想い出
まだ寒さが続く寒中の頃、暖房が程よく効いた教室で老いた教師と生徒が補修を受けていた。
他の生徒は既に下校し春休みを満喫しているが、この生徒はこれまでの未提出課題や居眠りの積み重ねで居残りとなっている。
しかし、居残りと言っても五教科の小テストを解き終わったら帰って良いというもので、早く帰ろうと思えば帰れる。本人の学力次第ではあるが。
当の生徒は得意な数学と生物を早くに終わらせており、今は苦手な世界史に取り組んでいる。
老教師はその様子を教壇横の椅子から見守りつつ、自分の仕事を静かに片付けていた。
シャーペンを走らせる音、消しゴムが転がる音。そして紙が捲られる音。人の声はなく、壁掛け時計が針を刻む音が鼓動のように心地良く耳に残る。
やがて———。
「先生、解けましたー!」
そう言ってシャーペンから手を放す生徒。その表情は疲れよりもこれから始まる休日が楽しみで仕方ないという様子で、グッと背伸びをした。
「お疲れさま。これでようやく春休みだね」
「そうですよ!みんな今頃どこかで遊んでるんだろうなぁ」
そう言って怒っていることを知らしめるように腕を組んだ。その様子を見てコロコロと笑いながら老教師はこう提案する。
「そんなに嫌なら、小テストを宿題にしてしまえば良かったね」
「え!?それはもっと嫌です!」
と慌てて弁明する生徒。その言葉を頷きながら聞き、老教師はこう言った。
「うんうん、そうだよね。それじゃあ一つだけ出すね」
「何でですか!小テスト頑張ったのに!」
文句を言う生徒を優しく宥めるように老教師は言う。
「いやいや、宿題ではないよ。ただのなぞなぞみたいなもの」
「なぞなぞ?」
老教師の提案に興味を持ったのか、腕を組むのをやめて話を聞く姿勢をとった。
それを合図に老教師はゆっくり語り始める。
「これは丁度、今日のように寒い日のこと———」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まだ私の顔が皺くちゃになる前、新任教師だった頃。そして吐く息が白く、足先が凍るような寒い日。
卒業を控えた生徒が私のもとに質問に来た。
「春が来たら、雪はどうなりますか?」
始めは授業の質問かと思ったがどうも違う。何か相談事かと訊ねてみれば穏やかに笑われる。
明確に答えがある謎かけだったが、当時の私には分からなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「春が来たら、雪はどうなりますか……?」
不思議そうに生徒が言葉を繰り返す。
「そう。春が来たら、君はどうなると思う?」
と、老教師が訊ねた。
生徒は首を傾げ、当然のことを口にする。
「春になったら雪は全部溶けちゃいますよ、その時の気温によりますけど」
「……やっぱりそう思うよねぇ」
しみじみと言う老教師に対し生徒はこう続けた。
「あっ、でも今は分かるんですよね。その答え」
「うん。答え合わせもしてもらった、って言ったらどっちが教師かわからないね」
そう言って笑う老教師。
「それでそれで、なぞなぞの答えって何ですか?」
「えぇっとね……」
と、少し気恥ずかしそうに老教師が口ごもっていると、教室が音を立てて開かれた。
「あら、まだ残ってたの?」
そう穏やかな口調で声を掛けられる。教室の入り口には初老の女教師が立っており、その姿を見て生徒は嬉しそうに立ち上がった。
「あっ、ゆきちゃん先生!今、先生になぞなぞの答え聞こうとしてたんですよー!」
「なぞなぞ?何かしら、面白そうね」
と、興味をそそられた”ゆきちゃん先生”と呼ばれた女教師。一方で老教師は気まずそうにしている。
「これの答えは……また今度ということで———」
「ダメです!気になります!!」
語気の強い生徒に押され気味の老教師に女教師は助け船を出した。
「ちなみにどんななぞなぞを出したんですか?私も知ってるかもしれませんよ」
「春が来たら雪はどうなるかっていう問題です!ゆきちゃん先生わかりますか?」
そう言われ、女教師はゆっくりと頷き答える。
「もちろん。春が来たら、雪は幸せになるのよ」
そして女教師は老教師に向かって微笑む。
「ね、春日先生?」
一寸ばかりの小話 柊 撫子 @nadsiko
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