ハッピーエンドまであと何センチ?

卯堂 成隆

第1話

 物語の主役とはほど遠い地味で平凡な女である私――高橋ななえの、それでも激動と呼べるあの日々は、一通のメールから始まった。


「そっか、半年後に同窓会なんか企画しているんだ」

 差出人は高校時代の同級生。

 主催側にならないかという誘いだったが、ようは都合のいい小間使いが欲しいだけだろう。

 別にそんなに親しくしていた相手じゃないしね。


 仕事帰りの電車の中で、少々懐かしくも空しい気分に浸りながらメールを読んでいると、すでに名乗りを上げている同窓会の発起人の中に特別な名前を見つけてしまった。

 河野 純一……やや薄暗い液晶の中で四年ぶりに目にしたその名前を心の中で読み上げて、高校時代の甘酸っぱい記憶をかみしめる。


 私は高校時代にろくな思い出が無かった類の人間で、本来であれば同窓会なんて出席したいとも思わないタイプの人間だ。

 だが、私の初恋の相手である彼が来るというのなら話は別である。


「スタッフになるのは嫌だけど、参加するぐらいなら……ね」

 私はためらいながらもその同窓会に参加することを決めたのだった。

 今の彼を見てみたいという、どこにでも転がっているような平凡な理由のために。


 *衝撃の15センチ*


「そっかぁ、彼、まだ独身なのかぁ」

 かつての同級生たちに電話を掛けて情報交換したあと、私は浮かれながらデパートの服飾売り場にきていた。

 なんとなく心がはやって、新しい服が欲しくなったからである。

 だが、私はここで思わぬ壁にぶち当たった。


「え……13号!?」

 気に入った服を試着して、ようやくサイズのあった服がそれである。

 ここにくるまですっかり忘れていたが、私の高校生時代のサイズは7号だ。

 すごくまずい……。

 ちびすけでやせっぽっちだった私は、この四年間ですっかり太ってしまい、体型が激変していたのである。

 すさまじいショックであった。


「こんな姿、彼にも同級生の女子たちにも絶対に見せられない!!」

 そう固く決意した私は、その場でダイエットを決意。

 目標を、ウエストを高校生のときと同じサイズに……すなわち十五センチ細くするということに定めたのである。

 だが、個人でダイエットするのはまったく自信がなかった。


 なぜなら……私は筋金入りの根性なしだからである。


 だが、しかしだ。 根性は無いが、お金はそこそこあるのだよ。

 なにぶん仕事漬けな上に趣味も無く、恋人いない暦が年齢と等しい私にはもらったボーナスを使う場所が無いからな。

 つまり、私には結婚資金という名をつけた、使う当ても無い貯金がたっぷりとあったのだ。


 つまり、こういうことである。

 自分の力で痩せることが出来ないのなら、プロを雇えばいいじゃない。

 ……えぇ、クズですが何か?

 お金とは、使うためにあるのですよ!

 そう思い立った私は、さっそくインストラクターをつけてもらうべく駅前の大きなスポーツジムに行くことにした。

 

「おっと、その前に……店員さーん、この服、写真とってもいいでしょうか?」

 私が目をつけたのは、ディスプレイに飾られている少し派手なスーツ。

 私のウエストが十五センチ短くなれば、このおしゃれな服も着ることができるだろう。

 同窓会の当日、私はこの服を着て颯爽と会場に現れるのだと決めた。


 そんな自分の姿を夢想して、私はニヘラと顔の筋肉を緩める。

 店員さんの笑顔が少し引きつっていたのは、たぶん気のせいではない。


 *まだのこり15センチ*


「私を、この服を着ることが出来る体にしてください!」

「この……服ですか?」

 スポーツジムの受付をしていた女性は、写真と私を見比べてほんの少し遠い目をする。

 ちょっとあなた、失礼ではございませんかねぇ?

 だが、向こうもプロらしく、ほんの数秒で作り笑顔を浮かべると、明るい口調で対応を始めました。


「わかりました。 では、うちのインストラクターの中でも腕利きをご紹介しましょう」

「お願いします!」

 やや引きつった笑顔の受付の人に必要な書類を書いて渡すと、私はさっそくその凄腕のインストラクターとやらと面談をすることにした。


 けれど……。

 そこに現れたのは、私がもっとも苦手とするタイプの男性だったのだ。


「はじめまして、岩隈つよしです」

 おそらく身長は百九十センチぐらい。

 シャツの上からでもはっきりとわかるぐらいに筋肉質で、顔はゴツゴツと岩を削ったように彫が深くて、さらに鋭いつり目の三白眼。


 何をかくそう……この私めはマッチョも、強面も、身長百八十センチ超えの巨人も、大の苦手である。

 だって、こわいじゃないですか。

 それに、もしも相手が何かの拍子に変なことでも考えたら、まったく抵抗できないんですよ?


「あの……女性じゃないんですか?」

「なにぶんあなたのプランですと、彼以外に担当できる人がいないもので」

 それをいわれるとこちらも弱い。

 自分でも、かなり無茶を言っていることはわかっているのだ。


「では、さっそく現在の身長や体重を量りなおして、最適なプランを立てましょう」

 そう告げると、そのゴリラはその暑苦しい顔とは裏腹にてきぱきと私に説明を始めました。


 あれ? これって……意外といけそうじゃない?


「もしよかったら、今日からこのプランをはじめましょう。

 最初にご説明しますが、ダイエットに必要なのは継続です。

 そのため、体に無理がなくて最適な運動の継続を心がけましょう」

「あ、はい。 よろしくお願いします!!」


 そして始まったのは、体が上気して気持ちよくなる程度の運動だった。

 無理はかけないとの言葉通り、全てが激しく体を動かすよりも動き続けることに重点をおいた感じ。


 腕立て伏せのような疲れる運動のあとは、必ず手足を動かすだけといった感じの軽い運動が入るので本当に無理はなかった。

 しかも適度に休憩をいれながらなので、私が想像していた痛みとか苦しみというのはほとんど感じることがない。


「では、今日のメニューはこれで終わりです」

「え? もう? あの……こんなので本当に痩せるんですか?」

 あまりにも楽勝過ぎて、むしろこれでいいのかと不安でしかたがないですよ。


 すると、岩隈トレーナーは眉間に皺をよせ、怖い顔をしたまま大きくうなずいた。


「絶対に痩せます。 ダイエットとは、無理をせずに適度に長く行うことが大事なんです。

 ですので、俺の作ったスケジュールから絶対に外れないでください」

 まるで任侠映画を思わせるドスの聞いた声で告げながら、岩隈トレーナーはバンとスケジュールを挟んだクリップボードを叩く。

 やっぱり、この人怖い……。


 *ようやく10センチ*


 そんなわけで、私が職場の帰りにジムに行くようになってはや二週間。

 恐る恐る始めたトレーニングでしたが、その効果はおそろしいほどでした。

 えぇ、五キロですよ。

 二週間で、なんと体重が五キロも減ったのです!!


「少しペースが速すぎる。 いいですか、無理なダイエットは色々と危険です」

 岩隈トレーナーからは渋い顔でそういわれましたが、いい事にに決まっているじゃないですか!!


 ……と調子にのった私ですが、困ったことにそこから先が問題でした。

 まったく減らないどころか、二キロも増えてしまったのです。


 その日、私の体重測定を確認した瞬間でした。

 岩隈トレーナーの体が、ぶるぶると小刻みに震え始め、その顔が真っ赤に染まってゆきます。

 あ……やめて……お願い。


「お前……俺が設定したもの意外を食べただろ!?」

「ひっひぃぃ! ご、ごめんなさい!!

 だっ、だって思った以上に体重が減ったから、少しぐらいは大丈夫だろうって……」

 そう、私は体重が減り始めたことに満足してしまい、間食の回数が増えていたのです。


「あれほど、予定は守れっていったのに……無理なペースで痩せたと思ったら、今度は間食の食べすぎ……あんた、自分の体を何だと思ってる!!」

「あの、ご、ごめんなさい……あの……失礼しましたぁぁっ!」

「え? あっ、ちょっと待って!!」

 私は思わずその場から全力で逃げ出しました。

 もう、無理です! 私のような根性無しがダイエットだなんて高望みが過ぎたんです!!

 前払いの会員費はもういいですから、辞めさせてください!!


 ですがその次の瞬間、私は何か固いゴム板のようなものにぶつかってしりもちをついてしまいました。

「きゃっ!?」

「ご、ごめん……大丈夫か?」

 気がつくと、いつのまにか私の前に回りこんでいた岩隈トレーナーがおろおろとしながら手を差し伸べていました。

 なんか……意外とかわいい?

 これが世に言うギャップ萌えというやつなのでしょうか。


 ですが、その後さらに衝撃的なことが起きたのです。


「すまない……不愉快になったなら謝る。

 お願いだから逃げないでくれ! なぁ、頼むからこのまま、俺の指導の下でダイエットをしてくれないか?」

 そう言って、岩隈トレーナーは深々と私の前に土下座をして、頭を地面こすりつけました。


「あ、あの、やめてください! そういうの困ります!」

「正直に話そう。

 俺はこの厳つい面と、すぐに怒鳴りつける癖のせいで、何度も客を逃がしてしまって……そろそろここをクビになりそうなんだ」

 その言葉を聞いたとき、私は失礼ながらなるほどと納得してしまったのです。


「たぶん、俺があんたの担当になったのも、俺をクビにする名目が欲しかったんだと思う。

 あんた、あの受付のヤツから絶対にダイエット失敗するタイプだと思われてるぞ。

 俺に押し付けて、わざと失敗させようおもったんだって、この間酒の席でこっそり話をしているのを……」

「なっ、なんですってぇ!? ちょっとふざけるんじゃないわよ!

 絶対に痩せない!? そこをなんとかするのがあんたたちの仕事よね?

 それを痩せないこと前提で、厄介払いしたい相手の点数減らしのために押し付けるとか、詐欺みたいなものじゃない!!」

 正直言おう。 私が根性無しなのは自分が一番よく知っている。

 けど、人からそう言われてヘラヘラと笑っているほどおめでたくはないのだ。

 いっそ、しかるべところに訴えてやろうか?


「俺がお前を絶対にスリムにしてみせる。 信じてくれないか?」

「いや、いきなり信じろといわれても!」

 だが、気がつくと彼が私の手を握って真剣な目で私の目を見つめていた。

 なに……この空気?


「あ、あはは……まるで愛の告白ですね」

「い、いや、そんなつもりでは……」

 冗談にして流すつもりだったのに、なぜか急に恥ずかしくなった私たちは、顔を真っ赤にしたまま互いの視線をそらしたのでした。

 ……大失敗である。


 *やっと8センチ*


「おまえな……こんなの食っていたら絶対に痩せないぞ」

「よ、よけいなお世話なのですよ」


 あれからなぜか意気投合してしまった私たちは、お互いに協力して他の奴らを見返すことにしたのです。

 で、そこで彼が問題だと指摘したのが、私の食生活でした。

 特に晩御飯のメニューが最悪だということなのですが……仕事で疲れた上にジムで運動をすればおのずと料理する体力なんて残っていません。

 コンビニ飯に頼って何がわるいのですか!


 すると、彼はこう言ったのです。

「晩飯だけでも俺が作ってやれたらなぁ……」

「あ、料理できるんですね」

「そりゃな、担当の顧客に食べ物や料理をアドバイスするのに、自分が作れないなんていえないだろ」

 でも、彼を我が家にいれて料理させるわけには行かない。

 これでもうら若き一人暮らしの乙女なのだ。

 では、どうすべきか?

 そう、実は私には妙案があったのです。


「じゃあ、明日からお弁当作ってくださいねー いやぁ、楽しみだなー 岩隈トレーナーのお弁当!

 もしかしてタコさんウィンナーとか入ってます?

 私、林檎のウサギさんとか入っているお弁当、ずっとあこがれていたんですよぉ!」

 そう、我が家のキッチンに招待して作ってもらうのが問題ならば、岩隈トレーナーが自分の家で作って持ってきてくれたらいいじゃない。

 えぇ、ふてぶてしいと思ったそこの貴方、そのとおりですがなにか?


「……冗談だろ?」

「私が痩せなくてもいいんですか? 仕事、クビになちゃいますよ?」

「自分で作るという選択肢は?」

「私にそんな女子力を期待しないでください。 病院送りにする気ですか?」

 そう告げると、岩隈トレーナーはガックリと肩を落とした。

 ふっ、実に甘美な勝利である。


 なお、この勝利を機に、彼のことをツヨちゃんと呼ぶようになったのは、少々調子に乗りすぎだったかもしれない。


 そして翌日。

 肝心のツヨちゃんお手製のお弁当を手に入れた私でしたが……絶句するしかありませんでした。


「お、おいしい……」

「そりゃよかった」

 なによ、この手の込んだお弁当は!?


 薄味なのにしっかりと出汁のきいた煮物や、消化のよさそうな温野菜。

 野菜ばかりでがっかりしないように、カロリーの少ない鶏肉や、カロリーの消費を助ける豚肉などが効果的に組み込まれている。

 むろん、タコさんウィンナーも林檎のウサギさんも入っていましたよ。


 これは、女子として完全に敗北を認めるしかない。

 おのれツヨちゃん。 ゴリラの分際でここまでの技を見せるとは!?


「なんていうか、担当した人間が無理をせず痩せられるよう、ダイエット用の食事も前から研究していたんだ。

 食事でつらい思いをするのは嫌だろ?」

「ふぅん……そこまで考えてるんだ?」

 ほんと、まじめな人だねぇ。


「けど、自分が真剣に取り組みすぎるせいか、思うような数字が出ないと、ついカッとなってしまって……」

「それなんだよね。 ツヨちゃんのその顔で怒鳴られたら、怖いもん」

 けど、中身は意外なほどに優しくてお人よしだということは、この数日でよく理解できた。

 ゴリラは家族を大事にする生き物なのである。


「うーんとね。 私みたいにダイエットが出来ない人間は、たぶんほとんどが私と同じで根性無しで自分に甘いやつなんだと思う」

 だからこそ、最後まで成し遂げることは出来ないのだ。

 けど、それを責めたところで実はなんにもならないことを知っている人は、意外と少ない。


「でもね、それって普通だと思うの。

 誰だって辛いのは嫌だし、甘やかされたいもの。

 だから、怒られたらすぐ逃げちゃうし、失敗しても許してほしいのよ。

 もちろん、私が今、すごくふざけたことを言っているということは理解しているのよ?」

 だが、世間の常識というのは必ずしも正解を意味してはいない。

 なぜならば……


「でも、ツヨちゃんが相手をしなきゃいけないのは、そういう弱い人たちなの。

 強い人の理論で扱ったら……その人たちに強くある事を求めたら、死んでしまうしかないの。

 そういうか弱い人たちは、いっぱいいるの」

 たぶん、私はいまものすごく身勝手で調子のいいことを言っていると思う。

 お前のいっている言葉は正しいことなのかといわれたら、理想的ではないと答えるしかない。

 けど、今の彼に足りないのは、そこなのだ。

 彼が理解していないのは、弱い人の視線だと思ったから……私はあえて不完全で理想から離れた言葉を彼に告げた。

 

「たしかに……俺は相手を強くしようとするだけで、相手の弱さは見ていなかったな」

「世間の人間は、みんながヒーローでも主人公というわけでもないわ。

 辛ければ挫折して、泣きながら逃げ出して、それでだんだんと夢見ることに疲れてしまった、そんな人がほとんどなの」

 悲しいけど、この世界は誰もが物語の主人公のように成功を約束されているわけではないのである。


「だから、これ以上私たち弱い人間を悪者にしないで。

 ツヨちゃんの正義は理解できるけど、それを貫けば私たちは悪として逃げ出さなければならなくなるの。

 だから、気持ちよくして。 私たちを口説き落として。

 私たちが貴方から逃げないように、笑って抱きしめて」


 そうすれば、私たちはすぐに貴方を好きになって、貴方のために努力しようと思うだろうから。

 それに……自分のためという感情は、実はそんなに強くないのよ。

 自分を愛するほどに、楽なほうへと逃げてしまうから。


「俺が? 誰かを口説き落とす?」

 私の言葉に、彼は途方にくれた顔をした。


「根性なしってね、卑屈だからなかなか愛されないの。

 なのに誰かから愛されることにいつも飢えているし、愛されないことが寂しくて耐えられないの。

 根性が無いから少しでもマシなほうへと目先の利益で簡単に流れるのよ」

 すると、なぜか彼は私から視線を外してから頷いた。


「わかった。 ちゃんと口説き落とせるように努力する」

「あー だめだめ。 そんな気合の入った顔したら逃げちゃう」

「あ、そ、そうだったな」

 そのとき、私は初めて彼の笑った顔をみた。

 思えば、彼もずいぶんと追い詰められていたのだろう。

 でも、これをきっかけに彼はいいトレーナーになるかもしれない。

 何の根拠も無いけど、私はそんな予感を感じていた。


「ところで話は変わるんだが、お前って生理はいつなんだ?」

「は……はぁっ?!」

「いや、生理の間はトレーニングの内容も変えたほうがいいし、場合によっては休止したほうがいいだろうから……」

「弱さを知る前にデリカシーを覚えろ、このゴリラ!!」

 訂正する。 ヤツが良いトレーナーになるにはまだまだ覚えなきゃならないことが山済みだ!


 *なんと残り4センチ*


 さて、そんなわけで私はもう一度本格的なダイエットを開始した。

 ツヨちゃんいわく、最初の頃と違って体の内側の筋肉がついているはずだから、今までよりも効果が出やすくなっているはずだとの事。

 そして彼の言葉通り、体重はふたたび減り始めた。


 そして体重が減るのが面白くて、毎朝体重計に乗るのが楽しみになりはじめた私であるが……。

 ある時を境にして、いくらやっても痩せなくなったのである。


 ツヨちゃんいわく、今まで体重が急激に落ちたのは、単に体のむくみが取れたからだということらしい。

 ここからが本当の勝負になるとはつげられたものの……やはり努力の成果が見えないというのは辛い。


 けど、それ以上に辛かったのは、ツヨちゃんが忙しくなってきたことだ。

 最近、すぐに怒鳴る癖を克服した上に笑うことを覚えたらしいのだが、その途端に人気が出始めたのである。

 そうなると、トレーナーとして担当しなければならない相手が増え、毎回私のために付きっ切りでトレーニングというわけにも行かなくなり、自然と顔を合わせる時間は減っていった。


 まぁ、怒鳴ったり睨みつけてこなければ、ゴリラはゴリラなりにかっこいいからね。

 ……趣味ではないけど。

 私の理想は、汗のにおいのしない白馬の王子さまなのだ。


 でも、ちょっぴりこの状況が恨めしいのも確かである。

 あれほど私は弱い人間だといっておいたのに、この放置状態はあんまりだろう。

 ほぼ毎日のお弁当には感謝しているが、それだけじゃ到底愛が足りないのだ。


 かくして寂しさに蝕まれた私は、そのやるせなさを紛らわせるために指定された以上に食事を減らし、指定された以上に運動をしはじめたのである。

 ……辛かった。 寂しかった。

 けど、結果が出れば彼に褒めてもらえるんじゃないだろうか?

 愚にも突かない妄想だと知っていても、私の深い部分から湧き上がる妄言に行動が支配される。


 けど、彼の口から飛び出したのは「無理なダイエットは危険だ。 そのうち倒れるぞ!」との厳しいお言葉。

 えぇ、言われなくてもこんな状態が続けば、いずれ破綻することはわかっているんですよ。

 でも、やめられない。

 だって、弱いから。


 そしてある日。

 私はとうとう、仕事中に貧血を起こして倒れてしまった。


「だから無理なダイエットはやめろといっただろ。

 体を壊して動けなくなったら、それこそ失敗するのはわかっているよな?」

 病院に見舞いに来た彼は、私の顔を見るなりため息をついた。


「もっと自分を大切にしてくれ。 見ていられん」

「……ちゃんと大切にしているもん」

 強がったつもりだったのに、私の頬には小さなしずくが滴っている。

 ほんと、こんな簡単に涙を流して情けなくないの?

 我ながらなんて弱い女。


 でも――その無理をさせたのはいったい誰?

 ただの言いがかりだとはわかっている。

 けど、私は彼を悪者にすることでしか心の均衡を保てないほど弱かった。


 どうしよう、私って最低だ。


「お前、最近鏡見ているか?」

「え?」

 突然呟かれた思いもよらない言葉に、私はただ戸惑うしかなかった。


「最初あったころと比べると、見た目も雰囲気もずいぶんと変わったよ」

 そうして差し出された鏡には、ほんの少し顔の小さくなった私がいた。

 でも、酷い顔。

 化粧もしてないし、涙で目が腫れぼったくなっているし……無理なダイエットがたたって、お肌もボロボロだ。

 どうしよう、急に彼にこんな顔を見られているのが恥ずかしくなってきた。


「そりゃ、体重は変わらなかったかもしれないが、変わるのは何もそこだけじゃない。

 今の君を見る周りの目が変わってきていることに気付いているか?

 最初は絶対にダイエットなんて無理だと決め付けていた連中が、今は君ならできると信じ始めている。

 俺は……弱いくせに、それでも努力している君の姿を綺麗だと思う」

「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいこと言わないでよ!!」

 私は自分の顔を見られるのが嫌で、彼の顔を強引に手のひらで押しのけた。


「……ごめん、ななえ。 でも、もう少しなんだ。

 たしかに今はなかなか体重が減らないかもしれないが、俺の計算だともうそろそろ体重が減り始める時期に入る。 俺を信じろ」

 なによ、か弱い私にそんな強い言葉を浴びせていいと思ってるの!?

 思わず信じて、すがりたくなっちゃうでしょうが!


「ごめん、ツヨちゃん。 ちょっと一人にしておいて」

 でないと、とんでもなく恥ずかしいことを言いそうだから。

 この気の迷いを口にしないように、今は一人になりたかった。


 そして彼の言葉を支えに再び始まったダイエットは、無理をかけないようにと運動量を減らしたにもかかわらず彼の言葉通り順調に進みだした。

 なお、食生活に関してはとうとう我が家の厨房にヤツの侵入を許す羽目になったとだけ言っておきましょう。


 そして、変わったのはそれただけではなかった。

 血の巡りが良くなったのか仕事のミスも少なくなり、そして体力がつくと同時にだんだんと私の心は強くなってゆく。

 人間の性能ってって、思った以上に原始的なところで成り立っているのね。


 *とうとう0センチ*


 そして、ダイエット開始してから半年が過ぎた。

 泣いたり挫折したり体重が増えたりしながらも、なんと……ついに私は目標のウエスト-15センチを達成したのである!!


「……やったな、ななえ」

「うん、とうとうやったよ、ツヨちゃん!

 もう、私、ダイエットをしなくてもいいのね!?」

 その瞬間、ツヨちゃんは体をくの字に折って大笑いした。


「いや……ごめん、ななえらしいなと思って」

「ほんと、失礼しちゃうわね」

 けど、これ以上痩せる必要のなくなった私は、このジムを卒業することにしたのである。

 月額の会員費、地味に高いのよね。

 ちょうどまとめて支払った半年の契約期間が終わったことだし、このまま続けるといくら切り詰めても今の稼ぎでは貯金が出来そうにない。


「でも、その体型を維持するには定期的な運動が必要だからな?

 本番前に太って服があわなくなるとかネタは仕込まなくていいからな?」

「む、むかつくわ、その言い方! そんなヘマするもんですか!

 もう、昔の私じゃないんだから!!」

 でも、せめて間近に迫った同窓会が終わるまではちゃんとこの体型を維持しないとね。

 油断は禁物である。


「お前のお陰で、俺も変われた。 感謝している」

「いまや、ここで一番人気のトレーナーだもんね」

 そう、かつての崖っぷちだった彼の姿はもうどこにも無い。


「また痩せたくなったら、いつでも付き合ってやるよ。 頼りにしていいぜ?」

「うん、頼りにしてます……ってことで、明日、服を買いに行くから付き合ってくれる?」

「……え?」

 彼の途方にくれた顔が面白くて、今度は私が体をくの字に折って笑い転げた。

 奇襲成功である。


 だが、私はすっかり忘れていた。

 何もかも上手く行っていると思っているときが、一番危ないということを。


 たとえばそれは、デパートでずっとあこがれていた服を買いに来たときのこと。


「申し訳ありません、 あの服はすでに販売を終了してしまいまして……」

 服屋の店員は、言葉だけ申し訳なさを装って私に頭を下げた。


「そ……そう、それじゃあ仕方が無いわよね」

 よく考えれば、半年も同じ服がデパートに残っているはずも無い。

 無いものを無理にねだってゴネるほど子供ではないが、がっかりである。

 しかも、横にいたツヨちゃんがこんなことを言い出したのだ。


「前から思っていたんだが……そもそも、お前にあの服は似合わないだろ。

 むしろ天の采配じゃないか?」

「なんですって!?」

 横では、服屋の店員がたまらずプッと噴出していた。

 おにょれ……二度とこんな店くるもんですか!


 でも、あの服が自分にあんまり似合っていなかったのも事実である。

 それは正直に認めよう。


「よかったら、俺の知り合いの店に行かないか?

 そこの店の服なら、ななえにも似合うような気がするんだ」

 本当に? 疑わしいなぁ。

 ぜんぜんファッションに縁があるように見えないし。


 でも、仕方が無いからつれてゆかれてあげよう。

 よきにはからえ!


 *まさかの-1センチ*


「……なんか、すごくいいかも」

 ツヨちゃんに教えられた店は、やや大きな通りの裏通りにある小さなブティックだった。

 予想に反してひどく私に似合う服がそろっていたその店で、私はなんども試着を繰り返し、そのたびにツヨちゃんに意見を求めるのだが、彼は私をまともに見ようとしない。


 店の人も、なぜかニヤニとした顔でツヨちゃんを見ている。

 もしかして、お前の彼女か……とでもからかわれているのだろうか?

 不本意な。 残念だけど、ツヨちゃんは好みではありません。


「えっと、じゃあ……コレください」

 ようやく同窓会に来てゆく服を決めた私は、レジの店員さんにその服を持ってゆく。


「まいどあり。 剛の知り合いだし、少し安くしとくよ。

 ほら、剛。 少しはお前も褒めたらどうなんだ?」

「う、うるさい……まぁ、すごく似合ってると思う」

 なんという適当な褒め言葉。

 まぁ、君らしいけどね。


「そっかー、あの人も、私のこと少しは意識してくれるかな?」

「……そうだな。 ちゃんとお前のこと見てくれるといいな。

 これだけいっぱい頑張ったんだし」

 そう言って笑う彼の顔は、なぜかとてもぎこちなく見えた。

 その横で、店員さんが大きくため息をつく。


 けど、同窓会で注目を浴びる妄想をしてすっかり浮かれていた私は、その意味にまったく気付こうともしなかった。


 そして同窓会当日。

 憧れだった人は、相変わらず素敵だった。


「なんだ高橋、むかしより綺麗になったんじゃないか?」

「う、うん。 ありがと! 河野君は相変わらずだよね」

 そう、私の憧れの君は、相変わらずだった。

 むかしと変わらず、常に綺麗な女の子に囲まれていたのである。


 彼が挨拶をしてくれた今も、彼の横にいる女が勝ち誇ったような目で私を見ていた。

 私は絶望とともに理解しなければならない。

 ダイエットに成功しても、可愛い服を着ても、けっきょく素材の差は埋めきれないのだと言う事を。


 最初からそんな事はわかっていたのだ。

 でも、ほんの少しでも希望がほしかったのだ。

 せめて好きだった人の前で、太った姿は見せたくなかった……そんな女の見栄を、どうぞ笑いたければ好きなだけ笑えばいい。


 もう十分だ。 とっとと帰ろう。

 そして、ツヨちゃんにぜんぜんダメだって笑いながら報告して、その後で自分の部屋に帰ったら泣くのだ。

 泣けるだけ泣いて忘れるのだ。


 だが、上品な飲み会として終始した一次会が終わり、少し酔いの回った私が帰ろうとしたその時である。


「なぁ、高橋。 このあと二人っきりで脱けだしてどっか行かない?」

 そう声を掛けてきたのは、河野君その人だった。


「うん、いいよ?」

 少しは危険だと思わなくもない。

 いや、こんな誘い方をするのだから下心満載だろう。

 いくら恋愛経験皆無の私でも、それがわからないほど馬鹿じゃない。

 けど、もしかしたらと期待してしまうのだ。

 そしてその希望に抗えない……それが弱いということなのである。


 わかるだろうか? 酒の酔いと都合のいい妄想で頭の中が沸騰して何も考えることの出来なくなった私の浮かれ具合が。

 最低から最高へ。

 その落差が大きいほどに、人は感情に振り回されて愚かになってゆく。


 だが、私が幸せな気分でもみ消したはずの予感を彼が口にしたのは、二人っきりで二次会を始めてから一時間ほどした頃のことだった。


「でさ……ちょっと今、お金に困っているんだ。

 少しでいいから、貸してくれないか?」

「……いくら必要なの?」

「五十万でいいんだ。 お願いできないかな?」

 困っているというには、ずいぶんと中途半端な金額に思える。


「急にそんな事を言われても……」

 河野君、貴方は変わってしまったのね。

 そして貴方は、私と同じ弱い人だった。


「悪いけど、すぐに必要なんだ。 手持ちがなければ、ここにサインをするだけでもいい」

 そう言いながら、彼は一枚の書類を私の前に広げて私に見せ付ける。

 ざっと内容を確かめたが、とても素直にうなづくことの出来ない条件であった。


 ――逃げよう。

 だが、私がそうするよりも早く彼の手が私を捉える。


「まさか、嫌なんて言わないよな? だって、俺のことが好きなんだろ?」

「手を離して! セクハラで訴えるわよ!!」

 だが、立ち上がろうとした体に力が入らない。


「やっと薬が効いてきたか。 なかなか倒れないから、効かないのかと思ったぜ」

 ドヤ顔して、自分が何言ってるかわかってるの!? この……屑男!!

 こんな下種にときめきを感じていた自分がどうしようもなく情けないわよ!!

 そう口にだそうとしても、言葉がうまく出ない。


 店の人間も特に騒がないところを見ると、最初からグルなのか。

 何もかもが最低だ!


「あぁ、しっかり楽しませてやるから、期待していいよ。

 お前にはこれからも定期的に金を貸してもらうつもりだから、精一杯サービスさせてもらうさ」

 耳元で囁かれる言葉がどうしようもなく気持ちが悪い。

 彼の指が私の顎を捉え、私の唇をヤツの顔に近づけてゆく。

 だが、私はただはを食いしばって耐えるしかなく、その絶望に満ちた顔をヤツは楽しそうに見つめていた。


 誰か……助けて!!

 けど、私の心の中の声に応える人はいない。

 だって、ここはヤツの用意した蟻地獄の巣なのだから。


 そう思った瞬間、私の顎を捉えていた指が不意にその動きを止めた。


「悪いが、そこまでだ」

 聞こえてきたのは、ここにいる筈のない人の声。

 この低くて迫力のある声を、たぶん私が間違えることは無い。


「誰だ、お前」

「ななえの知り合いだよ。 彼女を迎えに来た」

 その言葉とともに、私の体が太い腕によって軽々と持ち上げられる。


「おい、勝手なことする……な……」

「何か文句でもあるのか?」

 もしも私の口が自由に動いたならば、きっと笑い転げていたことだろう。

 強面である彼に睨まれて、震えながら引き下がるしかないあいつの顔を見ることができないのがひどく残念だ。

 そして私は彼に支えられたまま、引きずられるようにして店の外に逃げ出したのである。


 *やっぱり15センチ*


「あれがお前の好きだったやつか?」

「……うん」

 彼とそんな言葉を交わしたのは、私のアパートにも近い公園のベンチのこと。

 その頃には薬の効果も薄れてきたのか、私もかなりろれつの怪しい口調ではあるもののしゃべることが出来るようになっていた。


「……なんも、きかにゃいの?」

「聞いて欲しければ、いくらでも聞くぞ」

「ううん……こにょままれいい」

 気がつくと、私は彼の胸に顔をうずめて、すがりつくように泣いていた。

 あいつとは違う香り、あいつとは違う息遣い。

 最初見た時は怖いと思っていた彼の大きくて逞しい体が、今は誰よりも安心できる。


 どうしてだろうか。 ものすごく最悪な気分なのに、時がこのまま止まればいいと思ってしまうのは。

 そしてずいぶんと長い時間がたってから、彼はため息とともに立ち上がった。


「俺、帰るわ。 今、お前の傍にいると、心が弱ったところにつけ込んで口説きそうになるから」

 たしかに、その通りだ。

 今本気で口説かれたら私は彼を拒みきれないだろう。

 だって、そのほうが楽だから。


「迷惑かもしれないけど、お前のことが好きだ。

 でも、今のお前に告白を受け止められても、それはフェアじゃない。

 いつか、お前が立ち直ったら、そのときに改めて告白する。

 そのときまで、俺とお前はただの友達だ。

 でも……お前が落ち着いたとき、それでも俺のことが嫌いじゃなかったら……結婚も含めてこれからのことを考えてみてくれないか?」


 彼の口から飛び出した台詞に、私は今日の最悪な出来事が全て塗り替えられてゆくような気分を味わっていた。

 神様は、酷い。

 どうして人生最悪の出来事と最高の出来事を同じ日に用意するのだろうか?


 それからというもの、私はひどく困った状況に陥ってしまった。

 彼のゴリラ顔が、どうしようもなく好きになってしまったからである。

 どうしようもなく合いたいと思う反面、どんな顔で彼と話せばいいのかがわからない。

 彼の電話に対しても、居留守を使うことが多くなった。

 直接会うなんて、もっての他だ。


 そんなある日、私は鏡に映る自分に絶望した。

 もう、笑うしかないでしょこれ。

 なんと、……いつのまにか私の体型は見事にもとの状態にもどっていたのである。


「なによ、この情けない女。

 自分が弱虫であることを理由に何もしないとか、すごく格好悪い」


 でも、過ぎた時間が私に気付かせてくれたのだ。

 自分に本当に必要な人が、誰かを。

 だから、自分に絶望するのはもう終わりにしよう。


 そして、私は再びいつかのトレーニングジムへと足をむけたのである。

 人生最大の決断を胸に秘めて。


「岩隈つよしさんをお願いできますか?」

「あ、はい……しばらくお待ちください」

 すっかり人気インストラクターとなった彼はずいぶんと多忙らしく、姿を現したのはたっぷり二時間ほど待った後だった。


「なんだよ……すっかり見ちがえたな」

 すっかりデブに戻った私を見て、彼はひとしきり笑った後で優しく微笑む。


「……でしょ?」

 いざ会ってみると、今までのわだかまりが嘘のようにすんなりと笑顔を作ることが出来た。


「もしかして、あの日の答えを言いに来たのか?」

 彼の目が、何かを期待するような光を帯びて私を見つめる。

 あぁ、彼はずっと待っていてくれたんだ。

 こんな情けない私を。


「あのね、私……もう一度痩せたいの」

「トレーナーの指名は、もちろん俺だよな?」

 間髪をいれず、彼はそう尋ねる。

 その必死な態度が妙におかしかった。

 馬鹿ね、こんな私を選ぶだなんて。


「ええ。 でも、後悔するかもしれないわよ? 私、根性無しだし、いい女じゃないから」

「そんなの、最初から知ってる」


 馬鹿にするのではなく、私の駄目なところも、格好悪いところも、全部知っていて全てを受け入れてくれる優しい言葉。

 そんな彼だから、あの時の台詞に答えをそう。

 私はバッグから一枚のパンフレットを取り出した。


「……これは」

「もし、私がこの服を着てみたいといったら、どうする?

 今ならまだ逃げられるけど?」

 そのパンフレットに移っていたのは、純白のウェディングドレス。

 むろん、今の私では着ることの出来ないサイズの服だ。


「この服を着るには、今からウエストを15センチも落とさなきゃいけないの。

 お願いできる?」


 彼は幸せそうに笑うと、私をしっかりと抱きしめた。


「絶対に痩せます。 ダイエットとは、無理をせずに適度に長く行うことが大事なんです。

 ですので、俺の作ったスケジュールから絶対に外れないでください」


 私がふたたび目標として決めた15センチ。

 不安になったり弱音を吐いたりしながら、でも、たぶん彼とならば乗り越えて行ける。

 唇と唇が触れるやわらかな感触におぼれながら、私はそうかたく信じるのだった。

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ハッピーエンドまであと何センチ? 卯堂 成隆 @S_Udou

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