その3 残留思念とサイコメトリー、地縛霊

 「サイコメトラーEIJI」という漫画を読んだことがあるのは、だいたい30代以上くらいでしょうか。


 モノに残る「記憶」を読みとる超能力「サイコメトリー」を持った不良少年が、美人刑事を協力して様々な事件を解決していく、少年マガジン連載の人気漫画でした。


 この当時、いわゆるミステリ、サスペンスものには、いわゆる火曜サスペンス的な「仕方なく人を殺す人間ドラマ」ではなく、「自身の快楽のため、理解できない行動原理で人を追い詰める」という、人間の心理に迫った内容のものが流行りでもありました。これは「24人のビリー・ミリガン」などの犯罪心理学系の書籍がヒットしたのも背景であったように思います。


 そうしたサスペンスの方向性と、「サイコメトリー」というギミックは非常に相性が良く、この漫画はヒット。実写ドラマにまでなります。


 * * *


 個人的に、この漫画で白眉であったところは、「サイコメトリー」という能力を題材として取り上げたことだったと思います。


 それまで、漫画や映画などで取り上げられる「超能力」と言えば、テレパス、サイコキネシス、テレポーテーションといった、いかにも漫画的でファンタジックなものがほとんどでした。


 しかし、「物質の記憶を読みとる」という物理法則を無視しない範囲の超能力・サイコメトリーは、その物語的な枷と共に「もしかしたらあり得るかも」という感覚を読者に持たせ、物語にリアリティを出すことに成功しています。また当時の「チーマー」と呼ばれるような不良少年たちのカルチャーを積極的に取り上げていたことも相まって、超能力モノでありながら現実と地続き感のある作劇に成功していた、と言えるかと思います。


 この漫画のヒット以降、漫画や映画などで登場する超能力にサイコメトリーが取り上げられることが増えました。


 「特捜戦隊デカレンジャー」のデカイエロー・ジャスミンもこの能力を持っていますし、もっと派手な超能力モノである「絶対可憐チルドレン」でも、主人公側の主要キャラクターの能力として登場しています。


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 この「サイコメトリー」という概念。


 超能力としては歴史が古く、19世紀から研究されていたりします。


 サイコメトリーの発見者として知られるのは、アメリカの医学研究所で医学を教えていたジョセフ・ローズ・ブキャナン(後の世には「心霊研究科」として知られていますが、この当時は科学とオカルトの境界はまだ朧でした)。


 それ以前からこのような「能力」を示す人物というのはいたようで、腹の上に本を置いてその文字を読む女性や、指先で味を感じたり、耳や鼻で物を見る人物などの記述が残っています。


 ブキャナンが実験を行った中に、チャールズ・インマンという男がいました。


 彼は頭に触れることで相手の感情に同調したり、手紙に触れることでその手紙に込められた感情、手紙を書いた人物の背景や特徴なども正確に読みとった、と言います。


 ブキャナンはこれらの現象を、「特殊な薬品に光を当てると、その光が焼きついて写真が出来るように、人間の放出する『神経オーラ』が物品に焼きついているのではないか」と推論します。それを読みとるのが「サイコメトリー」だと言うわけです。


 写真が発明されたばかりの時代、蓄音機も発明される直前のころに、こうした「焼きつきによる記録」という理論が提唱されたことは注目に値します。



 ともかくこの理論は、その後の心霊研究に大きな影響を与えました。


 「テレパシー」という言葉が発明されたのは1883年のことだそうで、超能力としてはサイコメトリーの方が古参なわけです。


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 このサイコメトリーの実験はその後、遺跡の石からローマ帝政期の光景を読みとったり、木星の地表まで意思を飛ばすようなところまで発展します。


 それはまるで、自身が実際に見てきたかのような「ビジョン」を目にするのだと言います。この辺り、映画や映像録画の技術が生まれるより前に、こういう言及が成されたのも面白いところです。


 そうして読みとったことのいくつかは、その後の科学の発展によって否定されますが、その一方でこうした能力で犯罪事件を解決に導くような事例も報告され、「神経オーラ」の存在はともかくとして、「サイコメトリー」と「物質に焼きつく思念」という概念そのものは、現代に至るまで「未だ解明されないがあるかもしれないもの」として興味と研究の対象となっています。


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 さて、その後100年ほど時代が降り、1970年ごろ。


 二度の世界大戦を経て、豊かになってきた時代です。メディアの発達により、それまではいわゆる「怪談話」として物語的に消費されてきた「幽霊」という存在が、「身近な噂話」としてバラエティ的な話題にのぼるようになり、この時期、日本では第一次心霊ブームと呼ばれる現象が起きます。


 この心霊ブームの第一人者であったのが、世界各地で幽霊やUFO、UMA、超能力などを取材し、紹介したドキュメンタリー作家の中岡俊哉。「地縛霊」という言葉も中岡の造語のようです。


 一方、アメリカでは少し前、1961年に「特定の場所で、まるでビデオテープで再現したかのように、特定の人物にまつわる怪音や怪異な現象が繰り返し繰り返し起きる」心霊現象・residual hauntingという言葉が登場します。



 とはいえ、江戸の昔から「柳の下の幽霊」や、「井戸から現れて皿を数える幽霊」、さらには「持ち主の怨念がこもった妖刀」などといったものは伝えられてきたわけで、それに心霊現象という分類上、名前をつけただけのものでしょう。


 ここに、19世紀に研究された、先の「サイコメトリー」と「思念の焼きつき」という概念を引っ張ってくると、なんと説明が出来てしまうのです。


 すなわち、その場所に焼きついた「神経オーラ」の記憶に同調し、「映像が再生されるように」その現象を見るのである、ということ。


 地縛霊どころか、呪いの人形や、持ち主を死に追いやる魔の宝石といったものでさえ、「物質の記憶」だと考えると整理できるのかもしれません。


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 で、結局残留思念ってものは存在するんでしょうか?


 このエッセイのその1・「銀とファブリーズが魔除け・除霊にとても有効な話。」でも少し引き合いに出しましたが、幽霊の正体は「匂い」であるという可能性に言及しなくてはなりません。


 例えば事故の現場にしみついた、わずかな血の匂いや、いわゆる死臭といったもの――


「そういえばここ、幽霊が出るって噂があったなぁ」



 脳で考えたそういう情報が、そうした匂いをきっかけとして「リアルなもの」として認識される。実際に目で見たのがただの岩だったとしても、そこに「匂い」が伴えば実感がまるで変わってきます。ましてや、「幽霊」という認識は子どものころからメディアを通じて共有している現代人のことです。心霊現象においてメディアが果たす役割は無視できません。


 それに、匂いというのは非常に潜在意識に結びつきやすく、記憶を刺激しやすいようです。


 子どものころに嗅いだ公園の土の匂いや、恋人の体臭といったものが脳を刺激し、身体が反応するというのはよくあること。


 匂いだけでなくとも、例えばわずかに変色した地面、誰かが話す声、他と比べてなんとなく手入れがされていない場所、その他、認識できないわずかな差異――これら「その場所・モノに起こったこと」の「結果」として顕現しているわずかな情報を、脳が逆コンパイルすることでそこに幻覚を見せる――それが幽霊や残留思念の正体なのではないか、と個人的には考えています。



 そう考えると、幽霊やサイコメトラーの能力よりも、微細な情報を潜在意識レベルで認識し、自動的に処理している人間の脳がスゲェ、ということなのかもしれません。

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心霊・オカルトを真面目に考察する話。 輝井永澄 @terry10x12th

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