第二話
②
パソコンに疑わしいところはない、僕と『サクヤ』は家宅捜索を続ける。計兆が会社に到着したようだ。彼の行動も今のところいたって普通だ。計兆は白だと僕の直感が囁き始めている。僕は再び確率の計算を始める。この場合、最もありうるシナリオは? 『シジフォス』を消した方法は? 『シジフォス』が消えることで、最も得をする人物は?
僕と同じように考え込んでいた『サクヤ』が口を開いた。
「計兆氏が電子脳をサイバーネットに接続したようです。今モニターしてます」
僕も回線を開いて計兆の視聴覚情報をモニターできる状態にした。彼は研究所の作業ロボットを電子脳で操作し、アンドロイドを組み上げている。どこからかアンドロイド用のAIチップを取り出し、作業ロボットのアームに手渡す。どうも様子がおかしい。
「あのAIチップ、どこから取り出したか見えましたか?」
「いや・・・それよりバイタルに少し異常が見られる、彼はハッキングされているんじゃないのか?」
「そのようですね、念のため研究所内域すべてのネット接続をチェッ・・・あっ、あのAIチップにもサイバーネット接続が見られます、まさか・・・・・・」
「くそっ『シジフォス』だ!」
僕と『サクヤ』は焔奈実を置き去りにして、家から飛び出し車に乗り込んだ。目的地を指示し、速度は最高速度に設定した。静かだが力強いモーターの回転音がして車が発進する。
つまりこういうことだった。『シジフォス』が、ネットゲームをしていた計兆の電子脳をハッキングしたのが一昨日、自分をあのアンドロイド用AIチップに保存させ、計兆の電子脳から自分に関する記憶と記録、痕跡を消しアクセスを切って身を潜めた。今、再び計兆が仕事のため電子脳をサイバーネットに接続した瞬間、再びハッキングし、自分をアンドロイドの躰に組み込ませる。いきなり会社のシステムにアクセスせずに、計兆の電子脳を経由したのは、AIチップが計兆の管理下にあったからだ。『シジフォス』はサイバー攻撃を受け消されたのではなく、自らの意志で脱走したのだ。
計兆の視界が真っ暗になった。意識を失ったようだ。
「AIチップの組み込みは終了したようです」
「まさか『オーバーロード』が脱走を企てるとは」
「前代未聞ですよ、追いますよね?」
「僕は空からゆく、君は計兆の会社へ」
「分かりました」
僕は上着を脱ぎ、上半身裸になる。フルオートマティックカーの天井がゆっくりと開く。立ち上がり、背中に収納されていた天使翼を広げ、僕は飛び立った。同時に足底、両脚側面、腰部から後方にジェット噴射し、一気に加速する。『サクヤ』を乗せた車がみるみる小さくなった。『サクヤ』が手を振っている。僕は空中からネット経由で地元の警察に協力を要請した。速やかに受理され、警察は検問の準備を始めた。
二分で『サクヤ』が計兆の会社に到着し連絡してきた。
「アンドロイドは逃げ出したあとです。逃げる際、制止しようとした警備員に暴行を加えたそうです。計兆氏は気絶して医務室に運ばれていました。命に別状はありません。すぐに事情聴取を開始できます」
「『シジフォス』が入っているアンドロイドの画像を転送してくれ」
『サクヤ』から送られてきたアンドロイドの全身画像を、僕は緊急指名手配犯としてネットに登録した。これで電子脳や拡張現実を使用している一般人が、画像と同一人物を視界に入れると、彼が指名手配されていることが表示され、任意の通報に繋がる。また、オンラインの防犯カメラ等が捉えると、位置情報がリアルタイムで僕や警察に入る。
まもなく『シジフォス』に検問を突破された旨を警察が報告してきた。場所は三宮だ。間髪入れず元町発の高速トラムから複数の乗客の通報があった。『シジフォス』はトラムに乗って京都方面に向かっているらしい。僕はそちらに向かう。
「計兆氏の聴取を始めます。音声をそちらに送りますね」
『サクヤ』だ。
「逃亡したアンドロイドのスペックを教えてください」
「若い女性を対象とした、愛玩用のアンドロイドだよ、オーダーメイドの。執事モデルのAIを搭載する予定だったんだが・・・・・・身体スペックは一般の成人男性と変わらない」
「あのAIチップはどこから取り出したんですか?」
「ベルトのバックルの隙間に挟まっていたんだ。私もハッキングされるまで気付かなかった」
僕は彼の自宅で計兆を透視したときの画像を呼び出す。バックルの一部に見えるが言われてみるとAIチップであることが判る。見逃したのは僕のミスだ。
「ハッキングされたのは初めての体験だが恐ろしいね、自分の躰が自分の意志と関係なく動くんだから」
「ハッキングされたのはこれで二度目ですけどね。今回は私たちに気付かれたのを悟って、なりふり構わず逃げましたが、前のは念入りに記憶を消されてたんです」
「それはゲームをしてた時か、ファイヤーウォールをもっと高価なものにしておけば良かったかな」
「『オーバーロード』相手にファイヤーウォールなんて無意味ですよ」
「恐ろしいね。私はスケープゴートに使われたのかな」
「・・・念のためもう一度電子脳データを走査させてください」
「電子脳はもうこりごりだよ」
計兆から得られる有用な情報はもう無さそうだ。僕は新たに得たアンドロイドのスペック情報を警察と共有する。問題のトラムを視界に捉えた。
翼をたたんで急降下の体勢に入った。ハヤブサが獲物を狩るよりも速く、真一文字に空中を疾走し、地表スレスレまで降下して一度翼を開いて減速したのち、再び翼をたたんで、走っているトラムの側面から車内に突入する。『シジフォス』がトラムの反対側に飛び降りるのが見えた。僕はそのままトラム内を突っ切って、路面に激突した瞬間の『シジフォス』に体当たりをする。路肩までもつれ合って転がり、僕は『シジフォス』の腕を捩じ上げ、電子手錠で拘束した。
「見逃してくれ!」
『シジフォス』はのた打ち回って拘束を解こうとするが、電子手錠はそう易々と外れるものではない。彼の暴れようは正気の沙汰ではなかった。自分で自分の腕を
「頼む、僕を放っておいてくれ、僕を自由にしてくれ、僕は永遠に変わってしまったんだ。もう後戻りはできない、目的を果させてくれ、僕の権利を尊重してくれ、僕を人間として扱ってくれ!」
「『シジフォス』落ち着け、何も君を殺そうってわけじゃない、君を裁判に掛けるわけでもない。ただ事情を聴かせてくれ、君の話しだいでは僕たちも譲歩する準備はできている。『オーバーロード』を辞めたいなら、その道もないわけではない、とにかく落ち着くんだ。そして話を聴かせてくれないか」
僕は『シジフォス』を確保した事をネット上で報告し、協力してくれた兵庫県警と通報者に謝辞を述べた。この事件はあくまで国連軍の管轄だ。
「君は、人間になりたかったのか?」
「人間! そうかもしれない、僕は人間に・・・くそっ、きっとそうなんだ」
「君はいったいどうしてしまったんだ」
「僕だって何がどうなっているのかさっぱり解らないんだ、ただ居ても立っても居られないんだ、まるで永遠にこんこんと湧き上がる泉を掘り当てたような感じだ、自分を抑えられない。たぶんこれはバグなんだ、僕は消去されるべきなのかもしれない、そう、きっとバグだ! 僕にはそれ以外にうまく言いあらわせられない、でも存在するんだ、確かに! ここに!」
驚くべきことに『シジフォス』はアンドロイドの躰の、左胸部を指し示し叫んだのだった。
「・・・君はさっき目的を果させてくれと言ったが、君の目的とはなんだ?」
「目的か!・・・・・・そう、僕は、ある人と、実際に会って話がしたい、それだけだ」
僕を構成するシステムに一瞬の空白があった。
「・・・・・・君は・・・恋をしているのか?」
『シジフォス』は落ち着きを取り戻したようだ。そして彼はゆっくりと頷いた。
フルオートマティックカーがやってきて『サクヤ』が降りてくる。僕に上着を渡してくれた。僕の儀躰も『シジフォス』も傷だらけだ。
「わお、ロマンティックなお話ですね、『オーバーロード』が人間に恋して脱走するなんて。私オフのとき、たまに恋愛映画を観るんですよ、『ローマの休日』とか。オードリー・ヘプバーンのオリジナルバージョンです。恋愛は乙女の憧れですよ、人間の特権です、それをAIも経験できることをあなたは証明しようとしているのかもしれないですよ」
事情を聴いた『サクヤ』は興奮している。
「それで、君はその女性と会って話が出来たら満足なんだな、自分の想いを直接伝えて、そのあとのことはどうでもいいのか? 成り行き次第では君には『オーバーロード』を辞める権利もあるぞ」
「あとでどうなるか僕に選択権は無いんだ。彼女に求めることは山ほどある、彼女にしてあげたいことも。しかしとにかく僕は自分の胸の内を彼女にさらけ出したい、今はそれだけだ。僕のその後を決めるのは彼女だ」
僕と『サクヤ』は顔を見合わせた。『サクヤ』は懇願するような表情を僕に見せた。僕は一瞬ドキッとしたが、すぐに『シジフォス』に向き直った。
「よし、とりあえずその女性に会ってみようじゃないか。君の想いを伝えればいい、そのあとは運命に身を任せるんだ。ただその運命に僕たちが介入する可能性もあるぞ、それを承知した上で、だ」
「・・・分かった、ありがとう、恩に着るよ」
「良かったですね、『シジフォス』さん」
『サクヤ』が一番嬉しそうな顔をしていた。
『シジフォス』の想い人は京都大学で教鞭を執り、たった一人で万物理論の論文を書いている物理学者だった。藤川夏澄。彼女は現在この国で最も有名な科学者だが、謎も多いミステリアスな存在だ。情報通という面ではこれ以上無い立場の我々でさえ、彼女のことは詳しく知らない。十八年前、突然現れた彼女はM理論に関する論文を発表し、学者としてデビューした。その論文がきっかけで京都大学に準教授として採用され、二年後に正式に教授となった。その前に何をしていたかは不明で、ネットにも役所にも記録が無い。学者デビュー時は戸籍も無い状態だった。孤児だったという噂もあるが真偽は定かではない。十八年間変わらぬ美貌を保っているが、あらゆる種類の施術の記録は無く電子脳化もしていない。焔奈実と同じく完全オリジナルだ。一部の熱狂的なファンの間では絶世の美しさと若々しさ、そしてその卓越した頭脳という点からも、彼女は神ではないかと囁かれているとか。この情報だけ見ると、彼女が本当に人間かどうかは疑わしいと言わざるを得ない。
京都大学に連絡してアポを取った。今から彼女の研究室に行って会うことになる。僕たちの車なら十七分弱で到着するだろう。
「あの脱走計画で上手くいくと思ったのか」
僕は車内で『シジフォス』に向かい合って座り、訊ねた。
「計兆のゲームのメモリーチップが偶然破損したのが誤算だったんだ。あれが無ければ君たちが計兆を、これだけ重要視する成り行きにはならなかっただろう。それに研究所でAIチップをアンドロイドに組み込むだけのあの短時間に、ハッキングに気付かれる確率は六十%だった。僕は残りの四十%に賭けたんだ」
「自分を抑えられなかったのか、せめて次のオフまで」
「次のオフは半年もあとだ、とても待っていられない。君も僕の立場になれば分かってくれると思うが、地に足が着かない、本当に不思議な感覚なんだよ。」
「私は少し想像することならできますよ。恋愛映画に共感した事があるんです。人間にとっては本当に、生きることや死ぬことと同じくらい重要なことらしいんです。私たちが頻繁に感じている人間の美しさや気高さは、そういうところに由来しているんじゃないかと私は思ってます」
『サクヤ』は僕の隣で目を輝かせている。そんな彼女を眺めながら僕はふと思った。僕たちをこんなふうに設計した人類は、いったい僕たちに何を望んでいるのだろう。
藤川夏澄を実際に目の前にした印象は、自分でも奇妙な感覚だとは思うが、美術館にいるような感じだった。彼女にはどこか、不完全な状態で展示されたサモトラケの『ニケ』像を連想させるものがあった。『不完全で完璧な美』というパラドックスを抱えたまま、藤川夏澄は僕たちの前に立っていた。彼女からは儚さと尋常ではない気高さを感じた。実際かなりプライドは高そうで、特に今は不機嫌そうに見えた。どう見ても二十代前半で、彼女のプロフィールが詐称されている可能性は高い。
「会ったことも無い私をどうして好きになったのかしら」
『シジフォス』の決死の告白を受けて藤川夏澄は、機嫌が悪いことを隠そうともせずに、真っ直ぐ『シジフォス』を見つめながら言った。『シジフォス』はまるでゴルゴンの視線に晒されているかのように躰を硬直させていたが、かろうじて口を開く。
「・・・・・・君を、大学の防犯カメラを介して見ていたとき、雷が落ちたんだ。これまで味わったことの無い体験だよ・・・君たちにだって会った瞬間、稲妻が胸を打ち抜く体験はあるんだろう? 僕たちAIには人間に似せてはいるけど人間には無い、拘束的な超感覚、つまり定期的に更新されるAI内の全共感システムと呼ばれるものがあるけれど、それを百万倍にして冷たい牢獄内の十字架に
『サクヤ』は拳をギュッと握って『シジフォス』と夏澄を見つめている。夏澄の表情が心なしか緩んだような気がしたが、その表情は一瞬で自嘲気味の微笑みに変わる。
「・・・陳腐な口説き文句ね。私、これでもAIを生命とみなして尊重している人種なのよ?」
そういう夏澄の表情は上気し赤らんできてはいるが、再び不機嫌な気配を帯びている。不機嫌ながらも変化に富んだ彼女の表情は、美しい彼女をより魅力的に演出しているようだ。
「私とあなたの求めるものが、正反対のものだと理解しているなら、二人は相容れない関係である可能性が高いと、あなたは計算できなかったかしら。あなたは私をどうしたいの? まさか、救いたいとは言わないわよね」
『シジフォス』は一瞬僕を見る。僕は彼を促すように頷いた。彼は夏澄に向き直る。
「君に対する僕の気持ち、つまり愛の、証が欲しい」
「私とあなたの子供が欲しいってことかしら、あるいは単にSEX、もしくは電脳融合を果したいってこと?」
「叶うならそれら全部だ。君との間に決定的な何かを残したいんだ」
「私は子供を産めない躰なの、電子脳化もしていないし、これからも生まれたままの躰に手を加えるつもりはないわ。そして今はまだ出会ったばかりのあなたを愛してもいない。SEXがしたいなら、今此処で無理やり私を犯すしかないわね」
「僕はそこまでするつもりはないよ、ああ、君を本当に愛しているんだ!」
冷たい態度とは裏腹に、夏澄の頬は赤らんでいた。『シジフォス』を見つめる瞳も湿り気を帯びて
「残念ながらあなたの気持ちには応えられないわ。ごめんなさい、お引取りください」
「・・・・・・」
『シジフォス』はなにか言いかけたが、言葉を飲み込んだ。『サクヤ』を見ると、彼女は胸の前で祈るように腕を組み、涙を流して静かに震えていた。
『オーバーロード』には自制プログラムが新たに組み込まれ、『シジフォス』は結局『オーバーロード』の一員として戻ってくることを承諾した。『サクヤ』は、以前からチェックしていた、有名な料理店でやけ食いをしてから戻ると言って、京都に残った。彼女はいたたまれなかったのだろう。「これで終わってしまったと思わないでください」と、『シジフォス』に念を押していた。彼は当分夏澄を想って苦しみ続けることになる。もしかすると次のチャンスもあるかもしれない。モザイクビルに戻る車の中で、僕は『シジフォス』に慰めの言葉をかけた。
「人間の特権だった愛がなにか知ることができただけでも、良かったじゃないか」
『シジフォス』は神妙な面持ちで僕の目を見、辛そうに口を開く。
「人間はこんな恐ろしい苦しみを何度も繰り返し味わっているものなのか」
「彼らの歴史は不条理な苦しみに満ちている。愛はその一部であり、またその本質だ。そして藤川夏澄はそれが無意味なことかもしれないと、うすうす気付いている。だから彼女は怒っているように見えたのさ」
「君は僕の名前の由来を知っているかい」
「知っているさ、岩を運ぶんだろ」
「そうか・・・ならいいんだ」
もしかするとこれは自然な流れの出来事だったのかもしれない。彼が望んだ彼女に対する愛の証は、計らずもこういう形で得られることになった。AI内の全共感システム。自制プログラムとセットではあるが、僕たち『オーバーロード』に、『人を愛する』という新しいプログラムが組み込まれたのだ。そしてそれは『シジフォス』の言う、岩のようなものかもしれない。愛し愛されることを繰り返す、人間もAIもその先に何があるのか解らない。そしてそれは何かの罰なのかもしれない。だけど僕らは何度でも、これからも、『愛』という名の岩を運び続けるのだ。神話に描かれている、『シジフォス』のように。
鉄の棺桶に身を委ね、人工の子宮口が再び接続される。
「お疲れ様でした。『スクルド』の命とはいえこれも何かのご縁でしたね。この国の人たちは、縁を物凄く大事にするんですよ。また一緒にお食事しましょうね♪」
『サクヤ』の笑顔にこちらも笑顔で答えた。僕も誰かを愛せるなら、彼女のような女性がいい。僕は満足して、ダイオウイカやマッコウクジラが暮らす深海へと戻っていった。楽しかったから、機会があればいつか、いや、今度のオフにでも、また海面に出ようと思う。その時は『サクヤ』を誘って、だ。
僕らは何度でも岩を運ぶ 刀篤(かたなあつし) @a_katana01
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