牽制カップル

白鳥リリィ

玉屋と花火

 午後五時三十分。夏の空は夕日に染まり、世界を赤く照らしていた。

 ただし、電車に揺られている俺の顔が赤いのは、それだけが原因ではない。

 何を隠そう、今日は、彼女の赤見花火あかみはなびとデートをする日なのだ。

 俺が向かっている夏祭りの会場は、花火の地元で開催される。それはつまり、花火には俺よりも時間があるということを意味している。

 ──きっと、可愛い浴衣姿で俺を迎えてくれるに違いない。

 花火はその場でくるっと回って、

「……似合っているかな?」

 と、恥ずかしそうに言ってくれるに違いない!

 妄想の上映会は終わりを知らず、俺達の関係は本人おれじしんが照れてしまう段階まで発展していた。

 ああ、待ち合わせ時間である三十分後が楽しみだ。流れ行く景色の遅さに苛立ちを感じながら、俺は揺れる電車に身を任せていた。


「おー。二時間ぶりだね、玉屋君」

 真っ白なTシャツと深緑色のチノパンをお召しになった俺の彼女は、鳥居の前で俺を待っていた。

 着物とは正反対のラフな格好だが、これはこれでよく似合っている。問題も支障もない。

「よく気が付いたな。こんなに人がいるってのに」

 待ち合わせ場所という特定の範囲内にいる一人はなびを探すだけの俺よりも先に、こちら側が見付けられるとは思っていなかった。正直、驚きを隠せない。

 花火は、何故そんな超人じみたわざを使うことができたのか。その理由は、彼女自身の口から述べられた。

「私の目、玉屋君に釘付けだから」

 突然吐かれた恥ずかしすぎる言葉に、俺はまた紅潮してしまった。

「腹減った! 早く屋台巡りに行くぞ!」

 女々しい顔を見られたくなかった俺は、早足で鳥居を潜った。花火は、すかさずその手を握り締める。

「とっても楽しみ!」

「……俺も」

 くそっ、花火に主導権を握られてばかりじゃないか!

 このままでは男が廃ってしまう。何としてでも、花火を屈服させてやらないと!

 そう意気込んだのはいいものの、俺は花火の長い髪から漂ってくるシャンプーの香りに気が狂いそうになっていた。この匂いは、魅力的すぎて逆に不愉快だ。ここは、香りの強い焼き鳥で上書きしてしまおう。

「焼き鳥食おうぜ。塩とタレ、どっちにする?」

「んー、塩かな。タレは危ないし」

 確かに、垂れやすいあれを食べ歩きするのは難易度が高い。塩は塩で、今度は肉汁が強敵な気もするが……まあ、細かいことは気にしないでおこう。


 俺の奢ってあげた焼き鳥をペロッとたいらげた花火は、屋根をピンク色に染めた屋台を指差して言った。

「ここらで一本チョコバナナ!」

「焼き鳥からのチョコバナナ……」

「甘いものは別腹だからへーきへーき」

 どちらかと言うと、俺は別腹よりも別口がほしい。

「今度は私が奢るねー」

「いいっていいって! 自分のものは自分で出すから!」

「だーめ。私は貸し借りを作らない派なの。特にお金はね」

 そこまでのポリシーがあるのなら、俺からは何も言えない。花火がそうしたいんだったらそうすればいいさ。

「お兄さーん、チョコバナナ二本くださーい」


 自分が食べたいと言ったのに、花火は全然チョコバナナに齧り付こうとしなかった。

 じーっと見つめて、時々回転させて……一体、何をしているのだろう。

「食わないのか?」

「うーん。これと玉屋君のとだったら、どっちの方が大きいのかなーって思って」

「ばっ──!」

 ド直球の下ネタ! 大人しそうに見えて、意外とそういうものに興味がおありで……?

「玉屋君的にはどっちだと思う?」

 そう問いかける花火の瞳は、小学生のように純粋だった。

 真剣……なんだな。よし。

 俺は、花火の好奇心を無駄にしないためにも、きちんと真実を伝えることにした。

「チョコバナナ……かな」

 バナナという果物は存外大きい。ただの高校生風情が太刀打ちしていい相手ではないのだ。

 正直に話してくるとは思っていなかったのか、花火は目を丸くして俺を見上げていた。

「どういうこと……? 私は、このチョコバナナと玉屋君のチョコバナナのどっちが大きかったのかが知りたかったんだけど……」

 まさかのフェイントかよォ! そりゃあ森の水のように澄んでいてキラキラした瞳で聞けるわけだ。

 対する俺の心は、さながら工事現場にできた水溜まりのように濁りきっていた。

「今のは忘れてくれ! 忘れてくれ!!」

 俺による突然かつ全力の懇願。その意味が未だに理解できていない花火は、頭上にハテナマークを浮かべていた。

「やっぱり、焼き鳥からのチョコバナナはダメージが大きかったかな?」

 見当違いの結論を導き出しながら、花火はチョコバナナを食べ始めた。


 お腹も結構膨れてきた頃だし、ここらで一つ娯楽系の屋台にお邪魔したいところだ。

 花火もそう思っていたのか、白くてすべすべの腕を伸ばしてスーパーボール掬いをやりたいと主張してきた。

 俺は僅かにも否定することなく、店主にお金を払って二人分のポイを受け取った。

 船のように水上を浮かんでいるお椀を引き寄せた花火は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、

「負けた方がジュース奢りね」

 と、勝負を持ちかけてきた。

「いいのか? 俺はスーパーボール掬いの玉屋と呼ばれた男だぞ?」

 勿論、そんな二つ名は誰にも与えられていない。

「えー? 私は金魚掬い大会で二回優勝したことがあるよ?」

「マジか!? いや、これはスーパーボールだから、色々勝手が違うはず……」

「……まあ、やってみれば分かることだよ」


 太陽が沈み、月が空を支配し始めた頃。

 屋台の行列も、そろそろ半ばとなった。

 中間地点となるここに屋台はなく、代わりに、いくつかベンチが並べられていたり、自動販売機が置かれていたりしている。いわば、休憩所というわけだ。

 当然のことながらベンチは満席となっていたため、俺は花火を隅の方で待つように促した。その後、一人で自動販売機の前に立って、リンゴジュースを一本購入した。

「お待たせ」

「おー」

 スマホも弄らずに俺の帰還を待っていてくれた花火。そんな些細な気遣いにこそ、人となりというものが現れる。

 それでは早速、好感度が鰻登りとなった花火にお茶を──手渡すわけあるか!

 俺は、矢庭にペットボトルの蓋を開けて、リンゴジュースを三割程度飲んだ。

 まだ目の前で起こっていることを理解できていない花火は、呆然と立ち尽くしている。

「ほら、ジュースだ」

 この時俺は、生まれて初めて不敵の笑みというものを浮かべた。

 ぽかーんとしたままペットボトルを手に取った花火は、しばらく口の部分を見つめた後に、舌でその部分を舐め取り始めた。

「はぁ!? ちょ、やめろ!」

「ど、どうらー! まいっはかー!」

 これはもう、間接キスどころの話ではない! 間接ディープキスだ!

「からかった俺が悪かった! マジでやめてくれ、見ていて泣きそうになってくるから!」

 ここに来てようやく自分の行いが錯乱していたと悟ったのか、花火は先刻までの空よりもずっと赤く顔色を変化させた。

「も、もう! 何をやらせるんだか!」

 勝手にやったくせに……

 ふん、と鼻を鳴らした花火はそっぽを向いて、豪快にリンゴジュースの残りを飲み干した。

「間接キスだな」

 間接ディープキスをした直後なので、いまいち迫力に欠けるが……それでも、今の花火には効果覿面だったようだ。

「う、うるさいっ!」

 ……花火の自爆ではあったが、何とか主導権を握ることができた。ここまで色々と辱しめを受けてきたのだ、後半戦から仕返しをしてもバチは当たらないだろう。

 さてさて、次は何をしてやろうか。どんな顔を見せてもらおうか……!


 同じ匂い、さっきも見た食べ物、代わり映えしない商品……味や素材などは一つひとつ異なっているのだろうが、そろそろ屋台も食傷気味だ。

 家族に買ってくるよう頼まれていたベビーカステラとリンゴ飴を買って、屋台巡りはお開きとしよう。

 そんなことを思っていた俺の視界の内側に、とある一つの屋台が侵入してきた。

 赤と白のパラソルに、周りの半分くらいしか幅のない台、カタコトの日本語を話す店主……一風変わったこの店が販売していたのは、俺の大好物だった。

「トルコアイス!?」

 中学二年生の夏、俺は家族でトルコに旅行をした。その時に食べたアイスクリームが絶品で、いつかまたアイス目的でトルコに行こうと本気で考えてしまうほど、俺はそれに惹かれてしまっていた。

 そんな思い出の一品が、まさかここ日本で味わえるとは! これは買うしかない。食べるしかない!

「俺、ちょっと買ってくるわ! 花火はどうする?」

「ジュースを飲みすぎてお腹いっぱいになったから、今回はいいや」

「そか! じゃ、ちょっと待っていてくれよな!」

「おーう?」

 『一緒に行ってあげるのにー』という声が聞こえた気がしたが、カブトムシを見付けた小学生のようになってしまっていた俺は、その意味を深く考えようとはしなかった。

 俺の前に並んでいるのは三組。パフォーマンスをしてくれるタイプの店主っぽいので、待ち時間は他の店よりも長くなるだろう。

 ……パフォーマンスか。手品のような動きが面白くて、初めてやられた時は大爆笑したっけなぁ。

 物思いに耽っているうちに、俺の順番がやってきた。

 予想していたよりも早く順番が回ってきた──などと思い浮かべながら、俺は当時に戻ったかのように元気な声で注文をした。

「バニラ一つ!」

 ククク……店主は気付いていないだろうが、俺はお前の行動を熟知している。トルコでアイスを売っていたおじさんとは別の人なんだろうが、そんなことは関係ない。とにかく、今日はこちらがお前を驚愕させてやる番だ!

「ハイ、ドウゾ!」

 にこやかに微笑む店主だったが、今更その笑顔に騙される俺ではない。

 素直にコーンを掴むフリをすると、店主は棒を半回転させてくるはずだ。そこですかさず手を上に移動させて、逆さまになったアイスを掴む。よし、完璧だ!

「ありがとうございます」

 俺が腕を伸ばしても、店主は棒を回さなかった。

 パフォーマンスをしない……だと!?

 先読みを空振りした俺は、慌てて下に留まったままのコーンを掴みにかかった。

 ……何事もなく、コーンの部分を掴めてしまった。まさか、最初から俺の企みを暴いていたというのか!?

 くそっ、完敗だ。俺は、諦めてトルコアイスを受け取ることにした。

 直後、間髪入れずに店主が棒を振り上げた。

 俺の手元にあるのは、コーンを包む円錐状の紙だけ。

 不測の事態に唖然としていると、彼はトルコ流ドヤ顔スマイルを自信満々に見せ付けてきた。

 頭の中が花火のTシャツ色になった俺は、彼の思惑通りに翻弄され続けた。

 一分にも及ぶパフォーマンスの末、ようやくトルコアイスを渡してもらえた。

 屋台の隣にある二メートルほどの空間で待機していた花火は、ニヤニヤと俺を嘲笑していた。

「弄ばれていたね」

「う、うるせぇ! 今日は調子が悪かっただけだ!」

「ほんとかなー?」

 俺と花火の主導権争いのはずだったのに、いつの間にかトルコ人に全てを持っていかれた気がする。だが、花火だけは絶対に譲らないからな!

「ごほん……何をされようが、こいつが旨いことに変わりはない」

 粘りけのあるアイスクリームを口に入れる。その甘さと冷たさは、熱くなった俺の頭と身体を瞬時に冷ましてくれた。

「くぅー、これだよこれ! トルコアイス旨し!」

「あはは。本当に大好きなんだね、トルコアイス」

「ああ、大好きだ!」

「トルコアイスと私なら、どっちが好き?」

「花火」

 そんな質問、迷うまでもないだろ。

「……嬉しい」

 俺の即答に、花火は頬を桜色に染めながら伏し目がちになった。

「やば、笑顔が止まんない」

 花火は咄嗟に、口元を手で覆った。その動作が、俺の心をまた熱くさせた。

「お前可愛すぎるだろ、マジで……」

「──バカ!」

 ……いかんいかん。トルコアイスで、火照った身体を冷やさなければ。

 俺が、アイスを持った右手を口まで運ぼうとしたまさにその時、花火がトルコアイスの端に、口で窪みを作ってきた。

「おー、確かに美味しいかも!」

「お前、さっき満腹だから食べたくないって言ってなかったか?」

「私のライバルが、どれほどの実力者なのか見ておきたかったんですよ」

「はいはい、さいですか」

 俺も、花火が絶賛するデザートに齧り付く。

「間接キスだね」

「……間接キスだな」

 今度は、俺も花火も照れなかった。微塵も、恥ずかしさを感じなかった。


 午後七時五十五分。夜空に花が咲くまで、残り五分となった。

「本当に、こんなところから花火がよく見えるの?」

 会場から少し離れた山の上──ここは、今日のために必死こいて探した穴場スポットだ。しっかり見えてもらわないと困る。

「──俺は、花火が大好きなんだぞ?」

「……そだね」

 花火の手を、ぎゅっと握り締める。やれやれ……どうやら俺は、俺の知らないところで不安を感じていたらしい。

 午後七時五十九分──残り一分を切った。俺は、空を見上げるフリをして横目で花火を見つめていた。

 真剣に空を見上げる目。その時を楽しみにしている唇。汗の伝う、色っぽい首……そのどれもが、俺を魅了するかけがえのない存在だ。

 俺は、この子を幸せにしたい。笑顔にしたい。愛したい。この思いを、もう一度彼女に伝えたい──

「おー、打ち上がった!」

 炎の華が、彼女のシルエットに色を与えた。それは同時に、俺自身も明るく照らしていた。

「おやおやー? どこを見ているのかなー?」

 光のせいで、闇に隠れて彼女を見ていたことが当人にバレてしまったじゃないか。

「花火だよ」

「なるほどー、花火かー」

 彼女は、次の花火が咲いた瞬間に大きな声でこう叫んだ。

「たーまやー君っ!」

「ははっ、何だよそれ!」

 俺の彼女は、とてもユーモアに溢れている。一緒にいて、楽しい気持ちにさせてくれる。

「愛しているよー!!」

 俺の瞳は、笑うと同時に涙を流し始めた。

「ええっ!? ど、どうして泣いているのさ!?」

「花火が、俺の気持ちを先に言っちゃったからだよ。バーカ……!」

 愛する人に認められることが、思いが通じ合うことが、こんなにも嬉しいことだったなんて知らなかった。

 俺は、今日のために生きて、今を求めてこの子に告白したんだ。その選択に間違いはなく、後悔もない。

 花火を好きになってくれてありがとう。俺を好きになってくれてありがとう。

「……もう。泣いたら花火見えないじゃん」

 彼女もまた、目に涙を溜めていた。

「キス、して……?」

 ……せっかく花火がよく見えるところを見付けてきたのに、これじゃ徒労だな。でも、それもまたいい。

「ガチキスだな」

「ガチキスだね」

 空に浮かんだ花火が、俺達の愛を見下ろしていた。いいさ、いつまででも見ているといい。牽制し合うことなく、互いに互いを受け入れ合う俺達の姿をさ。

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