パート4


「結局のところバイエルン指揮者はあんたに甘すぎる」

 昼下がりになってようやく起き出したレベッカとミレアは、寮の部屋で向き合っていた。間のテーブルには、朝食兼昼食のスコーンやジャムといった二人の常備食が用意されていた。

 休日の朝、寝間着姿のままで友人とおしゃべりをする。なんとも贅沢な時間だ。

「そ、そんなことないと思う……よ?」

「へえ。私、昨夜はあんた達見てて胸やけがしてきたけど」

「えっなんで?」

 きょとんとしたミレアに、レベッカがものすごく長い溜め息を吐いた。

「……一応、聞くけど。何言われてああなったの」

「男の人にエスコートされる練習って」

 恋人でもない限り、同じ男性と複数回ダンスを踊ってはいけない。恋人でも四回以上はマナー違反。未婚の令嬢が積極的に男の人に話しかけていくのは眉をひそめられるのでひかえること。どうしても話してみたい初対面の人がいる場合は、知り合いに紹介してもらうのがいい。

 約束通り、アルベルトはミレアがびっくりして逃げ出すような真似はせず、優しく教えてくれた。とても紳士で丁寧で、久し振りに安心したせいか、まだ余韻を引きずってでれっとしてしまう。

「アルベルト、顔が広いから音楽関係の人とたくさん話せて楽しかった」

「いやあれ、明らかにまだ婚約はしてないんですがいずれみたいな挨拶回りだったけど」

「へ!?」

「そもそも公爵令息にあれだけ完璧にエスコートされた令嬢が、その後の社交界でその人と何もありませんって通じると思うの?」

「で、でもアルベルト、最初のダンスはレベッカの友達と踊ったから」

 最初のダンスを踊る相手は、恋人か本命だというのはミレアも知っていた。それを拒んだのだから、安全なのではないか。

 うろたえるミレアを、レベッカが冷めた目で見る。

「そのあと、ミレアにべったりでミレアとしか踊らなくて、それ通じると思うの」

「……」

「しかもあの子、婚約者いるからね。バイエルン指揮者と踊ったのは完全にファンだから、結婚前の思い出にって婚約者も了解済みだから」

 だとしたら、アルベルトとあのご令嬢のダンスは、素敵な思い出作りなのだと周囲は分かっていたことになる。

「……ま、まさか私、また騙された!?」

「バイエルン指揮者に冷める話はどうなったのよ。逆に熱上げてたでしょ、あんたはもう」

「だってアルベルトかっこよくて! 優しいし!」

 本当に昨夜は優しかったのだ。ちょっとでもミレアが不慣れな様子を見せるとすぐフォローしてくれて、苦手意識しかなかった社交への不安が随分減った。

「ア、アルベルトがいたら、社交界も悪くないかなって思うくらい、楽しかったし」

「それ完全に『僕となら安全』『公爵夫人は怖くない』への道でしょ。罠だよ」

「罠だったの!?」

 危ない、はまるところだった。神妙な顔で、ミレアはぬるめのココアをテーブルに置く。

「こ、今度から気をつける……!」

「無駄だと思う」

「そんなことないから! なによ、レベッカだって昨日はフェリクス様とべったりして、婚約詐欺とか言ってたくせに!」

「そ、それは婚約詐欺だって思われるのは不本意だからちゃんとするって……ちゃんとするって何! しなくていい! 今まで散々無責任だったくせに! 放置して欲しい!」

「フェリクス様、しつこい人だと思うよ? ヴィブラートとかたまにすごいねちっこくてうわあって思う」

「そんなバイオリン性格診断いらないから! そんなこと言うならバイエルン指揮者だって策士でしょ、あの指揮は! 絶対にあんた逃げられないから、罠とも分からず昨日どれだけ見惚れてたのよ」

「だって大丈夫だからって……っやめようレベッカ! この争い!」

 不毛だ。タイミング良く、ノックが響いて会話が中断した。

 中腰になったレベッカを制して向かうと、郵便の配達だった。二通ともミレア宛だ。やたら分厚い封書をまずひっくり返し、ミレアはまばたく。

(パガーニ国際バイオリンコンクールの、申込要項……)

 ぎりぎり間に合うと知って急いで手配したものだ。と同時に、天啓を受けた。

「これ! これよレベッカ! 私、これに出るから!」

「何? ああ、コンクール……」

「これ、パガーニの故郷で開催されるんだ。長かったら一ヶ月以上、宮廷楽団から離れられる!」

 しかも宮廷楽団の団員だから、コンクールに出る支援も受けられる。

 アルベルトから逃げられて、かつ、一流のバイオリニストを目指す、名案だ。

 なのにレベッカは眉間に皺をよせる。

「根本的解決になってなくない?」

「そんなことないよ! 多分!!」

「多分って力一杯言われても。それで、もう一つのは何?」

「……あ、お母さまからだ」

 養父がちゃんと帰宅した報せだろうか。それとも、弟か妹が生まれたのだろうか。

 わくわくしながらペーパーナイフで封筒を切り、中を開く。

 そして、絶叫した。


『――バイエルン公爵家のご子息からあなたに、正式に縁談の申込がありました』


 手加減なしのアルベルトの攻撃が本格的に始まるのはここからだと、ミレアはまだ知らない。




END



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ドイツェン宮廷楽団譜 恋の地雷は罠のワルツ/永瀬さらさ 角川ビーンズ文庫 @beans

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