最終章 世界が重なる前に、心が揺らぐ前に

第53話 消えゆく中で

「一体僕の人生は、何だったんだ?」


 悲しみにあふれ、後悔に沈むように、彼は言った。それは、両手両足を鎖に縛られ動けないでいるにも関わらず、そんなことが些細であると言わんばかりに、自分の運命を呪うようで、見ている僕の方が悲しくなる。


「・・・なに、何てことはないさ・・・」


 そんな彼を見ていて、居た堪れなくなったから、ではない。僕は、動けない彼の側に立って、ずぅっと、遥かにどこまでも続く上を見ながら、本心で語った。僕の人生なんて、ただの。そんな始まりだった。


「ただの、ラブコメだよ」


 ラブコメ・・・?彼は疑問符を浮かべる。一体何のことだろうと、本当に分かっていないようだった。まったく、何だよ、と僕は彼を嘲笑う。100年もたったら、何も分からなくなるのかな、と続ける。


「一人の女性のことが忘れられない、ただの男の物語。どこにでもある、ただの恋物語だよ。そうだろ?」


 ただ、少しだけ規模が大きかっただけだ。次元を超えるくらい、少しだけ。


「ただ、会いたかったんだよ。もう一度、もう一度だけでいいから、って・・・。ま、本当にもう一度会えたなら、今度はずっと離れたくない、なんてわがままを言うんだろうけどな」


 はは、僕は笑ってみせた。それでも彼の顔の暗みは変わらない。


「所詮、この程度なんだ。だから、お前がそこまで、自分のことを卑下することなんてない」


 手前味噌はいい。彼は言った。そんなつもりはなかったが、と僕は返す。情けない話だよ、と彼は続けた。僕のせいで、みんなが不幸になった、お前さえも、巻き込んだ。彼は悲痛そうに言った。


「・・・気にするな、巻き込んだことについては。他でもない、僕なんだから」


 もしかしたら、僕は平和だったのかもしれない。彼さえ現れなければ、僕は何も知らずに、ただ、一般的で、それでも、平穏な生涯を遅れたのかもしれない。目の前で琴音が消えるなんて、渚が猫になるなんて、楓が死刑囚になるなんて、そんな辛く悲しい想いをしなかったのかもしれない。でも。


「もう、すべて終わったことなんだよ。僕は巻き込まれ、そして、世界は滅びゆく。それはもう、事実として、流れていることなんだから」


 それにな。僕は続けた。


「何も、完全な悪じゃない。元に戻そうとしているんだから。自分でしっかりと、責任を取ろうとしているんだから。そうだろ?」


 ・・・そうだな。彼はもう、何も希望が無く、ただ、消えゆくだけだと、すべてを諦めたように返答する。僕は、はぁ、と言って声をかける。こんな姿を見せられて、そして、別れたのなら、後味が悪いったらない。


「・・・笑っていただろ?」


 え?唐突な確認に、彼が呆気に取られる。


「辛いこともあったろう、この世界を心底憎んだこともあったろう。千尋を失い、心が塞がった。それでも、お前は生きてきただろ?」


 みんなに支えられて、周りに引っ張られて。


「千尋はお前にとって、ほとんどだったかもしれない、九分九厘だったかもしれない。でも、すべてではないだろ。お前は、千尋がいなくても、笑っていただろ」


 健二も、真紀も、渚も、楓も、琴音も、みんなに助けてもらって。


「もっと、正しい方法があったかもしれない。もっと、上手く言ったかもしれない」


 確かに、失敗はしたかもしれない。それでも、例えそうだとしても。


「お前は、笑っていただろ。絶望しても、狂っても、それでも、笑えていただろ」


 絶望に負けず、生きてきただろ。


「・・・笑えよ。きっと、みんな同じことを言う。どうやら、僕に辛い顔は似合わないらしいから」


 お前の悲しむ顔がみたくない。もう、何人にも言われたことだろうけど。


「そうだろ━


━僕」


 僕は彼に、いや、もう一人の、前の世界の僕に、話しかける。


「百年前、次元を超えてきて、ずっとここに縛られて。それでも、意思を、希望を、失わなずにずっと僕を待っていた。格好いいよ、お前」


 手前味噌が過ぎる、と彼は笑う。まぁ、他でもない僕だから、と僕も笑う。


「でも、それもやっと終わりだな。長かったか?」


 いいや、彼は言う。そうか、僕は返す。


「世界が重なる前に、間に合って良かった。心が揺らぐ前に、動けて良かった」


 最後に、みんなと話せて良かった。最後に、みんなを救えて良かった。


「・・・僕にはみんな、もったいない程に、良い奴らだったよ」


 ああ、分かってる。彼は、僕はやっと、優しい顔をする。


「・・・じゃあな」


 笑った。

僕と僕は、消えゆく体のことも顧みず、心から、安らかに、笑った。

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