第2話 不可解な正体
あまり眠れなかった。
十秒を用いて何が出来るかを考えていたのだが、上手く想像が出来なかった。
昨日の今頃は、まさか自分がこんな不可思議な力を得ているとは思っていなかったのだ。
結局時間を止めたのは、昨日の唐揚げをつまみ食いした一回だけ。
それ以上は、なんだか怖かったのだ。
昨日あの少年が言っていた星と人間の間の存在になるという言葉。
概念を失い、人としての形を失ってしまうという言葉。
それが
十秒であればそのようなことは起きない、とも少年は言った。
しかしそれが本当である保証など何処にもない。
概念を失うことまではなくとも、何かしらの代償や副作用が起きるかもしれない。
そう思うと、無駄なことではあまり使いたくはなかった。
窓の外では
星の輝きは何億光年先から放たれた過去の光だという話を思い出す。
その放たれた光の軌道は、自分の能力では止められない。
どんなに過ぎた力でも、
そんなことを考えながら、ベッドに身体を委ねることにした。
珍しく寝坊をしてしまった。
一時間時間を止められたなら二度寝も出来たのだが、そうはいかない。
なんとか重い身体を起こして、制服を
家から学校が近いのが何よりの救いだった。
朝の出席を取る前にはなんとか自席に着くことが出来た。
周囲はグループを作ってざわざわと下らない話をしている。
自分に話しかけてくるようなやつはいない。
かといってそれをネタにするようなやつもいない。
つまりは歯牙にもかけられていないのだ、誰からも。
「おい、昨日のアレ見たか。凄かったよな、あの巨乳のさ……」
「ねぇ、知ってるぅ? リカさ、あの男と別れたんだってぇ」
「今期のアニメで一番良いのはやっぱりさ……」
誰も彼も、つまらない話に花を咲かせて楽しそうなフリをしている。
学校という劇場で、みんながみんな生徒役を必死に演じている。
そして自分も、影の薄い生徒役を頼まれてもいないのに演じているのか。
誰も知らないんだ。
自分が時間を止められるってことを。
そう思うと、少しだけ胸の中に
傍目から見たら、多分相当気色悪いと思う。
「おい。お前さ、マジでキモいんだけど」
背後から響いたやけにドスの利いた声に、自分は視線をそちらに向けた。
「あのさぁ、マジでなんなの? その顔。なんか言いたいわけ?」
小学生ならばガキ大将とか言うのだろうが、高校生だとただの害悪なやつだ。
いつもなぜか苛立っていて、目の前の人間に理不尽な八つ当たりをする。
誰も彼も佐々木のことは嫌いだが、それでも佐々木に逆らうやつなんていない。
みんな、保身で忙しいからだ。
かくいう自分だって。
「あぁー、超ウゼェな。マジでムカつくんだよ、ウジウジしやがって」
今日も今日とて佐々木は意味不明で中身の無い言葉で八つ当たりをしている。
八つ当たりをされている被害者の男子生徒は、なんとも言えない顔をしている。
なんで自分がこんなことを言われているんだ、という感情とそれでも佐々木相手では変に言い返せない、という葛藤が表情として顔に表れている。
「ちっ、あのさぁ。本当に気持ち悪ぃんだけど」
そう言って箒の入ったロッカーを蹴りつける。
大きな音が教室中に響いて、誰もが一瞬そちらを見る。
思わず脊髄反射してしまった自分に、腹が立つ。
試してみるか。
初めて人が大勢いる場所で行う時間停止だ。
成功するかどうか。
昨日一度時間を止めた感覚を頼りに、頭の中で祈念する。
手を叩くと目立ってしまうので、今回は頭の中で念じるだけだ。
(止まれ)
瞬間、音の一切が遮断される。
この感覚は、時間が止まった時の特有のものだ。
成功した、と喜ぶ間もない。
俺は空いていた席の椅子を持ち上げる。
残り七秒。
持ち上げた椅子を思いっきり振りかぶって佐々木を殴りつける。
時間が止まっているためか、まるで鉄にぶつけたかのような反動が起きる。
もちろん佐々木は呻きも何もしない。
残り五秒。
二、三度殴りつけたあと、椅子を元の場所に戻す。
残り三秒。
自分の席に戻り、時間停止を行う前と何一つ変わりなく前を見る。
残り一秒。
時間が、動く。
「ぐぇあっ」
車で踏み潰された蛙のような声を上げて、佐々木は二歩後ろに飛ばされた。」
時間停止中に行ったことが、解除後に一気に反映されるようだ。
「え、えあぁ……」
自分に起きたことなど微塵も理解できない、といった風に腹を抑える。
口元から俄かに唾液が滴り落ちている。
絡まれていた生徒も何が起きたか分からない、といった風に当惑している。
それもそのはずだ。
傍目から見れば、絡んでいた佐々木が突然磁石に弾かれるように飛ばされ、痛みに耐えかねて
いい気味だ、と思う。
それは恐らく周りで静観している生徒たちも同じだろう。
佐々木は目の前の生徒が行ったと思ったのか、腹を抑えながら廊下へ走って行った。
その情けなさが小気味良くて、思わず笑いを堪えるのに必死だった。
結局学校が終わるまで、自分はその一回しか時間停止を使わなかった。
小テストの時に一度使おうかとも思ったが、一問程度しかカンニング出来ないのでやめた。
十秒というのは、行動を起こすにはやはり不便だ。
しかし与えられた以上有効活用したいと思う気持ちもある。
「どうしたもんかな……」
「悩んでるのかい?」
突如隣から響いた声で思わず仰け反ってしまった。
昨日の少年だった。
「中々楽しいことに使ってるみたいじゃないか。いじめっ子を
「見てたのか」
一体どこから見てたんだ。
いや、時間を止める力を持ってるくらいだから千里眼とかも持ってるのかもしれない。
ますます目の前の少年が何者なのか分からなくなる。
「で、使い道に悩んでるわけか」
「……お前」
「なに?」
「一体、何者なんだ?」
考えても分からなくなるばかりなので、一層訊いてみることにした。
そちらの方が単純明快だ。
「何者、ねぇ」
顎に手を寄せて
「神様、とかだったりするのか」
自分で言っていて実に滑稽だと思うが、それでも真剣だった。
時間を止められるなんて、神以外にいるのか。
それとも超能力者の類なのか。
「神様って……正気かい?」
「だって、時間を止めたりして……そんなの神の御業としか」
「神っていうのは、君たち人間の持つ集団幻想でしょ。色んな属性を持って、色んな側面を持っている、人間が都合のいい時に濡れ衣を着せるためのスケープゴート」
心外とでも言いたげな表情で少年は言葉を続ける。
「悪いことが起こった時や防げない災厄が降り注いだ時に、その事実を
「だったら、お前は」
「もっと単純でシンプルなものだよ。俺達はさ、君たちの言葉でいうところの世界かな」
「世界……」
「厳密に言えば違うけど、星を構成するパーツみたいなもの。星っていうのは君たちのような生命を囲う檻みたいなものなんだよ。俺達はその檻の格子の一本一本みたいなもの。一つでも欠ければ中身が溢れて、バランスが崩れて星としての役割が退廃してしまう」
「じゃあ、どうして、そんな人間の形をして」
「この身体は
意味が分からない。
つまりこの少年は、神とも呼べないような高位の存在なのか。
人間に表現する言葉が与えられていないような存在だとでもいうのか。
「この前話しただろう。生物と星とは存在に隔たりがあるのだと。
「俺達は、お前たちに干渉出来ない……ってことなのか」
「そう。生物側は高次元体である星に干渉できない。たとえばそうだな、星の生命活動として起こる火山噴火や地震といった災害は、人間の手ではどうすることも出来ないだろう。それと同じだ。星が向かう未来を生物が止めることは出来ない」
「お前は、一体……」
たとえば、少年が本人の言う通り高次元体の存在だとして、ならばどうして自分を選んだんだ。
それが分からない。
いや、何一つ分かってはいないのだけれど。
もしかすれば全てはこの少年の妄想なのかもしれない。
「地球の形は、どんな形をしていると思う?」
「そんなの、楕円形だろう」
遠心力で外側に伸びているのだと聞いたことがある。
「最初に世界に生命が生まれた時は、世界は一つの大きな木だったんだ。そこには十一個の実が成っていて、それが落ちた時に広がった
「何を」
言いたいのかが全く分からなかった。
世界が木だった、なんてそれこそまるで
「その十一個の落ちた実の内の一つが、俺なんだよ」
強い風が吹く。
熱風が少年の着ているシャツを靡かせる。
相変わらず涼しい顔をしている。
「俺の名前は
「なにを……」
こいつは、何を言っているんだ。
「そんな
「あ、あぁ……」
「それじゃあ、楽しみにしているよ。君がどうその力を使いこなすのかを、ね」
少年は颯爽と去っていってしまった。
先程言っていたことの一分も自分は理解できていない。
しかし、少年の言う通り今はそこの理解は必要では無いのだ。
時間を止める力、それを持っていることは紛れもない事実なのだから。
少し考えるために、いつもと違う道を通って帰ることにした。
「やめてください」
そう女子の声が聞こえたのは、少年と別れて角を曲がった時だった。
ここは墓場が近いことから普段から人通りが少ない。
自分は情けないと思いながらも、忍者のように足音を潜めてその場を窺うことにした。
「やめてくださいってば」
女子は、もう一度同じセリフを繰り返す。
うちの高校の制服だ。
いや、あれは……。
「良いじゃないかよ、お嬢ちゃん。ちょっとそこでお茶でもしないかって言ってんのよ」
鹿島だ。
鹿島が、胡散臭いスーツの男に絡まれている。
上手い感じに男が道を塞ぐ形になっており、鹿島も出るに出られないといった風だ。
「別におじさん怪しいものじゃないのさ。ちょっとお嬢ちゃん顔色が悪いから少しお茶でもしないかって提案してるんだよ」
今時ここまで怪しい人物もいるものなのか。
少し感心しそうになったが、どう鹿島を助け出すか算段を考えていた。
ここで助け出せれば、繋がりが少なからず生まれるだろう。
好きな鹿島に、意識してもらえる。
あの少年が見ていると考えると少し気が引けるが、それでもこれは自分に与えられた力だ。
好きに使って罰は当たらない。
ましてや人助けのためなのだから。
「よし」
一つ自分を鼓舞すると、なんとか一歩を踏み出す。
二歩、三歩、四歩。
鹿島とスーツの男に少しずつ近付いていく。
こちらを向いている鹿島は気付いたのか、助けを求めようとする。
その様子を見てスーツの男はこちらを振り返る。
「なんだよ、お前」
それはこっちのセリフだ。
「離せよ、嫌がってるじゃないか」
なんとも捻りの無い言葉選びだと自分でも辟易する。
「おいおい、言いがかりはよせよ。俺はこのお嬢ちゃんの親戚なんだぜ」
「ちがっ、た、助けて立花くん!」
必死に否定しようとする鹿島の口を抑えつけるスーツの男。
触るなよ、汚らしい親父が。
(止まれ)
音が瞬間的に消える光景にも、もう慣れた。
音の消えた世界を一歩、踏みしめる。
スーツの男の前に立つと、渾身の力で男の急所を蹴る。
何度も、何度も。
あと三秒。
憂さを晴らす様にして男を殴りつけると、鹿島にかけられた手を外す。
一秒。
時間は動き出す。
「げええぁぁあああぁっ!!!」
男は突如として訪れた強大な痛覚の波に押されて、股間を両手で押さえる。
鹿島も何が起きたのかさっぱり、といった表情だったが手を掴んでその場から離れる。
手負いの熊が一番凶暴だと言うから、あまりこの場所に居たくはない。
「行こう、鹿島さん」
手を繋いでその場から全速力で逃げる。
走る、走る、走る。
墓場が背後にすっかり見えなくなったのを確認して、鹿島の方を振り向く。
自分はすっかり息を切らしているというのに、鹿島は呼吸一つ乱れていなかった。
「だ、だ、大丈夫、鹿島、さん」
はぁ、と息を漏らしながら確認する。
これでは格好が付かない。
「大丈夫。ありがとう……。立花くん、護身術でも習っていたの?」
凄く早い足技だったけれど、と続ける。
鹿島にはそう見えていたのか。
「ま、まぁ。少し、ね」
嘘だ。
しかし時間を止めて、と言ったところで信じてはもらえない。
そもそも言ったところで反則のようなものなのだから、幻滅されるに決まっている。
「なんにせよ、ありがとう。助かった……」
時間差で恐怖がやって来たのか、鹿島は両腕を互いに掴みながら小刻みに震えていた。
「こんなところではなんだから、少し涼める場所で休んでいかない?」
「うん……」
そう言って自分たちは近くにあるファミレスへと入って行った。
雲一つない青空の下での出来事だった。
ワンダーワールド・ストレンジ まっちゃ大福 @daifuku9923
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ワンダーワールド・ストレンジの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます