パート2


 天井から吊るされた銀のシャンデリアに、三拍子のワルツ、花のように咲く淑女のドレス。いつもならバイオリンを持って演奏する側だが今日は違う。

 社交界も行儀作法も苦手なミレアだが、きらびやかなダンスホールに憧れがないわけではない。

(お父さまが社交デビューの練習にいいって言ってたけど、すごい)

 ここは夜会ではない。だが、宮廷楽団が主催するだけあって、王家主催のちょっとした舞踏会だと言っても通りそうだ。

 実際、取り仕切っているのは宮廷楽団の理事を務めるバイエルン公爵家である。

「どうしよう、緊張してきた……変じゃないよね?」

 そわりと自分の格好を確認してみる。

 さわやかなレモン色のサテン生地を使ったドレスは、胸元や袖に小花のレースがあしらわれていたり小さなダイヤがちりばめられていたり、この場でも見劣りはしないと思う。そもそも養母のキャサリンが用意してくれたものなので間違いはないだろう。シェルツ伯爵領に戻る前に養父のダニエルもいろいろ手配してくれて、派遣されてきたメイドに髪を結い上げられたり化粧を施されたり、伯爵令嬢らしくしてもらえたはずだ。

 それでも慣れた様子でエスコートされ微笑んでいるご令嬢や、グラス片手に談笑している貴公子の姿を見ていると、場違いみたいでそわそわしてしまう。

 そもそも一人でどうしていいか分からない。ダニエルが心配して、滞在期間を延ばしエスコートしようかと言ってくれたのだから、大丈夫なんて言わずに甘えればよかった。

(レ、レベッカはフェリクス様にエスコートされていっちゃったし……バイオリン持って来ればよかった!)

「シェルツ伯爵家のご令嬢ですか?」

「は、はひっ!?」

 声がひっくり返ってばっと口を塞いだ。小さく笑いをかみ殺す声に、恐る恐る振り向く。

「驚かせてしまったようで失礼。楽しんでらっしゃいますか」

「……アルベルト……」

 意地の悪い笑みを浮かべたアルベルトに安堵したせいで、逆にむっとした。

「なに、その話し方。からかって――うひゃっ」

 イヤリングをもてあそぶみたいに指で耳朶をなでられ、変な悲鳴が出た。なのにアルベルトは何食わぬ顔で、そのまま指を頬に、首筋に滑らせる。

「あなたのような可憐なご令嬢を壁の花にするなんて、意気地のない男のすることだ」

「な、な、なに言って……っちか、近い!」

「どうか僕と一曲、踊っていただけませんか」

 一歩引いたところで手を取られて、オーガンジーの手袋越しに口づけられた。いたずらっぽく笑っている目から完全に遊んでいると分かる。

 分かっているが完璧な貴公子の正装と仕草で踊りを申し込まれては、怒るより逃げた方が得策だ。

 アルベルトにおつきあいを申し込まれて半月、逃亡も戦略だと学んだミレアは、急いで手を取り返す。

「お、踊らないから!」

「どうして?」

「だ、だって今日は」

「ミレア!」

 天の助けだ。ダンスホールの真ん中でフェリクスと踊り終えたレベッカが、見知らぬ令嬢を連れてこちらにやってくる。

 少し距離をあけたところで、フェリクスが妙に楽しそうなのが気になるが、この際気にしない。

「この子だよ。紹介するって言ったでしょ。私の知り合い」

「初めまして、ミレア・シェルツ様」

 ミレアに完璧な淑女の礼を見せてくれたのは、花のように可憐な少女だった。

「いつも定期演奏会で演奏を拝聴しております。お会いできて嬉しいです」

「あ、ありがとう、ございます」

「ミレア」

 レベッカに小突かれ、今日の使命を思い出す。そう、この子をアルベルトに紹介するのだ。

「アルベルト! えっとね、レベッカの知り合いで、アルベルトのファンなんだって!」

 張り切ったミレアは、アルベルトの表情を見逃すまいとじっと見上げる。

 だが返ってきたのは、完璧なまでの余所行きの笑顔だった。

「初めまして、お嬢さん。ファンだなんて言っていただけて光栄です」

 いやらしさも何もない、貴公子のお手本のような動作だ。鼻の下なんてのばしていない。

 あれっとミレアはまばたいた。

「い、いえっ。わ、私の方こそ、図々しくすみません。レベッカと同じ男爵家の出ですから、こういう場所でもないと、アルベルト様は遠くから見るだけの人ですし、お話できるだけで夢みたいで」

「今日は音楽を楽しむ同士の会です。どうぞ遠慮なく楽しんでいってください」

 アルベルトから微笑みかけられると思っていなかったのか、相手の方が真っ赤になり、うつむいてしまう。でも懸命に話を続けようとする様子が、とても可愛かった。

「で、でしたら……差し出がましいとは思うのですけれど、わ、私と踊っていただけませんか……?」

「僕とですか?」

 こくりと頷く令嬢の緊張がうつったのか、ミレアまで心臓がばくばくしてきた。

 だがそれは令嬢のものと同じではないと気づいたのは、アルベルトがその令嬢の手を取った瞬間だ。

「僕でよければ、よろこんで」

 鼻の下をのばすアルベルトを見たら少しは嫌いになると思った。

 けれどミレアの胸一杯に広がったのはそんなものではない。

 礼儀正しくアルベルトが令嬢をダンスホールへと誘う。

 傷つくなんておかしい。その場所を拒んだのも、別の人を連れて行くことを望んだのも、他ならぬミレア自身なのだから。


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