パート3


 開けっ放しのテラスから外に出て、芝生の上をざくざくと歩く。いつもの調子で足元を気にしなかったせいで、途中で木の根につまずいて見事にすっ転んだ。

「……」

 柔らかい芝生のおかげで痛みも怪我もない。だが上半身を起こしたミレアは、そのまま膝を抱え込んだ。

 ドレスが汚れてしまうと思ったけれど、そんなの今更だ。舞踏会の喧噪もワルツも遠くでしか聞こえない。

「……べつに、悔しくなんかないもん」

 誰に聞かせるわけでもない、独り言が続く。

「私が踊らないって言ったんだし、やきもちなんかやいてない。アルベルトなんかリード失敗して、がっかりされちゃえばいいのに」

 でもあの女の子は優しそうだったから、アルベルトに幻滅したりしないかもしれない。

 他の綺麗な令嬢も、たくさんアルベルトを見ていた。ダンスの相手にアルベルトは困ったりしないのだろう。

「好きなのやめるって、決めたもん……」

 そんな贅沢を言っている間に、アルベルトは他の女の子に目移りするのかもしれない。ミレア以外の女の子の手を引いて行ってしまうのかもしれない。

 紳士的にではなく、ミレアを見る時のあの熱っぽい瞳で。

 ――そんな当たり前のことに、初めて気づいた。

「う……えっ……ふえぇぇん……!」

 たちまち緩い涙腺が決壊して、嗚咽が零れた。

「――っい、っちゃやだよぉ……っアルベルトのばか、なんで踊るの……!」

 他の女の子と踊るなんて最低だ。紹介したのは自分だけれど、そんなこと関係ない。

 子供っぽくてワガママで甘えたなことくらい、アルベルトは百も承知しいてるはずだ。だって今まで散々子ども扱いして、相手にしてくれなかったのだから。

「お、怒ってる、んだから、悲しいんじゃないから! ばか、ばか、ばか!」

 ぼろぼろ大粒の涙をこぼしながら、支離滅裂にわめく。

「こ、こんどは絶対、アルベルトの指揮無視して、ひどい曲弾いてやる! 聞いたら気分が悪くなるやつ……っわざと下手に弾いて、めちゃめちゃに」

「そんな無駄なことにバイオリンを使うんじゃない」

 呆れた声に背後から諭されて、びくっと背筋が伸びた。

 誰がきたかなんて、振り返らなくても分かる。

「返り討ちにしようとは思ってたけど、こうも泣かれると僕が悪かったみたいじゃないか」

「……」

「それで? 僕に冷めたか?」

 どうやらアルベルトはミレアの目論見を知っていたらしい。だったらきっとどうして泣いているのかもアルベルトは分かっているのだろう。ぎゅっと唇を引き結ぶ。

(私は、わかんなかったのに)

 アルベルトが他の女の子と踊るだけで、こんな風になるなんて。

 しゃくり上げると、溜め息が聞こえた。

「……泣かなくていい」

「……」

「ほら、会場に戻るぞ。そんなところに座り込んでたら、せっかくのドレスが汚れるだろう」

「……だって、こけちゃって」

 唇をとがらせてそう申告すると、案の定顔色を変えたアルベルトが急いで、回りこんできて、ミレアの前に膝を突いた。

「手は?」

「……痛い」

「みせてみろ」

 強引に、けれど丁寧に、右手と左手をそれぞれつかまれた。月と星の明かりだけがたよりの中で、アルベルトが目を凝らしている。

「傷も腫れもないみたいだが……どこが痛い?」

「……ぜんぶ」

「ミレア。今は真面目に聞いてるんだ」

「だって全部、痛い……っアルベルトが、悪いから」

 一度引っこんだ涙がまた溢れ出した。うええ、と情けない声を上げて泣き始めたミレアにアルベルトが目を丸くしたあと、優しく笑う。

 さっき他の令嬢を連れて行った手が、ミレアの肩を引き寄せた。今度は拒めない。でも、つかまってしまうわけにはいかないから。

「い、痛いから、だから」

「……ああ、なるほどね。じゃあ、怪我をして立てないんだな? つかまれ」

 甘やかされていることは分かったが、こくこく頷いてアルベルトの首に両腕を回す。小さく笑う声が聞こえたので、もう一度主張した。

「け、怪我人、なんだから」

「そうだな」

「キ、キスしようとしたりつきあえってせまったり、変なことしちゃだめ」

「分かった分かった」

 そう言ってアルベルトはミレアを横向きに抱き上げた。耳元近くを唇がかすめる。

「今夜は手加減する」

 真っ赤になってミレアは耳を塞いだが、怒ったら多分、藪蛇だ。

「怪我をしてたら、ステップを間違えて足を踏みかねないな」

 テラスでミレアをそっとおろしたアルベルトが、むくれたミレアの頬を優しくなでる。

「だから今夜、君が踊るのは僕だけだ。僕ももう、君としか踊らない。それでいいだろう?」

 何も言い返せないなんて悔しい。けれど小さく頷くと、アルベルトが優しく、紳士的に手を引いてくれた。


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