん
愛の花の芽が出ました。よかったら週末にでも見に来てください。』
―――――――
送信完了の表示が出るのを確認すると、嬉しさで身震いした。
彼女の返信はどんなものだろうか?
あまりの早さに驚くだろうか。
もしかして彼女の花も咲いているだろうか。
どちらにせよ、俺の頭には幸せな未来しかなかった。
愛の花 蒼生真 @esm12341
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