美しく、気高く、凛と立ち、
まるた曜子
28歳から5年付き合った彼女は、結婚するのと卑屈な笑みを浮かべ去って行った。その予感はあった。あったけれど、結局なにもしなかった。男と二股かけられるなんて、道化もいいところだ。
悲しくはなかった。むなしいだけだ。
「えっ、
「え……?」
《フォーラム》でぼんやりグラスを傾けていたら、ちょっと騒がしいタイプの
「うちの本にゲストイラスト描いて!」
(そっち?)
何年か前に誘われて描いたイラストが莉々子のお気に召したらしい。自分では上手いとも思わないが、彼女は思い切りのいい線が好みだと言った。
「付き合ってってそういう意味かと思ったわ」
「いやあ、元カノ、独占欲強いタイプだったじゃないすか。なんかこんなことでも声かけるとキーッてなるから面倒だなあってー」
道具がないと言ったら家に誘われ、訊くと総武線沿いの、各駅停車駅だ。たまたま明日が休みというタイミングの中『やっぱりそういう意味なの?』と疑いながらもついて行ったらば、コピー用紙と原稿用紙と細めの顔料ペンを渡された。
「由香里さん、絵描かないの? レイヤーってわけでもないんでしょ? あの子とは男装コスばかりで合わせしてたけど、作ってるのあの子でしたよね?」
「そうね、もうずいぶん自分では裁縫していないわ。好きキャラも最近はいないし」
描いているうちに感覚が戻ってくる。そうだ、これが楽しい時期もあった。莉々子からはとあるアニメ作品の二次絵を指定され、アニメ鑑賞会を開催されながら描きたいキャラを決めた。
……33歳にもなって、なにやってるのかしら、わたし。
やはり振られたショックがあるのだろうか。常にはない行動に自分で驚く。莉々子がイラストレーターだというのは知っていたけれど、本来作業机らしいそこでカリカリとペンを走らせているのはBL同人誌の原稿で。わたしが観させられているのも一見一般向けの実は腐女子垂涎アニメで。本当になにをやっているんだろう。
だが何かを通り過ぎて楽しい。
「あ、お風呂沸いた。由香里さん先入って。パジャマ、ジャージでいい? とゆーか、ジャージしかないんだけど」
「いいわ」
下着や基礎化粧品は棚チェックを兼ねてコンビニエンスストアで買ってきてある。自分のエリアではないが、自社コンビニはつい棚をチェックしてしまう。まあ、思うところがあっても担当者には言わないけれど。
その後も埒もない話をしながら原稿を描いて、明け方に眠った。寝室ではなく、リビングに布団を敷かれたので、本当にそんなつもりでないのだなと改めて実感しながら眠りに落ちた。
「由香里さん、原稿付き合って! 終わらない!」
数日後、またもお願いされ、まあいいかと頷いた。モブとちょっとした背景とをミリペンでなぞっている間に、莉々子はスキャナで取り込んだ原稿の仕上げとセリフの打ち込みをしていた。
「ゆかりんゆかりんゆかりんりん~」
おかしな調べが漂う。
「なに、それ」
「ゆかりんの歌。もうダメだ、歌でも歌ってないと寝てしまう……ッ」
「……好きに歌ってなさい」
ゆかりんが定着した。4つも下の女の子からそんな風に呼ばれるようになるのが不思議でたまらない。でもなんだか楽しい。騒がしさが苦手だと思っていた莉々子が友達としては微笑ましい。こういうゆるさが心地よい。
わたしは恋愛に疲れてるのかもしれない。
莉々子の入稿は済んだけれど、なんとなくタイミングの合う休みは彼女のマンションに顔を出すようになった。駅からは若干離れているが、昔ながらの、しかもシャッター街でない商店街を抜けてくるので、そう遠い気がしない。8階という障害物のない高さが風通りの良さを誇る。今時期は寒さも伴うけれど、窓からの日差しは暖かだ。
「ゆかりんさあ、スーツよりスカート好き?」
「え、どうして」
「ずっとあの子と合わせでパンツ率高かったけど、カメラ側には後ろ出さないようにしてたから。冬コミはなにか着るの」
見抜かれて慄いた。特段太っているわけではないが、発育はいいほうだ。身長は173cmあるし、胸もお尻も大きい。なので、そんなにマニッシュな服が綺麗に着られるラインではない。細いパンツは似合わないのにと少々気にしていた。
けれど、女子校時代から男性ポジションで慕われてきたので、こんなものかなとも諦念していた。髪も、
「予定はないわ」
「じゃあさ、あたし用意していい? 借り物になるけど、すごいステキだから!」
「どんなの?」
「秘密ー」
うひひと笑いながらモニターに向かう莉々子に苦笑して、缶カクテルを傾けながらオススメアニメ鑑賞に戻った。
抑圧に苛々する。なんで経営陣は現場に考えさせまいとするのだろう。その手先な自分が厭になる。
「
なあなあで踊る会議にうんざりして零すと、仕事中の莉々子が背中を向けたまま重苦しい声で告げた。
「それはきっと『統一星人の子孫』だよ。遙か過去に住人があまりにも自由意思を主張したため、星として社会を維持できず滅んだの」
「え、じゃあ上層部がみんなそうなのはなぜ?」
「もともと導き手だからね。なんとか地球に辿り着いたときは、同じ失敗は繰り返さないって原住民の教育に燃えてたし、交配したとはいえ子孫も優秀だよ」
「でも育ててみたら上手くいかなかったのね」
「そうそう。『多様性』とか言い出しちゃってね。彼らはそれが滅びに通じると経験則で識っているから、一生懸命押しとどめようとしてるのさ。夫婦別姓とか同性婚とかに反対するのもその一派と教育が染みついた者ってわけ」
ここまできて、ついに脱力した。
「ああもう。ひどい設定。なにこれSF?」
「むしろ
「ふふ」
確かに解決はしないけれどね。
『こないだ言ってた冬用のコスだけど、届いたからウチこない?』
LINEがきた。仕事帰りに行けば手間もない。
『木曜が休みだから、明後日なら。一泊してもいいかしら』
『もちろん! それでさ、次の日の昼なんだけど、ゆかりん和食好き? あたしのいきつけ、行く?』
イタリアンのほうが好きだが、大方の日本人として普通に好きだ。
『嫌いなものある? あったら先に言っとく』
『パクチーは駄目だけど和食なら出ないわよね……先に言うの?』
『うん』
(どんなお店なのかしら)
実は数年前に、莉々子がばっさばさから普通になったと《フォーラム》で話題になったことがあった。本人曰わく、美味しいご飯屋さんを見つけたからとの話だったが、誰もその店を教えてもらえなかったのだ。そこのことに違いない。
残業で莉々子の家に着いたのは遅く、明日のんびり試着すればいいとそのまま就寝した。「明日のお楽しみね」と、寝室に置かれた衣装は見せてもらえず、面倒臭い引き延ばしに微妙に苛立つ。が、それも、午前の光が差し込むリビングで、布団を片付けた跡地に運ばれたそれを見たとき霧散した。
「これ………」
「ワインレッドと黒のヴィクトリア朝風ゴシックドレス! カァッコいいでしょ? 似合うと思って! ウィッグがまだないんだけど、着てみてー!」
トルソーに装着されたドレスの袖をひらひらと振りながら、莉々子が早く早くと催促する。
戸惑いながらも、言われるがまま下着姿になる。ゴージャスなフリルがそこここについているのに、デザインと色だろうか、バサバサした調子はない。首まで詰まっているのに、ウエストをぐっと絞って胸がエロティックに強調されてしまう。フロントは切替無しでセンターのボタンが下腹までつづいてるのに、後ろはパニエでも入っているのか、腰高にバルーン状に膨らんでいて、ヒップラインが出ない。
「ああ、やっぱ栄えるなあ。ゆかりん姿勢いいからシュッとしてる。結い上げるウィッグに帽子つけて、傘……は会場じゃ邪魔かなあ? すごい似合う。さすがゆかりん」
「こんな立派なの……着ていいのかしら。貸してくれた人ってどういう人なの」
「ただのゴシック好きな絵描きだよー。一目惚れして買ったはいいけど、身長足りなくて、でもお直しは入れたくないって、仕事場にかざってたの。写真見せて最終確認することが条件だけど、まず間違いなくこのまま借りれるから、ウィッグとか手袋とかそろえようね! ピンヒールか編み上げブーツは持ってる?」
「いいのかしら、そんな大事なもの……」
「大丈夫だよ! 写メ撮っていい? 今聞くから」
「え、今?」
「うん」
「だ、ダメよ、わたしらしくない、似合ってないから」
スカートを穿かないわけではない。ただ、こんなたっぷりと布を使うような服は初めてで、違和感がありすぎる。羞恥と困惑で顔を顰めた。
「………ゆかりん、恥ずかしいの!? うわ、かわいい! やだなにかわいい!」
「……ッ!」
思わぬ言葉に絶句する。目尻に熱が集まるのがわかった。
「わーやっぱウィッグも用意すればよかったー! あーもー、完璧を目指さなかったあたしのバカー!」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ、わかった、別の人にも見てもらおう」
莉々子がスマホをだかだかと打つと、すぐに折り返しが掛かってきた。
「あとどれくらい? 少し空く? うん、じゃあ5分後。ああいいよ、2人分は大変だもん、それは降りるから」
ふんふーんと鼻歌交じりに電話を終えると、「写メも送んなきゃ」とスマホを構えてこちらを向く。
「無理に笑わなくていいよー。硬い顔もキリッと見えるから」
そうして困惑するこちらを置き去りにパシャパシャと数枚撮ってどこかへ送った。
その間ずっと所在なく、立ち尽くしていたが、少し身じろぎするとしゃらしゃらと布ずれの音がした。たっぷりと重ねられたシルクが音をたてるのだ。
―――美しいわ。
(とても豪奢なドレス。今まで一度も着ようと思ったことのない、綺麗な)
手首を包むレースの繊細さに目を奪われていると、突然軽いメロディが響き、我に返った。インターホンらしい、莉々子が玄関に向かう。
「わあ、素敵」
現れた華奢な女性は目を細めて微笑んだ。
「でしょう!? それが本人照れちゃってさあ、似合ってないとか言い張るの。どう思う?」
「とても綺麗だと思う。スタイルのいい人でないと着られないよ。シックなのに色合いがとても挑戦的だもん。お友達の方? これもコスプレなの?」
自慢げな莉々子に小首を傾げながら質問する女性がにこにことこちらを見るのでなぜだかいたたまれない。
「そうだよ、特定のキャラじゃないけど、これで冬コミ行こうと思って」
「りりちゃんは着ないの?」
「あたしはこーゆーキャラじゃないのさ。当日はこれの持ち主とバッシャバッシャ写真撮るよ!」
「え、は?」
聞いていない予定に間抜けな声が出た。
そんなわたしを不思議そうに見やり、莉々子に向かって「じゃあ後でね」と手を振って女性は去っていった。
「今の方、どなた?」
「すぐ会えるからお楽しみにー。それより、他の人が見ても素敵だって。恥ずかしがるより、まっすぐ『何か?』って顔してたほうがいいよ。ゆかりんの立ち姿、とても綺麗だ」
「………」
「おう、メール。……よっしゃやっぱりね! 持ち主超興奮してる、アイテムも山ほど貸すって、ははは。冬、楽しみだなー。じゃあ仕舞おっか」
促されて、ホッとしながらそのドレスを脱ぐ。フロントボタンを順に外し、袖を抜くと、スカートはストンと足元に輪を広げた。
―――寂しい。
どうして。今まで、レースに憧れたことなどなかった。家具も服もシンプルで、ゴテゴテした装飾はむしろ苦手だ。苦手だった。のに。
「したら、トルソーに着せなきゃね。ヘンな皺つけたら殺される」
莉々子の肩を借り輪から抜け出すと、わたしの抜け跡にトルソーを置き、また羽織らせ始めた。自分の服を身につけながらも視線はドレスと莉々子から離れなかった。
とても上品な家庭料理がテーブルに並んだ。上品というのは精進料理とか懐石という意味ではない。丁寧に作られたことがわかる香りが鼻孔をくすぐる。
「じゃーん、ここが行きつけのともるん宅でーす」
「初めまして、
こういうことか。家を出るときに「上着はいらないから」と、ラフな莉々子に言われ、乗り込んだエレベーターは1階でなく、4階が押された。不審な挙動で「いいから」とニヤニヤ笑う莉々子に仕方無くついて行くと、先ほどの女性に迎えられたのだ。
「りりちゃんの友達が来るというので、はりきりました。ご飯はどれくらいよそいますか」
「普通に1人分でお願いします」
「りりちゃん昼だし呑まないでしょう? 多目?」
「うん、よろしく! いただきまーす」
「いただきます」
「召し上がれ」
昼食会は莉々子がひたすら喋り、橙はにこにこと相槌を打ち、わたしは黙々と食べた。言葉にならないのだ。
美しい料理。昔取った杵柄で、舌が繊細な彩りに歓喜する。正しく引いた出汁をベースに、調理品ごとにほんの少しずつ足されたそれぞれの調味料が各々の素材を生かしており、強い味付けの品もけして諄くない。料亭に行けば素材の良さはそのまま料理の素晴らしさで、どうしても素材の値段が料理の値段になる。そういった意味でも、素晴らしい家庭料理だった。はっきり言ってしまえば、出汁以外の材料はごく普通で、そこからの引き上げ限界を目指す気概に溢れていた。
「やー、ともるん飛ばしてたなあ。いつもより品数多かった」
「少し食べ過ぎたわ」
「あたしもだー。あれでいつもと同じ額なんていいんだか悪いんだか」
「え、有料なの」
「うん、ともるん作って洗う人、あたし食べて払う人。あ、ゆかりんのはあたしのオゴリ」
「あー……、そうよね。いつもいつもあれだけのものを奢られたらちょっと困るわね」
「そうでしょ」
そういえば、聞いた話では莉々子は家庭的な女の子が好きらしい。
(じゃあ実は橙さんのことが好きなのかしら)
でも彼女の薬指には指輪が光っていた。片思いか、不倫か。
(どちらにしても、不毛だわ)
男と付き合える女は男を選ぶ。莉々子は泣くことになるだろう。胸がジクリとした。
逡巡したのに言葉は口を突いて出た。
「ねえ、橙さんのこと、好きなの? 外野がいう事じゃないのは百も承知だけれど、辞めたほうがいいと思うわ」
ぽかん。そして。
破顔一笑。
「ともるんは旦那さん一筋だよー! 脇目も振らず、ひたすらねー」
ケラケラと笑う莉々子に戸惑う。
「ともるんはだいじなともだち。それに、あたし、人のものには興味でないんだ。ともるんはもはやそういう目では見らんないなー。なんでそう思ったの?」
「だって、以前料理の上手な人と暮らしてたって」
「うわ、なんで、あーもう、この世界狭いなあ! うー、そうなんだけど、性格の不一致がね」
「なんて」
「部屋が汚くて耐えられないって……」
「…………。ごめん、その気持ち、わかるわ」
「………………おおう」
なるべくものを持たないようにしているわたしと違って、なんでも残しているような莉々子の部屋は雑然としている。
「ともるんはなにも言いたくないからうちに来ないって決めてるって。物悲しいけどはっきりしてるんだよ。ご飯も、施しでなくてシェアだから、友達だけど、お金払うし受け取るの。親しき仲にも礼儀ありだね。きっちり線を引かれると逆にやりやすいんだなーって思うようになったよ」
「仲がいいのね」
「うん、好きだよ。あの部屋ね、下と中階段で繋がってて、3階が事務所になってるんだ。写真家の旦那さんと共同経営してるんだよ。旦那さんはほとんど海外だから、腕を持て余したともるんはあたしを餌付けしたのさ」
出会いの顛末を語る莉々子は楽しげで、ホッとしたけれど、2人の行動原理は不可解でちょっと引いた。
ドレスの持ち主である早河という女性が、コルセット替わりのウエストニッパーや結った髪に飾る花冠や手袋や幾粒ものアメジストが揺れる瀟洒なピアスを貸し出してくれ、結局自前で用意したのは靴だけになった。
先にサークルスペースを設営してから、後を売り子さんに託して着替えない莉々子と一緒に更衣室へ向かう。1人で着るのは結構困難なのだ。
ウイッグに髪飾りを固定しながら、莉々子が耳許で囁く。
「胸をはって、誇り高くね。ゆかりんは今、最愛の夫を亡くして1人で屋敷を切り盛りするマダムだよ。財産や爵位目当てに寄ってくる男をはねつける、凛と立つ未亡人」
「誇り高く、どんな男にもなびかないのね」
「そうだよ、胸に『あのひと』がいるからね」
胸に誰かがいるのは素敵ね。
声にはせずに、頷いた。
日舞のように、一挙一動に優雅さを、指先まで緊張を。踏み出す足は早すぎず遅すぎず、大股にならず、けれど存在を主張するように威厳を持って。
わたしは、わたしの足で立つ。まっすぐに。
―――この気持ちに、憶えがある。
キャラコスではなかったが、一定量ゴシック好きはいるようで、莉々子と早河の他にも写真を求められた。男性よりも女性が多いのは間違いない。伏せ目がちに視線を流したり、黒いレースの指を口元に添えて笑みを浮かべたり、いろいろな注文に応えた。
早河が満足したところでブースに戻り、着替えの時間まで莉々子と店番についた。
「つーかーれーたー!」
莉々子がばったりと倒れる。本は宅配に出したけれども、借り物のドレス一式は万一を考えて配送には出さなかった。そのため打ち上げもしないで一直線に帰宅したのだ。その場で早河に返す選択もあったが、専門店クリーニングに出してから返却するからと主張した。中身が入って動いてる姿が見られたから満足と早河は言ったが、こちらの気持ちはそれでは収まらない。
寝転がる莉々子が呻きながら提案する。
「おなかすいた……。冷蔵庫にともるんのおかずがあるから、ビールで軽く打ち上げしよっか。お風呂どうする?」
「シャワーだけ借りるわ。ヘアワックスは取りたいの」
「りょーかいー」
2人でなるべく急いで支度を済ませ、一息ついて杯を交わした。いく種かのタッパーを並べて、少しずつ摘まむ。ゆるりと、気怠く。
「本当に美味しいわね、橙さんの料理」
「また来てくださいってともるんが。イタリアンもレパートリーに入れますってさ」
「りりが言ったの? 悪いじゃない、そんなの」
「ピザは無理だけど海鮮料理はいけるってよー。マリネ、カルパッチョ、貝のインペパータ、ヴァポーレ、小魚のフリットゥーラ、アクアパッツァ、トマト煮トマト煮………」
「ちょっと、和食派にしてはやけに詳しいわね、まさか……」
「試食にお呼ばれ~うふふん。あーおいしかったあ~」
「ずるいわ、りりばっかりそんな。わたしもご相伴にあずかりたいわ」
「だから来てくださいってさ。遠慮なんてしないでいいよ、ともるんプライベートじゃ社交辞令なんて言わないから大丈夫!」
「仲がいいのね」
「うっへっへー」
照れて、でも満足げな莉々子にずるいわと重ねて呟く。わたしだってもっと仲よくなりたいのに。
「なればいいじゃん。ともるんは打ち解けるまでかかるけど、基本はお世話好きなんだと思うな、喜んでご飯作ってくれるよ」
「あなたが好きよ」
莉々子が止まった。外回りのわたしと違う、室内暮らしの白い肌が真っ赤に染まってゆく。
「は? え? あ? でも、あの」
「好きよ。付き合って。原稿にでもコスにでもないわよ」
「え、え、でも、そんな、あああ、あたしっ、こんなだよ!?」
「知ってるわ」
「でも、ゆかりんカッコよくてキレイであたし」
「違うわ、それは結果なのよ。わたしを美しくみせるのはりりの言葉。あなたが誇りをくれたから、わたしは立つことができたの。気高い貴婦人の姿で」
「そんな、買い被り過ぎだよ! お話作る人間なんてみんなホラ吹きで適当に紡いで」
「胸にあなたがいるの。いやかしら」
「そんな」
突然、莉々子が堰を切ったように泣き出した。だーだーと涙を流す彼女に呆気にとられて、でもうろたえて、どうしていいかオロオロしていると、
「いやなんて、ホントに、あたしでいいの?」
しゃくりあげながら問われる。おずおずと手を伸ばすと、中指を摘ままれた。
「りりが好き」
「あ、あたしも好き! もうっ、ゆかりんが、恥ずかしいなんて言うから……!」
「……?」
同意が返って胸が熱くなる、前に、続く言葉が不可解で気持ちが迷走した。
「か、かっこいいゆかりんとっ、ともだちに、なりたいなって、思ってたのにっ、あんなかわいい顔するからっ、どうしようって」
「え? ……あっ!?」
血がのぼる。それは試着の時の話か。自分らしからぬ衣装に動揺して写真を拒んだ。思い出して耳が熱い。
「ゆかりんかわいいっ。そんな綺麗でかっこいいのに、そんなに真っ赤になって」
莉々子だって赤いくせに、そんなことを言う。顔が熱くて、目を伏せた。
(もっと言って。両親以外で初めてよ)
「あなたの言葉でわたしは変わるのね」
かわいい女に憧れたことなどない。けれど莉々子の前で上気するわたしはかわいいのだ。
(美しく、気高く、凛と立ち、そのひとの前で、変わるわ)
莉々子のこめかみに唇を寄せると、「かわいいのに格好良くて困る……」と不満げにそっぽ向かれた。
モニターを覗いていた莉々子が突然「ぎにゃー!」と叫ぶので、人間に戻すべく「どうしたの」と日本語で訊いた。
「これ、スチームパンクゴシックなんだけど、お値段が……」
「……あらー」
まったく素晴らしい値段だ。だからといって、チープな自作で済ませたくない。あんな芸術の域まで達した繊細さは、わたしの腕ではまったく不充分だ。
「はーちゃん、随分はたいたんだなあのドレス……」
先日のドレスはさすがにオートクチュールでも本物のヴィクトリアンドレスでもなかったが、それでもあれだけの縫製を施したものならば、機械縫いでも相当な額だったろう。
「しょうがないわ。夢は高いものよ。そんなぽんぽん買えないからこそ、いつか一目惚れしたときのために、貯金しましょ」
普段着はやはりシンプルなものがいい。わたしは今の暮らしを気に入っている。日々、築き上げてきた証左だから。
あれは、特別な日だけ。物語を背負える日の特別。
「うううー、キビシイなあー!」
実は、資金はないわけではない。時折、父が母に内緒でまとまった金額を振り込んでくるからだ。でもそれは本当に緊急用であり、手をつけたことは無い。大学時、男性とのお付き合いを拒んだことで母に勘当され、父が裏から手を回した就職先で、それでも家には頼らずこつこつと暮らしているのだ。いつかその融資を盾に無体な命令が下ったときに、総て叩きつけて返すために、保険替わりに黙認している。
「無念だ……。ゆかりんに着て欲しかったこの貞淑なデザインと隠し味の女王様テイスト……!!」
「りりはわたしをどこへ連れて行く気なの……?」
「あー、残念。まいっか。そろそろ下行く?」
「そうね、橙さんのイタリアン、楽しみだわ」
「今日はワインも用意したからね。あと合いそうな発泡純米酒と軽めの吟醸。ああ、仕事のつまってない平日の午後に女3人昼呑みなんて、なんてなんて至福……」
すでにアルコールが入ったかのように目を潤ませる莉々子。
「そういえば、橙さんの旦那さんって今度はいつ戻られるのかしら。一度ご挨拶したいわ」
「えっ、それは! やッ、ダメ、ゆかりん1人で行って」
「どうして」
「恐れ多くて喋れない……。変なこと口走ったらどうしよう、無理、恥ずかしい」
「…………」
突然頬を染めてくねくねと踊り出す莉々子をどうしてくれようかしらと思案する。そんな恋する10代みたいな姿を見せられても困るのだ。莉々子はいつだっておかしくてかわいいが、そんな乙女のような顔を他の人間に向けられてもかわいくない。しかも20も上の既婚男性に。
「もしかして、いつもそんなこと言って避けてるの? いつかばったり出会っちゃう前に、心の準備してお会いした方がいいわよ」
「あー、うー」
玄関の鍵をかけ、エレベーターホールに並んで向かう。
つないだ手の指をからめて。
fin.
美しく、気高く、凛と立ち、 まるた曜子 @musiko
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