第21話
12
悪心坊は、掲げられた看板を見て驚いた。「悪心坊 こどもの家」の「悪心坊」と「こども」の字の間に紙が貼られ、「とサナエの」と書き加えられていた。
「誰や、こんなんしたの」
「アテや」
墨染の衣を着た悪心坊のうしろに、サナエが立った。
「サナエさん、あんたなあ」
「ええやんか。二人でやっとるのやさかい、何か問題ある?」
非国民として生まれた子供たちを引き取り、育てるための施設を悪心坊が開設したのは、岸辺政権が崩壊してから数か月後のことだった。
「二人って、ここはワシが作った施設や。そこに、あんたが勝手に居ついとるのやないか」
「だって、行くとこないんやもん。あんたかて、女手があったほうが助かるやろ?」
「ほれは、ほうやけど」
「でも、意外やったわぁ。あんたが子供好きやなんて」
「うるさいな。こういうことはいずれ誰かがやらな、あかんのじゃ」
「いや、立派。男前。心意気が
「いつからワシは、あんたのダンナになったんや」
「細かいことは、気にせんとき」
「気になるわ」
そのとき、建物のなかから大勢の子供が駆けだしてきて、二人を取り巻いた。
「おっちゃん、おばちゃん」
「はいはい、なんや? おやつにはまだ早いで」
「遊ぼ」
「おう。何して遊ぶ?」
「へりこたぷーに乗りたい」
「ヘリコタプーか? よっしゃ」
嬉しそうに微笑む悪心坊とサナエは、子供と手をつないで建物のほうへ向かって歩き出した。向かう建物の屋上には、自衛隊から寄贈された古いヘリコプターが置かれていた。
岡田はキューを受け、インタビューをスタートさせた。
「吾妻さん。長い間の国籍離脱者センターでの暮らし、ご苦労様でした」
「いや。まだ、ここでの暮らしは終わってないんですよ」
「と、いいますと?」
「日本国籍に復帰したからといって、すぐに社会復帰できるわけではないですからね。仕事も、住むところもない。そんな人が、ここには大勢いるんです」
国籍法が再度改正され、非国民には全員日本国籍が与えられた。だが、彼らの生活を守るため、当分の間、国籍離脱者センターは国籍復帰者支援センターと名前を変えて残されることになった。
「非国民問題の完全解決には、まだまだ時間がかかるでしょう」
「吾妻さんは、非国民だったころの経験をつづったノンフィクションを出版されるんですよね?」
「はい。『非国民の日々』という本です」
その後インタビューは、吾妻が非国民にされた経緯、センター内での生活、解放運動の顛末など本の内容に触れ、最後の質問に移った。
「吾妻さんは緊急事態宣言の前には極右として活動されていましたが、今後はどのような活動をされるおつもりですか?」
「もう年齢が年齢ですからね。政治的な活動からは手を引き、執筆に専念するつもりです」
「次の作品の構想は、決まっているんですか?」
「嘉数穣栄さんの伝記を書くために、いま準備を進めているところです」
「極右の吾妻さんが、リベラルの闘士である嘉数さんの伝記ですか? それは不思議な取り合わせですね」
「センターのなかでは、反政府運動の同志だったのでね」
インタビューは和やかな雰囲気で終了した。吾妻と岡田は立ち上がって握手をした。
「ありがとうございました」
そこへ、髪や髭に白いものが混じったディレクターが割り込んだ。
「お疲れさまでした」
「ああ、松村さん。ありがとう。本の宣伝になりましたよ」
尾張テレビを退職した松村は、岡田と組んで事務所を設立した。現在は二人で、フリーのジャーナリストとして活動している。
「ディレクター兼カメラマンの一人二役では大変ですね」
吾妻がねぎらうと、松村は苦笑した。
「仕方ねえ。今どきの若いヤツは根性がすわってねえからな」
若いカメラマンは、松村の誘いを断っていた。
西成区に新たに建てられた小さなお堂のまわりに、十数人ほどの人が集まっていた。お堂の完成を祝した、ささやかな落成式が開かれていた。
「二度とこんな大災害が起こらないことと、非国民プロジェクトのような計画が実行されないことを、ビリケンさんにお願いしたいと思います」
挨拶に立ったのは、ゲイバー〈蛸壺〉の厚子ママだった。デモ隊とともに東京へ旅したビリケンさんは、厚子ママたちの運動で大阪へ戻され、鎮魂のシンボルとして、また国民と非国民の和解の象徴として安置された。
「さ、じゃあ、皆様お待ちかねの釜飯だっせ」
厚子ママは店の再建のかたわら、同業者たちとボランティア組織をたちあげ、定期的に炊き出しを行っている。彼女たちの作る釜飯はとくにウマいと、被災者には評判だ。
町田は岸辺政権が崩壊したことを全世界に告げ、暫定政権の樹立を宣言すると同時に、その政権の臨時代表に就任した。B国大統領はすかさず国連で演説し、町田の新政権を承認した。多くの国がこれに同調した。世界は戦争の終結を望んでいた。
緊急事態は、政権の樹立後すぐに解除された。さらにこの後、段階を踏んで憲法から緊急事態条項を削除するとともに、人権の擁護を強化する条項を盛り込むという提案が出されている。
黒沢は町田に頼まれ、A国との講和条約を締結するための全権大使となって難しい交渉に取り組んでいる。
御子柴はそのまま統合幕僚長の職にとどまり、現在も続く外地からの部隊の帰還や、西日本の救援などの指揮を執っている。
二人の私服警官、湯沢と草津は大阪府警に復帰し、生活安全課でコンビを組んで地道に犯罪捜査に取り組んでいる。二人が人に対して発砲したのは、後にも先にも、一回きりのこととなりそうだ。
笹木ヒロシはショックを受けながらも、美沙のことが忘れられなかった。だが、二人の人生が交わることは二度となさそうだ。
元グッドジョブ社CEOの福神は、逃亡先の外国で愛人とカネの話で揉め、刺殺された。
岸辺は依然として行方不明だった。一説では、某国の潜水艦が発見したが、問題がややこしくなることを恐れて見なかったことにしたとも言われている。
町田に呼ばれた美沙は、臨時代表執務室のドアをノックした。大阪府庁内に設けられた執務室のなかは、臨時に持ち込まれた電話やパソコンのコード類がクモの巣のように引き回されていて、うっかりすると足を引っかけそうだった。
部屋のなかには町田のほかにA国大統領、そしてスリがいた。
「大統領、紹介するわ。これが槇島美沙さんよ」
立ち上がった大統領は美沙と向き合い、右手を差し出した。
「あなたが美沙? 背が高いのね」
美沙も右手を差し出して、その手を握った。
「お目にかかれて光栄です。大統領」
そう言うように、あらかじめ町田の秘書から言われていた。
「お父様は残念だったわね」
「……」
美沙は何も答えられなかった。あのときの記憶は、半年近くが経ついまも、美沙の心を深くえぐる傷となって残っていた。
「お母様は、見つかったの?」
非国民の開放を進めるなかで、星野理沙の発見は最優先事項の一つとして進められたが、ついに彼女を見つけることはできなかった。グッドジョブ社は、非国民の個別の記録を何ひとつ残していなかった。福神は、記録することじたいを「無駄なコスト」と断じていたという。
美沙は首を横に振った。その寂しげな様子を見て大統領は自分の発言を後悔したのか、話題を変えた。
「『萩の月』、食べる? おいしいわよ。カヅヨからたくさんもらったの」
「いえ、私は」
「そう言わないで、食べなさい。せっかく大統領がおっしゃるのだから」
スリが優しくたしなめた。
「今日はこれを渡したくて呼んだの。やっとできあがってきたわ」
そう言って町田が封筒から取り出したのは、パスポートだった。美沙がページをめくると、外務大臣名で次のようなことが書かれていた。
《日本国民である本旅券の所持人を通路支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。》
美沙がさらにページをめくると、自分の写真と署名があった。
「じゃあ、私は……」
「おめでとう。あなたは日本国民よ」
スリが立ち上がって美沙を抱きしめ、自分の隣に座らせた。大統領が再度、「萩の月」をすすめた。萩の葉とピンク色の花が描かれた包装を破り、黄色くて丸い菓子をほおばると、美沙がこれまでに味わったことのない柔らかな甘さが口いっぱいに広がった。
「世界を見たい、とカヅヨに言ったんですって?」
ふさぎこむ美沙の様子を心配した町田は、いちど日本を出て、いろいろな場所を見てきたらどうかと勧めた。悲しみから抜け出るいい機会かもしれないと考えた美沙は、それに同意した。
「はい。私はこれまで、戦うことしか教えられませんでした。世界には私の知らないことがいっぱいある、ということさえも知りませんでしたから」
町田が大統領の言葉を引き取った。
「世界を見てきなさい。そして自分のしたいことを見つけなさい。あなたにはその権利があるわ。日本を救ったんだからね」
「いえ。私だけの力ではありません」
イオをはじめ、たくさんの仲間の顔が脳裏に浮かんだ。
「世界を見たあとに、私の仕事を手伝ってくれると助かるんだけどね」
「それは、これからよく考えます」
「あ、A国にはまだ入れないからね。黒沢のおっさんが早く条約をまとめないから。まったくあの人は仕事が遅くて……」
愚痴をこぼす町田を、B国大統領がさえぎった。
「最初は、私に同行してB国に来なさいな。スリといっしょに大統領専用機に乗せてあげる」
それもいいかもしれない、と美沙は考えた。ニニの母親にも会いたいし、しばらくの間スリといっしょに過ごすのも楽しそうだ。美味しい料理の作り方も習いたかった。
「はい。お願いします」
「あなたとは、いろいろと話してみたいの」
親しげな微笑みを浮かべる大統領を、美沙は美しいと感じた。このような人を魅了する笑みを浮かべられる女になりたい、と生まれて初めて思った。
そろそろ時間です、という付き人の声に大統領は立ち上がった。町田と別れの挨拶を交わすと、二人についてくるように促した。
「さあ美沙、スリ。行くわよ」
「はい」
あのドアの向こうに、私の知らない世界がある。そう思うと美沙は息ができないほどのときめきを感じた。イオの最後の言葉は、「やりたいことは全部やれ。行きたいところへは全部行け」だった。いま私がやろうとしていることを、イオは喜んでくれるよね、と美沙は心のなかでつぶやいた。
容疑者を乗せた護送車は、前方で道をふさいでいる故障車を発見して停車した。
「おい、早く車をどけろ」
運転席から身を乗り出した警官に、白髪の小柄な老人が近づいた。
「いやあ、すまんな。儂のような年寄りには、どこがどう故障しておるのか、見当もつかんのだ」
警官は舌打ちをし、助手席に乗る相棒に目で合図を送った。相棒が面倒くさそうに車から降りると、突然その場に倒れ込んだ。傍らには、黒づくめの服装をした女が圧力注射器を手に立っていた。
それを見た警官はシートベルトをはずそうとした。だが、そのとたんに意識を失った。警官の首に、老人が圧力注射器を当てていた。
黒づくめの女と老人は護送車のうしろにまわり、施錠されたドアを壊した。なかには手錠をされたマオが乗っていた。
「早く!」
女に促され、マオは護送車を降りると、故障に見せかけた車の助手席に乗り込んだ。老人は年齢に似合わぬ乱暴な運転で、すぐにその場を離れた。
「マオ君。これはビアンカと言う」
後部座席に乗った女を、老人は紹介した。
「えっ、ビアンカは死んだと……」
「ふん。人の言うことをすぐ信じるのは、君の兄さんと同じ欠点だな」
「フュルフュールへようこそ、槇島マオ」
歳月を経てさらに妖艶さを増したビアンカの冷たい手が、マオの頬をゆっくりと撫でた。
「君のことが気に入った。君には、このヨハンとともに仕事をしてもらう。異存はあるまいな?」
マオは、はにかんだような笑みを浮かべた。
三人を乗せた車は猛スピードで東京の街を走り、やがて夕闇のなかをどこへともなく消えていった。
(終)
非国民ニ告グ 加集大輔 @utsuboe1
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