2539年9月11日

 つい3年前までは。


 支給されたブラスターガンを携えて、『西側』に1歩降り立った時、初めに俺が抱いた感想は「騙された」だった。


 建物は破壊され、道路のアスファルトは割れて隆起している。遠くで煙が上がり、空はどんよりと黒い雲に覆われ、あちこちで銃声がして、極めつけは男の悲鳴だ。そんな場所でいきなり兵員輸送車から降ろされ、機械が俺達の背中にこう告げた。


「闘争こそが男の本領です。戦ってください」


 俺が学校で受けた歴史の授業には偽りがあった。男女戦争までの流れは真実だったが、そこから先、AIの目を盗んで捕虜制度を悪用し、旧時代的な男女の契りを達成したというのは人類にとって都合の良い妄想でしかなかった。やはり人間はもう、知恵比べではAIに勝てないのだ。


 ここ西側では、毎日朝と夜にAIが指揮するロボット兵が人間の集落を襲いに来る。当然俺達が夢見た女なんて1人も存在しない。あるのは勝ち目のない戦いと、いつか必ず来る死のみだ。


 東側での文明的な生活は、AIが作り上げた幻だった。あるいはこの荒廃した西側の景色も。


「杉本、今日はお前が自爆役だ」


 部隊長からそう宣告された。


 3年間。平均からすれば割と長く生き残った方だと思う。俺は「分かりました」と返事をして、ブラスターガンをぎゅっと握りしめた。狭い兵舎には俺と同年代の騙された男達が寄り添って暮らしている。


 AIが使役するロボット兵を倒す事によって、それに応じた食料品や生活必需品が支給される。つまりこれはゲームだ。ルールはAIが決め、人間はそれに従うしかない。ただ人間を処理するだけならば、体内にあるナノマシンをハッキングして細胞を破壊させれば一瞬で済む話であり、AIがその気になれば人類の滅亡など容易い。そうしないのは、ギリギリで勝てるかどうか、戦えば生き残って乗り越えられる境界線を提供する事によって、闘争心を引き出すのが目的だからだ。


 幸福の最大化に必要な過程。500年の時間をかけて歪みに歪み、捩れに捩れた幸福論が、人間を原始に回帰させた。


 今日、俺は確実に死ぬ。


 ロボット兵との擬似戦争において、相手基地の破壊は高得点であり、1つの基地を破壊すれば部隊が丸々1ヶ月分暮らせるだけの食料が手に入る。現在、俺が所属する部隊の備蓄は底をつき、1日に相手出来るロボット兵だけでは部隊の兵糧を賄う事が出来ない。おそらくこの資源のバランスも完全にAI側で計算されており、人間側は定期的に自爆特攻を仕掛けなければならないように調整されているのだろう。


 だが、そんな事はどうでもいい。俺はもう疲れたのだ。終わりのない戦いと、満足気に死んで行く仲間達を見送る事の両方に。これ以上生き残った所で希望はなく、こうも考えるようになってきた。


 瓦礫の間を縫いながら、俺達兵士を乗せた車が目的地へと向かって行く。生産工場は当然厳重な警備体制が敷かれ、地上ではロボット兵が、空からはドローンが攻めて来る人間に睨みをきかせている。


 ここで生きていればこう考えるようになる。

 戦って死ねるなら本望だ。


 最初ここに来た時の、「騙された」という憤慨は、戦う原動力としてこれ以上ない程に強く働いた。ブラスターガンでロボット兵を打ちのめす程に、もっと壊したい、もっと勝って仲間の役に立ちたい、人間でもここまで出来るんだという事を思い知らせたいという感情が育って行くのが分かった。それは平和な日常では味わえない実りある快感だった。


 俺は装備の確認をする。ヘルメット、防弾チョッキ、手榴弾、ブラスターガン、そして体に巻きつけた爆薬とその起動装置。俺と同じく3年前からの生き残りが、俺の目をじっと見ていた。かつて俺が仲間を見送って来た時と同じ目だった。


「そろそろ着くぞ。準備はいいか?」


 部隊長が声を張り上げ、やがて車が止まった。


「突入!」


 車の後部ハッチが開き、男達が言葉にならない叫びと共に飛び出す。訓練通り、まずはばらけて遮蔽物を探す。ロボット兵達もこちらに気づき、銃撃を始める。仲間の1人が肩を打たれてひっくり返ったが今は振り返る余裕はない。俺の使命は出来るだけ無傷で生産工場内へ侵入し、コントロールセンターまでたどり着く事だ。仲間を弾除けにするくらいでなければ到底達成は出来ない。


 ロボット兵達の攻撃には一定のリズムがある。奴らの使っている機関銃は絶え間なく連射していると一定の冷却時間が必要となる。その隙を突いて、瓦礫から瓦礫へと移って行き、少しずつ距離を詰める。その間、空からの攻撃にも注意をしていなければならない。前を行く仲間を狙うドローンがいれば撃ち落として援護する。


 慎重に前進する。気を緩めた瞬間に撃ち殺され、全滅する事だって有り得る。緊張感の中で神経は研ぎ澄まされ、死の恐怖は人を強制的に成長させ、仲間の人間性を見極め、互いを認め合う事が出来る。


 犠牲を払いながらもロボット兵の猛攻をどうにか凌ぎ、別の部隊が生産工場の入り口爆破に成功した。合図で一斉に飛び出し、中に侵入する。


 工場の中は、人が通れるだけの通路にきちんと照明が用意してある。ロボットのみしか使わないのであれば、どちらも不要の物であるが、こうして時々攻めて来る人間用にわざとある物だ。しかし当然人が通った痕跡など一切無く、全くの無臭で塵一つ無い。


 このゲームにおいて、AI側は理不尽なやり方をしない。多少の犠牲を払えば人間でもクリア出来る程度の障害によってしか妨害をしない。つまり遊ばれている訳だが、それでも俺達人間にとっての命はどこまでもリアルだ。たった1つしかない、失ってはいけない、掛け替えのない命。だからこそ仲間の為に捧げる価値がある。


 攻撃開始から約30分が経ち、確認できる仲間の数は俺を含めてたったの2名。後の1人はこの作戦の立案者である隊長だけだ。怪我で離脱した者も死んだ者もいるが、今は彼らを案じている場合ではない。


「この角を曲がればコントロールセンターだ。入り口の様子は見えるか?」

「はい、入り口を守っているロボット兵が2体います。シールド付きですから、我々の銃では太刀打ち出来るかどうか……」


 隊長は少し考え、俺にこう命令した。


「俺が奴らの気を引く。杉本、お前はその間にすり抜けてコントロールセンターの中に入れ」

「隊長! それでは隊長が……」

「馬鹿野郎! 1番重要なのは任務を遂行する事だ。お前もそう考えたから役割を受け入れたんだろうが」

「隊長……」

「奴らが俺に狙いをつけたのを確認してから飛び出せ。頼んだぞ、杉本」

 黙って頷く。

「行くぞ!」


 そこから一切の音が聞こえなくなり、いつか聞いたブラームス「交響曲第4番」の一節が俺の頭の中で響いていた。


 感情のない指からばら撒かれた銃弾が、廊下の壁に当たって乱反射している。


 その間を、隊長が何か叫びながら進んで行く。


 何もかもがスローモーション。俺はブラスターガンのトリガーに指をかけ、赤ん坊を抱えるように大事に、頭を低く屈みながら隊長の後ろをついていく。


 こちらの攻撃はロボット兵達に対して一切のダメージを与えていないようだったが、隊長の体は容赦無く鉛の雨に晒されて、削られ、血を撒き散らしながら減って行く。


 それでも隊長は進む事をやめない。俺の角度からは見えないが、おそらく表情は笑っているはずだ。自己犠牲の幸福という絶頂において、笑わずにいられるものだろうか。


 気づくと俺も叫んでいた。しかし声は聞こえない。頭の中ではただ、雄弁で華麗なクラシックだけが流れている。今この場所における死は生理現象ではなく芸術だった。


 ロボット兵のシールドが、無情に隊長の攻撃を弾き、人間の無力さをこれでもか言う程に力説していた。それでも歯向かう。戦う。生きる。そして死ぬ。これぞ男の生き方だ。


 気づくと俺は、ロボット兵達の間をすり抜けて、コントロールルームに入っていた。音楽は鳴り止み、巨大コンピューターの前で達成感に身を打ち震わせていた。


 人類の生み出した物は人類を超越した。そんな当たり前の事が実感を伴って押し寄せて、感動になって俺を襲った。


 背後の扉が開き、ロボット兵が俺に狙いを定める。

 俺は笑いながら自爆する。隊長がそうしたように、先人達がそうしてきたように。

 弾け飛んだ目玉で破裂する赤を見上げる俺は、保健室での出来事を思い出そうと努力していた。

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