教科書は少女漫画

無月弟(無月蒼)

教科書は少女漫画

 誰かを好きになる事なんてあるのだろうか。

私、望月雫は、高校一年の現在まで、恋と言うモノを知らずに生きてきた。

とは言っても、恋愛に全く興味が無いというわけでは無い。友達の恋バナを聞くのは好きだし、漫画やドラマでの恋愛だって嫌いじゃない。ただ、恋愛を自分の事として考える事が無かっただけなのだ。

男子を見て格好良いと思う事はあってもそれまで。付き合いたいとか、特別仲良くなりたいとか思った事は無く、私には恋なんて無縁なのだと、当たり前のように思っていた。思っていたのだけど……

「好きな人ができたって?アンタ、雫だよね、皮をかぶった別人じゃないよね?」

「ちょっと、声が大きいよ」

 私は慌てて周りを見回す。私達がいるのは昼休みの教室、誰かが聞いていたらどうしようと心配したけど、幸い気づいた人はいないようだ。

「本物の雫って事でOK?狸が化けてるわけじゃないんだよね」

 失礼な事を言ってきたのは中学校からの同級生、香である。けど香が驚くのも無理はない。私だって信じられないのは同じなのだ。

「香ちゃん、そんな事言ったら失礼だよ。けど、私も驚いたな。気が狂ったわけじゃないんだよね?」

「良子、アンタもだいぶ失礼だよ」

 香からツッコミをくらっているのは良子。こちらは小学校からの同級生だ。私達は中学の時から三人でつるんでいて、困った事があると何でも相談し合ってきた。だけどまさか恋の相談をする事になるだなんて。

「狸が化けているわけでも気が狂った訳でもない、本当に好きな人が出来たの」

 声をひそめながら、二人に伝える。

「雫が恋ねえ。で、相手は誰?」

 やっぱり答えなきゃいけないよね。少し躊躇したけど、相談する以上黙っておくわけにもいかない。

「……神谷君」

「神谷って、うちのクラスの神谷?」

 私は黙って頷く。香も良子も驚いている。無理も無い、同じクラスではあるけど、接点なんてまるでなかった人だ。神谷君は特別モテる訳じゃないけど、優しくて人当たりが良い為、女子の評判は悪くない。そんな男子だ。

「ねえ、どうして神谷君を好きになったの?」

「先週、私がパンをくわえながら登校していたんだけど」

「またパンくわえて登校したのか。みっともないからやめなさいって言ってるでしょ」

「遅刻せずに睡眠欲と食欲を満たしたいっていうのは分かるけど、それじゃあコントだよ」

「別にいいでしょ。それで、登校していると雨に濡れている子犬に傘をかけている神谷君を見かけて」

「雨降ってたんかい。くわえていたパンはシナシナになってただろうね。それにしても神谷、昔の漫画の優しいヤンキ―みたいな事をしていたんだね」

「神谷君も私に気付いて。だけど、パンくわえて登校していたからなんだか恥ずかしくて」

「雫ちゃんにも羞恥心ってあったんだね」

「パンくわえて登校しているのなんて見られたら笑われると思ったんだけど」

「普通笑うね。で、神谷は笑わなかったの?」

「ちょっとだけ笑ったんだけど、その後『望月さんって面白いね』言ってくれたの。その時胸がキュンとなって」

「恋に落ちたんだね。雫ちゃんチョロイね」

「うるさーい!とにかく、そんな訳で好きになりました。さて、私はこれからどうすればいいでしょう?」

「どうすればって言われてもねえ」

 香が溜息をつく。同様に良子も難しい顔をした。

「雫ちゃん、中学時代の私達の呼び名って覚えてる?恋と無縁の三人組って言われてたんだよ」

 そう。今まで恋愛に無縁だったのは私だけでは無い。この二人も恋愛の「れ」の字も知らずに今日まで生きてきたのだ。

「そもそも相談する相手を間違えてるよ」

「そんな事言わないで。こんな事相談できる相手なんて他にいないんだから」

「そう言われてもねえ。そもそも雫ちゃんはどうしたいの?神谷君と付き合いたいの?」

 そりゃあ、そうなれば良いなとは思う。けど、そのために何をすれば良いのかがさっぱり分からない。単純に告白すれば良いわけじゃない事くらい私でも分かる。

「アンタそこまで神谷と仲が良いわけじゃないでしょ。だったら最初は距離を縮めたら良いんじゃないの?」

「じゃあどうやって距離を縮めるの?」

 とたんに香は黙ってしまう。恋愛経験ゼロの私達は三人そろっても文殊の知恵とはいかないんだ。

 そう思っていたけど、香が突如閃いたように言った。

「そうだ、分からなければ教科書を読んで参考にすれば良いんじゃない」

「教科書?」

 いやいや、教科書に恋を成就させる方法なんて書いてないでしょ。

「香ちゃん大丈夫?頭のネジ抜けて無い?」

「抜けてないわ!何も国語の教科書を読むわけじゃないって恋愛の教科書と言ったら決まっているでしょ。少女漫画よ!」



 放課後、私達三人は部室棟の隅にある、漫画研究会の部室を訪れていた。昼休みに香が提案した、少女漫画を読んで、恋愛の参考にするためだ。

 私達は部員では無いけど、漫画研究会と交渉して、部室内の漫画を読ませてもらう事になっていた。

 漫画研究会と言うだけあって、部室の本棚には多くの漫画が所狭しと並んでいる。

「そういえば漫画研究会の人はいないの?」

「今日は『花とゆめ』の発売日だから買いに行くってさ。部室の鍵だけ預かってる」

 と言う事は今日部の室は私達三人で使い放題と言うわけか。相談もし易いし助かる。

 早速いくらかの漫画を手に取ると、参考に出来るものはないかと読み始める。

「ねえ、これなんてどう?」

 早速香が何かを見つけた。

「主人公の女の子に意地悪をしてくる俺様男子がいるけど、次第に二人とも惹かれあっていくって言うやつ」

 なるほど、少女漫画のテンプレの一つだ。だけど……

「神谷君は意地悪なんてしてこないよ。そもそも、意地悪するような男子の事を好きになるかなあ?」

「確かに。漫画ではよくあるけど、現実的じゃないかもね」

 残念ながらあまり参考にはならないようだ。すると今度は良子が何かを見つけた。

「これ面白いよ。ヒロインが意中の男子と会うために男装して全寮制の男子校に通う話」

「ウチは共学!男装する必要なんて無いから」

「そっか。これは意中の相手が男子校にいる時でないと参考にできそうにないね」

「いや、例えそうだとしても参考にしない方が良いと思う。男装して男子校に通うとか非常識だから」

「だったらこれは?幼いころに父を亡くし、先日母にも先立たれたヒロインがテントで生活していると……」

「すでに色々おかしいよね!私は両親健在だし、テントで生活もしてないから!」

「重要なのはここからだって。登校中クラスメイトの男子と会って話すようになる。アンタと状況似てるかもでしょ」

 確かに。これは詳しく話を聞いた方が良いかも。

「その男子は異性に抱きつかれると十二支の動物に変身するという呪いが掛けられていて」

「却下―!」

 香から本を取り上げた。

「神谷君は十二支に変身したりしない!」

「大丈夫。十二支以外にも猫になる奴もいるから」

「どうだって良いよ!異性に抱きつかれたら変身するって言う時点で現実的じゃないよ」

「本当にそう?神谷が女子に抱きつかれている所なんて見たこと無いでしょ。もしかしたら、もしかするかも」

「するかー!」

 その後も意中の男子が訳あって彼女のフリをしてくれる人を探していたから協力した話や、剣道部主将のヒロインとおネエ男子の恋の話など色々あったけど、どれも今一つ参考にはし辛かった。

「中々良いの無いね。少女漫画も大したこと無いな」

「途中の心理描写なら参考にできるかもしれないけど、話すようになるきっかけは特殊な物が多いね」

残念ながら神谷君との距離を縮める方法の参考にはなりそうにない。仕方ない、今日はもう帰ろう。

「ちょっと待って。今主人公の男子が十年越しの片思いの相手に告白された所だから」

「私も今良い所なの。長い間ベビーシッターとしてお世話していた子供と別れないといけない感動的なシーン」

 二人とも当初の目的そっちのけで本に没頭している。親友の恋の悩みはどうした?

「明日は乙女ゲームでも持ってきて一緒に考えてあげるから。今は続き読ませて」

 仕方が無い。これ以上何か言っても無駄みたいだし、私も漫画読もう。諦めて本棚に並べられた本に手を伸ばした。



 学校を出て香や良子と別れた後、私は通学路の近くにある本屋に立ち寄っていた。

 大量の少女漫画を読んだけど、面白さに呑まれてしまい、他に何か面白そうな漫画は無いかと探しに来たのだ。

 この本屋は小さめの個人商店で、来たのは初めてだけど、品ぞろえは悪くない。少女漫画のコーナーに足を運ぶと、可愛らしく書かれたポップに目が行った。

『恋愛の教科書!片想い中の女子必見、縮まらない心の距離を縮めようとする少女の物語』

 何、これは恋愛の教科書になりえるのか?

 その漫画を手に取ってあらすじを見てみると、クラスの男子に片想いをするヒロインが彼と仲良くなろうと奮闘する物語らしい。

 今の私の状況と似ているかも。参考になるかどうかは分からないけど、ヒロインに共感して楽しめるかもしれない。よし、試しに買ってみよう。今のところ五巻まで発売されているようだけど、とりあえず一巻だけ買ってみる事にする。

本を手にしたままレジへ向かうと、そこにいるはずの定員さんの姿が無かった。

(不用心だな。これじゃあ万引きされても文句言えないよ)

 レジの奥にある部屋の中には誰かいるかもしれない。私は大きな声を出してみた。

「すみませーん、レジをお願いしまーす」

 すると奥の部屋から人影が現れた。

「すみません、お待たせしました。って、望月さん?」

「えっ?神谷君?」

 現れたのは何と神谷君だった。突然の意中の相手出現に戸惑わずにいられない。

「な、なんで神谷君がここに?」

「なんでって、ここは俺の家で、店番してるから。買うのはこの本だよね」

 神谷君はレジの上に置かれていた少女漫画を手に取る。何だか恥ずかしくなってきた。神谷君と仲良くなる為の参考資料にしようとしている本を、神谷君本人から買うだなんて。

「いい、やっぱり買うのやめる!」

 何だかよく分からないけど妙に恥ずかしい。すると神谷君は残念そうな顔をする。

「やめるの?これ、結構面白いのに」

「え、神谷君も呼んだことあるの?」

 男子なのに少女漫画なんて読むんだ。

「ウチは見ての通り本屋だからね。漫画でも小説でもとりあえず読んで、面白かったら宣伝することにしてるんだよ。これのポップを作ったのも俺だし」

 あの『恋愛の教科書』ってポップを神谷君が考えたの?神谷君は学校では本を読んでいるイメージは無く、ちょっと意外だった。けど少女漫画を読み、カードに紹介文を書く神谷君を想像すると、普段のギャップから妙に面白く思えてしまう。

「笑わないでよ。別にいいでしょ、男がこういう本を読んでも」

 どうやら気持ちが顔に出てしまっていたらしい。けど、少し照れた様子の神谷君も可愛げがある。

「ごめんごめん。ねえ、やっぱりその本買って良いかな。ちょっと興味が出てきた」

 さっきは恥ずかしいと思ったけど、神谷君が面白いって言った本だ。興味がわかないはずが無い。

「良かったら、読み終わったら感想聞かせてくれない」

 会計を済ませて本を受け取ると、神谷君がそんな事を言ってきた。

「男子は少女漫画なんてあまり読まないから、少しは語れる相手が欲しくてね。もちろん望月さんが迷惑じゃなければだけど」

「大丈夫、全然迷惑なんかじゃないから」

 せっかく近づけるチャンスを逃してなるものか。恋愛の教科書として少女漫画を読もうとしたところでこんなチャンスが舞い込んでくるなんて。

「これ、帰って読むから。感想は明日学校で話すね」

 浮かれているのを顔に出さないように喋る。神谷君は満足そうに頷き、店を出る私を、また明日と言って見送ってくれた。

 店を出たところで、私は自分の心臓が高鳴っている事に気づいた。目を閉じれば楽しそうに話す神谷君の姿が浮かんでくる。

(思っていたのとは全然違ったけど、少女漫画のお陰で距離が縮められたかも)

 高揚する気持ちを押さえながら、私は夕暮れの街を歩いて行った。



帰ってから読んだ神谷君お勧めの少女漫画は思っていた以上に面白く、次の日残りの二巻から五巻を買うこととなった。買ったのは勿論、神谷君の本屋である。

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