第33話 冒険者の心得(3)

 その場にいた狒々をすべて倒し終わったころには、シオンは多くの返り血を浴びていた。

 傾いた陽のオレンジ色の光が、山全体を包むように照らしている。シオンの華奢な身体も、同じようにオレンジ色に包まれ、魔獣のぬめる黒っぽい血でギラギラと光っていた。

 ウエストバッグから取り出した布でダガーに付いた血を拭い、ホルダーにしまうと、パーティーのほうを振り返った。あれだけの戦闘をして、特別大したことはしていないかのように。

「終わってるぞ」

 とシオンが声をかけると、立っていた者たちがどさりと崩れ落ちた。 

 すでにへたり込んでいる者は、途中から腰を抜かしていたのだろう。

 最初に襲われた男ソーサラーのナオは、気絶していた。

 ずっと威勢の良かったリーダーの伊田も、へたり込んでいた。シオンが近づいていっても立てないようで、それでも虚勢を張って引き攣った笑いを浮かべていた。

「……す、すげえ凶悪なモンスターだったすね」

「ん? ああ、顔はな」

 シオンはバッグから一応持ってきていた気付けの魔法薬(ポーション)を取り出し、失神しているナオに飲ませてやった。しばらくしてナオはうっすら目を開けた。

「でも、ガルムみたいな大型の魔獣は、狒々の群れを襲って喰うんだけどな。狒々は、人間と味が似てるらしいから」

 そう言うと、伊田の顔は真っ青になり、目の端に溜まっていた涙がぽろりと零れた。女たちもしくしくと泣き出し、起きたばかりのナオはまた失神した。




 シオンは依頼の完了を協会に報告し、そのときに出口で狒々に襲われたことを伝えた。一応、登山コースが近い。まだ仲間がいるかもしれないし、死体に惹かれて他の魔獣が現れる可能性もある。警戒したほうが良いと思ったのだ。

 しばらくしてやって来たのは、ダンジョンで会った森田だった。バトルハンマーを担いだ牛頭の女性ファイターも、タオルを首に巻いたそれこそ登山客のようなソーサラーも、やはり一緒だ。 

「よう、また会ったな。小野原くん。……と、えーと、君たちはたしか……えーと、ハウスダストだったな。ちゃんと覚えてるぞ」

 と笑いながら言う森田に、伊田たちは突っ込む気も無いらしく、生気の無い目を向けるだけだった。

「怖い目に遭ったみたいだな。登山客の保養所で休んでたんだ。センターから連絡が回ってきて、狒々が出たって連絡が来てな。大丈夫だ、近くの警備の奴らもこっちに向かってる」

 散らばった狒々の死体を見て、森田が言った。

「死体はこのままでいいか? 出来たら、オレたちは帰りたいんだけど」

 シオンが尋ねると、森田が頷く。

「ああ。早めに回収しないと、別のモンスターが来るかもしれない。あとはこっちでやっとくから、すぐに離れるといい」

 その言葉に、初心者たちはまた恐怖に顔を引き攣らせた。

「このへん、登山客が多いんだよな。大丈夫なのか?」

 あれだけの狒々が出て人を襲うなんて、よくあることなのだろうか。危険な場所じゃないかとシオンは思ったのだが、森田は答えた。

「逆だな。人が多い所こそ、モンスター対策もしっかりしてる。観光客や登山客の安全のために、元冒険者の警備員なんかも大勢雇われてるしな。モンスターも分かってんのさ」

「きっと、人気の無いダンジョンにやってくる冒険者を襲ったほうが、彼らにとっても楽な狩りだったんでしょうねえ」

 森田の仲間のソーサラーが後を続けた。

「僕たちが出たときには、いなかったですけど。運が悪かったですね」

 そうか、もしかしたら、入るところから見られていたのかもしれない。そうシオンは思った。人間を襲おうとして何度も手酷く追い返されていたこのあたりの狒々たちは、警戒心も強くなっていた。

 先に来た森田たちよりも、後からぞろぞろとやって来た人間たちのほうが、彼らにとっても隙だらけに見えた。美味しいご馳走に見えていたということだろう。

 狒々は雑食で、木の実やキノコも食べるし、獣も虫も獲って食べる。だが、人の味を覚えると、その格別な味が忘れられなくなるらしい。

 もしかしたら、トラップを仕掛けに来た奴も、その帰りに喰われているかもしれない。

「大きな怪我はなさそうだが、酷い返り血だな。良かったら保養所で休んでいくといい。人間の味を覚えた狒々をこれだけ始末してくれたんだから、喜んで世話してくれるだろうよ」

 ぽんぽんと森田がシオンの肩を叩く。

「とにかく君らは、小野原くんと一緒で良かったな。狒々は弱らせた人間の頭を割って、脳みそから喰うんだぞ」

 その言葉に、伊田たちは頷くことも出来ず、ただ青褪めていた。一人の女が涙を堪えながら、おずおずと森田に言った。

「あの、帰り、どなたか送ってもらえないですか……おじさんたち、レベルがすごく高いんですよね……?」

「ん? でも、オッチャンなんか小野原くんより強くないぞ、多分」

「え、だって、レベルが……」

「俺はスカウトだ。レベルは確かに42だが、二十年以上冒険者やってて、協会に頼まれてせっせせっせとトラップ解除し続けてたら、まあそんぐらい上がるわな。小野原くんの年齢でファイターのレベル11っていうのは、相当の腕だぞ」

「戦いを間近で見たなら分かるでしょう? 狒々っていうのは、襲ってきたのをただ倒すよりも、逃がさないほうが大変なのよ」

 女ミノタウロスがバトルハンマーを手に、ふうと息をつく。

「弱いものには強くて残酷なんだけど、劣勢になるとすぐ逃げちゃうから……そういうやつって苦手なのよね。まとめてこっちに向かってきてくれれば、ホームランなんだけど」

「母ちゃんのケツバットは、マジにケツが八つくらいに割れるからなー」

「ちょっと、もー、いやね! お父ちゃん、大げさなんだから」

 とミノタウロスが森田の背中をバンと叩く。森田が多分大げさではなく酷くむせ込んだ。

 あ、この二人夫婦なのか……とシオンは今日で一番驚いた。

「でもほんと、よくこんな依頼受けてくれましたねえ」

 あははっ、とソーサラーは笑い、シオンのほうを見た。

「僕ならこの子に一日で二十万払って、雇ってもいいなぁ。どうです? ガルムより大型のケルベロスの歯の採取、行きませんか? 福島の地下ダンジョンにいる個体が、そろそろ歯の生え変わる時期なんですよ。ダンジョン自体100階層くらいあるから、何日か拘束しますけど、もちろん一日につき二十万……いや、二十五万ずつ払いますよ。どうです? 家庭持ちは行ってくれないんですよ。といってもこの仕事はね、君みたいな腕の立つ、小柄な素早いワーキャットが適任でねぇ。倒さなくていいんだよ。ぱっと行って、歯を捜して拾ってきてくれればさ。知ってます? ケルベロスの抜けた歯は、高純度の魔石に匹敵するんですよ。もちろん歯一本につき別報酬出すし、奥歯なら更に上乗せ」

「あ、いや、あんまり長くかかる仕事は……」

 冗談かと思ったら本気らしい人間魔道士に、かなりしつこく誘われたシオンだったが、森田たちも止めてくれて、なんとかかわした。無理やり名刺は押し付けられたが。

「レベル45より強い……? ケルベロス……? なんだそれ……ぜんぜん、次元が違うじゃん……」

 そんなやりとりを、伊田たちはただぼんやりと見つめるだけだった。




 結局、伊田たちは森田に任せ、シオンはバスの時間があるので、先に帰ると告げ、その場を立ち去ろうとした。

「待ってください!」

 そんなシオンを、一人が追いかけてきた。ダンジョン内で最後尾を務めていたファイターの青年だった。

「竹田さん」

 シオンに名前を呼ばれ、ひどく恐縮した。

「あ、いえ。そんな。呼び捨てで、いいです」

「いや、まあ、年上だから」

 そのわりには敬語はまったく使っていなかったので、ちぐはぐな気はするが、シオンは一応そう言った。

「どうした?」

「あ、あの、……あ、ありがとうございました!」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「それと、すみませんでした。今日は色々と。みんな悪い奴じゃないんですけど。学校以外でダンジョン行くの初めてだから、緊張してたんです」

「分かってる。オレも、色々言い過ぎたし」

「いえ、先生は正しいです」

 と真っ直ぐな目で、竹田はシオンを見た。ファイターたちはみんなそれなりにシオンの話を聞いてくれたし、帰りもしっかり挨拶をしてくれた。中でも、彼はびくつきながらも、一番熱心に話を聞いていた。

「伊田とかも……ホントは分かってると思います。俺たちはいきがってるだけで、冒険者は思ってたより厳しい世界なんだって……」

「いや。オレもあんまり大したことは教えてねーし。学校行ってただけあって、色々知ってたし。そんなに教えることなかったよ」

「そんなことないです。学校の授業って、ほんとに安全なんです。在学中に大ケガしたり、死んだりしたら、まずいから」

 その言葉に、学校が退屈だと、桜があっさり退学してきたことを思い出す。

「だから、本とかネットの情報で知ってても、狒々にまったく対応できなかった。小野原さん居なかったら、俺たち、死んでました。それが分かるから、震えが今でも止まんないです……」

 篭手を付けた竹田の手は、言うとおり震えていた。仲間との揃いのバングルを、気恥ずかしそうに見つめている。

「それこそ最初は、俺たちだけでデビューしようって言ってたんです。だから、親たちがセンターに引率を依頼したとき、伊田とかすごく嫌がってたし、だからよけい反発してたんだと思います。俺も正直、みんなと一緒ならやれるんじゃないかって思ってました。でも、親が正しかったです。俺たちだけだったら、調子こいてスライム部屋入って暴れて、疲れてるところを狒々に襲われて、全滅してたと思う……」

 薄く笑いながら、震える腕を下ろす。

「学校は、ただ楽しかったんです。当然ですよね。命がかかってなかったから。その延長で、サークルみたいなノリになっちゃって。すみません。ほんとはみんな緊張してて。あの、生意気ばっかりだったと思いますけど、でもホントは、先生があのガルムを倒した冒険者だってセンターの人から聞いて、すごい人が来るって喜んでたりもしたんです。思ってたより若い人で、びっくりしたけど……」

「あのときは、腕の良い連中とパーティーを組んでたからだ。一人なら倒せてない」

 そうシオンは答えた。

「アンタもファイターなら、敵だけじゃなくパーティーの動きを良く見ろ。ファイターを肉壁なんてバカにする奴もいるけど、ソーサラーもガンナーもその肉壁がいないと、攻撃に徹することはできねーんだからな。敵を倒そうとするよりも、仲間を守れよ」

 などと、実際は自分もソロの分際で、偉そうに語ってしまったとシオンは少し思ったが、駆け出しファイターの青年は、真剣に頷き、いつの間にか懐から取り出したメモに、最後の教えを書き留めていた。

「はい! また、機会があったらお願いします。先生」

 竹田はまたも、深々と頭を下げる。答える代わりに、シオンは笑った。というか、照れた。

 嬉しい気持ちもあるが、そもそもこっちは年下だし、先生呼びには参った。





 その晩はアパートに戻って、すぐに眠ってしまいたかったが、朝、紅子からメールが来ていたので、その返信だけはするつもりだった。

『今日はお仕事の日だね。がんばってね! あ、返信不要です!』

 とはあったが、帰りに近所のコンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、メールを打った。しかしメールを打ちながらも、寝てしまいそうだった。

『ダンジョンから帰った。最低でも三日は休むから、しばらく家に居る。でも今日は眠いから、寝る』

 送らないほうがいっそマシじゃないのかと思う文面だが、考えるのも面倒だったので送った。わりとすぐに、返信があった。

『お疲れさま! どんなことがあったのか、すごく興味あります。今度聞かせてほしいな。私はファミレスのバイトでお皿を割っちゃいました。もしかして小野原くんに何かあったんじゃと思ったけど、ただのドジだったね』

 それはただのドジだ。

 とシオンは思ったが、彼女の慌てふためく姿を想像して、少し笑ってしまった。

『それから、ダンジョンに潜る装備も買いました。他にも、冒険に必要なものを色々と。貯めてたアルバイト代がすっからかんです。あとは認定が下りて、冒険者になれるといいな。疲れてるときに、長々とごめんなさい。話したいことがたまってるみたい。また電話してもいいかな。でも今日は、ゆっくり休んでね! おやすみなさい』


 彼女らしい無邪気さと優しさが感じられる文面だが、装備を買ったという部分だけが引っかかった。ちゃんとしたものを買えたのだろうか。

 いや、しかし今は、ただ眠い。もう買ってしまったのだから、何も言うまい。

 これも、のちに激しく後悔するのだが、今はそんなことも知らず、あまりに疲れていたシオンは、おにぎりも食べかけのまま、眠ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迷宮のドールズ オグリ @oguri

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ