最終話 その未来はポニーテールとともに
「まさか、先輩が私のこと幽霊だと思ってたなんて」
「いやそこまでは思ってねーから」
矢取りのため、俺と美夏は矢道の側で待機しながら話していた。
謎の少女美夏。その正体は弓道部顧問八坂先生の娘だったのだ。彼女の家はこの近くで、家から弓道場が見えていたらしい。たまたま早く起きたその日に、俺が弓道場で弓を引く姿が見えたという。そして今年、この御船高校に入学してきたのだ。
「まあ、幽霊が先端研究の話するわけないですしね」
「違いないな」
この際だ。気になっていたことを聞いてやろう。
「――――で、何でお前は存在しない理論の話を俺にしたんだ?」
美夏が一瞬真顔になる。しかし彼女はふふっと一笑すると俺に向き直って答えた。
「うーん、我ながら悪くないと思ったんですがね、流石に気付きますか」
そう、15センチ理論など存在しない。騙されたつもりで、と言っていた美夏は本当に俺を騙していたのだ。
「そんな理論、一切検索にヒットしなかったからな、どうしてそんなことを」
「理由ですか、それはですね、先輩は思い込みが激しい人だと思ったからです」
少々痛いところを突かれた。現に俺はプラシーボで克服しているのだから、でたらめな理論だろうとそれは療法の選択肢としては最善だったといっても良いだろう。だが聞きたいのはそこではない。
「それはそうかもな。でも俺が聞きたかったのはそのいっこ手前、目的だよ。ひいては、何で俺の練習に夏休み中付き合ってたんだって話だ」
「そんなの……ただの気まぐれですよ」
美夏は急に歯切れが悪くなり、言葉を濁す。分かったよ、じゃあお前はこれを覚えているだろうか。
「初対面じゃなかったんだろ?だって、俺の名前知ってたし」
「あれは袴の後ろのとこに名前が書いてあったから分かったんですよ?」
「一発でさ、俺の名前読めると思うか?」
「あ」
俺の下の名前は直とかいてあたると読む。袴には、ふりがなまでは書かれていない。これを一発で読める人は、まあ殆ど居ないだろう。つまりあの時、少なくとも美夏にとっては初対面ではなかったのだ。
あきらめたようにため息をつくと、美夏は言葉を紡ぎ始めた。
「お察しの通り、私は先輩を知ってました」
下を向いてぱたんぱたんと、雪駄を側溝に挟んで遊びながら美夏は続ける。
「この際だから言ってしまいますけど、実は私、元々は弓道あんまり好きじゃなくて……。親が見ての通り弓道バカなんですが、あまりの推しっぷりに反発というか、嫌になってやらなかったんです」
「なるほどなぁ、そういうのってあるよな」
俺も一度弓道から離れた身だ、思い当たる節はある。
「はい。でも、中学1年の夏でした。私は父に連れられて、弓道の中学生県大会の会場に来ていました。弓道なんてただの的当て、当時の私はそんなことを思っていたんですが、とある人の射を見てその価値観が180度変わりました。ちなみにその人は中学2年生にして個人優勝を果たしていました」
その人物、それは他でもない鳴海直。俺本人なのだろう。
「そのとき私は決めたんです。あの人のように美しい射がしたい、と。それから弓道を始めた私は欠かさず大会に出ていたんですが、それ以来、大会でその人の名前を見ることはありませんでした」
美夏はちらりと俺の方を見ながら、続ける。
「そういえば父から入部を薦められませんでした?勿論父の気持ちもそうだったんですが、実は強く推してたのは私なんですよ。でもある日、あなたが再び辞めようとしていることを父から知りました」
「お前の父ちゃんザルすぎるだろ……」
しかし、自分の入部を薦める先生の裏でそんな一幕があったとは、少し照れくさくもあった。
「その翌日、家から弓を引いている人が見えました。もしやと思った私は弓道場に向かったんです。そこであなたを見つけました。私に弓道の魅力を教えてくれた人が、少しの不調で辞めてしまうなんて、面白くないじゃないですか。だから、あれはあなたのためじゃなく、私のためなんです。私って利己的な人間なんですよ?」
「俺を復活させるのが、自分のため?」
「はい」
「それって――――つまり、どういうこと?」
「はぁー……」
美夏はわざとらしいため息をつくと、俺をジトっと睨みつけながら、返事代わりに、かたん、と矢取りの合図である赤旗を道場に向けて出した。これ以上喋るとまた鳩尾に拳が飛んできそうだ。まあ、この話はまた今度かな。
射に入っていた部員が皆引き終わり、お願いします、という声が道場から響いてくる。
「入ります!」
手を叩きながらそう言って、美夏はポニーテールを振りながら駆け出していく。
きっと今年の夏も暑くなるのだろう。俺はその季節の到来を確信し、彼女の後を追って駆け出した。
夏の幻とポニーテール 呉羽みる @kureha_mil
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