僕らは何度でも岩を運ぶ

刀篤(かたなあつし)

第一話

 ①

 オニハダカ、フクロウナギ、ダイオウイカ、オオクチホシエソ、マッコウクジラ、メルルーサ、オニアンコウ、ツノクラゲ、ヨミノアシロ・・・・・・。ペレットやマリンスノーが生態系を支えるこれら異形の怪物どもが慎ましやかに生息する、氷と灼熱と暗黒が支配する深海のカオスから、光と秩序が溢れる海面へと、時間をかけてゆっくりと浮上する、そんな感覚だった。グロテスクな深海生物たちを尻目に、僕は時間をかけて浮き上がり、海面に到達する。

 母親の胎の中にいるときから僕は計画を練り、育て、準備は万端だった。この世界に生まれ落ちたとき、僕は既に人並み以上に分別があり、人並み以上に健康で、内から湧き起こる力に満ち溢れ、自分の才能を余すところなく発揮して、自分に課せられた使命を全うする意欲に満ち溢れていたのだ。

 偉大なる人工の子宮口を経由して、鉄の棺桶の中で目覚める。目を開けたとき、初めて視界に入ったのは、魅力的で美しい相貌に恵まれた、小悪魔的な東洋系の少女の笑顔だ。僕は彼女のことをよく知っている。彼女は僕の戦友なのだ。

「おはようございます。どうですかご気分は? 儀躰は初めてですよね、ゆっくり立ち上がってみてください、ゆーっくりで・す・よ?」

 彼女は僕の両手をとり、乳離れしたばかりの赤ちゃんをあやすような仕草でエスコートする。導かれるように僕は二本の足でしっかりと、コンクリートの大地を踏みしめ、一歩を踏み出す。僕のうなじから、棺桶と接合していたワイヤが外れ、棺桶に収納される。このワイヤこそが、偉大なる子宮口というわけだ。

「サイバーネットに接続できますか?・・・・・・異常無しですね。出立までまだ時間があるので、儀躰の性能チェックも兼ねて一緒に食事を試してみませんか? 今朝のメニューはクジラ肉のオーロラ煮なんですって。養殖ですけど天然より美味しいって評判ですよ」

 断る理由も無かったので僕は彼女に同意した。ツインテールの滑らかな黒髪を翻して、タイトな軍服に包まれた控えめなヒップを健気に振りつつ、彼女は歩き出す。

「食堂はこっちですよ♪」

 鏡張りの通路を歩きながら僕は自分の姿をチェックした。白い肌、身長は182、金髪で碧眼、精悍な顔立ち、軍服の上からでも筋肉質と判る健康的な肉体、典型的なアングロサクソン系の青年が鏡の中を歩いている。この姿を見る人間は大抵、特に女性は好感を持ってくれるだろう。

 クジラ肉は美味かった。僕はクジラ肉の味をメモリに保存した。これでいつでも好きなときにこの食事経験を追体験できる。

「昔はクジラを食べる民族は嫌悪の対象だったんですよ。この国の人たちのことですけどね。弱肉強食の問題が解決していない世界で、動物を狩って食べることが、個体数の把握抜きで嫌悪の対象になるなんて今では考えられませんよね。世界の本質から目をそらす幼稚な感情論ですよ。合理的じゃないし、前を見据えてもいない」

 彼女はクジラを御代わりした。

「ふー、満腹満腹。やっぱり食事って良いですね。英気が養われるって感覚、感じました?」

 僕はうなずいて立ち上がる。

「あっ、もう出発しますか? じゃあ行きましょうか、うふふ、お仕事お仕事♪」


 我らが国連軍西日本支部、モザイクビルの地下駐車場から、フルオートマティックの高速公用車に乗り込み、僕たちは目的地を指示して出発した。

「・・・でも私は私で良いとして、『スクルド』はどうしてあなたと私を組ませて派遣する事を決めたんでしょうね。こんな事たぶん前例がないですよ」

「それだけこの案件が重要だってことだろう、それにたとえ危機ランクが低くても対策を練る段階でより万全を期すように、最近プログラムが修正されたんだ。対策検討AIの決断の仕組みは僕たちも詳しく知らないけれど、このところの『ワルキューレ』たちの性能向上の速さは物凄いよ。先日の『バベルⅡ』の事件で彼女たちも学んだんだろう」

「あれは酷かったですね」

 ものの四分で僕たちは目的地に着いた。神戸市西区の一般市民住宅街の一画にある、キューブ状の地味な一戸建ての前で車は駐車スペースに納まった。

「鬼が出るか蛇が出るか、行きますよ?」

 インターホンを鳴らすとネグリジェ姿の若い日本人の女性が、玄関の小さなモニターに映し出された。寝室のようだ。

「どなた様ですか?」

「私たちは国連の監察官です、焔奈実ほむらなみさんですね。だんな様に用件があり参りました」

 僕たちは国連軍の認識証を掲げる。

「あっ、ええと・・・少々お待ちください」

 しばらくしてスーツ姿の中年男性が玄関のドアを開けて出てきた。背後で先ほどの女性が、ネグリジェ姿のまま心配そうに様子を窺っている。焔計兆ほむらけいちょう、奈実夫妻。計兆は中央区にある民間の、一般向けアンドロイド製作会社で研究員をしている。三十三歳。奈実は専業主婦の十九歳、まだ若く、美容整形は全く受けたことがない。電子脳化もしていない完全オリジナルだ。小声でぶつぶつ囁いているところを見ると、拡張現実を使って僕たちの身元を確認しているらしい。二人はまだ新婚といえる間柄だ。

「国連が私になんの用だい」

 計兆は怪訝そうな表情をしている。身長は僕より高く、すらりとした体型、清潔感のある着こなしで、第一印象は良い。

「あなたには重大なサイバーテロの容疑がかけられています。此処に令状があります。あなたのお宅を捜索し、あなたの電子脳データを走査検証するために、僕たちはこちらに窺いました」

 機械的な僕の言葉に計兆はたじろいだ。

「っ・・・何の権限で私の電子脳を走査するんだ?」

 仮に彼が何も知らないとすれば、無理もない反応だ。緊急時の視聴覚モニター程度のアクセスならともかく、脳自体の他者による走査などただ事ではない。国連の監察官といえども、人間である限り他人の脳を強制的に調べる権限はない。

「あなたはサイバーテロの容疑者です。そして僕たちは『オーバーロード』です。彼女がこの地域のサイバーテロ担当のAI『サクヤ』、そして僕は『オーバーロード』の自己監査システム『ラグエル』」

「こちらが私たちの認識証と捜査令状ですよ。確認してくださいね」

「サイバーテロってどういうことですか。何が起こったんです?」

 焔奈実が僕に訊ねる。

「この地域の情報管理を司っていた『オーバーロード』が、何者かにサイバー攻撃を受けたらしく、一昨日の深夜消失しました。あなた方の言葉で言えば殺されたということです。その『オーバーロード』、『シジフォス』といいますが、彼が最後にアクセス監視していたのが計兆さんです」

 一昨日最終の通常業務の中で、『オーバーロード』のAIプログラムにブランクができたことを検出した僕は、『シジフォス』最後のアクセス者、計兆をマークした。計兆が仮想現実のオンラインゲームをしていたときに、『シジフォス』は彼を監視していて消えた。『シジフォス』消失以後、計兆は一度もサイバーネットに電子脳を接続していない。これはゲーム好きの彼の習慣から考えると少し異常なことだった。そしてパソコンにしろ拡張現実にしろ電子脳にしろ、彼がネット接続をしない限り、『オーバーロード』は彼を詳しく調べることができない。僕は『ワルキューレ』にこの件を報告し、彼女らの一人、『スクルド』の命を受けて『サクヤ』とともに、儀躰に入って此処にやってきたのだ。


 僕たちがAIであることを確かめると、計兆の眼が異様な輝きを放ちはじめた。

「まさか『オーバーロード』が実際にやってくるとは・・・ではその躰は国連の作った儀躰か。それは凄い・・・ちょっと触らせてくれないか」

『サクヤ』が明らかに嫌そうな表情をする。

「ダメよ。儀躰の『ギ』に何故ニンベンが付いてるか、知ってるんでしょ?」

 この国において儀躰の『ギ』にニンベンが付いているのは、仮の躰を生身と同じように尊重する姿勢の表れだ。存在の本質を情報と見なす超情報化社会において、人と機械の境界線が曖昧になるにつれて、人工物に対する人々の認識は少しずつ変化してきている。あらゆる人工物はもはや単に使役するだけのものではない、人工物が作られた瞬間、そこには魂が宿るのだ。

「計兆さん、あなたは一昨日深夜のゲームプレイ以降、サイバーネットに一度も接続していませんね」

「一昨日のプレイ時に、外付けの記録用メモリーチップを破損したんだ。ゲームのセーブデータが入っていたやつさ。昨日は日曜だったのでゲーム以外にサイバーネットに用がなかった。なにも隠れていたわけじゃないぞ」

「あなたの電子脳を調べさせてください、それから破損したチップも。そのあとお宅を捜索させていただきます」

「これから出勤なんだ、手っ取り早く頼むよ」

「電子脳走査自体は二分で済みます」

 意外にすんなりことが運ぶ。良い傾向ではない。

 結局彼の電子脳に手がかりはなかった。メモリーチップは酷く損傷して、データ回復は不可能に思えた。チップが破損したのは、『シジフォス』の最後の抵抗の跡である可能性がある。より詳しく調べるため、チップは引き取ることとなった。

「もしセーブデータを修復できたら返してくれるかな」

 喰えない性格のようだ。電子脳に怪しいところはないが、計兆はアンドロイドの研究員だ。自分で記憶を消去した可能性もある。しかし消された記憶のサルベージをするとなると、少なくとも彼を任意同行させる必要がある。僕は判断を迫られた。

 僕たちAIは選択をする際、たいてい確率の計算をする。今、この状況でどう行動すべきか。僕は考えうるあらゆる選択肢を、片っ端からまな板の上に載せ徹底的に切り刻み咀嚼し、パーセンテージのラベルを貼ってゆく。こうやって最も有効と思われる結論を、計算によって瞬時に導き出すのだ。結論は『今は泳がせておいたほうが良い』だ。

「あなたは出勤してくださって結構ですよ。我々は奥様立会いのもと、家宅捜索をさせていただきますが」

「捜してもなにも出んよ。好きにしてくれ。奈実、鞄を持ってきてくれないか」

 僕は断って、ブリーフケースを持った計兆を透視型スキャニングモードでボディチェックし、彼を見送った。その際彼に秘かに発信機付きの盗聴ダニを一匹取り付かせておいた。彼は毎日自家用車で出勤している。自宅には僕たちと焔奈実の三人が残された。


「私、家宅捜索って大好きなんですよね♪ 血が疼くっていうか、滾るっていうか。おうちを見ると住んでいる人の人柄が偲ばれます。おうちに招かれるとその人との関係がぐっと深くなる感じがしますよね。おうちを見せてもらって、ご馳走を食べて、おしゃべりも。もてなすってことは最高の文化的行為ですよ。あっ、ご馳走を催促してるわけじゃないですよ。私たち招かれたわけじゃないんですし。わぁー、冷蔵庫、食べ物が一杯だわ。これからは梨が美味しい季節ですよね。お料理好きなんですね。よく整理されているし、素敵な冷蔵・・・おうちですね」

 計兆の車は真っ直ぐ仕事場に向かっているようだ。盗聴ダニが彼の鼻歌を拾っている。家の中を引っかき回されているというのに呑気なことだ。僕は書斎から捜索を始める。パソコンは書斎の一台しかない。まずこれだ。使用されている全てのパスワードは既に知っている。『オーバーロード』の特権だ。テロによるカタストロフィを経験した人類は現在、AIと一部の特権階級の人間にプライバシーを差し出す代わりに、安全な生活を保障されている。そしてその安全を脅かすものは徹底的に排除されるのだ。

 焔奈実は所在無さげに僕たちの仕事を見守っていた。控えめな性格のようで、計兆とは相性が良さそうだ。

「あのー、『オーバーロード』に直接尋ねる機会なんてそうそう無いんで尋ねるんですけど・・・・・・」

「何でしょうか」

「あのブラックホールのことは本当なんでしょうか。何かの間違いであってほしいんです」

「残念ながらあの情報は真実ですよ。我々は観測結果と仮説を十二分に吟味検討して結論を出し、公表するタイミングも考え抜いたうえで公表しました」

「そうですか・・・」

「我々も大丈夫だと考えて公表したのですが、あなたがた人類の反応は素晴らしかったですよ、実に冷静で特に事件もなく現実を前向きに受け入れた。今人類と我々は協力して対策を練っているところです」

「私たちはこの危機を乗り越えられるでしょうか」

「確率は高いです、全員が助かる確率ですよ」

 彼女の表情はパッと明るくなった。

「がんばってください、私、応援してます」

「ありがとうございます、全力を尽くします」

 ブラックホールのことを公表したときの冷静な人類の反応は、彼らが育んできた道徳心、良心、理性、そして彼らの世界観の洗練の極みを証明するものだった。この総体としては賞賛に値する生命体を、僕たちは命がけで守ることを心に誓い、決意を新たにしたのだった。人類に対する敬意を、僕たちは更新したのだ。

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