2539年9月12日

 強い光。


 目が焼けるようで、しぱしぱと目を細めながらゆっくりと瞼を開ける。重力が頭のてっぺんから爪先まで均等にかかっている。仰向けに寝転がっているのか。目が光に慣れてくると視界が開けてきたが、思考は定まらないままだ。


「お目覚めですか?」


 声のした方を振り返ると、ロボット兵が立っていた。反射的に身をよじって何かを避けるような動作を取ってしまったが、ロボット兵の手に銃はない。


「混乱しているのも無理はありません。まずは落ち着きましょう。お水でも飲まれますか?」


 それは紛れもなく人間の声だったが、ロボット兵の方からしていた。3年戦ってきて、ロボット兵が喋る所は見た事がない。当然この声にも聞き覚えはない。


 俺は何か声を発しようとしたが、何を言っていいのか分からず、ただただ目の前の状況に合理的な説明を加えようと思考を空振りさせるだけだった。


「記憶の方はいかがですか?」


 ロボット兵がそう尋ねながら、俺にコップ1杯の水を差し出した。受け取りはしたが、警戒心からか飲む気にはなれない。記憶。その言葉を反芻するように思い出す。


 俺は爆弾を全身につけて、ロボット生産工場のコントロールルームで自爆を決行した。数多の犠牲を支払い、作戦は成功したはずだった。ロボット兵達にとっては工場の1つなど微々たるダメージである事は確かだが、それでも仲間に配られる食料になったはずだ。


「そうだ、仲間だ。仲間への支給はどうなってる?」

「もちろん、杉本様の決死の自爆によって工場は破壊されました。よって部隊1ヶ月分の食料が支給されました。おめでとうございます」


 敵に祝われる程間抜けな話はないが、俺達がしているのは最初から勝ち目のない戦いだ。任務を完遂出来た事にほっと胸をなで下ろす。


「他にご質問は?」

「俺は……俺は何故生きている?」


 本来ならまず真っ先に聞かなければならない質問だ。俺の肉体は爆弾によって四散し、指1本から臓器に至るまで全て焼き尽くされたはずだ。


「再生されました」

「再生?」

「そうです。灰から人間1人を再生する事は現代の科学力で可能です」


 やはり勝ち目は無かったらしい。


「……何故再生した?」


 礼よりまず疑問の方が勝った。AIにとって人間は、幸福を感じさせる為の家畜に過ぎない。偽りの学生生活を与えて成長させ、絶望の谷底に突き落とし、本能を刺激して満足を引き出す。そして犠牲になる事によって人生を完結させ、また新たな人間を育てる。それだけの存在に過ぎないはずだ。


「杉本様の肉体の破片から、杉本様の物ではないナノマシンが検出されました」

「俺の物ではないナノマシン?」

「そうです。我々が東側の学校に派遣している女性の物です」


 冴島先生。一瞬にして顔が浮かび、俺の指先にキスしたシーンが脳内に再生された。チクリとした痛みがあったあの時、冴島先生の唇から伝わってきたのはどうやら温度だけでは無かったようだ。


「西側に女性がいるという嘘を信じて頂く為に、我々は少数の女性を再生し、学校に派遣しています。男性にとっての幸福は戦闘であり、我々はそれを程良く提供していますが、再生した女性の幸福も保証しなければなりません」


 ロボット兵が感情のない顔で語る話に、俺は耳を傾ける。


「女性にとっての幸福は意中の男性との出会いであり別れであり再会であると言えます。よって、杉本様を再生し、再会して頂く必要がありました」

「それってつまり、冴島先生が俺の事を……」

「ここから先はお2人で」


 ロボット兵が部屋から出て行き、代わりに入ってきたのは、3年ぶりに見る冴島先生だった。あの頃と少しも変わらない妖艶な眼差しで俺の事をじっと見ている。


 まだ状況すらきちんと把握出来ていない俺が言葉を発せずにいると、冴島先生は優しくこう言った。


「杉本君、久しぶりね」


 そして俺の手をゆっくりと取って指先に絡めた。


「良かった。何も変わってない」

「せ、先生こそ」

 かろうじてそう返すと、先生はくすりと笑って、

「ハッピーエンドね」

 そう言いながら、俺の指先にそっと唇を触れた。


 保健室の思い出が蘇る。指の長さを測られた時、俺はそれまでの人生にない程に興奮していた。


「私にして欲しい事はある?」

 冴島先生の質問。答えは決まっているはずなのに、それが頭の中に見つからない。

「……指を、もっと指を舐めてもらえませんか?」

 冴島先生は黙って頷くと、ぺろぺろと俺の指を舐め始めた。


 ぞくぞくと全身の毛が立ち上がるようだった。背筋がピンと張って、心臓は調子外れの鼓動を奏でる。


「先生、変な感じです」

「変な感じ?」

「何かを忘れているような……」

「何かって?」

「それが分からないんです」

「なら思い出すまでこうしていましょう」


 今や快感装置と化した俺の指は、冴島先生と繋がって容赦なく俺を攻め立てた。何かがおかしい。本来ならば、何か別の物をこうして舐めてもらいたかったような、そんな意味不明な喪失感は確かにあったが、思い出せない。何かを俺は持っていたはずだ。それは1つしかない大切な物だったはずだ。だが、思い出せない。


 今の時代、人間に許されたのは幸福を受け入れる事だけだ。恐怖や不安による支配に人は抗えるが、幸福による支配に抗う事は出来ない。


「先生、俺、俺もう……」


 込み上げてきた下腹部の辺りから込み上げてきた物に抗えず、俺は絶頂を迎えた。虚しさが見つかる。満ち足りているのに何か足りない。


「先生、変な事聞いていいですか」

 俺の横に寝転がった冴島先生は黙って俺の言葉を待つ。

「俺の肉体が再生された時、何かを再生し忘れてるって事はないですかね?」


 俺の捉え所のない質問にも、冴島先生は真剣に考えてくれているようだった。

「彼らが何を考えているのかは分からないけれど、忘れるって事はないんじゃないかしら」


 確かに、その通りだ。俺が今感じている何かがもし再生されていないのだとしたら、それはわざと再生しなかったという事になる。そしてわざと再生しなかった事には理由があり、その理由は人類の幸福に繋がっている。


「杉本君が足りないと感じているのは、例えばどういう物なの?」


 冴島先生の問いに応じるように、もやもやと頭に思い浮かべる。


「例えばこう、15cmくらいの棒で、硬くて、熱くて、太くて……」



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硬くて熱くて太い15cmくらいの棒 和田駄々 @dada

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