第32話 冒険者の心得(2)

 ダンジョンを出る前に、シオンは全員に告げた。

「ダンジョンを出るときにも、気を抜くな。モンスターが居ることがある」

「待ちゴブリンですか」

 ダンジョンに人間が入っていると分かっていて、ダンジョンの中でなく、出てきたところで待ち、襲おうとするゴブリンの行動である。

 単純にゴブリンの生息数が多いので、ゴブリンによく見られる行動として「待ちゴブリン」などと呼ばれるが、他のモンスターでもこの行動をするものはいる。

「ゴブリンとは限らない。気をつけろ」

 滅多に無いが、獣墜ちなら最悪だ。ゴブリンなんかとは比べものにならない脅威となる。

 そして――実は、もっと最悪なのが、人間だ。

 ダンジョンの外で待ち伏せして、冒険者から報酬を奪う。いわゆるただの強盗だが、一番たちが悪い。

 まあ、こんな宝などありもしないダンジョンで、そんなことをする奴はいないだろう。

「でも、さっきの冒険者の人らが、先に出たから、大丈夫じゃないっすか」

 伊田の言葉を、シオンは否定した。

「とも限らない。たとえばゴブリンだったら、けっこうキレるからな。人間と見れば見境なく襲ってくるわけでもない。それに、あの人たちが先に何匹かやってたとすると、時間を置いて後から仲間が来る可能性がある。そこに出くわしたら最悪だな」

 怒鳴ったのもそれほど無駄じゃなかったのか、パーティーのほとんどが、シオンの言うことに耳を傾けるようになった。

「とりあえず、オレが先に出る」

 シオンの耳で分かる範囲で、ゴブリンの足音はしない。動かずにじっと身を潜めているなら別だが、それほど忍耐力のあるモンスターでもない。

 ダガーを握ったまま、シオンはダンジョンの外に出た。


 静かだ。


 シオンの耳がひくんと大きく動き、外側を向いてぴたりと止まる。

 登山道から離れた場所にあり、登山者も寄り付かない。森の中にぽっかりと穴を開けた洞穴の周囲は、しんと静まり返っていた。鳥のさえずりさえも聴こえない。

 シオンは無言で、後ろのパーティーに身振りで、止まれ、と指示した。


 本当に静かだ。


 だから、ささいな音も、よく聴こえる。


「――待ち伏せだ!」

 シオンは声を上げると同時に、両手のダガーを構えた。真後ろにはきょとんとした顔のパーティーがいる。

 入り口のすぐ脇の草むらから、獣が飛び出した。

 獣ではない。シオンの胸ほどの大きさもある、猿に似た魔獣だ。

 長い腕を振り回し、シオン目掛けて飛びかかってくるのを、シオンはギリギリまで引き付けて躱し、すれ違いざまに喉をダガーで裂いた。

 モンスターはそのまま地面に激突して倒れ、手足をばたばたと動かした。

「うわっ、なんだあれ!」

狒々ひひだ! まだいる!」

 近くの草むらや木の陰から、次々と狒々が顔を出す。群れで狩りをしに来たのだ。この場合は、人間を。

「ひ、狒々なんて、たしかザコモンス……」

「ギャギャギャギャッ!」

 伊田の声は掻き消され、独特の金切り声が辺りに響く。

 ざっと見るだけで十匹近くいる狒々が、それぞれが甲高い声を上げている。これは仲間と連携を取るために出している合図だと言われる。

 狒々は長い両腕をだらりと垂らし、二本足で立っている。シオンの胸くらいの高さで、顔と手足の先以外は白みがかった茶色の体毛に覆われている。

 猿のように見えるが、その顔は人間の老人がニタニタと笑っているのに似ている。その口は耳の近くまで裂け、鋭い牙がびっしりと生えていた。目は皺に埋もれて潰れているようだが、ちゃんと見えている。

「き、聞いたことはあるけど、戦ったことは……」

「無理に戦おうとしなくていい。戦えない奴は、ダンジョンの中に戻れ」

 背後で誰かが呟くのを、シオンはそう制した。本音は、下手に前に出られたほうが邪魔だ。

「戦うんなら全員で固まれ。ファイターが外側になって、しっかり盾を構えろ。動きが速いが、飛びかかってきたらチャンスだ。叩き落として、倒れたところを攻撃するんだ。一人で戦うな」

 シオンの助言をちゃんと聞けたのか聞けていないのか、とりあえずパーティーは皆あたふたと武器を構えだした。逃げる奴はいなかったが、逃げそびれただけかもしれない。

 しかし、何人かが固まらず、積極的に前に出ようとした。ずっと好戦的だった伊田や、メッシュ頭の男ソーサラーだ。

 シオンがやすやすと一匹を倒したせいかもしれない。飛び掛ってきたところを避けて、カウンターで倒せばよいのだろうと、あなどっている。


 違う、とシオンは叫ぶ前に、駆け出した。


「――我、古よりの契約において、炎を纏い操るもの……」

 男ソーサラーが、詠唱を始めていた。

 数メートル先の草むらから、様子をうかがっている狒々を狙っているようだ。

 魔法の詠唱は人それぞれ好みなので、そのフレーズからシオンが読み取れるのは、おそらく火炎系の攻撃魔法であろうということしか分からない。飛びかかってくる前に攻撃をぶつけるつもりだろう。

 だが、狒々は直接彼を襲うのではなく、ニタニタと小馬鹿にしたような顔で、野球ボールほどの石を素早く投げつけた。

「えっ」

 咄嗟のことに驚いた男ソーサラーは、詠唱を中断してしまった。駆けてきたシオンが、ダガーで石を叩き落とす。石を投げた狒々は四足になり、凄まじいスピードで草の中を走ってきていたが、武器を構えて割って入ってきたシオンに驚いたのか、さっと横に跳んだ。

「敵の攻撃パターンは一つじゃない! 単独で戦うな!」

 ぽかんと口を開ける男ソーサラーの横に、いつの間にか別の狒々も回り込んでいた。シオンを避けた狒々も、あくまで男ソーサラーを狙って再び駆け出した。その動きは素早い。

 狒々は連携で獲物を追い詰める。パーティーから一人離れたところで詠唱を始めた男は、集団からはぐれた格好の標的となったのだ。

「ひっ、ひいっ!」

 シオンもすでに彼を守るために駆けていた。杖を握り締めて棒立ちになった男に、二匹の狒々が爪と牙を剥いて殺到する。シオンは動けないソーサラーを力いっぱい蹴飛ばし、飛び上がった狒々の攻撃線上に割り込むと、右と左のダガーで一匹ずつ斬り付けた。一匹は首を半分切られた状態で、蹴飛ばされたソーサラーの上に落ちた。

「うわっ! うわぁ!」

 首が半分だけ繋がった狒々の死体を抱き、男ソーサラーがパニックを起こして喚いている。シオンは構わず、腹を浅く斬っただけのもう一匹を、追撃で倒した。

「ダンジョンに逃げろ!」

 男ソーサラーが抱えたままの死体を、シオンは叩き落とし、その背中をもう一度蹴り飛ばした。

「いたっ!」

 と男は声を上げたが、とりあえずは正気に戻ったらしく、半笑いの涙目でシオンを見上げた。全身がガクガクと震えている。

「こ、腰が……」

「誰か、コイツを担いでけ! 動けない奴は狙われるぞ!」

 シオンが叫んでも、すぐに動く者はいなかった。数秒の間に仲間が襲われかけ、二匹の狒々をシオンが倒した。初めて見るモンスターとの突然の戦闘に、やるべきことも忘れ、ただ立ち尽くしている。

「ギャギャギャギャッ」

 またも仲間が倒れたことで、狒々は甲高い声を出し合った。

「誰か、ナオを助けてあげてよぉ!」

 女のソーサラーが叫んだ。ナオというのは男ソーサラーのことのようだ。だが、誰もそれに応えられない。数体の狒々が彼らを取り囲み、恐怖心を煽るように、いっそう喚き立て、石や棒を投げつけた。

「うわっ、なんだよ、コイツら!」

「きゃあ! もう、やだ!」

 一人のガンナーが魔法銃を撃ったが、それは味方の横を掠めて、外れた。

「何してんだよ! 危ねーな! 後ろから撃つなよ!」

 怒鳴った伊田に、ガンナーが反論する。

「じゃあ、お前も戦えよ! 戦いたかったんだろ!」

 しかしガンナーの一撃は、当たらないまでも狒々たちを警戒させている。固まっている彼らに一斉に襲い掛かるのではなく、じりじりと囲んでいる。シオンは地面にへたれ込んでいるナオと、両方から目を離さず、もう一度叫んだ。

「いいから、こいつを守れ! いいか、オレが五秒数えるから、その間に、こっちまで移動して来い。そして、固まってダンジョンに逃げろ。五秒経ったら、オレはここから離れるぞ」

 狒々たちはシオンを警戒し、こちらとは距離を保っている。だが、シオンが離れれたところに、誰も助けに来てくれなければ、動けないナオはたちまち、群れからはぐれた仔羊のように狙われるだろう。

「1」

「えっ、やだよ、離れないでくださいよ!」

 涙声でナオが訴える。

「……2」

 無視して、シオンはカウントを続けた。仲間を発奮させるために、あえて彼を見捨てると言ったのだ。でなければ、このままではどうにも動けない。

「……3」

「小野原さん、ほんと、マジで、行かないで!」

 ようやく、何人かが動き出した。盾と鎧で防御を固めたファイターたちだ。青ざめた顔ではあるが、その防御力でそうそう死ぬ心配はないこともあり、他の者より余裕はありそうだ。

「……4……」

 ファイターのあとで、他のメンバーも慌ててついてきた。

 だが、固まっていたのがバラバラと動き出した途端、狒々たちは襲ってきた。

「うわあ、来る!」

 シオンはもう駆けていた。逃げる獲物を追い詰めようと殺到してきたところに飛び込み、ダガーを振るう。牙と爪の攻撃をくぐり抜け、喉を裂き、叩き落す。数が多いのを一人で相手にするのに、浅い攻撃は出来ない。一撃で、的確に喉を狙う。

「は、速い……」

 固まって身を守ることが精一杯な初心者パーティーは、素早い狒々の動きにすらついていけない。それをシオンは難なく捌き、確実に仕留めていく。その動きは、狒々よりも速い。それも、一撃喰らっただけで大怪我するかもしれない軽装なのに、躊躇なくモンスターに向かっていく。

 逃げ出そうと背中を向けるものにも、シオンは追いつき、首にダガーを突き立てた。狒々は痛みや恐怖をよく覚える。たとえ逃げられたとしても、二度と冒険者を待ち伏せしようとはしないだろう。

「あ、亜人って、あんなに強いのかよ……」

 不快感を呼び起こす威嚇の叫びを上げる狒々に、逆にシオンは低く唸って威嚇する。ワーキャットやワーウルフが発する唸り声グロウルに、狒々が怯む。それはかつて地上で彼らを捕食していた大型の魔獣を彷彿とさせる。

 動きが止まった一瞬で、シオンには充分だった。次々と切り捨てていく。

 パーティーもひとかたまりになり、ファイターが円になって仲間を守るように盾を構えていたが、彼らが剣を振るうことはなかった。そちらに向かおうとした狒々にもシオンは素早く反応し、どんな体勢からでも駆け出し、あっという間に追いつき、殺したからだ。

「……速いし……強い……」

 誰かが息を呑み、言った。たしかに、シオンにとっては雑魚モンスターなのかもしれない。だが、それは、自分たちでも倒せるという意味ではないと、もう誰もが分かっていた。

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