金の邪眼

藍上央理

金の邪眼

 草原を飛び回る金や水色の風の精霊が、すすきをはたく手を止めた。

 息をひそめろ。魔法がそう命じていた。

 精霊は息を止め、その魔力を発する主を見た。少年は額に布を巻き、黒く長い巻毛が自分の視界を遮ってしまわないようにしていた。腕を後ろに引く。ふるふると腕の筋肉が震えている。魔力で矢を作り、無邪気に精霊を追いかけるキツネウサギにねらいを定めていた。矢は音もなくキツネウサギの頭を通り抜け、瞬きもしないうちに少年の仕事は終わっていた。

 草原が再びさわさわとおしゃべりを始める。魔力が支配する国では、あらゆる現象が魔法の産物、いや所業なのだ。

 少年は額に巻き付けた布を取り、長い巻毛をくくりつけた。焼けた肌が陽に照り返り、引き締まった上半身は健康そのものだった。彼はキツネウサギの四肢を縄でくくりつけると、母親のために持って返った。

「ヴァッシュ、またキツネウサギなのかい?」

 母の口癖のような問いかけに、ヴァッシュと呼ばれた少年は笑った。

「アルギーラよりかずっといいだろ?」

 ちいさな一角ウサギよりもと、キツネウサギを指さした。

「たまにはミシリーラでもとってきておくれ」

 白い羽根をもつ巨体の一角のウサギは捕らえにくいが美味なのだ。母親のそういう軽口にヴァッシュは明るく笑った。ヴァッシュには片目がない。笑ってもその左目はがらんどうで、落ち窪んでいた。彼の母親もまた、指の数が通常よりも少なかった。しかし、そのかわり、それを補って足りる魔力を二人は手に入れていた。体の一部も失わずに魔力を得るものは呪われた者と、この地方では言われた。たしかに他の地方には完全な体に魔力をもつ者はごまんといる。それは先祖がもとからこの世界の生まれだったからだとか、取引した神様がよかったからだとか言われていた。 

 ヴァッシュ自身は魔力の矢を作り、それで生き物を傷つけることができた。彼の母親は何もない場所から火を生むことができた。もしも、魔法の力がこの世のすべてだと言われ、その力を与えられるとしたら……。

 初めからもたないものをよりもっともちたいという気持ちが、しかし、ヴァッシュにはなかったと言いがたかった。


 


 いつものようにヴァッシュは狩りに出た。キツネウサギの燻製が尽きたので、彼の魔力の矢の効力を示すときが来たのだ。

 ヴァッシュは朝早くから出掛け、草原の草むらを掻き分けてじっと待ち続けた。陽は高くなり、そして、傾きかけた。ヴァッシュは辛抱強く待ち続けた。

 息をひそめ、草をまじないの形に結わえながら、動物寄せの縄を編んだ。少しは効力を発揮したのか、遠くから茂みをザッザッと踏みしだく音が近づいてきはじめた。ヴァッシュは身構えた。そして、身を低くし、草の透き間から獲物を見据えた。

 しかし、そこにはキツネウサギだけでなく、一人の少年もたたずんでいた。金の髪、金の瞳。女のように美しい少年だった。ヴァッシュと同い年くらいの少年が、草の底に潜むヴァッシュをじっと見つめている。

 ヴァッシュは驚きと憤激に立ち上がった。

「それは俺の獲物だぞ!」

 大声で主張したけれど、金の少年の泰然とした態度に、なぜかしら気力は萎えかけていた。

 金の少年は髪を風になびかせて、にっこりと微笑んだ。少女のようなかんばせに笑みを浮かべる少年。金色の両目が、世界の空に浮かぶ二つの惑星のように、ヴァッシュの心を強く引き付けていた。

「これが? 君のものなの? いったいいつだれが決めたの?」

 金の少年はさも馬鹿にしたように言った。

「さっきからねらっていたし、俺がまじないで呼び寄せたんだ」

「どうやって? 魔法の力で? そんなちゃちな?」

 ヴァッシュはぼうぜんと、金の少年を見つめていたが、我に返り、もう一度同じことを言った。

 金の少年は微笑んだ。まるで、がんぜない子供をあやすように指を立て、キツネウサギの額をつついた。ヴァッシュの目の前でキツネウサギは、くるくると一本のリボンになって地に臥せった。金の少年のついた額からピリピリと裂け、空を漂い、ぺしゃんこになってしまった。

「キツネウサギのリボンだよ。お土産にもって帰りなよ」

 金の少年は無邪気な笑みを浮かべたが、そこはかとなく妖しげに陰っていた。

 ヴァッシュが黙ったままでいると、金の少年は続けて言った。

「何がほしい? キツネウサギ? アルギーラ? ミシリーラ? ヴァヴィッシュ!」

 金の少年は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 名を呼ばれたとたん、ヴァッシュは動けなくなっていた。金の少年はヴァッシュの本当の名を知っていたのだ。その名は母親しか知らないはずなのに。誠の名を知る者に、その名を呼ばれた者は逆らえないのだ。

 ヴァッシュの体は石のように硬くなり、彼の全神経は恐ろしいことに金の少年のものになってしまった。

「お前は力を手にしたくはないか?」

 ヴァッシュは静かに逆らわず、金の少年の言葉を聞いていた。

 金の少年はそんなヴァッシュの態度を見て低く笑った。

「おまえの目。その銀灰色の瞳に釣り合う、美しい宝石をあつらえてやろう」

 ヴァッシュは辛うじて首を振った。舌は魔力の封印で動かなかったが、必死で答えた。

「悪……霊め……、おま……えは……だれだ……?」

 金色の少年はキツネウサギのリボンをつまみ、振り回した。見る間にリボンがつながっていき、美しいミシリーラになって、その鼻づらを愛想よく金の少年にこすりつけた。

「悪霊よりたちが悪いかもしれないよ。それともこれはおまえの幸運なんだろうか? いいさ、このミシリーラがおまえと僕の約定の証しだ。もっていきな」

 突然、引き攣った魔力の戒めから解きはなたれたヴァッシュは、どっと草むらに倒れこんだ。ヴァッシュの心は怒りよりも畏怖に打ちひしがれていた。

「何をくれると言った?」

 ヴァッシュは自分の誠の名を呼ぶ支配者に、恐る恐るたずねた。

 金の少年はもう一度言った。

「おまえの目。その対の瞳を与えよう。僕の魔力を込めた宝石をやろう。おまえに完全な力を与えよう」

 ヴァッシュはブルリと震えた。この世界は魔力がすべてだ。力のヒエラルキーは魔力で決められる。力さえ手に入れられれば、どんなことも可能なのだ。ちっぽけな矢を作り、日々の糧をやっと手に入れるような苦労をしなくともよいのだ。

「あした、僕はまたここにくる。おまえには来る気はあるかい?」

 金の少年の言葉に、ヴァッシュは思わずうなずいていた。

 



「母さん、もっと強くなりたいと願ったことがある?」

 ヴァッシュはミシリーラの皮をはぎながら、母親にたずねた。

「また寝言を……、若いうちはそんなたわごとを言うんだね」

「たわごとじゃないさ」

「たわごとだよ。強くなりようがないじゃないさ。生まれたときからもっている力が自分の力なんだから」

 ヴァッシュは頑固な母親の言葉にいらだって、皮をはぐ手を休めて言った。

「だから、これから強くなるんだ。魔力を増して、何かを引き換えにってわけじゃなくて……!」

「おやめ!」

 その言いかけた言葉を母親はどなって遮った。

「母さん……」

「ヴァッシュ、よくお聞きよ」

 母親の顔は不安に曇り、引き攣っていた。ゆっくりとヴァッシュに近づき、彼の手を取った。

「ヴァッシュ……、あんたがだれにそそのかされたのか、あたしにはわからない。けどね、後から継ぎ足された力は決して自分の力じゃない。その魔力はよこしまな力なんだよ」

「なぜ? なぜ母さんはそう言い切れるんだ?」

 母親は遠い目をした。暗い瞳がずっと昔を覗きみていた。母親は昔を思い起こし、ぽつりぽつりとヴァッシュに語って聞かせた。

「以前、この草原だけで、あたしたち一族は数十人は暮らしていたんだ」

「でも今は俺たちだけだね……」

「そうさ……。生き残ったのがあたしだけだったからだ。あたしは幼かった。草原に遊びに行って、そのとき村で一体何が起こっているか、何にも知らなかったんだ。とんでもないことが、口にするのさえ恐ろしいことが起こっていたんだ。本当に……、恐ろしいことが……」

 母親は言葉を切り、魔よけの呪文を口早につぶやいた。

「母さん……」

 母親はヴァッシュの肩を取り、早口で続けた。

「村に邪眼がやってきてたんだ。そして、村は全滅した。あたしの母も父も、伯父も、兄も……、みんな……、すべて、イーヴルアイに殺されたんだ」

 ヴァッシュは息を飲んだ。しかし、その壮絶な風景を想像できなかった。ヴァッシュは、優しくいたわりながら母親の背中をなで、自分の不安を追い払おうとした。

「ヴァッシュ、よくお聞き。あたしたちの一族は体の一部と引き換えに、この魔法の世界に住む資格を手に入れたんだ。体の一部を魔力にして、今まで何の不自由もなかった。この草原であたしたちの一族は生活している。それで十分なんだよ。他になにもいりゃしないんだよ! 自分のものじゃない魔力を自分に込めるなんて、よこしまなことなんだよ? なぜ……、なぜお前は与えられたもので満足できないの? ひとは生まれ備えたもので満足しなくちゃならないときもあるんだ……!」

 母親の目には涙が浮かんでいた。

 しかし、ヴァッシュはかたくなだった。首を横に振り、答えた。

「母さん……、もう決めたんだ」

 母親は泣き崩れた。

「まだ逃げられるんだろう?」

「母さん、あいつは俺の名前を知ってるんだ」

「ヴァヴィッシュ…… 」

 母親は床にはいつくばって叫んだ。

「あたしはあんたの幸せだけを願っていたのに……!」

 ヴァッシュはただぼうぜんと立ちすくんでいた。


 


 草原にさわさわと風の精が舞う。くるくると旋風を起こし、草が絡まった羽根をとろうと必死でもがいている。

 ヴァッシュは約束の場所にきた。

「よくきたね」

 金の少年の声は頭上から響いた。名前でヴァッシュを縛り付けていたくせに、金の少年はひょうひょうとのたまった。金の少年は空に浮かび、ヴァッシュをにっこりと見下ろしていた。

 とっさに、いや昨日からか、ヴァッシュにはうかがえた。この金の少年は見かけどおりではないと。ドラゴンのように完全な魔力を支配する力を有していると。この金の少年にはできないことなどないのだと。そして、逆らえば殺されると。

「そう、とてもいい子だ……その洞察力には感心するよ」

 ヴァッシュの考えを感じ取った金の少年はつぶやいた。

「約束は守る。守らなければおもしろくない。歴史と悲劇は有り余る力の産物だ。おまえがすばらしいタペストリーを織ることを期待してるよ」

 金の少年が空中からなにかを取り出し、握り締めた。そして、それをヴァッシュのがらんどうの右目に投げ付けた。

 ヴァッシュは悲鳴を上げ右目をかばった。

 金の少年が笑っている。気が狂ったような笑い声を上げ、

「僕は金だ。金の神だ。恨むのなら僕を追え! 僕を殺せ、殺せるものなら! 邪眼あってこそ、金の時代がくるんだ! お前のタペストリーがこの世界の模様を変えていくんだ!」

 笑い声に風が逆巻き、翻弄されるままに精霊は悲鳴を上げた。くるくると竜巻が巻き起こり、ヴァッシュがあわてて顔を上げたときには、だれもいない草原に彼だけが立っていた。ヴァッシュは立ちすくんだ。胃のすくむ思いに吐き気がした。

 金の神……? 金の神はすべての神なのだ。すべての魔力の集結なのだ。この世界を分割して支配する、四神を統括する神なのだ。その神に、なぜ自分が見入られてしまったのか 

 ヴァッシュは恐る恐る目をあぐねる。視界がおかしい。ないはずの右目で世界を見ているではないか。ヴァッシュは初めて気付いた。自分は間違いを犯した。右目は手に入れるべきではなかったのだ。この右目が正しいものであるはずがなかった。

 ——邪眼。 

 ヴァッシュは走り出した。母親の言葉が聞きたかった。そんなことはない、愛しているという安らぎの言葉を。

 草原に魔法の杭の境界線を引き、外部の侵入を遮っている家屋が見えた。ヴァッシュは駆け込んだ。母親と自分の二人だけの小さな家屋の間を走り抜けていく。大声で母親を呼び、母屋の扉を開けた。

「ヴァッシュ?」

 母親の声を聞き、急いでそちらを見た。

「ヴァッシュ !!」

 母親の驚きの声は一瞬のうちにむなしく空をさまよった。

 ヴァッシュの瞳に母親の姿が映ったとたん、母親の体がくるくると空間からはぎとられ、むしりとられ、一本のリボンになって床にたれ落ちた。

「うわあぁぁぁ!! 母さん !!」

 ヴァッシュは叫んでいた。床にはいつくばり、母親の模様のリボンを両手ですくいとった。

「ああ、ああ……!」

 土間の水瓶にすがりつき、その水面を覗いた。波紋に揺れる水瓶の表面に、金と銀の瞳が輝いていた。

 ヴァッシュは何もかも悟った。絶望が混乱を従えてやってきた。顔をかきむしり、腰からナイフを取り出した。俺は邪眼だ。人を殺す、破壊を呼ぶ、完璧で絶大な魔力をもつ魔人になってしまったのだ。ヴァッシュは奇声を上げた。手にした短剣で、発作的に右目を裂いた。血がほとばしる。しかし、どくどくと流れるのは自分の血のみ。金目には傷ひとつつかず、ヴァッシュは絶叫した。

 俺は母親を殺してしまった。これからはすべての人間を殺してしまうだろう。それは言葉にならず、口からうめき声として漏れた。力を望んだのは間違いだった。俺が死ねばよかったのだ。ヴァッシュは繰り返しつぶやいていた。

 何が悪かったのか……?

 自分に拒否する権限はなかった。受諾か、死か、選択する余地は二つだったのだ。

 ヴァッシュは顔を押さえた。両手のくぼみに血があふれる。

 原因は金の神だ。世界のタペストリーだと? 金の神を探せ……。そして追い詰め、自分の金目をくりぬかせろ……。それとも? 別の方法を探すのか?

 ヴァッシュは傷ついた顔に布を巻いた。旅支度を整え、そして、自分の生きる道を探すために村を出た。

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金の邪眼 藍上央理 @aiueourioxo

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