たとえ傷ついても  同日 一九一〇時

「……レーダー室より報告。敵重巡の現在位置は一一時方向、や、約六海里。速力一五ノットで北東……いえ、北北東へ向かいつつある模様」

「了解、ありがとう」

 新しく配置された電話員の報告に、ホレイシアは微笑んで応じた。他の部署からの補充要員であるため、任務に不慣れな彼女の口調はどこかぎこちない。

 敵が速度を落としているのは、友軍の駆逐艦二隻と協同して〈レックス〉〈ローレンス〉を攻撃するためであった。搭載している四基の主砲を北西に向けて、遠距離砲撃をおこなっている。〈レックス〉と〈ローレンス〉も煙幕を展張し、離れた位置にいる〈レスリー〉と連携して応射している。しかし二方向からの挟撃によって苦境に立たされており、両艦からの悲鳴じみた通信が、〈リヴィングストン〉のもとへ何度か届いていた。

「艦長。このまま進めばあと四分ほどで、敵副砲群の射程圏内にはいります」

 海図台の前に立つリチャードが、ホレイシアにそう伝える。彼は戦死した航海長に代わって、操艦指揮をおこないながら敵の位置確認に努めていた。すぐ傍の羅針盤にはコックス兵曹がおり、副長の補佐として操舵室への号令および針路の維持を担当している。

 ホレイシアは頷くと、水雷長のほうを見た。「エリカ、そっちはどう?」

「魚雷の調整、要員の配置ともに完了しています。あとは、狙いをつけるだけです」

「分かったわ」

ハワード大尉の返答に頷いたホレイシアは、続けてリチャードへ目を向けた。

「副長」

「はい」

 リチャードは上官に呼ばれると、海図から目を離した。ホレイシアは言った。

「もっと早く敵へ接近したいわ、増速してちょうだい」

「お言葉ですが、既に本艦は最大速力を発揮中です。これ以上となりますと……」

「構わないわ」

「……よろしいのですね」

 そう尋ねられると、ホレイシアはこくりと頷いた。

「いいわ、かっ飛ばして行きましょう!」

「分かりました。操舵室へ伝達、前進一杯」

「ヨーソロー、前進いっぱーい!」

 リチャードが正面を向いて命じると、コックス兵曹は伝声管を通じてそれを操舵室に伝達した。故障や暴発をいとわない(それゆえに本来は厳禁とされている)文字通りの全力運転がまもなく機関室で始まり、〈リヴィングストン〉はその船体をガタガタと震わせながら速度をあげていく。しばらくして、コックス兵曹が速力三〇ノットに達した旨を告げた。

 二分後、敵重巡が〈リヴィングストン〉に対して砲撃を開始した。主砲は依然として〈レックス〉〈ローレンス〉の両艦へ向けられており、こちらを撃っているのは右舷に設けられた三基の一〇・五センチ連装副砲である。対して〈リヴィングストン〉は艦首主砲を失っているため、応射することが出来ない。

「敵重巡が増速しつつあり。現在の距離は約四海里」

 レーダー室からそう報告がなされると、リチャードはホレイシアに次の指示を求めた。正面では敵艦の砲火が、時おり洋上でぱっと煌めいている。ホレイシアは更に速度を上げるよう命じた。

わずかに間をおいて、コックス兵曹が知らせてきた。

「現在速力三二ノット、これが限界です!」

「分かったわ。エリカ、左魚雷戦」

「了解。配置につきます」

 ハワード大尉は頷くと左舷側の発射指揮装置――艦橋の左右両側に置かれている――へ取りつき、雷撃に向けて作業を開始した。敵の砲弾が飛翔し、水柱が周囲に立ちのぼる中で彼我の位置関係を確認する。その情報をもとに魚雷を放つ射角とタイミングが調整され、彼女の要請により〈リヴィングストン〉は針路を右へ修正していった。

「砲術長より報告。後部主砲の射角に敵重巡がはいりました」

「ただちに射撃開始」

 ホレイシアの命令からそれほど時間をかけずに、〈リヴィングストン〉は砲撃を開始した。だが重巡に対して小口径の連装砲ひとつでは、明らかに分が悪い。

 リチャードは思わず尋ねた。「水雷長、あと何分だ?」

「二分です。二分待ってください!」

 ハワード大尉が叫ぶように答えると、リチャードは頷いてその時を待った。

 その後も〈リヴィングストン〉は砲撃を行いつつ、目標への接近を続けた。いくつか命中弾を確認できた一方で、こちらも次々に敵弾を浴びていく。爆発音と衝撃が繰り返し艦橋に響き、その度に電話員を通じて被害状況が伝わってきた。果たして雷撃を行うまで艦が浮いていられるのか。リチャードの脳裏をそんな疑問が何度も通り過ぎる。

(そもそも現状だと、敵の斜め後方から魚雷を放つことになる。これじゃあ、ただでさえ低い命中率が更に悪くなっちまうぞ。当たるかどうかも分からないじゃないか……)

 リチャードは思わず内心でそう呟いたが、それでも雷撃の瞬間を待ち続けた。

 そのさなかに、電話員が報告の声を上げた。〈レックス〉と〈ローレンス〉から、先んじて雷撃を敢行したとの連絡がはいったとのことである。リチャードは両艦の奮闘ぶりに感心した。

「当たってくれることを祈るばかりだな……」

 彼はそう呟くと遠くにいる、闇夜に溶け込んだ敵重巡のほうへ目を向けた。暫しの間を経て、ぼんやりと姿が確認できるその動きに変化が生じたことに気がつく。

 リチャードは、声にならない呻きを発した。

「敵艦、右舷へ回頭しつつあります!」

 見張り員の絶叫じみた知らせの通り、目標は急変針を始めていた。〈レックス〉らの放った魚雷を回避するためであろうが、結果として〈リヴィングストン〉に対し、その横腹をさらけ出してしまっている。

「水雷長!」

 リチャードは思わず、ハワード大尉に向けてそう叫んだ。幸運にも狙うべき目標が、みずから的を大きくしてくれたのだ。

「目視にて照準を修正します!」

 ハワード大尉は応じると敵重巡の動きを確認し、射角を変更するよう魚雷発射管の捜査員へ指示を送った。ただちに発射を実施すると、ホレイシアたちにすぐさま伝える。

「間もなく発射! よーい……、てぇっ!」

 若干のタイムラグをおいて、後方からパシュンという気の抜けた音が何度か聞こえた。圧搾空気に押し出されて、ついに三本の魚雷が〈リヴィングストン〉より放たれたのだ。

「取り舵一杯!」発射を確認したホレイシアは、すぐさまリチャードへ命じた。

「よーそろー。とおーりかぁーじ、いっぱい!」

「そのまま回頭。〈レックス〉〈ローレンス〉〈レスリー〉の各艦と合流し、煙幕の向こうへいったん退避する」

 彼女の命令を受けた〈リヴィングストン〉は時計回りに、洋上へ半円形の航跡を残しながら北西に針路を転じていった。いっぽう海中では毎時四〇ノットの高速を発揮して、魚雷が敵重巡めがけて疾駆する。リチャードは旋回のため大きく傾斜した艦上で、操艦指揮を行いつつ命中の瞬間を待った。

 目標の右舷側面に高々と水柱が上がったのは、雷撃実施から一分半後のことである。


「敵重巡に魚雷一発命中! 命中しました!」

 見張り員がそう報告すると、〈リヴィングストン〉の羅針艦橋は喜びに沸き返った。将兵たちは階級の別なく歓声をあげたり、仲間と抱き合ったりして嬉しさを表現している。リチャードはその様子を見て、一瞬だけ頬を緩ませた。

 ホレイシアも副長と同様にふっと微笑むと、艦内放送を通じて雷撃成功の知らせを全乗組員に告げた。その後は周囲に向けて、気を引き締めていくよう大声で命じる。戦闘はまだ終わっていないのだ。

「前進一杯やめ、最大戦速」

 ホレイシアは無理な運転を続けている機関室へそう指示し、減速して北西に針路を向ける。第一〇一護衛戦隊の僚艦たちと合流を果たし、北へ退避したのはそれから一五分後のことであった。

「敵の動きは?」

「本艦から見て南南西、おおよそ九海里に集結中とのことです。今のところ、こちらに向かって来てはおりません」

 ホレイシアの質問に、電話員のひとりがレーダー室へ確認をとって答える。それを聞いたリチャードが言った。

「我々が迎撃のため移動を開始してから、三時間が経過しております。予定通りなら、船団本隊はここから四〇海里の彼方に位置しているはずです」

「このまま、敵艦隊が退いてくれれば有り難いけれどね」

 折れた片腕をさすりつつ、ホレイシアはそう呟いて溜息をついた。

 これだけ引き離されれば、船団への襲撃は帝国軍にとって困難になるだろう。既にレーダーの探知範囲外に出ているうえに、目視する以前にこちらと交戦状態にはいったため、標的がどこに向かったのかも判断することが出来ないからだ。逆探による探知も、船団本隊が無線封止を行っているため不可能である。

「とはいえ、速力は相手のほうが優勢よ。船団を発見して追いつく可能性は、残念ながらゼロじゃないわ」

「つまり、まだ任務が完了したとは言い切れない。そういうことですな」

「そういう事ね」

 なんとも楽しくなってきますな。リチャードは本当に面白がっているかの如く、頬を緩ませて答えた。

 実際、戦隊はある意味で笑い出したくなるような状況に置かれていた。〈リヴィングストン〉と〈ローレンス〉は二基搭載されている主砲のひとつを失い、〈レックス〉は艦橋に敵弾が直撃して艦長以下の主だった上級士官が全滅。その場にいなかった対潜長が、ただ一人生き残った幹部としていま指揮をとっている。後方で煙幕を張り続けていた〈レスリー〉のみは損害軽微だが、こちらはそもそも昨日の戦闘によって既に小さくないダメージを受けている。各艦はそれ以外にも大小様々な傷を負っており、もはや満身創痍であるといっても過言ではない。

「それで、どうされますか?」

 真面目な表情に戻ったリチャードが尋ねると、ホレイシアは答えた。

「とりあえず様子見ね。連中が前進を続けるようなら……」

「敵艦隊に動きあり!」

 二人が話をしている所に、電話員のひとりが割り込んでそう報告してきた。駆逐艦二隻を前衛に立てて、こちらへ進み始めたとのことである。雷撃により速力が低下した重巡に合わせているのか、その歩みは二〇ノット程度となっていた。

「諦めが悪いわね」ホレイシアは呆れた口調で言った。「もっとも、それは私たちも同様だけれど」

「では?」

 そう尋ねたリチャードへ、彼女は頷いた。

「ええ、やるわ。全艦戦闘準備!」

「全艦戦闘準備、了解です」

 リチャードはにやりとして答えると、部下たちへすぐさま号令をかけた。通信室を介して、戦隊の各艦にも命令を伝えていく。

 その時であった。

「レーダー室より。敵艦隊は右舷へ変針、東へ向かいつつあり」

「なんですって?」

 突然の知らせに、ホレイシアやリチャードは困惑した。連絡を伝えた当の電話員も、それは同様のようである。彼女はそのまま報告を続けた。

「更に後方、本艦から見て東南東一七海里に別集団の反応を確認。少なくとも大型二隻。北東へ針路をとっているとのことです」

 報告を耳にしたホレイシアは少し考えてから、電話員のほうを向いて指示をだした。

「……識別符牒を発信してちょうだい」

「了解、通信室へ伝達します」

 電話員はそう答えると、通信室と連絡を取り始めた。結果を待つ間に戦闘態勢が着々と整えられ、艦内の各部署、そして第一〇一戦隊の各艦から用意よしとの知らせが次々に寄せられていく。最終的な報告者は、旗艦副長であるリチャードが務めた。

「艦長、戦闘準備が完了しました。いつでもいけます」

「ご苦労様、少し待ってちょうだい」

 ホレイシアはそう答えると、通信室からの返答を待った。しばらくして、その結果が艦橋へもたらされる。

「識別符牒に応答ありました。第一〇戦隊です!」

 報告を知らせる電話員の声は、喜びにあふれたものであった。識別符牒とは、敵味方を識別するために発信される合言葉である。新たに表れた集団は、味方の艦隊であったのだ。第一〇戦隊は、船団を援護する別働隊の一部隊である。

「第一〇戦隊ということは、所属艦は重巡が二隻ですね」リチャードが嬉しそうに呟いた。「これで、戦力差はこちらが優位となりました」

「まさに、救世主の登場というわけね」

 そう答えたホレイシアは、座席の背もたれに体を預けた。動かせる腕で制帽をぬぎ、膝に置くと上空を仰ぎみて大きく息をつく。周りにいる将兵たちも、危地を脱したことを察して安堵の溜息を口々に漏らしていた。

「終わったわね……」

 彼女はポツリとそう呟くと、制帽を被りなおして副長のほうを見た。

「副長、友軍と協同して敵艦隊を追撃するわ。船団のほうへ向かわないよう、北から回り込んで針路を塞ぐわよ」

「了解しました。各艦へ通達後、ただちに移動を開始します」

 頷いたリチャードは通信室へ指示をだし、操艦指揮をとるべく海図台のほうへ目を向けた。

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