おあとが!

東亮太

演ノ1 鶴

 えー、一席お付き合いを願います。

 この頃は何ですか、擬人化ですとか、女体化ってぇものが盛んだと伺います。とにかく何でも可愛い女の子にしてしまえってんで、動物ですとか戦国武将ですとか、戦艦やらお城やら、もう片っ端から女の子になっちゃうというから、こりゃぁ驚きですな。

 もっとも私も、その辺はなかなかいける口でして。もうかれこれ十年以上前から、この手の女体化的な企画ができないかってんで、いろいろアイデアを練っておりまして。その中の一つに、「落語の登場人物を女の子で再現してみよう」ってのがございました。

 落語ってのは、八つぁんとか熊さんとかご隠居さんとか、だいたいいつも同じようなメンバーが出てくる。つまりキャラクター小説向きじゃないかと思ったわけですな。

 でもって、どうせ落語を題材に小説にするなら、それこそ落語の速記本みたいにほとんど台詞だけで表現してしまおう、と。それを女の子だけでやれば、肩の力を抜いて読める楽しいラノベになるんじゃないかってんで、さっそく角川の編集者にお伺いを立てたんですが……。

 いかんせん落語じゃラノベの読者が食いつかないだろうってんで、これがあっさり没になりまして。

 まあしょうがないと思ったものの、その時書いたサンプル原稿ってのが、だいたい六、七年前の代物なんですが、いまだに手元に残っておりまして。こいつがどうにももったいない。だったらいっそネットに上げちまおう……と、こう思いまして、このたびお披露目することに相成りました。

 落語ですので、そう歯を食いしばって読むような内容じゃぁございません。どうぞお気軽に、下らないなと思いながらも、時々クスリとしていただければ幸いでございます。どうぞ最後までお付き合いいのほど、よろしくお願い申し上げます。


 さて……舞台は現代の、全寮制の女子校。大学付属のおかげで受験の必要がないってんで、入学した生徒のIQが極端に下がるという恐ろしい学校でございます。もっとも、かえって校風は大らかで、生徒はみんな和気藹々。休みに暇を持て余した一年生が、先輩の部屋を訪ねてダラダラとお喋りするなんてことも、よくあることでございまして――。


「ちーっす。インコ先輩、いるぅ?」

「誰? 人のことをインコって……。あらあら、ハッチャンじゃないの」

「うん、八宮はちみやあきら、通称ハッチャンですよ」

「自分で自分のことハッチャンって呼ぶのも妙ねぇ……。まあ、お入りなさいよ。ところでそのインコっていうのは何?」

「みんなで考えた先輩の渾名あだなですよ。先輩を動物に喩えるなら、インコが一番似合うからって」

「それは、子鳥みたいに可愛らしいとか、そういう意味で?」

「いやぁ、鳥籠みたいに部屋に籠って、適当なことばかりペチャペチャ喋ってるから」

「……それほど期待はしてなかったけど、ろくなこと言わないのねぇ。だいたい何よ、その適当なことっていうのは」

「適当なことってのは適当なことですよ。何しろ先輩は知ったかぶりが激しいから、いつもいい加減なことしか言わないって」

「そんなことないわよぉ。……まあいいわ。ハッチャンの言うことにいちいち怒る気もないから。それより今ちょうど、お紅茶を入れたところなの。よかったら上がってかない?」

「はいはい、もちろんいただきます。だいたいそろそろ紅茶の時間なんじゃないかと思って、狙って来たしね」

「ふふ、相変わらずね。しかも時間ピッタリじゃない。まさにカップを出そうとしたところで入ってくるんだもの。ビックリしたわ」

「そうそう、それなんですよ。狙って来たはいいものの、ドアの隙間から覗いたら、まだお湯を沸かしている最中だったんでね。しょうがないから、カップが出るまで外で待ってました」

「ちょっと、何で待つのよ。そういう時はね、待たなくていいからさっさと入って、ちょっとお手伝いぐらいするものよ」

「お手伝い? じゃあお茶菓子を出しましょう」

「あら、お土産があるの?」

「いや、先輩の部屋の棚から出しましょう」

「何だ、うちのじゃない。……まあ、ハッチャンらしいと言えばらしいわよね。さっきの挨拶も含めて……。女の子が『ちーっす』って、どうなのかしら」

「え、先輩もそういうことを言う?」

「そういうことを言うと言うところを見ると、他の誰かにも言われたのかしら?」

「まあねぇ。そういうことを言うと言うと言われたとおり、確かによく駄目出しされますねぇ」

「へぇ、そういうことを言うと……いや、もうやめとくわ、これは。で、誰に駄目出しされたのよ。先生? それともこの寮の管理人さん?」

「いや、管理人より性質たちが悪い相手ですよ」

「性質が悪いって……べつに管理人さんが性質が悪いわけじゃないわよ? そりゃ叱ってくることも多いけど、そういうのは叱るべくして叱るんだから」

「さあ、どうだかなぁ。先日もあたしが大浴場で鼻歌歌ってたら、それだけで静かにしろって怒鳴り込んできたしなぁ」

「え、鼻歌だけで?」

「そうですよ。何でもエアダクトを通じて寮中に響き渡ってたとかで」

「それはハッチャンが悪いんじゃないのよぉ。どんだけ大声で鼻歌歌ってたのよ。いや、ちょっと待って。寮中ってことは、私も聴いたのかしら、その歌」

「ああ、聴いてるかもしれませんねぇ。三日前の夜の七時頃なんだけど」

「三日前の夜の七時頃? ああ、もしかしてアレかしら。部屋でラジオを聴いてたら、廊下の通気口から妙な声が聞こえてきたんだけど。そうね、端的に喩えるなら、発情期の猫の雄叫びみたいなのが……」

「ああ、それだそれ。あたしが心を込めて歌った『島歌』だ」

「いや、何で『島歌』が猫の雄叫びになるのよ。……話が逸れたけど、いったい誰に注意されたの? その、ハッチャンの女の子らしからぬ挨拶は」

「うちのお嬢ですよ」

「え、誰?」

「誰も何も、お嬢はお嬢ですよ。お嬢、知りません?」

「……知らないなんてことはないわ。私は何でも知ってるんだから」

「お、ほら出た! 先輩お得意の知ったかぶり!」

「べつに知ったかぶってなんかないわよ。これでも学園中の生徒の名前は一通り記憶してるの。元生徒会長として、当然ね」

「ははぁ、元生徒会長ってのは、よっぽど暇なんだね。でもお嬢のことは知らないと」

「だからぁ、ちょっとど忘れしただけなのよ。そうだわ。そうに決まってるわ。……だいたいハッチャンのお嬢様って何? ハッチャン、いつからメイドさんになったの?」

「いや、メイドになったつもりはまったくないんだけど……あ、お菓子いただき」

「何マイペースに食べてるのよ。で、お嬢って誰?」

「うん、お嬢はね、ただの渾名です。本名を田原町たわらまち寧々ねねって子で」

「田原町寧々? そういう子がいるのね?」

「あれ、全員の名前を記憶してるんじゃなかったっけ?」

「記憶しても忘れることはあるんだってば」

「それじゃ記憶した意味がないと思うんだけどなぁ」

「いいのよ、必要な時には思い出すんだから……。お紅茶のお代わり、いる?」

「いただきます。ついでにお菓子のお代わりも」

「こっちはもうないわよ」

「じゃあこの角砂糖を二つ入れよう。これでイーブンだ」

「何がイーブンだかよく分からないわね……。それにしても、その田原町さんというのは、どちらさん?」

「ええ、それがね。あたしの部屋にいるんですよ」

「何だ、ルームメイトじゃないの」

「いやいや、ルームメイトなんてもんじゃないですよ」

「違うの?」

「ええ、同じ部屋にいるだけです。住み着いてるんです」

「何よ、まるで座敷わらしみたいに……。じゃあルームメイトとは違うってこと?」

「ですねぇ。まあ、あとはせいぜい、あたしもお嬢もこの春からの新入生だってぐらいですかねぇ。共通点めいたものは」

「……何だか聞いている限り、普通にルームメイトね」

「いや、そんなことはないんですよ? 友達がみんな言ってるもん。『ハッチャンとお嬢は、とてもルームメイト同士には見えない』って」

「へぇ、だったら何に見えるの?」

「ええ。まるで夫婦みたいだって」

「……何よ、その『夫婦』って。女同士でしょうに」

「まあ女子校の女子寮ですからね。男はいないんだから、当然女同士でしょ。お嬢が実は男だったってんならともかく」

「むしろハッチャンが男だって言われた方がしっくりくるわ……。だいたい『夫婦みたいだ』って言うなら、それは仲がいいんじゃないのかしら。さっきは『管理人より性質が悪い』なんて言ってたから、てっきり犬猿だと思ったんだけど」

「ケンエン? のーすもーきんぐ?」

「煙草じゃないわよ。犬と猿。仲がとっても悪い組み合わせってことよ」

「ははぁ、じゃあ桃太郎もさぞかし苦労したんだろうなぁ」

「何の話よ、それは……。とにかくその田原町さんって子が、性質が悪くて、ハッチャンに挨拶のことでお説教する、と。でも夫婦だ、と。……こういうことね、まとめると」

「ははぁ、ようやくまとまったね。まあ、そういうことですよ。とにかくお嬢と来たらね、事あるごとにあたしを叱るんだ。こないだもね、あたしが風呂上りに部屋でパンツ一丁で寝そべってたら、『女子にあるまじきハシタナサです!』って」

「そりゃ、間違いなくはしたないわよ」

「えー? いいじゃん、見せたって。どうせ女同士なんだし」

「でも、はしたないことには違いないわ」

「そうかなぁ。ああ、もしかしたらその時穿いていたパンツが悪かったのかもしれない。ちょうど前の日にも同じやつを穿いてたから」

「……それは、洗ってなかったの?」

「やだなぁ、もちろん洗いましたよ。脱いで洗濯して、乾いたからまた穿いたらね、やっぱりお嬢が叱るわけです。『女子たるもの、いかに肌着といえども、気遣うべきです』って。だからあたしは言い返したんだ。『どうせ見えない部分なんだから、気にするなよぅ』って。そしたらお嬢が、『私が毎日拝観してます!』――」

「不毛な言い合いねぇ。……ああ、もしかして『夫婦』って、仲のいい新婚さんじゃなくて、もっとこういろいろ通り越した、熟年夫婦的なものなのかしら」

「お、さすが先輩。人生の悲哀を弁えた発言ですね。もしかして、熟年夫婦経験者?」

「私まだ高三なのに、何で熟年夫婦の経験があるのよ。……それにしても、その田原町さん?」

「お嬢です」

「まあ、お嬢でも何でもいいんだけど、話を聞く限り、ずいぶんしっかりした子みたいね。ハッチャンとは正反対なんじゃない?」

「そうそう、それも周りからよく言われます。『ハッチャンとお嬢の組み合わせは、まるでセーラー服とブレザーだ』って」

「何よその喩えは」

「ええ、カラーが違うって」

「ずいぶん下らないことを言うのね……。まあ、苦労はするだろうけど、仲良くやりなさいな。ルームメイトなんだから」

「いやぁ、仲良くってのも大変ですよ? だいたいお嬢と一緒だと疲れるんですよ。何しろアレだ。言葉遣いがおかしいんだ、お嬢は」

「へぇ、言葉遣いが?」

「そうですよ。例えば授業が終わった後、お嬢が部屋に戻るでしょ? あたしがその後に戻ってくると、『お帰りでございます』と、こう言ってくるんです」

「何だか妙な日本語ねぇ」

「ええ。その前は『お帰りなさいませ』だったんですよ。で、それだとやけに堅っ苦しいから、『そういう時は、お帰りでいいんだよ』って教えてやったんです。ところがね、そういう砕けた物言いは好きじゃないと言う。で、『お帰り』だけだと具合が悪いから、丁寧に『お帰りでございます』って――」

「ははぁ、何とも個性的なルームメイトさんだわ」

「いや、二人での生活が始まった時は、もっと酷かったですよ」

「酷かったって、どう酷かったの?」

「ええ。あたしが戻ってくると、『キミノキシツ、カンゲイセントホッス』って」

「……何時代なのよ、その子」

「いいや、あたしもね、思わずツッコんでやりましたよ。『お嬢、そんな妙な挨拶をするな。あたしは英語は苦手なんだ』って」

「英語じゃないわよ、どう聞いても」

「じゃあポルトガル語ですか?」

「違うと思うわ」

「すると何語です?」

「日本語でしょ?」

「へぇ、じゃあどう意味なんです?」

「それは……ハッチャン、お紅茶のお代わりは?」

「いただきます。はは、先輩は都合が悪くなると紅茶を勧めてくる……。今度は角砂糖を三つ入れてみよう」

「甘すぎて飲めないわよ、そんなの」

「うん、その時はまた紅茶を注ぎ足す……。おっといけない、溢れそうだ。先輩、もっと大きいカップはないんですか? こう、バケツみたいな」

「どれだけ飲む気なのよ、ハッチャン……。ほんと、話してて飽きないわ、この子は」

「はは、よく言われます。友達もね、『ハッチャンは懐きやすいから楽しい』って」

「まるで犬だわ、それじゃ」

「あたしが犬なら、うちのお嬢は猿ですか? 犬猿的に」

「そこまでは言ってないわよ」

「いや、猿にしちゃぁ美人さんですよ? 正直あたしが男だったら、とても一緒には暮らせない。恐れ多すぎて」

「そんなに美人なの? その田原町さんという人」

「ええ。美人の何のって、いつもキラッキラしてますからね。夜寝る時なんかもね、電気を消しても、お嬢だけしばらく輝いてるんだから」

「いやいや、そんなわけないでしょ。暗いところで光るオモチャじゃあるまいし」

「物の喩えですよ。それぐらい美人なんだ。だいたい部屋着からしてお洒落だしね。高そうなワンピースなんか着てるんですよ。で、あたしがその横でパンツ一枚で転がってるわけです」

「ずいぶんな差ね」

「まあ、あたしの場合は、着てもジャージですからねぇ。ところがお嬢は違うんです。どうやら部屋でジャージを着るという習慣を知らなかったみたいでね。初めてあたしがお風呂上がりにジャージを着てるのを見た時なんか、目を丸くして、『こんな夜半に無線体操ですか』と」

「なぁに、その無線体操って」

「どうやらラジオ体操のことらしいですよ」

「……どうもその田原町さんの日本語は妙ねぇ」

「ね、妙でしょ? でね、話を聞いてみたら、何でもお父さんが漢文を研究している偉い大学教授だとかで、すごい躾が厳しかった上に、とにかく何でも小難しい漢字熟語で覚えさせられたそうなんですよ。だからお嬢も、何でも漢字にしないと気が済まないんですって」

「それは難儀ねぇ。英語の勉強なんか、どうしてるの?」

「あれは初めから外国語と割り切ってるから問題ないらしいんです。ただ、普段使う言葉が変でね。こないだも学食へ向かう途中で『お昼何にする?』って訊いたら、『サイホウコウシンハンを食します』って」

「……サイホウコウシンハン?」

「分かります? サイホウコウシンハン」

「……もちろん分かるわよ?」

「お、分かりますか。さすがインコ先輩。じゃあ紅茶のお代わりを……」

「紅茶はともかく……。で、ハッチャンは当然訊いたんでしょ? そのサイホウが何なのか。田原町さんは何て答えたの?」

「そんなことあたしに確かめなくたっていいじゃないですか。先輩は分かったんでしょ? サイホウコウシンハン」

「……もちろん分かったわよ」

「じゃあ教えません」

「ニヤニヤしながらケチ臭いこと言わないの。まったくもう……」

「まあ、カレーライスなんですけどね」

「カレーライス?」

「ええ、漢字で書くと『西方香辛飯』だって言うんですよ。西方はインドで、辛味の効いたご飯だから、サイホウコウシンハン」

「それは……正しい漢字名なのかしら」

「さあ、どうだか」

「その子のお父さんって、本当に偉い学者さんなの? だんだん怪しく思えてきたんだけど」

「あたしはよく知りませんけどね。まあ、とにかくこんなんだから、一緒に生活してると疲れるわけです」

「それは疲れるわね、確かに」

「だからね、今のあたしの目標は、お嬢の日本語を正すことなんですよ」

「まあ、その目標自体はとても立派だと思うんだけど……。ハッチャンが言うと、何だかすごく不安に聞こえるわ」

「いやぁ、大丈夫ですよ。ちゃんと作戦があるから」

「作戦って?」

「ええ。今日は授業が休みでしょ? だから朝一で近所の本屋へ走りましてね。クロスワードの雑誌を一冊買って来たんです」

「へぇ、クロスワード」

「そう、クロスワード。で、これをお嬢に渡して、『さあ解け』と」

「なるほど、ちょっと面白いアイデアね」

「へへ、いい考えでしょ? そしたらお嬢も面白がって、さっそくページを捲ってね。……そこから一時間、練習問題がまったく終わる気配がない」

「あらあら、苦戦してるの?」

「ええ。難しい顔でずっと考え込んでるんですよ。で、『何がそんなに分からないの?』って訊いてみたら、お嬢がヨコの1を指差してね。『この、印度由来の定番の洋食なるものを六文字で表現するのは不可能です』って――」

「……まあ、サイホウコウシンハンじゃ十文字だものね」

「ええ、それで一時間悩んでた。まったくね、それを横から見てるあたしとしてはね、もう可愛くて可愛くて――」

「……ハッチャン、その田原町さんとは仲が悪いんじゃなかったの?」

「いや……不仲ってほどでもないかもしれないなぁ。よく考えてみると」

「じゃあ仲がいいんじゃないのよ。心配して損したわ。……まあ、そうよね。本気で嫌悪だったら、わざわざクロスワードの雑誌なんか買ってこないわよね。……で、結局その練習問題は解けたの?」

「いや、まだ部屋で考えてますよ」

「あら、じゃあ戻って手伝ってあげなさいよ。こんなところで遊んでないで」

「……あ、そうそう、それなんです。実はね、先輩に訊きたいことがあって」

「訊きたいこと?」

「ええ。その練習問題で、いくつか分からないワードがあったんで、ちょっと手伝ってもらおうと――」

「そういう用事があるなら先に言いなさいよぉ。てっきりお茶を飲みにきただけかと思ったじゃないの」

「はは、あたしもすっかり忘れてた。まあ、紅茶の時間だと思ったからわざわざ来たようなものでね。そうでもなけりゃ、こんな些細な用事、メールで済ませてますから」

「身も蓋もないことを言うのね……。で、何が分からないの?」

「ええ、ここにメモしてきたんですけどね……。ああ、これこれ。タテの8。『海の竜? それとも馬?』ってやつを七文字で」

「何よ、ずいぶん簡単ね」

「そうですかねぇ。お嬢は悩んでましたよ? リュウラクコじゃ六文字だって」

「それはね、無理に音読みにしようとするからよ。むしろハッチャンは分からないの?」

「あたしですか? いや、それがさっぱりで。しょうがないから『海の竜』でググったら、『リヴァイアサン』ってのがちょうど七文字で出てきたから、ああこれに違いないと。ところがお嬢の言うには、それじゃヨコの列と噛み合わないって――」

「当たり前よ。だいたい何でクロスワードの練習問題で、『ヴ』なんて特殊な文字が入るのよ」

「それもそうだなぁ。ところで、いったいリヴァイアサンってのは何なんです?」

「……そんなことより問題の答えの方が大事でしょ?」

「いや、リヴァイアサンも気になる」

「それは……まあ、海の竜よ。調べたんでしょう?」

「なんか旧約聖書がどうとかゴチャゴチャ書いてあったんで、難しそうなんで詳しくは見てません」

「そうね、それよ。旧約聖書よ。それを読む海の竜よ」

「読むんですか?」

「熟読者よ。竜にしては勤勉ね」

「へぇ。でも、海の中で本が読めますか?」

「何を言ってるのハッチャン。お風呂で雑誌を読むぐらい、私だってやるわよ?」

「そういう理屈なのかなぁ。何だかまた知ったかぶりなんじゃ……。まあいいや。それで、問題の答えの方は何なんです?」

「正解はタツノオトシゴよ。リュウラクコっていうのは、きっと『竜の落とし子』の漢字だけ拾って読んじゃったのね」

「何だ、タツノオトシゴでしたか。タ・ツ・ノ・オ・ト・シ・ゴ。なるほど、七文字だ……。それにしても、あれは竜なんですか? それとも馬なんですか?」

「竜にして馬よ」

「竜なのに馬なんですか?」

「有名人で言うところの、坂本竜馬みたいなものよ」

「ずいぶんと下らないことを言うなぁ……。いったい何でそんな動物が生まれたんですか?」

「それは……まあ、掛け合わせれば生まれるわ」

「掛け合わせるって、何をです?」

「もちろん竜と馬よ。何しろほら、サラブレッドって、強い馬同士をどんどん交配させて、強力な遺伝子を創り上げていくわけでしょ? でもね、ある時一人の馬主のおじさんが考えたのよ。もしも馬より強い動物を、うちの馬と交配させたら、さぞかし強力な競争馬が生まれるに違いないって」

「それは、すでに馬ですらないんじゃ?」

「どうなるかは生まれてみないと分からないわね。だからとにかく試してみようって言うんで、さっそくちょっと竜を捕まえてきて――」

「いやいや、竜なんてそう気軽に捕まるものなんですか?」

「所詮動物だもの。手頃な大きさの入れ物を海に沈めといたら、翌日には入ってるものよ」

「タコだよ、それじゃ……。それで、捕まえた竜と馬を交配させた、と?」

「そうね。最初はお互いに見慣れない動物同士、距離を置いて様子を窺っていたのだけど、そのうちに二匹とも気づくわけよ。『ああ、こいつは自分に気があるに違いない』って」

「両想いじゃないですか」

「素晴らしいことね。で、一晩経って夜が明けると、二匹で仲良く藁の中で寝ているのね。専門用語で言うところの『朝チュン』だわ」

「べつに専門用語なんか使わなくてもいいですけどねぇ。で、無事タツノオトシゴが完成したわけだ。でも……いや、あれは競争馬になるんですか?」

「ならないわねぇ。あいにく体形が母親似だったから」

「竜の方がメスなのか。むしろそれが間違いの元だったような気もするけど……。じゃあ、馬主も困ったでしょ」

「困ったというよりも怒ったのよ。『こんなニョロっとした子供が生まれたって、走れないんじゃ意味がないじゃないか! せっかく捕まえてきたのに、とんだ役立たずの母体だ!』って」

「すごい逆ギレオヤジだ」

「ええ。で、竜と産んだ子供を海へ捨てたの」

「酷いなぁ」

「まあ、でも竜にしてみれば住み家へ帰っただけだし、その竜に似た子供達も、陸よりは海の方が暮らしやすかったから、不幸中の幸いだったかもしれないわね。ただ可哀想なのは、せっかくの恋人との仲を引き裂かれた竜よ。馬が恋しい馬が恋しいって泣き腫らして、それから先もずっと馬の子供を産み続けたの。ほら、馬の遺伝子って強力だから……。それでタツノオトシゴがいっぱい増えて、動物の一種として学者に認められたってわけ」

「なるほど、悲恋話だなぁ……。でもそれ、今適当にでっち上げたでしょ」

「……でっち上げてなんかいないわよぉ」

「じゃあ、いったいどこで聞いた話なんです?」

「それは……まあ、これ以上は長くなるから、そのうちにね」

「べつに長くなっても構いませんけど?」

「部屋でお友達が待ってるんでしょ? 早く戻らないといけないんじゃないの?」

「おっと、それもそうだ。じゃあもう一問だけ。これこれ、ヨコの6。『松によく似合う鳥』ってのを、二文字で」

「松に似合う鳥? ……そうね、あんなトゲトゲした所に止まるんだから、これは固い鳥よ」

「固いですか?」

「固くなきゃ痛いじゃないの。で、松ぼっくりを啄ばめるぐらい嘴も鋭いのよ」

「そいつは強そうだなぁ。……まあ、答えはたぶん『ツル』なんだろうけど」

「何よ、答え知ってるんじゃないの!」

「ええ、これは分かるんです。何しろほら、松に鶴と言えばピカだから」

「何の話よ」

「あれ、花札知りません? 松に鶴が描いてあって、それが二十点」

「……知ってるわ。ハッチャンほど入れ込んでないから、すぐに出てこないだけよ」

「いや、あたしも入れ込んでるってほどじゃないですよ? まあ、中学の時は男子に混ざって、花札とか紙麻雀とかいろいろやったんで、そこそこ知識はつきましたけどね。でもこっちは女子校のせいか、ほとんど誰も知らないんですよね。しょうがないから、あたしが今広めているところで」

「……べつに伝統遊戯を広めるのは結構だけど、悪いことはしちゃダメよ?」

「ああ……まあ、アレです。ジュース代ぐらいは」

「ダメだってば。……で、田原町さんはそのツルが分からなかったの?」

「いや、花札については毎晩あたしが教え込んでるから、お嬢もすぐに分かったみたいなんですけどね。ところがやっぱり、単語の方がまともに出てこない」

「へえ、田原町さんは何て?」

「ええ、お嬢はね、『これはシュチョウチョウだから、二文字では収容不可能です』って」

「シュチョウチョウ?」

「どうやらツルのことを言ってるらしいんですけどね。まあ、そこは諭して、どうにか『ツル』で手を打たせようとしてるんだけど……」

「じゃあもう解決済みなのね」

「いや、解決は見えてるんですけど、今度はあたしが気になっちゃってね。ねえ先輩、ツルってのは、シュチョウチョウっていうんですか?」

「何だ、ただの個人的な質問なのね……。まあ、そうね。田原町さんもそう言ってるぐらいだから、間違いないわよ」

「お嬢が言うから間違いないですか。でも、カレーライスが西方香辛飯ですよ? シュチョウチョウだって怪しいものじゃないですか」

「いや、これは……そうね。昔はツルのことをシュチョウチョウと呼んでいたのよ。で、時代が変わってツルになったの」

「ははあ、古い呼び方なのか。じゃあ、何でそのシュチョウチョウがツルになったんです?」

「……ハッチャン、あんまり長居してないで、早く戻ったら?」

「ええ。このわけを聞いたら帰ります。先輩、どうしてシュチョウチョウがツルに――」

「分かったわよぉ。まったく、どうでもいいところで妙に食いつくんだから……。そうね。ハッチャンはこの『シュチョウチョウ』という名前を、漢字でどう書くと思う?」

「漢字で? ……そうですねぇ。『首が長い鳥』と書いて、『首長鳥』とか?」

「いいえ、それが間違いの元なのよ」

「あたし、何か間違ってましたっけ?」

「まあ、黙ってお聴きなさい。まず最後のチョウを『鳥』と書くのは正解だわ。でもね、肝心の『シュチョウ』の方が違うのよ」

「つまり首は長くないと? じゃあいったいどういう字を書くんです?」

「これはもう、そのままよ。自分の意見を言う、『主張』のことよ」

「主張? 主張する鳥?」

「そうよ。『鶴の一声』って諺があるでしょ? とにかくツルというのは、昔から発言力が強かったのよ」

「へえ、強かったですか?」

「強いわよ。ツルが白と言えば、黒かろうが赤かろうが何でも白になるのよ。その声の大きさによる独裁ぶりと来たら、鳥の世界では、ニワトリといい勝負だと言われていたわ」

「何ですその鳥の世界ってのは」

「鳥の世界があるのよ。お空の彼方に」

「……何だかさっきの竜の話といい、やけにメルヘンチックですね」

「まあ、昔話なんて、大抵メルヘンの世界よね」

「そりゃそうですが……。でも妙だなぁ。空の彼方に鳥の世界があったとしても、ニワトリは飛べないんじゃ?」

「そう、問題はそこよ。ある時ツルが……いえ、当時はシュチョウチョウが、ニワトリに言ったの。『ユーはフライングできないくせに、なぜこのバードワールドにいるのだい?』って。……ちょっと馬鹿にした口調でね?」

「へえ、ツルってのはアメリカ人なんですか?」

「自己主張が激しいから、キャラ付けも激しいのよ。で、何しろ他の鳥達もシュチョウチョウの声には逆らわないから、『そうだそうだ』『ニワトリなんかこの世界にいる必要はない』って言って、ニワトリを地上の世界に追い出しちゃったの」

「あれま、ずいぶん可哀想なことをしますねぇ」

「そうね。シュチョウチョウにしてみれば、自分と同じように声のでかいライバルを、一羽蹴落としたことになるわね。でも、それだと当然ニワトリも恨むわけよ」

「そりゃ恨みますねぇ」

「ニワトリは思ったの。何とかして、あのシュチョウチョウに仕返しできないかって」

「へえ、それでそれで?」

「それでニワトリは、同じ飛べない仲間のダチョウに声をかけたのよ」

「ダチョウ? なるほど、あれも飛べないですね」

「そうよ。ダチョウにね、『おいダチョウちゃん。君は首も足も長いから、ちょっと白く塗ればシュチョウチョウそっくりだ。ちょっとシュチョウチョウに化けて、他の鳥達に悪さをして、シュチョウチョウの評判を貶めてやってくれ』って」

「コズルイことを考えるんですね、ニワトリってやつは」

「そうね。ところが、ニワトリはニワトリで声がでかいでしょ? ダチョウも逆らわないのよ。『分かりました』って言って、すぐに体中にお化粧をして、シュチョウチョウそっくりに化けてね。それから鳥の世界へ行って、いろいろと悪いことをしたの」

「悪いこと? いったいどんな?」

「ええと、そうね。卵を割ったりね」

「ははぁ、オムレツでも作りましたか」

「料理じゃないのよ。あと、托卵たくらんなんかもして」

「たくらん?」

「他の鳥の巣に自分の卵を産んで、騙して代わりに育ててもらうことよ。カッコウがやるので知られてるわ」

「なるほど、専門的な悪さだなぁ。でも、ダチョウの卵ともなれば相当でかいでしょ。そんなものが巣に入ってて、騙されるものですかねぇ」

「いや、本当に騙す必要はないのよ。要するに、『シュチョウチョウそっくりのやつが托卵なんかしている』と、他の鳥達に思わせることが大事なんだから」

「なるほど、知能犯だ」

「さあ、鳥達は怒ったわ。『シュチョウチョウのやつ、こっちが下手に出ておだてていりゃぁ調子に乗りやがって。もう許さない!』ってね。さっそく本物のシュチョウチョウのところへ大勢で押し掛けて、ピーチクパーチク罵ったのよ。ところがシュチョウチョウにしてみれば、まったく身に覚えがないわけでしょう? だから、『ああ、もしかしたらミーは、トラップに嵌められたのかもしれない』ってすぐに分かったわ」

「賢い鳥だなぁ」

「そうね。で、周りに言ったの。『どうやらミーのイミテーションがうろついてるようだね。みんな、ちょっとだけミーにタイムをくれたまえ。みんなのヘッドをクールにして、イミテーションをファインドするのをヘルプミー』」

「先輩、あたしは英語は苦手なんだけど……」

「ええと、簡単に言うとね。みんなを上手く利用して、ニセモノを捕まえることにしたのよ」

「だったら最初からそう言えばいいのに」

「まあ、そこはほら、キャラ付けの問題だから」

「しかしどうやって本物と偽物と見分けるんです?」

「そこよ。シュチョウチョウはみんなにこう言ったの。『これからミーによく似た鳥を見かけたら、トーキングの前に合い言葉を言いなさい』って」

「合い言葉? 山と川みたいな?」

「そうよ。でも、何となく意味の分かる組み合わせだと、ニセモノにも勘付かれちゃう恐れがあるでしょ? だからね、『君達はミーを見かけたら、ツーと言いなさい。そうすればミーがルーと返そう。で、もしそう返さないやつがいたら、そいつはイミテーションだから、捕まえてローストにしちゃいなさい』」

「ツーとルー? ……もしかして、それでツル?」

「ええそうよ」

「ええそうよって……そんなしたり顔で言われてもなぁ。だいたい何でルーなんです? ツーと来たら、せめてカーとか」

「それこそが罠よ」

「罠?」

「ええ。もしツーと言われて、素直にカーと答えたら、それはニセモノだわ」

「なるほど。油断大敵ってわけだ。じゃあ迂闊にカーなんて言えないね。カラスなんか、ずいぶん困ったでしょうね」

「いや、カラスはこの際関係ないでしょ。シュチョウチョウとは似てないから、見間違い様がないもの」

「まあ、それもそうか……。いや、やっぱり変ですよ。カーがダメなのはともかく、何でルーなんです? 関係ない文字なら、いくらだってあるでしょ。それこそプーでもミャーでもいい。なのにどうしてわざわざルーなんです?」

「そんなこと言ったら、どうしてルーだといけないのよって話になるでしょう?」

「ははあ、混ぜっ返しますか」

「べつに混ぜっ返すわけじゃないけど、それが物の道理というやつだわ」

「うーん、難しい単語を使われるとさっぱりだなぁ。……で、どうなりました?」

「何が?」

「何がって、その騒動の顛末ですよ。ツルとニワトリの争いは、どう決着が着いたんです?」

「いや、この話はもうおしまいよ?」

「おしまい?」

「ええ。続きはないわよ。そもそも、シュチョウチョウがツルになった由来なんだから、ツルになったらそれでめでたしめでたしよ」

「何だか無茶苦茶だなぁ……。どっかの打ち切りの漫画みたいだ」

「余計なことを言ってないで、ほら、さっさと戻りなさいな。お嫁さんが待ってるんでしょ?」

「嫁じゃないですってば。先輩までからかわないでよ……。じゃ、今日はこれで。またそのうちお邪魔しますんで、それまでに今の話の続きを考えといてください」

「人聞きの悪いこと言わないでよぉ。これも私が適当にでっち上げたみたいじゃないの」

「いやいや、皆までは言いませんってば。ごちそう様。じゃあね~。……はは、先輩ってば真っ赤になってたよ、可愛いなぁ。……それにしても、今の話は下らない割に面白かったね。どうせ適当に作ったんだろうけどさ。これでオチが付けば一人前だ……。そうだ、お嬢にも聴かせてあげよう。お嬢もね、こういう下らない話をもっと聞いた方がいいんだよ。いつも真面目なんだもの。こないだだってそうだよ。難しい顔で経済新聞読んでたと思ったら、いきなりあたしに米中問題について意見を求めてきたからね。知らないよぅ、米中とかさ。ヨネ中ならあたしが通ってた中学の通称だけどね。まあ、あれは特に問題とかもなかったからなぁ。せいぜいあたしが花札で男子から巻き上げすぎて、叱られたぐらいだ……。お嬢、ただいま~」

「お帰りでございます」

「はは、また言ってるよ。お帰りでございますって……。はいはい、お帰りでございますよ。どう、問題解けた?」

「この竜と馬の問題については、私、思考を改善しようと思案するのです」

「はあ。こし餡でもつぶ餡でも何でもいいけど、結局どうしたの?」

「はい。やはり『リュウラクコ』では文字数が合致せず、然るにハッチャン様の言う『リヴァイアサン』という単語では多大な不具合が存在しますので、俗語ながら観念してタツノオトシゴと……」

「はは、何もタツノオトシゴごときで観念することもないと思うけどなぁ。で、もう一つの方は?」

「シュチョウチョウという単語は、やはり前時代的なので、これも観念してカクとしました。ちょうど二文字です」

「カク? ツルではなく?」

「カクです。我が父曰く、音訓の差異は厳格性の差異なりと……」

「いや、お嬢のお父ちゃんが何言ったかは知らないけど、それはツルで間違いないんだよぅ。だいたいね、ちゃんとシュチョウチョウがツルになったのには、わけがあるんだから」

「あら、理由が存在するのですか?」

「うん、理由は存在するんだけどね……。ねぇお嬢、何でそうやって、期待の籠った目でまっすぐこっちを見るのさ。ドキドキするじゃないか」

「私の知識無きところなれば、ぜひとも拝聴いたしたく欲します」

「うん、そういう時は『知らないから聴かせてください』って言うもんだよ。……え、最初からそう言ってる? そっか、お嬢の言葉は分かりづらいからなぁ……。よし、じゃあ教えてあげるから、よく聴きなよ?」

「はい。ご講義を賜ります」

「はは、ごこーぎってほどのもんでもない。……実はね、昔々だ」

「はい」

「昔々のその昔。ずーっと昔だ」

「相当な故事でしょうか」

「いや、それほど昔でもない。何しろ競馬があった時代だから」

「競馬というのは、ハッチャン様が毎週日曜に無線で拝聴している、あの競技ですか?」

「そうそう。でね、馬主のオヤジがえらく声の大きい人でね。何しろ『馬の一声』って諺があるぐらいで――」

「初耳です。意味は如何に?」

「意味なんかどうだっていいんだよぅ。まあ、強いて言えば、馬の一声はヒヒンだよ」

「はい」

「ヒツジはメーでゾウはパオーンだ。キリギリスはチョンギースだ。そういう諺さ」

「理解不可能です」

「いやいや、そう困った顔をしなくてもいいよ。お嬢がこれからゆっくり学んでいけばいいんだから……。でね、声の大きな馬主オヤジが、ある日言ったわけだ。『ニワトリの野郎は生意気だ』って」

鶏鳥けいちょうに不満が存在しますか」

「けーちょーだか何だか知らないけど、やっぱり毎朝の鳴き声がうるさかったんだろうね。で、ニワトリのやつはけしからんから、タコと朝チュンさせてやろうってことになった」

「まっ、それは北斎ほくさい?」

「はは、ハクサイとか言って真っ赤になってる。変な子だなぁ……。とにかくこの馬主ってのが悪いやつでね。さっそくダチョウに事情を話して、竜を捕まえることにしたんだ」

蛸魚しょうぎょではなく竜なのですか?」

「しょーぎょが何だか知らないけど、竜もタコも同じようなものなんだよ。足が八本ある」

竜脚りゅうきゃくも八本なのですか?」

「いや、何しろ実物を見たことがないから分からないんだけどさ。とにかくだ、竜もタコも同じなんだから、ダチョウでも簡単に捕まえられるって寸法だよ」

駝鳥だちょう如何いかにして竜を捕獲するのです?」

「それだ。問題はそこなんだよ」

「どこです?」

「はは、キョロキョロしてるよ……。あのね、そこで知恵のある馬主は、すごくいいアイデアを思いついたんだ」

「どのような思案です?」

「合い言葉だよ」

「合い言葉? 即ち、暗号ですか」

「そうそう、暗号暗号。馬主がダチョウに言ったんだ。『もし俺そっくりのオヤジが、鳥の巣に托卵しているところを見たら――』」

「……今、何と発言なさいました?」

「何だよぅ。ちゃんと聴かなきゃダメだよ? あのね、馬主がダチョウに言ったんだよ。『もし俺そっくりのオヤジが、鳥の巣に托卵しているところを見たら――』」

「あの……私の男性知識が乏少ぼうしょうなのが問題だとは理解しているのですが……。中年男性というのは、その……排卵日があるのでしょうか……?」

「そりゃまあ、オヤジの遺伝子は強いからね。オヤジとダチョウもね、最初はお互いに見慣れない動物同士、距離を置いて様子を窺っていたんだけど、そのうちに二匹とも気づいたんだよ。『ああ、こいつは自分に気があるに違いない』って」

「はぁ……。未知の世界です」

「無理もないよ。オヤジの世界はお空の彼方にあるんだから」

「……中年男性は飛翔するのですか?」

「飛翔でも潜水でも何でもするよぅ。でね、そうそう、合い言葉だよ。オヤジがダチョウと決めた合い言葉というのが――」

「はい。合い言葉というのが?」

「合い言葉というのが、『もし俺そっくりのオヤジが、鳥の巣に托卵しているところを見たら、ミーと言え。そうしたら俺がカーと答える』。……どう?」

「……どうとは?」

「いや、分からない?」

「……何がです?」

「うーん、困ったなぁ。これだから真面目な子は……。いや、つまりさ。オヤジがミーで、ダチョウがカーだよ。ミーとカーで――あれっ?」

「不可解な表情をなさるのですね」

「不可解にもなるよぅ。変だなぁ。違ったかなぁ……。ああ、そうだそうだ。そうだよ。これは罠なんだよ」

「罠?」

「そうそう。カーと答えると、ローストチキンにされるんだよ」

「チキンとは……駝鳥が鶏肉になるのですか?」

「うん、何しろほら、どっちも飛べないから」

「飛翔の有無と食材的風味に関連はあるのでしょうか」

「細かいことは言いっこなし。とにかく今のは間違いなんだよ。カーなんて言っちゃダメなんだ。本当はね――」

「はい、本当は?」

「『もし俺そっくりのオヤジが、鳥の巣に托卵しているところを見たら、ミーと言え。そうしたら俺がツーと答える』。……どう?」

「……どうとは?」

「これでも分からない?」

「……何がです?」

「察しが悪いなぁ。要するにね、シャレなんだよ。ただのシャレ。ミーとツーでしょ? だから合わせて、ミーツー……あれっ?」

「蜜が如何なさいましたか?」

「いや……ええと、蜜じゃないんだ。あれぇ、変だなぁ。何だったかなぁ……。確か、『ミー』はあってるんだよ。だからその片割れがね……」

「ツーとカーなら定番ですが」

「いや、それは罠だ」

「罠なのですか?」

「罠だよぅ。だからね、何かが間違って……。あ、そうだそうだ、ねえお嬢」

「何です?」

「お嬢は『サイホウコウシンハン』という名前を、漢字でどう書くと思う?」

「……横の問題一はすでに解答しましたが?」

「いいから答えなよぅ。漢字で書くと――」

「それは、西方の香辛料を使った飯。即ち『西方香辛飯』です」

「はははは! いいや違う! それが間違いの元なんだ!」

「あら、何か誤解がありますか?」

「まあ、黙ってお聴きなさいよ。あのね、まず最後のハンを『飯』と書くのは正解だよ。でもね、肝心の『サイホウコウシン』の方が違うんだよ。いい? 『サイホウコウシン』というのは、これはもう、そのまま。自分の意見を言う、『主張』のことだよ」

「……えらく漢字に差異が存在します」

「サイもキリンもないんだよ。いい? カレーってのは昔から発言力の強い食べ物でね。カレーが白なら、お米が黒かろうが赤かろうが何でも白なんだよ。これ即ちホワイトカレーだ」

「……すみません。私、空腹を感覚してまいりました」

「そういや私もほとんど紅茶しか飲んでなかったな……。ああ、もう夕方じゃないか。よしお嬢、続きは学食で話すよ。何食べる?」

「ええ、私サイホウ……いえその……か、カレーライスを食したいと思うのです」

「はは、もじもじしながらついに言ったか。よしよし、いい子いい子。そうだよ。そうやってどんどん言葉を馴染ませていくといいよ。ね、カレーで心を開いたね。カレー様々だ。……あ!」

「おっと驚愕。いきなり大声を挙して、どうしたのです?」

「思い出した! 『ルー』だ」


 おあとがよろしいようで。

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おあとが! 東亮太 @ryota_azuma

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