最終章 旅路は続く
戦いのあとで 一一月一三日(航海九日目) 二三一〇時
「艦長、少しよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
返事を耳にしたリチャードは失礼しますと言い添えると、カーテンを開けてその奥に入っていった。部屋は白を基調とした明るい色合いでまとめられ、これも真っ白なシーツを敷いた、清潔感あふれるベッドがひとつ置かれている。その上のホレイシアが、半身を起して彼を出迎えていた。
リチャードは三角巾で吊られた上官の右腕をちらりと見ると、目を逸らして彼女に言った。
「申し訳ありません。いくつか報告することがありましたので、こちらにお伺い致しました」
「気にしなくていいわ」
ホレイシアは折れた腕を反対の手でさすりながら答えた。戦闘後の忙しさで、着替える時間もなかったのだろう。彼女は制服のまま横になっている。
二人がいるのは、艦橋構造物の真下にある医務室だ。軍艦、それも小さな駆逐艦の一室であるためスペースは広くないが、レントゲン撮影機や手術台など、医療活動に必要な機材がひと通り揃えられている。ただし、家主であるはずの軍医は席を外しており不在だ。臨時の救護所となった士官室で――戦闘時の負傷者を収容するのに、医務室は狭すぎるのだ――、彼女は与えられた任務を果たしている所である。戦闘が終了して、既に二時間以上が経過していた。
戦いの終盤は、増勢を果たした王国側が優位となった。ホレイシアは来援した第一〇戦隊の重巡二隻と共同して敵を包囲し、その退路を塞ぎつつ二方向から砲撃をおこなう。帝国軍艦隊はこれを振り切ることが出来ず、右往左往しながら砲弾の嵐を浴び続けた。
最終的に敵は決死の強行突破を図り、駆逐艦一隻を失いつつも南方――つまり船団のむかった先とは逆方向へ離脱していった。〈リヴィングストン〉による雷撃、そしてその後の砲撃によって手痛い損害と被った敵は、船団襲撃を諦めて撤退を決意したのだ。この場の戦闘は、ホレイシアたちの勝利で終わったのである。
その後、彼女は船団本隊へ敵撃退の旨を連絡。同行を申し出た第一〇戦隊と共に、現在は護衛対象と合流すべく洋上を進んでいる。船団の周囲を哨戒している友軍飛行艇を既にレーダー上に捉えているため、見失う可能性は皆無であった。
「いい知らせと、悪い知らせがございます」そう言ったリチャードは上官に促されて、ベッドの傍に置かれた椅子に腰かけた。
「まずいい知らせのほうですが、艦長室の修理が先ほど終わりました。といっても応急処置程度で、雨風が入らないようになっただけですが」
「十分よ、有り難いわ」
部下の報告に、ホレイシアは嬉しそうに表情を緩ませて答えた。交戦中に〈リヴィングストン〉は各所に敵弾を受けていたが、それは彼女の部屋も例外ではなかったのである。(もちろん、リチャードの自室も穴だらけになっていた)
リチャードは話を続けた。
「今、手すきの者に片付けをさせているところです。とりあえず、今夜はこちらでお休みください」
「分かったわ」ホレイシアは頷くと、続けて尋ねた。「それで、悪いほうは?」
「……各艦の被害がまとまりました。こちらが報告書になります」
リチャードはそう言って、書類を一枚差し出した。ホレイシアはそれを受け取り、内容を確認しはじめる。文字列を追う目の動きは、ひどくゆっくりとしていた。
報告書を読み終えたとき、彼女の顔は暗くなっていた。書類を脇に置いて小さく、だが深々と溜息をつくと、背後の棚にあるシガレットケースを取るように命じる。リチャードは何も言わずに立ち上がり、灰皿と一緒にそれを手渡した。
ホレイシアは彼に火をつけてもらった葉巻を咥えると、天井のほうを見てポツリと呟いた。「部下たちを、たくさん死なせてしまったわね」
上官の放った言葉に、リチャードは無言でただ頷いた。
現在までに第一〇一護衛戦隊が被った人的被害は、以下の通りである。
〈リヴィングストン〉
戦死一五、重傷八、軽傷二〇。航海長戦死。
〈レスリー〉
戦死一、重傷五、軽傷一二。(ただし、昨日の対潜戦闘時の軽傷者四名を含む)
〈レックス〉
戦死一八、重傷一二、軽傷一五。艦長、航海長、水雷長、砲術長戦死。
〈ローレンス〉
戦死五、重傷八、軽傷一八。
合計すると三九名の将兵が、この戦いで命を落とした計算になる。重軽あわせて九六名におよぶ負傷者も、生き残ったことを素直に喜べる状態にはない。体の一部を失ったり、あるいは一生消すことのできない深い傷を負ったりした者が多くいるのだ。
ホレイシアは葉巻を膝にのせた灰皿にトントンとぶつけ、燃え尽きた灰を落とすと再び咥えた。口から紫煙が吐き出され、白い筋となって上のほうにゆらゆらと伸びていく。彼女は虚ろな表情で、煙をぼんやりと眺め続けた。
しばらくして、ホレイシアは視線をうつむかせた。もう一度溜息をついてから、リチャードのほうを向く。
「副長」
「はい」
ホレイシアは彼が頷いて応じると、かすかに震える声で尋ねた。
「私の指揮は、果たして妥当なものだったのかしら?」
「それは……」
リチャードはそう言いかけると、上官の顔をまじまじと見つめた。未練と後悔に満たされたホレイシアの表情は今にも泣きそうである。固く閉ざされた口元は、何かをこらえるかのように両端が歪んでいた。書類上とはいえ、勝利の代償をまざまざと見せつけられたのだから無理もなかった。
「副長?」
どう答えるか逡巡している部下に、ホレイシアは重ねて尋ねる。リチャードは少し間を置くと、ゆっくりと口を開き始めた。
「確かに、細かい部分でいくつか問題はあったと思います」彼はそこまで言うと、いったん言葉を切った。「ですが、戦隊は優勢とはいえない状況下で敢闘し、雷撃を成功させたうえに帝国軍艦隊を撃退することも出来ました。少なくとも友軍到着までの間、敵を足止めしたことは大きく評価されるべきでしょう」
熱弁をふるう副長の声に、ホレイシアは葉巻を手にしたままじっと耳を傾けていた。
「よって自分といたしましては、艦長の判断に間違いはなかったと考える次第です。賞賛を受けこそすれ、批判を浴びるいわれは全くございません」
語るべきことを語り終えたリチャードは、コホンと咳払いして上官の顔を見据えた。
ホレイシアは彼と目を合わせず、うつむいて手元の葉巻をじっと見つめていた。しばらくそのままでいた後、おもむろにそれを咥えて深々と息を吸う。大量の煙を吐き出すと、困惑した表情で彼女はリチャードのほうを向いた。
彼女は小さく呟いた。「……本当に、あれで良かったのかしら?」
「はい」
「そうハッキリ言われると、ちょっと恥ずかしくなるわね」ホレイシアは苦笑する。「でも、ありがとう」
彼女はそういうと、葉巻を灰皿に押し付けて火を消した。灰皿とシガレットケースをリチャードに渡し、戸棚へ戻すよう頼む。リチャードは艦長の要望に応えるべく席を立った。
背中を向けた彼に、ホレイシアは言った。
「貴方には、いろいろと教えられてばかりね。私にとっては先生みたいなものだわ」
「元とはいえ、本職の方にそういわれるのは嬉しいですね」
戸棚の扉を開けながら、リチャードは答えた。
「ですが、自分はまだまだ未熟者ですよ」
リチャードはそう呟いて扉を閉めると、椅子のほうに戻って腰かけて話を続けた。
「それに、役職はあくまで〈リヴィングストン〉の副長でしかありません。自分の事は、部下として扱っていただければ結構です」
ホレイシアは副長の言葉を聞くと、照れくさそうに頷きながら言った。
「分かったわ、副長。……いえ、リチャード」
「やっと、名前で呼んでくれましたね」リチャードはニコリと笑った。「これでようやく戦隊の一員、仲間として認めてもらえたような気がしますよ」
「別に、除け者にしていたつもりじゃないわよ」
ホレイシアはばつの悪そうな顔をしたが、すぐに頬を緩ませた。リチャードもそれにつられ、医務室に二人の笑い声がこだまする。しばらくして声がやむと、ホレイシアは部下のほうを見て質問した。
「さて。船団との合流するのは、何時ごろだったかしら?」
「日付をまたいで、おおよそ〇〇三〇時の予定です」
リチャードが答えると、ホレイシアは彼に命じた。
「じゃあ、三〇分前になったら読んでちょうだい。大事な瞬間に、指揮官が寝たきりでいる訳にはいかないわ」
「了解しました。無理はなされないようにお願いします」
リチャードはそう答えると、自分は艦橋にいますと言って立ち上がった。ホレイシアが飲み物と、何か本を用意するように言ったため、備え付けの艦内電話で手配する。それが終わると彼は横になった上官に敬礼し、カーテンを閉めて部屋から退出していった。
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