食む音。

三文士

食む音。

食事は舌だけでなく目で見て楽しむものだとよく言われている。彩りある食材、盛り付け、食器など、そういった演出がより一層に味を引き立てるのだろう。


だがもう1つ。私は食事には大事な要素があると考えている。


それは「音」である。


物をむ時に鳴る音。それは元来、あまり行儀の良いものではないとされている。ムシャムシャ、ガツガツ、バリバリ、と音を立てて食事をするとよく目上の人から怒られたものだ。


祖父は江戸っ子だったが、一緒に蕎麦そばを食べに行くとよく怒られた。


「そんなみっともねえ音を鳴らして喰うもんじゃないよ」


祖父は強面こわもてで重みのあるもの言いをする人だったので、私はすっかり萎縮いしゅくしてしまっていた。蕎麦もパスタなどと同様に音を立てて食べてはいけない食べ物だったのかと思った。しかし驚いたことに祖父も音を立てて蕎麦をすすっているのではないか。子供の私には意味が解らなかった。何故祖父はよくて私は怒られたのだろうと。今思い返してみれば「仕草」と「音」が私のソレと大きく違ったのだろう。


私はグルグルぎこちない手つきで蕎麦をすくい、ビチャビチャにつゆをつけ、ズルズルズルと間延びした音を立てて食べていた。


祖父の方はと言えばスッと蕎麦を手繰たぐり上げチャッと先っぽだけをつゆにつけ、スルっとひと息にすする。


「グルグル、ビチャビチャ、ズルズルズル」



「スッ、チャッ、スルッ」


である。


こうして文字におこしてみても、その差は明らかだ。子供だから仕方ないと言えばそこまでだが、それをたしなめるのもまた大人の役割だと思ってのことだったのだろう。今となっては祖父に感謝している。とは言えまだまだ半人前の私が祖父の様に蕎麦を手繰れているかは解らない。しかし意識して食べることは大切なことだ。それは老舗の蕎麦屋でも、駅前の立ち食い蕎麦でも変わらない。


江戸前の蕎麦というのは、喉で味わい仕草でいただく。その時に生じる音が


「スッ、チャッ、スルッ」


なのだろう。


私は数少ない祖父との思い出をきっかけにして、食事の時に生じる数々の「食む音」について考えはじめた。




「野菜」


とにかく野菜は豊富に音がする。野菜は食卓に彩りだけでなく、様々な美味しい音をもたらしてくれる。


キャベツは春が一番甘い。順応性の高いキャベツだが、やっぱりぬか漬けにして食べるのが一番美味い。春キャベツに塩をふってぬか床に漬ける。この時塩をいつもより少し多めにふっておくと、漬かった時により甘みが引き立つ。暖かい日なら1日半かそこらでほどよく漬かる。軽く洗って小さく刻む。かつお節パラっとまぶし、箸でつまむ。口に入れると甘みと共にシャクシャクという気持ちの良い音が広がる。その音が心地よくて、何度もシャクシャクと大げさに音を鳴らしてしまう。


「シャクシャク、シャクシャク」


春の野菜の音。この音が美味い。気持ちの良い春の音色。



胡瓜きゅうりは夏が旬である。一年中食べれる様になったとは言え、やはり野菜には旬がある。汗をたくさんかいた後、喉の渇きと小腹を両方満たしてくれる。それが胡瓜。キンキンに冷えた水の中に泳がせれば、深緑がいかにも涼しそうである。そいつを一本取り出して、味噌をペロッと付けてかじりつく。ガリッといってボリボリ食べる。


「ペロッ、ガリッ、ポリポリ」


これが夏の野菜の音。愛らしい程の胡瓜の音。



冬の大根は忙しい。煮物に入ったりタクワンになったり。それでも大根はやっぱりおでんだろうなと思う。さまざまな具たちの美味しい出汁をふんだんに吸い込み、まるまる太ったプリプリの大根。魚のすり身ばかりいる土鍋の中で数少ない参列を許された野菜。それが大根なのだ。柔らかく煮込んでおけば箸で容易く食べ良い大きさに切ることができる。切れ目を入れれば、ジュワッと出汁だしにじみでてくる。あつあつの大根を頬ばればホフッホフッホフッと思わず口が歌いだす。


「プリプリ、ジュワッ、ホフッホフッホフッ」


これが冬の音。おでんで踊る大根の音。




「肉・魚」



食卓の主役たちはどんな音がするんだろう。思わず耳をそばだててみて、彼らの声を聴いてみた。



魚と言えば様々だが、やっぱり秋の空の下、秋刀魚さんまを焼く音がたまらない。パチパチとおこった七輪の上に、ゴロッと脂ののった秋刀魚をいっぴき。安くて美味い。庶民派の魚。江戸の昔。肉体労働をしていた男たちは、秋刀魚のみりん干しをかじって頑張っていたらしいが、現代はもっぱら塩焼きが主流。鬼おろしにした大根をそえて、しょう油をひと垂らし。もうもうと立ち込める煙の中で、ヂュウヂュウプスプスと音がする。飯に良し、酒に良し。何はなくとも、秋は秋刀魚があれば良い。


「パチパチ、ヂュウヂュウ、プスプスプス」


秋深し。「目黒のさんま」じゃないけれど秋刀魚はやっぱり、脂がなくちゃ。




ときたま何だか無性に肉が食べたくなる時がある。きっと、身体が「おい!今は頑張らなきゃいけない時だぞ!力をつける時だぞ!」と言っているのかもしれない。そういう時は迷わず焼き肉へ行く。


焼き肉へ行く時のベストな人数は2人だと考える。他人のペースになり過ぎず。かと言って自分本意になり過ぎず。程よく緊張感のある焼き肉がやっぱり美味しいと私は思う。大人数だと好きな肉が知らぬ間に消えてしまうことがあったりするし、逆に1人だと「あっ、ホラ焼けてるよ」というのがない。これではフライパンで炒めてるのと変わらない。


炭火が良いとは決めつけない。昔ながらにガスで焼いたって、肉が良ければそれなりに美味い。


熱々の網の上にタレの染み込んだ肉を乗せるとジュ〜っと音がする。せっかちにひっくり返しては、いつも家人に怒られてしまう。カルビも美味いが、ロースやハラミも劣らず美味い。肉はムチミチと鳴って口の中に溶けていく。焼いている最中は無限に食べれるんじゃないかってくらい夢中になって食べる。中ジョッキを傾けるのも良いが、私はやっぱり白米である。どんぶり飯の上にバウンドさせて思い切りかっ込む。ザシュッザシュっと威勢の良い音。いつもの米の飯とは違う、焼き肉の時の飯の音。ひとしきり脂で口が疲れたら、ナムルやキムチを頬張る。そしてまた、ムチミチと肉にかえってゆく。


「ジュ〜、ムチミチ、ザシュッザシュ」


焼き肉の音は、やっぱりなんだか威勢がいい。





「麺」



古今東西どこにでもあって、昔からら親しまれているものと言えば麺だ。ところ変われば食材も変わり、味も大きく異なる。だが麺は麺。いつだって変わらない親しみある形状なりをしている。



素麺そうめんは麺類の中でも比較的おしとやかで、どことなく上品な麺だ。素麺は夏に食べるものと相場が決まっている。暖かい素麺もあるにはあるが、やはり素麺は冷たくして夏に食べるに限る。リンリンと風鈴が鳴る縁側で、ざくざくに切ったネギと生姜。それをパラっとツユに入れ、上品にすする。チルチルチュルっと可愛い音。キンキンに冷やした水の中で泳ぐ素麺は、美しくはかなげである。


「リンリン、パラッ、チルチルチュル」


風鈴の音まで含めて、素麺なのだ。ひと口啜れば涼風かぜが吹く。あゝ涼しい。




うどんは温かいイメージだ。もちもちしてて、白くて柔らかい。イメージ全体が何故か優しくて温かい。ざるうどんというのもあるのだが、なんだかいまいち気乗りしない。冷たいのは蕎麦に任せておいて、うどんは存分に温かい汁に浸って欲しい。


江戸時代。東の人間たちはうどんを好んではいなかった。その理由は味ではない。見た目とかイメージとか。そういったものが先行して、粋な食べ物とは認められなかった。うどんを真似して細く切った「そば切り」の方が、江戸ッ子たちの心を掴んだ。一方不遇なうどんと言えば、ついに病人の食う物だなどと決め付けられた。確かにうどんは消化に良い。おまけにとっても温まる。もしかすると、結構的を得ていた意見なのかもしれない。


風邪っぴきの夜。せんべい布団にあぐらをかいて、どてらを着込む。目の前には熱々の鍋焼きうどん。甘じょっぱいお出汁と、ホロホロの天ぷら。カマボコ、椎茸。ほうれん草にネギ。そして真打ち、シミシミのうどん。コイツを一気にズルズルズルっとハフハフハフ。眼鏡が曇ってため息が出る。蕎麦とは違って気取らない。なんせこっちは病人食。しこたまズズッとすするだけ。


「シミシミ、ズルズル、ハッフハフ」


冬の音。うどんの音。元気の出る優しい音。



ラーメンは季節を選ばない。春夏秋冬いつでも美味い。ラーメンは場所を選ばない。時場所変われどラーメンはラーメンだ。ラーメンは時間を選ばない。朝ラー、昼飯ラーメン、夜ラーメン。だが何といってもひときわ蠱惑こわく的なラーメンは深夜のそれに他ならない。飲んだあとの〆のラーメンだろうが、真夜中のリビングで作るラーメンだろうがその美味さは比類ない。味うんぬんというより、深夜に食べるという背徳感がその美味さを引き立てているのだろう。


例えば外で。深夜営業のラーメン屋の暖簾をくぐりカウンターに一人腰掛ける。メニューを一瞥するが心は決まっている。


「ラーメンください」


「あいよ。ラーメン一丁ね」


例えば内で。早くに済ませた夕飯とさっき読んだマンガが仇となり、見事に腹が減ってしまった。確か袋麺が一つ残っていたはず。戸棚を漁ると思惑通り。救世主、醤油ラーメンひと袋見つけたり。


外でも内でも、出てくるラーメンに大差はない。小麦でできたモチモチの麺。油の膜が浮かぶ醤油色したホカホカのスープ。具があったってなくったって、お目当ては所詮、麺とスープなのだ。ちぢれた麺にスープを絡め、ひと思いに啜り上げる。火傷したって構わない。うどんや蕎麦や素麺。ましてやパスタなんかより、よっぽど下品に思い切りよくズズズッ!ズズズッ!とやる。ラーメンはそうじゃなきゃいけない。私はそう考える。


「ズズズッ!ズズズッ!」


これがラーメンの音。生活の身近にある、ごく当たり前の音。




こうして書き出してみればそのものから聞こえる音意外にも、雰囲気というか空気感というか実際に鳴っていなくても聞こえてくる食の音がある。確かにそこに存在する。


もしもこの食む音がなかったら、きっと美味さも半減してしまうに違いない。音も含めて食事は美味いのだ。それぞれにあった然るべき音を、私たちは存分に鳴らすべきだ。


今日も今日とて、音が美味い。






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