そのあとの話。

 夕暮れ時の海、彼女の口遊む古い詩を聞きながら、ぼくは甘い缶ビィルの味に少し酔っていた。幸い他のラヴァ達は何処か涼しい所を探して町中へ潜っていったらしい。実は暮れる赤色の海が涼しく、また幻想的であることは、僕たちだけが知って、また一人占め出来ていた。

 遠くで鴎が鳴いている。

 逆光に黒く抜かれた灯台や船や彼女が、ぼくの位置からは影みたいに見える。ぼくは何だが彼女が遠く遠くに行ってしまうような気がして、少し駆けると彼女の手を掴む。驚くでもなく手を握り返して、詩の最後の分まで寸分違わず、彼女はぼくの本棚に入っているそのままを口遊み終える。

 優しい瞳が不安な顔のぼくを見て笑う。ぼくは一人、酔った頭の中に渦巻く不快感を拭いたくて、手に入れた力を強くする。

 「ねえ、ほら」

 彼女が砂浜を指さす。

 「わたし達、影に成ったみたいね」

 ぼくははっとしてそれを見て、頭に回ったアルコォルよりも強い何かが満ちて行くのを感じた。

 缶に残ったビィルを飲み干して、潮風に吹かれる彼女の横に立つ。足当たる波が、心地よく体の熱を少しづつ持って行ってくれる。

 「明日は学校かい?」

 「ええ、でも午前だけよ」

 「そうか、ぼくは無いんだ」

 「知ってるわ。もう、なんで大学生ってそんなに休めるのかしらね、社会に出れば、休みなんて無くなっていくのに……」

 「だからこそ、かもしれないね」


 「そうね。あ、明日! 映画が見たいかも知れないわ」


 濃い紫色に染まりだした空に、彼女が呟く。

 影みたいだったぼくたちは、夜の涼しい海の音の中で、こうやって、やっぱり人間だったんだなと。


 何処かで、風鈴が鳴っているのが聞こえる。


 

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海とぼくの彼女の話 圃本 健治 @Izumiya

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