最終話 全てが終わった後に

「ほらほら、早くしなさいよ!」

威勢のいい声がする。朝早くから、はつらつとした女の子の声が家の中に響いた。

「ちょっと待てよ・・・、そう急かすな。つーか、何でわざわざウチにまで来てんだよ?」

突然、何の連絡もなく家に現れた渚に、楓はやれやれと呆れたように言葉を贈る。それでも、渚は別に構わないだろう、と言った調子を崩さない。

「だってアンタ、アタシが放っておいたらいつもみたいな色気のない格好で来そうだったから」

「おいおい、いくらウチでも流石にそこくらいはわきまえるぞ?」

「ホントかい?まぁ、ウチぐらいはいいか・・・、みたいに思ってたんじゃないの?」

う・・・、と楓は図星をつかれたように、ちょっと困った顔を見せた。成人式の日も、女の子みんなが憧れるであろう振袖を、金の無駄遣いだといて一蹴し一笑していた楓だったので、少しくらいはその気持ちもあった。

「・・・だって、似合わないだろ、ウチみたいなのに、こんなお洒落な格好・・・」

「そんなことないから。ほら、もっと自信持ちなさい」

アタシも手伝ってあげるからさ、そう言って、渚は楓の髪を結う。いつもはショートカットの楓だったが、今日という日くらい、少しは雰囲気を変えてみたら?という周りの意見にそそのかされて、ここ何日かは髪を切らずに伸ばしていた。とはいっても、セミロング程で、あんまり結んだりできないだろ、と楓は受け身のままつぶやく。

「そうでもないさね。ほら、ちょっと結んで髪飾りつけるだけで、こんなに雰囲気変わるんだから」

「・・・」

楓は自分の姿をじっと鏡でみて、多少照れながらも、今日だけだからな、と意地を張って少し大きめな声で言った。はいはい、と渚も笑いながら返す。


「てか、式は何時からだっけか」

「そんな大事なこと忘れなさんなよ・・・。11時よ、11時ジャスト」

「11時って・・・、後2時間もあるじゃねぇか。んだよ、早すぎるんだよ、準備が・・・」

はぁ、と楓は溜息をついた。てっきりもう時間がないと思ってたぜ、とこぼすと、そう、もう時間はないよ、渚は同調した。

「式自体はまだ先だけどさ、アタシたちは先に会場に向かうってなってたでしょうが」

「・・・そうだっけか?」

もう、と今度は渚が息を吐く。アンタ、ホントに今日の式、出席するつもりだったんでしょうね?と、渚が疑いの目を向けた。

「冗談だよ、冗談。きちんと覚えてるよ」

「そう?ならいいけどさ」

それじゃあ、行こうか。渚が楓を誘う。おめかしも終わって、忘れ物がないか確認し、二人は家を出た。


「さ、乗った乗った」

渚は楓の家の前に止めていた車に楓を促す。言われるがまま、楓は助手席に座る。

「シートベルト忘れなさんなよ?」

「分かってるよ、馬鹿にしてんじゃねぇ」

シートベルトを締め、渚は車を出した。右ハンドルの一般的な乗用車だった。

「しっかしなぁ・・・」

風景が流れる中、楓はおもむろに声を開く。

「あの二人が結婚ねぇ・・・。何か、順風満帆というか、すんなり行ってるというか」

「ホントにね。大学から付き合って、そのままゴールインだもんね。しっかりしてるよ、二人とも」

「にしても早すぎねぇか?普通はもう少し様子を見るもんなんじゃ・・・」

「うん、何だい?妬いてんのかい、アンタ」

「そういうわけじゃねぇけどよ、ほら良く言うじゃねェか、熱しやすく冷めやすいって。すぐに別れるなんてことにならなきゃいいが」

「大丈夫よ、旦那の方はともかく、あの嫁はそういうところ、しっかりしてんだろ?」

「・・・ま、そいつもそうか」

彼女がどういった人間であるか、二人は良く知っていた。それを思い返すと、変に納得してしまう。


 同級生の結婚を喜べるうちは、まだまだアタシたちも若いってことよね。渚は純粋に、二人が結婚することを喜んでいるようだった。その言葉には、年を重ね行くにつれ生まれる焦燥感は微塵も感じられない。そりゃそうだろ、と楓は返す。ウチたちはまだ華の二十代だ、と付け加えた。結婚という、女子ならば源泉の尽きることのない話をしていると、その車は式の会場に到着した。

「へぇ、立派だねぇ、こりゃ」

荘厳な神社の境内を眺め、渚が口を開く。新郎新婦が結婚式場として選んだのは、地元でも由緒正しく伝統深い神社だった。車から降り、二人が本堂へと向かっていると、奥からたたたと、小走りで一人の女性がやってくる。

「渚さん、楓さん!いらしてくれたんですね!」


 いや、そりゃ来るに決まってるでしょ、と渚が言い終わる前に、彼女はわー、と目を輝かせながら楓を見る。

「楓さん、すごく綺麗です!」

「・・・や、止めろ、ばか・・・」

綺麗、だなんて面と向かって言われたものだから、いくら同性とはいえ楓は顔を真っ赤にさせてそっぽを向いた。ほらほら、もっと見せてやんなって、と、渚も楓を援護せずに半ば楽しそうにからかう。

「渚さんももちろん素敵ですけれど、いつもとは違うギャップがあって、楓さんもとてもかわいいです!」

渚への感想も忘れずに、彼女は楓をさらに褒めた。

「かわいい、とか言うな・・・」


 お、何だ?楓が照れている中、遠くから声がする。一人の男がたくましい顔つきで向かってくる。

「おや?アンタ、こころなしか、随分と凛々しい顔をしてるじゃない」

「まぁ、亭主になる、ってことだからな」

「見てくださいよ、健二さん!とっても可愛いんですよ、二人とも!」

彼女は二人を紹介する。健二も綺麗なもんだ、と歯に衣着せず言った。

「いい加減にしろ、琴音・・・。小っ恥ずかしいったらねぇんだから・・・」

楓は変わらず赤面していた。


「ていうか、あの二人は?いっしょに来なかったのか?」

健二が尋ねると、だってあの子、いっつも時間かかるから・・・、と渚が答える。

「今、真紀に迎えに行ってもらってる」

なるほどね、と健二は納得した。待っている間、渚は健二に質問する。

「アンタらこそ、まだ着付けはしなくていいのかい?」

「はい、もう少し大丈夫です。いろいろ話して、ちょっと緊張をほぐしておかないとですから・・・」

「あ、楽しみにしてるよ。アンタたちのキス!」

渚は思い出したように言ったが、やらねぇよ、と健二が返す。

「ウチは洋式じゃないから、キスは無しだ」

「何だい、そうなのかい」

と、渚が少し残念がっていると、お、来たみてぇだぞ、と楓が注意を促す。


「おーい!」

真紀が元気よく手を振りながら近づく。あれ、あの子は?真紀一人しかいないことに、渚が疑問を抱く。

「もう来るよ。見たらびっくりするよ、あの子、とっても綺麗だから!」

楓さんも負けてませんよ、と琴音が余計な気を利かすと、彼女は放っとけ、と軽く琴音の腹をつく。


「お、来た来た」


 まさか、こんな奇跡が起こるなんて、僕は思ってもみなかった。みんなが、彼女の名前を呼び、そして、彼女も、笑いながら言葉を返すだなんて。


「ちひろー!!」


 君がこの世界にいることが、どんなに価値があることだろう。君が笑っていることが、どんなに素晴らしいことだろう。


 僕には喜びしか無かった。誰も僕のことを知らず、僕がこの世界に存在しなくなっても。


 君さえ生きていてくれるのならば、それでいい─。

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