旅路は続く     同日 二三五五時

 リチャードが傷だらけの羅針艦橋へ上がったのは、二三三〇時ごろのことであった。当直士官をつとめているのは、サリー・フーバー大尉である。

 フーバー大尉から異常なしとの報告を聞き、頷いたリチャードは海図台の傍に立った。時おり届く機関室やレーダー室からの報告に応じながら、配置についている将兵たちや――正規の要員は半数ちかくが死傷したため、他部署からの補充兵が多くを占めている――洋上に目を向けていく。そうこうしている内に、時間は淡々と過ぎていった。

 日付が変わろうとしている今、それまで静寂であった艦橋は僅かに騒がしくなっていた。当直員が入れ替わる時間のため、交替要員が集まってきているのだ。新しい当直士官は、フレデリカ・パークス大尉であった。

「副長、ただいまより配置につきます」

「ご苦労、よろしく頼むよ」

 パークス大尉の報告に頷くと、リチャードは腕時計に目をやった。時刻はちょうど〇時、つまり一一月一四日になったところである。

「船団本隊との合流まであと少しだ。艦長をお呼びしてくれ」

 リチャードの指示に大尉は了解ですと答え、奥に控えている伝令役の水兵へ目配せした。ホレイシアが姿を見せたのは、それから一〇分後のことであった。

水兵に先導されてやって来た彼女は、折れた右腕をコートにおさめていた。部下たちの敬礼に頷きながら、座席に腰を落ち着かせたところでリチャードは報告した。

「レーダー室からの連絡によれば、船団は左舷一一時方向、約一〇海里の地点にいるようです」

「船団指揮船へ通信を」ホレイシアは命じた。「内容は以下の通り。『護衛指揮官より船団司令官 我、帰還せり』」

 電話員が復唱して通信室に伝えると、彼女は後ろに立つ副長のほうを向いた。

「私たちが船団から離れたのは、一七一〇時だったかしら」

「はい」

「……ほんの七時間前のことなのね」

 ホレイシアはそう呟くと、静かに正面に目を戻した。リチャードもそれに続き、洋上に視線を据える。まったくの暗闇に包まれているため、遠方の様子を確認することはほとんど不可能であった。だが砲声や爆発音の類が一切耳に入らない、この海域は間違いなく平穏な雰囲気に満ちている。つい数時間前まで、帝国軍と熾烈な戦闘を繰り広げていたのが嘘のようだ。

 しばらくして、電話員の声が艦橋に響き渡った。

「船団指揮船より返信ありました。『船団司令官より護衛指揮官 各艦はただちに定位置へつくべし』以上です」

 ホレイシアは頷くと、指揮下にある三隻の駆逐艦へ隊列を解き、船団周辺のしかるべきポイントへ移動するよう命じた。通信を傍受したらしい第一〇戦隊からも、離れた位置で警戒をおこなうため同じく移動する旨の連絡が届く。

 その後、レーダー室から僚艦たちのうごきが順を追って知らされた。三隻の駆逐艦は配置につくべく、左舷に舵を切り始めている。特に〈レスリー〉は定位置が反対側にあるため、後方から迂回すべく他よりも大きく旋回したあとに増速を開始していた。いっぽうで〈リヴィングストン〉は速度と針路を維持し続けている。


 それから二〇分ほど前進した後、見張り員のひとり――戦闘で生き残った、いまでは数少ない正規の艦橋要員であった――が知らせてきた。

「船影一を視認。一〇時方向、約三海里です!」

リチャードはすかさず、双眼鏡を構えて左舷前方を注視した。黒い豆粒のようなものをどうにか確認することが出来たが、夜間にこの距離ではさすがに艦種まで判別することが出来ない。

「位置から考えて、外周部を警備しているG級のどれかでしょう。おそらく……」

 そう言いかけたとき、小さな光がその船影から発せられているのが見えた。リチャードは再びそちらに注意をむける。先ほどの見張り員が嬉しそうに大声で、その意味をみなに伝えた。

「発光信号を受信。『〈ゲール〉より駆逐各艦 帰還を祝す、お帰りなさい』以上となります!」

 僚艦から伝えられたねぎらいの言葉に、艦橋のあちこちから安堵と喜びの溜息が漏れるのをリチャードは聞いた。それはホレイシアも同様であり、彼女は微笑むと僚艦や船団の位置情報を確認し、タイミングを見計らってパークス大尉に言った。

「定位置につけるわ。フレデリカ、操艦を代わってちょうだい」

「操艦指揮、お預けします」

 大尉がうなずくと、ホレイシアは号令をかけた。

「前進強速」

「ヨーロソー、前進きょーそーく!」

 号令を受けて機関の回転数が徐々に増していき、それと比例して〈リヴィングストン〉の速度も上がっていった。一分ほどで強速――一五ノットに達する。

「針路そのまま、しばらく直進」

 ホレイシアの指示は伝声管を通して、操舵室へ伝達されていった。続けて彼女は船団の動きに注意するよう、レーダー室と見張り員たちにつたえる。夜間に密集したフネのかたまりへ近づくなかで、衝突を警戒しての命令であった。

 そのため五分後に報告があがったとき、ホレイシアとリチャードは何事かと驚いた。

「発光信号あり!」

 知らせてきたのは、先ほどと同じ左舷見張り員であった。

「コンチネンタル・ライン所属、貨客船オーシャントレジャー号からです。『戦隊の下した決断と奮闘に、心より感謝と敬意を表す。貴官らは……』」見張り員はそこまでいうと、一度言葉を切って続けた。「……『貴官らはまさに戦乙女、ワルキューレの化身に違いなし』信号は以上となります」

「ワルキューレ」海図台の傍へ移動していたリチャードは、船団のいる左舷に目を向けると苦笑しつつ言った。

「古い神話の女神に喩えるとは、また随分な持ち上げようですね。艦長」

 だが、ホレイシアはなんの反応も示さない、リチャードはもういちど彼女に呼びかけた。「艦長?」

「え? ああ、そうね」

ホレイシアは気の抜けた声で応じた。

「褒められるのは嬉しいけれど、そこまで言われるたら複雑な気分になるわね」

 そう答えてリチャードのほうを見た彼女の表情は、言葉通りの様相を呈していた。口は喜びで緩んでいたが、反対に目元はへの字に曲がってしまっている。自分がそのように呼ばれるに足るだけの働きを成せたのか、果たして確信を抱けないのだ。

 リチャードは上官に言った。「確かに言い回しは大げさですが、あのフネや船団にとっては違うのです」

「そうなのかしら?」

「ええ」ホレイシアが疑問を口にすると、彼はそういって話を続けた。「船団にとって、我々は迫りくる脅威を排除した、正真正銘の救世主なのですよ」

 リチャードの言葉にホレイシアは返事をかえさず、彼女はそのまま正面に視線を戻した。〈リヴィングストン〉は波を踏み越え、切り裂きながら進んでいる。

「レーダー室より報告。船団本隊最前列は本艦から見て一〇時方向、四海里にあり」

知らせを聞いたホレイシアは、海図をちらりと見て命じた。

「面舵、針路〇七五へ。ゆっくりでいいわ」

 まもなく右舷への転舵がはじまり、船体がわずかに傾きだした。ホレイシアは報告に耳を傾け、海図と洋上の相互に視線をやりながら、艦を定位置につけるべく指示をだし続けていく。その間に〈レスリー〉〈レックス〉〈ローレンス〉の各艦から、配置についたとの知らせが通信室から順次もたらされていった。

〈リヴィングストン〉が針路の修正を完了したのは、〇一二〇時のことである。

 一連の作業を終えたホレイシアは、当直士官であるパークス大尉に以後の操艦をまかせた。リチャードが医務室で休むよう勧めると、わずかに躊躇ってから席をたち艦橋を後にする。

 それを見送ったリチャードは舷側から身を乗り出し、後方の様子を窺った。

 暗闇のなかで見えたのは黒々とした波と、船団本隊の所属船が発する識別灯の小さい光だけであった。見張り員としての訓練を受けたわけではない、一介の士官が双眼鏡もなしに三海里先のフネを視認できるはずがない。とはいえ船団の無事を実感するには、その小さな光を目にするだけで十分だ。

 ホレイシアが戻ってきたのは、おおよそ三時間後のことであった。リチャードは引き継ぎを行い、それが終わると巡回をおこなうべく艦橋を後にする。〈リヴィングストン〉は周囲に警戒の目を光らせつつ、僚艦や船団とともに極寒の海を押し進み続けた。


 NA一七輸送船団が目的地に着いたのは、一一月一五日の夕方である。航海に要した時間は、ちょうど一〇日間であった。

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