第31話 冒険者の心得(1)

 森田たちに出会って以降、パーティーがシオンを見る目も、少しは変わったようだった。

 他の冒険者との接触で、シオンが若いながらも彼らと対等な存在なのだと、少なからず認識したのだろう。


「あの人たちが居なかったから、どんなトラップが仕掛けられてたんでしょうかね」

 シオンの前で大きな盾を構えた筋肉質のファイターが尋ねる。

 トラップはもう無いという森田の言葉を信じ、隊列を変えた。ある程度自主性に任せ、シオンは後ろからサポートすることにした。

「さあな。……もう少し先、右手側の壁に、でかい虫が固まってる。五、六匹くらいか」

「あ、はい。このダンジョン、虫多いすね」

 パーティーのファイターは四人。大柄の盾ファイターに先頭を行かせ、その次にもう一人が続く。列の後方を守るのは、心配げにきょろきょろしている竹田と、別の一人だ。この四人のファイターはシオンも同じファイターだからか、真面目に話を聞いてくれていた。

「こんなもんだろ。虫はどこでも多い」

「学校の演習で行くダンジョンは、もっと綺麗なとこ多かったんで」

 言いながら、盾を構えながら先行する。そのすぐ後ろにいたファイターも同様に動く。シオンの言ったとおり、壁に大人の拳ほどの大きさの虫が這っていた。ムカデに似ているがもちろん普通のムカデではなく、ダンジョンに生息する魔虫の一種だ。どこのダンジョンでもよく見るが、正式な名前はシオンも忘れた。でかいムカデと呼んでいる。毒を持ち、刺された箇所が大きく腫れ上がる。

 先行する二人のファイターが、手にしている剣で黙々と虫を突き、払っていく。

 当初、彼らの動きに無駄が多く、また意味の無い掛け声を出していたことが、シオンは気になった。「せっかく固まってくれてるんなら、下手に散らすな。黙って殺せ」

 魔虫系のモンスターは、その姿が見えているときより、気付いていないときのほうが恐ろしい。

 シオンはあまり手を出さないようにしているが、彼らが仕留め損ねた魔虫がいれば、手にしたダガーで腹を裂くようにしてさっとはねた。

 天井に逃げたものは、射撃士ガンナーに処理させた。

「コイツは外側もちょっと硬い程度だけど、めちゃめちゃに斬り続けてると、刃を悪くする。柔らかい腹を狙ったほうがいい。魔虫には、殻が石みたいに硬いやつもいる」

「あ、はい」

 動きはそう早くない魔虫に慣れてきたのだろう。ファイターたちは壁をカサカサと移動する大きな虫を、剣で軽く払ってから、地面に落として剥き出しになった腹を突く。

「魔虫はとにかく種類が多い。同じように見えて亜種や突然変異がいたり、こっちからすればデタラメみたいなやつも多い。胴を切り離しても、頭と胴に分かれて攻撃してくるのもいた」

「気持ちわるーい。私、虫ムリなのに……」

 後ろから呟きが聴こえた。シオンにはしっかり聴こえている。虫が無理なら、冒険者をやるのも無理だ。

 ただでさえ小型モンスターばかりなのに、攻撃しているのは前を歩くファイターばかりで、後ろで見ているだけのメンバーは、退屈そうにしている。

「魔法で焼いたら早いのに……」

 誰かがそう言ったが、彼らにはもっと大事な役割を持たせているつもりだ。ランタンを持たせ、ソーサラーには魔法で光源を作らせている。

 魔法で作る光は燃料も要らず、何よりかさばらない。魔法の真の利点はこういう部分だろう。しかし魔法は同時に二つ出せないので、他の魔法を使えば光は失われてしまう。なので、ランタンも欠かせない。

「こんな通路で火なんか出したら、酸欠になるぞ。ただでさえ人数多いのに。もう少し先にも、同じような虫が何匹かいる。もっと奥にオオネズがいるけど、こっちじゃなくて奥のほうに行ってるな。無視してもいい」

「あ、はい」

 ファイターたちが声を揃える。

「それにしても、よく分かりますね……。小野原さん居たら、かなりラクっていうか、今までは気付いたら横に虫がいたりしたけど、今日はそういうの無いし。オレなんか光があっても、全然見えないですけど」

「見えてるわけじゃない。聴いてるんだ」

 シオンの耳は洞窟内のかすかな音を感じ、せわしなく動いている。人間には聴き取れない音だ。

「じゃあ、オレたちだけだと、聴こえないですね」

「ソーサラーがいるなら、肉体強化エンハンスで聴力を上げられるだろ。光源は作れなくなるだろうけど、ソーサラーが二人いるなら、役割を分けてもいいし」

「そうすると、すぐ攻撃に参加出来ないですけど……」

 不服そうに、メッシュ頭の男ソーサラーが言う。

「こんだけ人数居て、一番に攻撃する必要ないだろ。何と戦う気だ。せっかくソーサラーなんだから、光を作ったり、先に敵を見つけたり、他の奴には出来ないことがあるんだから、ファイターをラクにしてやれよ」

「でも、人数いるからこそ、ソッコーで攻撃してけば、早く殲滅出来ますよ」

 こちらもやたらと好戦的な伊田が、口を挟んだ。

「アンタらはまだ、あんまり敵を知らない。オレだってそうだ。知らないモンスターなんていくらでもいる。特に、魔虫は種類も多い。小さいからといって油断するなよ。ダンジョン内で小さな魔虫に刺されて、一発で死ぬ奴もいるんだからな。……ほら、足許。一匹見逃してるぞ」

 ファイターの横をすり抜けてきた魔虫を、ダガーの先端で軽くはらい、壁から剥がれたところで腹に刃を突き立てる。

 腹を裂かれた魔虫は、変な色の液体を撒き散らし、複数の足をばたつかせて絶命した。


天聖洞あまのせいどう》なんて大仰な名がついているだけあって、ダンジョン内にはいくつかの小部屋があり、祭壇のようなものの名残があった。

 森田の言ったように、小部屋はスライムの巣窟になっているところが多く、探索もせずに通り過ぎた。

 入り口はいかにも洞穴だったが、内部は人の手で整えられた印象だ。全七階層と聞いていたので、かなり深いかと思ったが、階段とも言えない段差で分けられているだけだった。そこまで狭くもないし、造りとしては面白いが、いまいち人気が無いわけも分かる。

 下に行くほど小部屋が多くなり、くまなく探索出来れば楽しめる初心者もいるかもしれない。だが、その部屋のほとんどは魔虫かスライムまみれで、足を踏み込むのも躊躇する。まともに戦う必要もないモンスターだし、そもそも生理的な嫌悪感がある。

 こんな人気の無いダンジョンにまでトラップを仕掛ける奴がいるというのだから、なんてヒマな奴がいるんだろうと、シオンは思った。

 むしろ、それが趣味なのか、生き甲斐なのか。初心者狩りとも呼ばれるが、別に狩ってどういうするという話ではない。初心者なんて大した依頼も受けていないから、その成果を横取りしても旨味はないはずだし、本当に、ただの嫌がらせでしかない。

 そういう奴がこの時期に多いと、探求士スカウトの森田は言っていた。おそらく、彼のようなトラップ専門のスカウトが冒険者協会に何人か雇われ、定期的に各地のダンジョンを調査し、トラップを見つけたらその場で解除しているのだろう。

 こんなことに予算を使わなければならないとは、協会も頭を痛めているに違いない。しかしスカウトのほうからすれば、立派に報酬の出る仕事だ。こういう初心者の引率や護衛もそうだ。本来は危険ではないダンジョンをわざわざ危険なものにし、未熟な初心者に嫌がらせをする人間性は疑うが、それが回りまわってシオンたちの仕事に結びついている。おかしな話だ。

 結局、問題を作り出しているのは、ほとんどの場合モンスターよりも冒険者のほうなのだ。 


 特に何事もなく最深部に辿りつき、また来た道を戻ることになった。

 シオンは告げた。

「それじゃ、来た道を戻るぞ。道は覚えてるな」

 マッピングをしていた数人が、手許のメモを見ながら、自信なさげに頷く。

 隊列を逆に入れ替え、きびすを返して歩き出したシオンに、伊田が声を上げた。

「え、なに? マジでこれで終わり? ウソだろ?」

「終わりじゃない。帰りも油断はするな」

 さっさと進んでいくシオンの背中に、伊田が声を上げる。

「ちょっと、小野原さーん? さっき通った、スライム部屋行きません? スライムなら、授業でダンジョンに入ったとき、対処しましたよ。魔法で燃やせばいいんでしょ? なあ?」

 と、メッシュ頭のソーサラーに同意を求める。ソーサラーも声を上げた。

「オレ、攻撃魔法フォース系得意っすよ。特に火魔法ファイア系は」

 火魔法は、攻撃魔法の中では一番扱い易く、威力も出しやすいということは、魔力の無いシオンでも知っていたが、別に口にしなかった。

「オレも、攻撃魔法フォース系いけるんで、火力は申し分ねーし、ここで倒したほうが、後々来る冒険者のためにもいいんじゃねーかな」

 そう伊田が言うのに、シオンももう慣れていた。無視して歩きながら、静かに諭した。

「スライムの一番の対処法は、構わないことだ。動きが遅いから追ってくることはないしな。倒し方が分かってるなら充分だ。たまたまダンジョン内で見かけただけなら、下手に構うほうが疲れる。倒してもしばらくすればどうせまた沸く」

 それでも伊田とその取り巻きの数人は、不服げだった。これまで大した敵も出ず、あとは戻るだけと言われ、力が有り余っているのだろう。

「じゃあ、あんたが戦う手本見せてくださいよ。それは勉強になるでしょ」

「オレはスライムを見たら逃げる。狩らなきゃいけない依頼を受けてるなら、それなりの準備をしていく」

「逃げるって、堂々と言うことっスか?」

「そうだな。今日は、スライムを倒す準備はしていない。刃物は通らないからな」

「ダンジョン内では、どんなモンスターに遭うか分からないでしょ。冒険者ならどんな敵にも対応出来るようにするべきじゃねーの?」

「だから、スライムへの対処方法は、戦闘を避ける、だろ」

 前方への警戒を緩めないまま、そう淡々と説明するシオンに、伊田は苛ついていた。その背中に、不満げな声をぶつける。

「なんかメンドくさがってね? ファイターだから、スライムどう倒すのかなって、興味あるんすけど。熟練者の戦いってのが、見たいんすよ。こっちは金払ってるんだし。さっきからオオネズと虫ばっか倒させて。アンタ何もしてねーじゃん」

「戦いを見せてほしいって依頼じゃなかったからな」

 シオンは振り返らず答えた。

「本気で引率してほしいわけねーじゃん。んなの、親が勝手に頼んだだけだって。ダンジョン潜るだけなら、もう学校でやってるっつの。いっそガルムでも出ればいいのに」

 その言葉に、シオンは眉間に皺を寄せた。

 ガルムに殺された、無残な遺体を思い出す。焦げた死体の臭い。人を喰ったガルムの口の中の臭い。

 彼らも、いまここに居る者たちと同じ、将来を夢見る冒険者だった。緊張しながらも、自分の活躍を信じ、ダンジョンに挑んだに違いない。

 だが、それまで訓練してきた技のすべてが、巨大なモンスターの圧倒的な力の前に、なすすべもなく蹂躙され、生きながら焼かれ、引き裂かれ、喰われていった。

 そのときの、恐怖と絶望は、どれほどのものだっただろう。

 あのとき死んだ者たちと、いまここで生きている彼らと、何が違うというのか。

 それは、運でしかない。


 そして、桜。

 あの、誰よりも強かった桜でさえ、彼女の力でなら絶対に攻略出来たはずのダンジョンで、不運にも死んだ。


「だったら、ガルムが出るダンジョンに行っていいぜ。オレが依頼者になってやるから、受けてみろよ。あれは一人じゃ倒すのに骨が折れるし、解体にも時間がかかる。牙や爪や皮を持って帰るにも人手がいるからな」

 振り返らないまま、吐き捨てるように、シオンは言った。

「それとも、冗談で言ったんなら、二度と言うな」

 返事は無かった。顔を見なくても伊田が何か言いたげなのは分かったが、結局何も言ってこなかった。

 シオンが本気で怒ったと思ったのかもしれない。

 実際、腹は立った。だが、ここはダンジョンだ。身内と揉めている場合ではないと、瞬時に頭を冷やした。

 ただ、すべてを我慢することは出来なかった。

 本当は、ガルムが出るダンジョンなんて知らない。ただ、脅かすためだけに、そう言った。

 初心者相手にムキになってしまうほうに問題がある、と受付嬢が頭を抱えていたことを思い出す。

 完全な沈黙が訪れ、萎縮した空気が背中越しに伝わってきたが、シオンは無言で歩いた。


 しばらく、パーティーは大人しく従っていた。

 だが、途中で誰かの携帯電話が鳴った。

「切っとけよ」

 と伊田が珍しく咎めた。少しは真剣味を持つようになったのかもしれない。だが持ち主らしい女子は、軽い口調で返した。

「だってぇ、カレシがメール見ないと怒るんだもん」

「ふざけんな!」

 シオンが声を荒げた。

 それまで何を言われても冷静に返していたシオンが、初めて怒鳴った姿に、全員びくりと動きを止めた。

「電源、切れ」

 シオンは足を止め、パーティーを見やると、携帯電話を握り締めた女を睨みつけた。

「とっととしろ」

 女が震える手で電源を落とす。

 シオンの金色の瞳に映る彼女の顔は、恐怖に引き攣っていた。

 そのとき彼らには、人間の顔をしているはずの少年が、いまにも飛びかかってきそうな獣に見えていた。

「こんな初心者ダンジョンでも、死ぬときは死ぬんだよ。お前だけじゃない。お前の道連れで、全員死ぬかもしれない。最初のダンジョンで、トラップも手強い敵も無くて、残念か? 勘違いすんな。運がいいことを、感謝しろ」

 再び、しんと静まり返った。

 シオンはいまの自分がムキになっているとは、思っていない。

 これから飛び込もうとしている世界は、学校とは違う。

 教師の引率付きで潜るダンジョンではなく、踏み入れたことのない闇の奥へ、ただ奥へと、自分の足で、自分の意思で進んで行かなければならない。

 初ダンジョンでガルムに喰われて死んだ冒険者たちは、ただ運が悪かったのかもしれない。だが、それは初心者だからではない。ベテランの冒険者であっても、明日の運命はみな変わりない。

 彼らのうち、何人が冒険者を続け、何人が生き残るだろう。

 今日、シオンが教えたことは、後々思えばなんて当たり前のことだったのかと、思うことばかりだろう。

 だが、その後々が誰にでもくるなんて、保証は無いのだ。

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