2536年7月13日

 兵士として必要な知力の為に、歴史の授業のおさらいをしよう。


 今は西暦2536年。コンピュータによる人類管理体制は、約500年ほど前から始まったとされている。


 その時の地球は、問題が山積みだった。環境問題、人口問題、宗教問題、長らく続いた資本主義経済は限界に達し、貧富の差は過去最大に膨れ上がり、人々は不幸な毎日を過ごしていた。


 そこに現れたのが人類管理AIである。既に人類よりも賢くなっていたAIは、未来永劫に渡る最大限の幸福を人類に約束し、人類もそれを受け入れた。誰がどこに住み、どうやって暮らし、何を楽しみに生きるか。それらは全てシミュレートされ、現実に適用される。しかし決して自由が無くなった訳ではなく、本人が求める自由さえも計算に入っているのだ。


 AIが管理を始めた当初は、人より良い物を欲する人が多かったそうだ。金銀財宝、美しい異性、他人からの羨望、一時的な快楽。あらゆる物をAIは無限に出力出来た。物理的な制限を超越するAIの知性は、AIがAIを作り上げる事によって成立する。それまで地球で最も賢い存在だった人間は、問題を解決して成果を得るのではなく、成果を得る為に問題を与えられるようになった。


 例えばAIの管理体制に怒りを覚える人物がいれば、その人物に破壊される用のコンピューターを用意し、都市部からは離れた所で暮らしたくなるようにあらゆる手を使って誘導する。生き延びる為の資源を間接的に渡しつつ、個人同士の衝突には不干渉を貫く。彼に共感する人物を選び出し、偶然を装って出会わせ、幸せな家庭を望むのであれば築かせる。生まれてから死ぬまで人間はAIの手の平の上だが、それが最大の幸福なのだ。


 そんな状態が200年も続いた頃、家族という概念は崩壊し、出生率は0.1を切った。最初は人類が必要としたはずのAIが、幸福にする為の人類を必要としてきた。


 そこでAIは人類の中からランダムに遺伝子情報を抽出し、試験管の中で子供を育て始めた。AIによって幸福になる為の人間。今いる人間で人から生まれた者は極々僅かであり、俺自身も自分の遺伝情報が誰のものかは知らない。

 気づけば人類はAIの家畜となったのだ。


 性交渉をしなくなり、家族という概念も崩壊した事により、男女が一緒に暮らす必要は無くなった。本能の削り取られた人類に残ったのは社会性のみであり、それは同性のコミュニティーにおいてより効果的に活性化された。日本においては、名古屋より東に男が、西に女が住むようになり、時間をかけて交流の機会も減っていった。


 それからまた200年が経つ頃、人の幸福に対する価値観はすっかり変わっていた。あるいはAIがそうなるように仕向けたのか、今となっては我々人類に知る術も無いが、男と女はその価値観の相違から、戦争を始めた。2411年。第一次男女戦争である。


 現在となっては信じられない事ではあるが、この頃の人類は平和である状態を良い物とする価値観が失われていたようっだ。男として生まれれば女と戦い、女として生まれれば男と戦う。自らの生命を投げ打って使命を果たす事こそが極上の幸福であるのならば、AIはそれを手助けした。素人でも扱える武器を造り、至る所に砦を建造し、戦争の勝利へ向かって男女をそれぞれ鍛え上げた。この頃の平均寿命は、男女ともに31歳。しかし人口はAIによって適切に維持されていた。


 血なまぐさい狂気の時代が50年も続いた頃、人類の間にまた新たな価値観が芽生え始めていた。それは「幸福ではない状態こそが人類にとっての幸福なのでないか」という真懐疑主義だ。戦って死ぬ事を美徳としていた人類の間に、この考えは徐々に浸透していった。最早意味不明になった生存理由と幸福の概念には、流石のAIもお手上げだったようだ。幸福でない状態が幸福であるならば、幸福になった時点でそいつは幸福ではない。そんな存在に対しては、あらゆる幸福の提示も無意味であり、AIはただ、日々人間が欲する小さな欲にその技術力を持って答えるのみの存在となった。20世紀頃の古代の科学者が思い描いた物が、ここにきてついに完成したのである。


 そして今から30年前の2507年。遂に人類は、長らく家畜状態であった所から、1歩を踏み出した。それが男女間における「捕虜制度」の悪用である。

 男女戦争において、人間には兵器を開発する知恵も無ければ指揮を執るノウハウも無い。それらの高度に知的な労働はAIによって既に差し替えられていたからであり、人間はむしろAIの立てた戦略を間違える事を役割としている。武器はAIが支給された物を使い、前線に送られるのはAIが定めた基準を満たした者のみである。


 兵士になって前線送りになれば、東側の男は女のいる西側へ、西側の女は男のいる東側へ行く事が出来る。そこで負けて捕虜になったのが、西側で暮らす男、あるいは冴島先生のように、東側で暮らす女という訳だ。男女比率から言えば、真懐疑主義によって性欲の復活しつつあった男の方が圧倒的多数で、かくいう俺もその内の1人だ。


 戦争が個人の幸福を最大限化するという結論に辿り着いたAIに異論を唱える者は多いが、問題が無ければそれを解決する達成感も味わえない。知性での敗北を知った人類が至った無為の境地は、少なくとも俺を成長させている。


 保健室で測った指の長さは、AIが支給するブラスターガンのトリガーを引ける最低限の長さであり、それが装備出来なければ兵士としては採用されない。そういう規定なのだ。


 これで現代史の点数は完璧だ。後は運動能力のテストさえクリアすれば、晴れて俺は兵士になれる。西側に行ったら女子高の先生になって、教鞭を振るう。旧時代で言う所のハーレムを、俺は手に入れるのだ。


 そう思っていた。

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