第3話 赤の朽葉に想われて。

秋晴れが続き、宮中から見える山々も紅葉を身に纏い始めた頃である。

宮中もすっかり秋の様相になり、山々の紅葉に伴って、寒色だった直衣や単衣も暖色に染まり出した。

そこへ、もう1人。

全身を紅に染めた男が御簾の前で固まっていた。


鳥羽依明。その人であった。

朽葉の直衣に負けず劣らず真っ赤な顔でうつむいている。

ここは東宮御所。御簾の裏には、透子東宮が白藤と座っていた。


「あ、あの、透子様」

「…なんでしょう」

「……よ、良いお天気、ですね」

「………」

「あ、はは…」

「そうですね…」


御簾越しに不毛な会話を繰り広げる依明は、そわそわと襟元を正しながら、本題に入ろうと深呼吸をした。


「あ、あの!今度の初瀬詣なんですk…」

「いやです」


普段の透子東宮からは想像もつかないほどあっさりと断られてしまい、依明はがっくりと肩を落とした。

初瀬詣。それは宮中の女性が外出を許される数少ない行事である。しかし現在の奈良県にある長谷寺まで、当時にして道中3泊4日の長旅となり、まして東宮ともなれば同行する人数も多い。デートには向かないぞ依明…と依明に肩入れしがちな筆者は思っている。


「もう、そんなんええやないですの。せっかくの御所から出る機会やいうのに」

白藤にやんわりとフォローされ、いたたまれなくなりつつも、依明は弱々しく食い下がった。

「一応宮中行事ですし……あまりない機会ですし……一応……」

もごもごと言い淀む依明にとうとう止めの1発がきた。

「そういえば朝利様は参られるのかしら?」


その後、白藤の慌てた執り成しも虚しく、依明が石化したことは言うまでもない。



___という訳だから、お前も一緒に今度の長谷へ参れ。

出会いがしらに怒涛の報告とともに理不尽な怒りをぶつけられ、朝利は困惑のあまりとりあえず依明の烏帽子を掴み、しばし押し合いをした後冷静さを取り戻した。

二人とも落ち着いてほしい。


「どのみち行きはしますけど、急にどうしたんです。そんなに気炎をあげて」

「……まが……………から………くだ」

「熊のがらくた?何です」

「お前が行かなきゃ東宮様が俺と話してくれないから仕方なくだ!!!」

珍しく怒気を含んだ依明に驚いて、朝利は目を丸くしたが、すぐにその目を細めて口角を上げた。

「ははぁ、貴方もしかして」

心底楽しそうな、妖気を纏った微笑みで広げた扇子をぱたぱたと遊ばせる。

「そうですか、最近めっきり浮いた噂がないと思っていたら…なるほどそういう事でしたか、いやいやこれは失礼」

朝利のからかいにコンマ数秒遅れて気づいた依明は、朽葉の直衣の色と見分けがつかないほど頬を染めて喚いた。

「なんっだよ!!わりぃか!!…てかそんなわかりやすいか!?」


「「えぇ、残念ながら」」

にやにやと頷く朝利の声に被って、半トーン高い声が聞こえた。

朝利と依明は嫌な予感を背中に感じながら、恐る恐る振り返った。

「…何よ、そんな顔して」

言わずもがな、雪緒であった。

「ゆ、ゆゆき、雪緒さ、さん」

「依明くんが可愛いって、宮中女房の専らの噂よ?東宮御所の前を通る時だけ香を強く焚いたり、東宮への文だけ紙を上等にしたり、この間はそうね…梅の枝を付けたのよね?梅ヶ枝と掛けるなんて、あなた気障なこと覚えたのね。古典的手法だけど結局は王道が一番受けるのよ」

「さすがです雪緒さん、その調子」

「あーあーあーー聞こえない聞こえない」

喚く依明に目もくれず、つらつらと話し続ける。姉弟揃って凶悪な笑みを浮かべたままだ。

宮中の歩く御触れと言わんばかりの雪緒の情報収集力は、底知れないものがある。兎にも角にも、彼女にかかれば宮中のあらゆる人間相関図からその日の朝食まですべて網羅されるのだ。宮中を走り回る女房を甘く見てはいけない。

蹲って頭を抱える依明を見下ろし、雪緒はそっと微笑んだ。

「大丈夫よ、いくら私とはいえ、弟の親友なら私の弟も同然。悪いようにはしないわ」

「ほ、本当ですか」

縋るような視線を向け、依明は雪緒を見つめた。

雪緒は、ゆっくりと目線を合わせ、手のひらで頬をなぞる。

怯える依明を前に、優しく微笑んだ。


「責任をもって東宮様にお伝えするから」


一瞬で血の気が引いた依明を横目に、朝利はいそいそと準備を始めていた。


✴︎


「何でこんなことに」

がらがらと牛車が進む音を響かせ、数十メートルにも及ぶ大行列が長谷へと向かっていた。

「まぁ仕方ないですね、諦めてください」

ぼやいたのは東宮様の牛車からかなり離れた位置で歩いている依明である。

「何処までも天は俺に味方しない…」

天、及び作者つまり私はそんな不憫枠依明が可愛くて仕方がないので許してほしいのだが、よく考えてみれば中将クラスの人間が東宮と並ぶはずもなかったので私の落ち度ではない。

「まぁまぁ、詣では牛車も止まります。その時にでもお話なされ」

何となく不機嫌そうに鼻を鳴らして拗ねている依明の更に前では、両大臣が沈痛な面持ちでひそひそと話し合っていた。

「左大臣殿…この詣、最後まで波乱が起こらず都に帰れると思われまするか」

「今は牛車で大人しくされておられるが、…普段以上のお目付をせねばなりませんな」

「「…………はぁ」」

両大臣とも、野分天皇の放浪癖が気が気でならないのである。宮中ならまだしも、外で放浪されてはたまったものではない。数十年来の関係という以上の意味合いを持った溜息のユニゾンを奏でていた。

「父上も大変そうですね」

「知るかよ……そんなことより、本当に可愛らしいお人だな…余程旅がお好きと見える」

風に運ばれてくる、道沿いの紅葉にはしゃぐ透子東宮の声だけが依明の耳に届いていた。

それぞれの複雑な思いを乗せて、旅路は終点へと向かっていくのであった。


*


紅や黄の葉を踊らせた木々の下に、牛車が止まった。

「おぉ、やはりここは何度来ても美しいものですね」

「……だな」

はしゃぎたいところを無理やりに堪えようとして漏れている朝利に比べ、道中3泊4日を、『透子様と同じ牛車の列で旅をしている』という事実だけで眠れずに過ごした依明は、いささかぐったりしているように見える。

しかし、それはそれとして。長谷寺があるのは吉野、つまり現在の奈良県であるが、ここは桜の名所として知られている。しかし平安当時は桜よりも紅葉の名所であったという。

秋晴れの青に、赤や黄色は良く目立つ。

「秋の重ねが映えますなぁ」

欠伸を噛み殺した依明は、一際大きな牛車からちらりと垣間見える透子を見つめている。

赤を基調とした重ねは真っ白な肌に少し血色を入れ、どこか艶やかな印象になる。黒く豊かな髪がそれらを覆い、たおやかさを際立たせた。

「こっちですよ」

ギリギリとほっぺたを引っ張りながら、朝利は透子に見惚れる依明を境内に向かわせた。

2人の背が遠退くと、ため息混じりに白藤が透子に言った。

「もう、…あんまりつれなくするのも可哀想やありませんか。せっかくあれほど想うてらしてるのに」

「それは…」

悪い人ではないことはわかってるのよ。でも…。

透子は後に続く言葉を思い付けないでいた。


*


境内の石畳みは、秋の柔らかな木漏れ日を受け止めている。傾斜の続く苔生した石造りの階段に、落ち葉や朽葉が彩りを添えていた。

美しい景観に、さくさく、と色を踏み鳴らす靴音が華を持たせている。

そんな風情あるこの境内に、場違いなまでに騒々しい足音と大声が響き渡った。

「待てこの、アサリ野郎がァァてめぇっ俺よりっさっさきに走り出したらっっ」

「戦略の差ですからね、鳥は鳥らしく囀っていればいいんですよっ………ハァ……」

「はっはー!さてはお前息を荒らげないように無理やり虚勢を張っているな!?逆に体力奪われるぞ!!」

「そっそんなわけないじゃないですか、本当にこの鳥は始末に負えなっい……っフゥ…」

神聖な境内の石階段で凄絶なデッドヒートを繰り広げる中将二人を、後方で冷めた目をして見つめるのは両大臣と白藤、そして透子東宮である。

「すみません、東宮様…うちのバカと左のところのバカがお見苦しいところを…」

「本当に申し訳ありません…うちのバカと右のところのバカが…」

代わる代わる頭を下げ合う両大臣を、白藤がまぁまぁ、と慰めた。

「まだ若いんやさかい、あれくらい元気な方がよろしおす」

「「本当にうちのバカがくだらないことで申し訳ない…!!」」

ひたすらペコペコしている両大臣を慰めたりとりなしたりしながら、白藤は透子のいる牛車を振り向いた。

「ほれ、東宮様も何か」

「…ええ、お二人のからm……仲の良さはいつもとうt…微笑ましく思っておりますので」

何やら煮え切らない態度で答えた東宮であったが、ともかく嫌がるような素振りもなく、両大臣は胸をなでおろし……たかったところで、左大臣が目を見開いて叫んだ。

「当今様!?!?」




一方その頃、同時に着いたのであろう朝利と依明が\俺が私が/と、賽銭箱の前で仲良く喧嘩していた。

「半歩俺が早かったね!!」

「いいえ?鳥目も大概にしてくださいな、まだ昼間ですよ」

「ァんだとてめぇコラ」

年甲斐もなく額を突き合わせて張り合う2人を止めたのは、烏帽子越しの拳骨だった。

「「い''っっ」」

涙目で上を見上げると、季節に似合う涼やかな表情をした野分天皇が覗き込んでいた。

「こんな場所で何をしているのですか。程々になさい、仏様が見ておられますから」

「「もっ、申し訳ございません!!」」

珍しくまともに所定の位置にいる野分天皇に驚くと同時に、天皇直々の拳骨という有難いお叱りを喰らった2人は飛び上がった。

「わかれば宜しいのです。…時に中将殿、おふたりは何か願を掛けたのですか?」

いえまだ、…と朝利が口を開いたその瞬間、場違いなまでに騒々しい足音と大声が……


…………デジャヴュである。

「ええぃ右の、もっと早く走れんのか!」

「何を仰る、おたくも寄る年波には勝てない様子ですがね!!」

「「当今様ぁああご散策の際は私めの付き添いをお願い致したはずですぞおおお」」

普段の言葉遣いはどこへやら、完全に素が出切ってしまっている。

最後の段から着地まで完璧に揃った動きを見せた両大臣の剣幕も意に介さず、野分天皇は飄々と参拝へ向かった。

深々と合掌している野分天皇の両隣に、左大臣と右大臣が監視という名の保護について、同じように手を合わせた。

「…淑子も、来られたら良かったのですが」

顔を上げた野分天皇が、ぽつりと呟いた。

いくら行事ごととはいえ、宮中を完全に空けることは出来ない。淑子皇后と諸司たちは詣での土産話を待っているのである。

「当今様は何を御祈願なされたのですか」

左大臣が尋ねる。

「口に出すと叶わぬ願いとなる、と耳にしたことがありますゆえ」

珍しく少しぶっきらぼうにくるりと踵を返した野分天皇だったが、大臣二人は綺麗に結い上げたうなじが真赤に染まっていた事を見逃さず、によによと微笑みながら後からついて降りていった。

「相変わらずのおしどり夫婦だな…父上らは何を祈ったのだろうなぁ」

さて俺たちも参ろう、と依明も前に進んで手を合わせた。

「そりゃあ…当今様のお忍びが落ち着く事ではないですかね」

言いながら、朝利も隣で合掌をする。

顔を上げると、横にいる依明は未だ頭を垂れ、何やらなむなむと必死で祈っている。

「…」

朝利は、もう一度頭を下げて合掌した。


(恋路を叶えてくだされとは申しませぬ。申しませぬが、せめて彼が…)


「…朝利?どうした」

祈りの途中で、素っ頓狂な声が頭上から降ってきた。渦中の依明である。

「ずいぶん長く合掌していたようだが、お前そんなに願いがあるのか。意外だな」

からかうような依明の視線に、朝利はキッと睨みつけて対抗する。

「そちらこそ、ずいぶんと顔を上げるのが遅かったようですね。どうせ透子様とお話ししたーいとか一目会いたーいとかでしょうけど、そんな事くらいご神仏の力をお借りせずとも出来ようものではありませんか」

ずいぶんと的を得たからかいに依明は百面相したのちに朝利を追い回した。


その様子を、少し前から境内に到着して見守っていた噂の透子東宮は、ほう、と溜息を漏らした。

「元気があってよろしゅうございますな」

白藤は呆れ半分可愛さ半分でひとりごちた。

透子を乗せた籠がえっさほいさと進んで、賽銭箱の前に降りる。

「透子様によき伴侶が見つかりますよう…」

代わる代わるの合掌は全て個性があまりに強すぎるが、白藤に至っては声が完全に漏れており、祈られてしまった透子は苦笑いながら籠の中で合掌した。


✳︎


「結局透子様とお話しすることはなかった…」

げんなりと気落ちして帰りの旅路を歩く依明を、朝利が肩を叩いて励ました。

「次がございます…通常は」

「通常は?!俺異常なの!?」

「まぁまぁ、もしかしたら御祈願に含まれたかもしれませんよ」

あまりにも悲壮感を煽る背中の後方には、心なしかうきうきと弾んだオーラの漂う野分天皇の籠、そしてさらに後方には、透子を乗せた籠があった。

「なんだかんだと楽しそうに過ごしておられて良かったですわ」

「えぇ、秋の風情も楽しめました」

依明殿に詣を誘われて以来、どうなることかと心を砕いていた白藤はどこかほっとした様子である。

「ところで、東宮は何を御祈願なさったのです」

白藤は、行きの旅路より少しばかり機嫌の良さそうな透子に訊ねてみた。

「…ええ、皆が仲良く過ごせるよう」

薄々思っていた通りの反応を返され、白藤はつまらなさそうに唇を尖らせた。

「ほんまに遊び心のないお人やから…」

「良いのです、仲良きことは美しき哉」


それぞれの想いを乗せて、一行は宮中に向かう。明日からは変わらない1日だ。

きっと明日も両大臣の天皇を呼ぶ怒声と、スタスタと走り去る天皇、そして細々と動き回って忙しくする白藤がそこにいる。

何より朝利と依明は、きっと明日も明後日も変わらない1日だろう。

透子は籠の中でもう一度、そっと願った。



(朝利中将と依明中将がいつまでも仲良くケンカップルでいられますよう、なにとぞ保護をお願い申し上げます…出来れば朝×鳥で…)



それぞれの想いを乗せて、陽は暮れて行くのであった。

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中将殿、当今さまがお呼びです! 宮島奈落 @Geschichte

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