フィオーレ
つっしーうま
フィオーレ
「うん。花村太志さん、君ね花食症だよ」
会社で急に具合が悪くなり途中退社した俺は、その足で病院に来ていた。
様々な検査を受けた後、検診結果を医師から聞いた。俺は医師の言い方と、聞いたことのない病名に耳を疑った。
「花食症って……」
困惑している俺に気づいた医師が花食症の説明をし始めた。
花食症とは異食症の一種らしい。異食症とは何かのきっかけで普通は食べることのないもの(土やガソリンなど)を食べてしまうことで、その一種の花食症は「花」を食べる病気らしい。
それと付け足すように、花食症は予後が良くないと………俺の余命はあと三年程度だと告げた。
「というわけで、花村さん。なんか心あたりあるかい?」
頭の整理がつかないまま医師にそう聞かれた。
こうなったきっかけを聞きたいのか……。心あたりはある。きっとあの出来事から俺は花を食べるようになったんだ。
会社での度重なるミスで上司や先輩に叱られ続け、ストレスと疲労が限界に達していた俺は一人で飲みに行った。
終電もなくなった数時間後、おぼつかない足元のなか気づいたら俺は家に帰るいつもの道を歩いていた。
歩けば歩くほど酔いが体中に回っていく。目の前がゆらゆらと揺れていき俺はその揺れに耐えられず、道脇の小さな花が咲いているところへと顔から突っ込んでいった。
さすがにストレス発散とはいえ飲み過ぎたかと反省する。学生でもあるまいし、みっともない……自分が情けなくなってきた。自分で自分を責めていると、だんだん空しくなってくる。
ふと、手元に咲いている花に目がいった。ムラサキツメクサか……懐かしいな。
俺が小学生の頃だっただろうか、ムラサキツメクサの蜜を食べるというのが流行った。その小さな花につまった少しの甘い蜜……なにか特別なものを食べている気分になった。
そんな昔話を思い出したら、なんだかその特別な気分を味わいたくなった。自分でもおかしいと心のどこかで思ったものの、気持ちが収まらない。
俺は近くに咲いていたムラサキツメクサから小さな花を取り、そっと口に運ぶ。
その瞬間、ほんのりと口の中に優しい甘さが広がる。それと同時に幸福な気持ちが心をふわっと包み込み温かい気持ちになる。その感覚に一瞬にして心を奪われた俺は、タガが外れたようにムラサキツメクサを口に運ぶ。
すっかり気分が舞い上がり自分が酔っていたことを忘れていて、口に運ぶうちにいくつかの花弁を誤って飲み込んでしまった。だが俺は口に広がる甘さに夢中でそんなことは気にも留めていなかった。
そのあとの記憶は曖昧だった。どれくらいの時間まで花の蜜を吸っていたのか、どうやって家に帰ったのか断片的には思い出せるがはっきりとは覚えていない。ただ一つ確かに覚えていたのは、花の蜜を食べた時の幸福感だけだった。
そのときのことを掻い摘んで医師に話した。
医師はその話を聞き納得したのか、俺の肩をぽんっと叩き、
「そうかそうか、ストレスが原因の一つっていう説もあるし、それかもしれないね。いきなり花食症って言われて、しかも余命三年って……すぐには受け止められないと思うけど。困ったこととか悩みとかあれば僕のところに気軽においで」
俺に気を使ってくれているのか、医師は優しい声音でそう言った。
そのあと、気休め程度だけど処方箋出しとくねと言われた。
そのほかにも注意すべきことなどアドバイスをしてくれた。病気の進行を防ぐにはとにかく花を食べないこと。花を食べれば症状が悪化して余命が早まる可能性があるからと。
その日はまっすぐ家に帰った。とても仕事場に戻る気にはなれなかった。俺はまだ現実を受け止めきれなかった。
次の日俺はいつも通りに会社に行った。
俺が所属しているのは、 ファッション雑誌「raffinato」編集部。できたばかりのこの雑誌は二十~三十代を対象とし、好評につき部数は右肩上がりだ。「raffinato」は、メンズ用・レディース用と分かれている今までにないタイプの雑誌だ。
このファッション雑誌の編集部に新入社員として配属された。そこから半年間、仕事を覚えるために必死になって働いた結果……花食病になったってわけだ。本末転倒だな。
「花村君、ちょっといいかな」
しっかりしろ俺と心の中で唱えながら席に着くと、先輩編集である吉秋さんから話しかけられた。
「来月からうちの雑誌で始まる新企画、私と花村君で担当することになってね。今日、その企画に参加してくれる写真家さんが来ているのよ」
「……えっ」
色んな情報が一度にきて、頭の整理がついてない俺は開いた口がふさがらない。
そんな俺の目の前に先輩が一人の女性を連れてきた。
「写真家の菅野さんよ。菅野さん、彼が花村君」
「はじめまして。今回、企画に参加することになった写真家の菅野琴梨です。よろしくお願いします」
綺麗な品のある声音で顔は少しの幼さを残すが、艶のある黒髪がそれを緩和している。恰好はクールな感じだがどことなく清楚な雰囲気の女性だ。俺は彼女から目が離せなかった。
彼女の自己紹介からほんの少し間をあけて俺も自己紹介をする。
「急でごめんね花村君。もう少し早めに報告しようと思っていたんだけど色々あってね……」
「いえ、大丈夫です」
「で、急続きで申し訳ないんだけど、これからその新企画の軽い打ち合わせするから、菅野さんを会議室まで案内してもらえる? 私は資料用意するから」
「はい、わかりました。じゃあ菅野さん、会議室までご案内します」
すました態度で菅野さんを案内する俺だが、内心ではとっても緊張していた。
こんなに綺麗な女性の隣を歩くのは初めてだ……。
会議は外がうっすらと暗くなる時間まで続いた。
普段は男女をくっきりとわけている我々の雑誌だが、新企画は男性が女性を、女性が男性をプロデュースしていくというものらしく、貝塚さんと伊井田さんというモデル二人にも会議に参加してもらった。
「ということで、今日の会議はこの辺にしときましょうか」
吉秋先輩が、書類等々をまとめながらそう言った。
昨日の今日でとても帰りたかったが、モデルたちとの交流ということで飲みに行くことになった。
俺たちは小洒落た静かな雰囲気のダイニングバーに入った。自分がいつも行く飲み屋と全く逆の雰囲気で気持ちが落ち着かない。
店に入ると小さなテーブル席に案内された。五人で座ると少し狭いがそこまで気にならない。
席に座り飲み物を頼む。吉秋先輩と俺は生ビールを貝塚さんはハイボールを、菅野さんと伊井田さんはカクテルを頼んだ。
会社からまっすぐ帰りたかった俺は、生ビールを勢いよく飲み干す。そして追加を頼むを繰り返す。
他の人たちは楽しそうに話している。
俺の隣に座っている菅野さんはイケメンで爽やかな笑顔の貝塚さんと話していた。なんだかお似合いの二人だなと思う反面、心がもやもやしていく。なんだこのもやもや……。
「花村さん!! 菅野さん僕たちより3歳年上らしいですよ」
「へ?」
ふいに話しかけられたのと貝塚さんの言った言葉に驚き思わず声が出た。
全然見えないですよねーと軽い感じで言ってくる貝塚さん。悪気はないんだろうけどなんだかな……。
「そうですね、全然見えないです。俺、菅野さん同い年だと思ってました。そう思うくらいお綺麗で……」
あ、と思ったときにはもう遅かった。考えていたことが口から出ていた。
言った後、気まずくなり遠くへと視線を移す。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
菅野さんが笑顔を浮かべ俺のほうを見てそう返す。その笑顔に俺の心臓がどきっと鼓動するのがわかった。
その笑顔に言葉が出てこず、下手くそな笑顔を返す。
俺は恥ずかしく顔がカーッと赤くなるのを感じ、それを隠すようにビールを一気にあおる。
話を振ってきた貝塚さんはいつの間にか他の人と話していた。菅野さんが一人になってることに気づいた俺は彼女の方をみる。
すると彼女の様子がなんだかおかしい……。さっきより顔色が悪くなっていってる気がする。これはやばいんじゃないか。
俺は他の人には気づかれないように小声で彼女に話しかける。
「あの……菅野さん、大丈夫ですか?」
俺がそう聞くと菅野さんは俺の顔を見て
「ちょっとやばそうです……」
といった。俺の顔を見た彼女はうっすらと汗をかいていた。
「えっと……吐きそうな感じですか? 」
そう俺が聞くと彼女はこくこくと頷く。
「一人では……行けそうにないですね」
よく見ると菅野さんの手が震えている。ちょっとした痙攣をおこしているみたいだった。
俺は他のみんなに「菅野さんが具合悪そうなので、トイレの近くまで連れて行ってきます」といった。吉秋先輩とか伊井田さんが「代わろうか? 」と言ったが、二人は俺より酔っているようだったので、「いえ、大丈夫ですよ」と断っておいた。
菅野さんの腕を自分の肩に回し、トイレに続く短い渡り廊下へと足を進める。
もうすぐで女子トイレに着くという時だった。
彼女が突然膝から崩れ落ち、激しくせき込み始める。
「菅野さん!! ちょ、大丈夫ですか? 菅野さん!! 」
俺は声をかけつつ彼女の背中をさする。
彼女のせきはどんどん激しさを増していき、そして彼女の口から吐き出せれたもの……それは、
「えっ……花? 」
青紫色の花……たしかこの花はアヤメだったろうか。白い廊下にぼたぼた広がるアヤメは彼女の足下に円を描いていく。彼女の体液により少し濡れたアヤメの花。
その光景を目にした俺は、なぜか空腹感が抑えられなかった。口の中にたくさんの唾液が溢れ出してくる。
食べたい食べたい食べたい食べたい……。
俺は彼女の背中をさすりながら、食欲と思われるその欲求を必死に抑え込んだ。
ひとしきり吐き終えたあと、彼女は先ほどまでの青白さはなくなっていた。が、違った意味で青くなっていた。たぶん俺にこの状況を見られたことがショックだったのだろう。
「……菅野さん、あのぉ……落ち着きましたか? あの、立てそうだったら立ちましょうか。ここ廊下ですし……」
菅野さんは俺を見て不思議な顔をしていたが、俺の言うとおりに立ち上がってくれた。
俺たちはみんながいる席には戻りづらくなり、場所を変えようとこっそりと店を出て行った。幸い彼女はバックを持っていた。俺の荷物はどうとでもなるだろう。
そして近くのひっそりとしたバーに入り、飲みなおすことにした。
バーテンにお酒を注文し、少し間を置いてから口を堅く閉ざしていた彼女がゆっくりと話し始めた。
「花村さん、すごく冷静ですね。大抵の人は引いちゃうんですけど……引かなかったのは花村さんが初めてです」
それは自分も……と言いかけてやめる。
彼女も何かを言おうか言うまいか考えているみたいだった。
「私、実は吐花病っていう病気にかかって、医者にはあと余命一年くらいだって言われました……」
彼女は下を向き、グラスをぎゅっと握っている。普通ではない病気のことを言うのは相当勇気のいることだ。
そう思ったら自分の病気のことも、すんなりと話していた。自分も花食病という病気にかかってあと余命三年と言われたこと。
話を聞いた彼女は少しだけ顔色が明るくなったような感じだった。
「同じような境遇の人に会えるなんて、なんだか運命みたいですね」
ふふっと笑いながら言う彼女だが、それが冗談なのか本気で言っているのか俺にはわからなかった。が、彼女の笑顔がもう一度見れたからいいかと思った。
それから半年経った今、俺たちは半同棲生活を送っている。お互いにはっきりと「好き」だと言ったわけではないけど、一応付き合ってるんだと思う。
あれから俺も彼女も自分の病と向き合い続けてきた。そして互いが互いを求めるように彼女と色んなことをした。
そしていつも通り俺の家で飲んでいたときだった。
「太志君、私もう疲れてきちゃった……」
そう言った彼女は珍しくひどく酔っているみたいだった。彼女の顔は仕事の疲れのせいか顔色が良くなく、目の下にはクマがあった。
病に侵され、その病のせいで冷たい目で見られ続ける中で、それでも彼女は仕事を続けてきた。花を食べるのを我慢すればいい俺とは心の負担の大きさが違った。
彼女にはもう生きることさえ辛いのだ。
そんな彼女にかける言葉が見つからず、俺はこう言った。
「じゃあさ、俺と心中しようか」
困った挙句言った言葉だったが、半分本気で言った。苦しんでいる彼女を一人にできない。
だが彼女がイエスとは言わないだろうと俺は思っていた。だが、彼女はこう言った。
「うん」
こうして始まった彼女と俺の心中計画。
彼女の余命まであと半年、それを迎えるまで俺は彼女が吐き出す花を口にし続ける。そうすることで俺の寿命もどんどん縮まっていく。これが俺たちの心中。
フィオーレ つっしーうま @majimekun
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