エピローグ

帰還        一二月五日 一三五〇時

「レーダー室より報告」

 海図台の前に立つリチャードは、知らせを聞くと電話員のいるほうを見た。

「一時方向、距離八海里に小型船二隻を確認。一五ノットでこちらに接近しつつあり」

「定期的に位置を知らせるよう、伝えてちょうだい」

 座席に腰かけたホレイシアの声が、艦橋に響き渡った。彼女の右腕はダッフルコートの内側に、押し込められたままだ。完治するのは一ヶ月先だ。

 一一月二六日に連邦を後にしたNA一七船団は、往路とは逆にさほどの抵抗を受けることがなかった。帝国は消耗した戦力を回復させるべく、作戦を打ち切ったのである。

 悪天候との戦いは相変わらずだったが、九日目の今朝になって、コルベット六隻からなる出迎えの部隊と合流を果たした。ホレイシアは彼らに護衛任務を引き継ぐと、苦楽を共にした商船たちへ別れを告げる。〈リヴィングストン〉とその僚艦は単縦陣を組み、母港のノースポートを目指して進んでいるところだ。

「リチャード、港まであとどれ位かしら?」

「計算が正しければ、おおよそ一二海里です」

 リチャードは海図に記された情報を一瞥して答えた。彼は戦死したパークス大尉に代わって、航海長役をつとめており、現時点の当直士官も担当している。

「到着まで、あと一時間半ほどかと思います」

「懐かしの祖国まで、あと少しというわけね」

ホレイシアが明るい口調でそう呟くと、リチャードはニヤリとした表情で言った。

「帰国も嬉しいですが、自分はそれよりパーティのほうが待ち遠しいですな」

「はいはい。良いお店を準備しておくわ」

 上官の返しに、リチャードは楽しみにしておきますと答えた。何人かの将兵が、その様子を見て笑っている。帰還後にパーティを開くという、ホレイシアが以前いった約束をみな楽しみにしているのだ。

 直後に、見張り員から小型船を目視したとの報告がつたえられた。


「あのボート、一体なんのつもりかしら」

 席にすわったまま左手をかざし、洋上を見つめながらホレイシアが呟いた。

 小型船は王国海軍が採用している、沿岸哨戒用のモーターボートであった。既に発見から一〇分ほど経過したが、三〇ノットちかくの高速で〈リヴィングストン〉へと向かっている。彼我の距離は、まもなく一海里を切ろうとしていた。

 リチャードは双眼鏡を手にして、ボートの様子を確認した。駆逐艦の四分の一ほどしかない、小さなフネが洋上を疾駆している。そのうちにボートは減速をはじめ、〈リヴィングストン〉の手前、針路上からわずかに右舷側へ逸れた地点で停止したのが見えた。彼はそのままの姿勢で報告した。

「乗組員が甲板に出てきました、全員こちらを見ていますね。……ん?」

「どうしたの?」

 ホレイシアが尋ねると、リチャードは双眼鏡を下して振り向いた。

「……もしかすると、艦長もご存じの人たちかもしれないですよ」

 ホレイシアはそれを聞くと、怪訝な顔をして立ち上がって前に進んだ。海図台の傍に立つと双眼鏡を構えてボートのほうを見る。彼女の表情は、たちまち驚きと喜びがない交ぜとなった。

 拡大された視界に映る乗組員たちは、〈リヴィングストン〉と同じく女性であった。彼女たちはこちらを向いて、さかんに手を振っている。おそらく、ホレイシアが以前に指揮していた哨戒部隊の隊員たちだろう。彼女はそれに応えるべく、戦隊の各艦に減速するよう指示をだした。

 〈リヴィングストン〉は徐々に速度を落としながら、少しずつボートへ近づいていった。距離が狭まると彼女たちの歓声が聞こえはじめ、艦橋要員の何人かもボートに向かって思い思いに呼びかける。

 リチャードはその横で双眼鏡を構え続けていたが、しばらくしてボートに新たな動きがあるのを認めた。乗組員のひとりが、手旗で信号を送り始めている。リチャードはそれを読み取って上官に伝えた。

「お疲れ様でした、だそうですよ」

 ホレイシアは無言のままだったが、双眼鏡をおろしてボートのいるほうをじっと見つめた。そして他の将兵たちと同じように、かつての部下たちのほうへ満面の笑顔で手を振り始める。〈リヴィングストン〉とボートの距離はいま、一〇メートルほどしかはなれていない。

 〈リヴィングストン〉はボートの横を通り過ぎると、そのまま進んでいった。ボートのほうは依然として停船を続けており、後方の〈レスリー〉などに呼び声を向けている。その様子をホレイシアは見つめていたが、副長にむかってポツリを呟いた。

「リチャード」

「……? どうしましたか?」

「なんだか、ちょっと恥ずかしくなってきたわ」

 そう言ったホレイシアの頬は赤く、口元は僅かに緩んでいた。リチャードは嬉しげな様子の上官を何秒かみつめると、思わず微笑んでこう返す。

「もう少し、正直になってもいいと思いますよ?」

 多少のいたずら心は含まれているものの、その言葉は、指揮官として申し分のない功績をあげた上官に対する正直な意見であった。それを聞いたホレイシアは、何を言っているのかという風に頬を膨らませる。


 だが、その表情は喜びに満ちあふれていた。

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乙女の海上護衛戦記 野口健太 @pzkpfw1b

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