はざまとくるるぎの出会い

 それは、日常のただ中にひっそりと紛れ込んでいる非日常だった。世界は、それを見るものにとっては一つではなく、理もまた、一つではない。数多の理、数多の常識、数多の世界で成り立つのが、この世である。

 かつて古きものが住まう国であった日ノ本は失われ、科学によって全てが暴かれていく時代。それでも、変わりなく存在する不可思議な非日常と接する者達がいた。多くの人々にとっての日常を護るため、自ら非日常の側に首元までその身を沈めるようにして生きる、揺蕩う人々がいた。誰にも知られず、ただ静かに、この国の守護者として生きる二つの一族がいた。

 これは、その一族の当代、一人の少年と一人の女性が縁を繋いだ、始まりの話である。






************************************






 狭間歩はざまあゆむは緊張していた。まだ五歳の歩にとって、狭間と枢木くるるぎの当代が拠点としている本殿へと足を運ぶことなど、恐れ多いことだった。表向きは枢木の一族が管理する神社の一つで、その奥、木々に埋もれるようにして一般の人々には存在を知らされていない場所に、本殿があった。案内役の巫女装束の女性に連れられて、歩はその本殿の最奥、当代二人が待つという最奥の間へと連れてこられたのだ。

 歩はまだ、五歳の幼子だ。だが、そうであると同時に、現時点で既に、狭間の当代の跡を継ぐに相応しいと言われるほどの才能の片鱗を魅せている子供でもあった。だからこそ歩は今、ここにいる。当代への拝謁が叶うという、栄誉に預かっている。

 だがしかし、まだ五歳の歩が抱いた感想は、ただ一つ。




(…………こわい)




 であった。

 無理もないことだった。歩の眼前には、見事な作りの和室の床の間を背にして座る、二人の男がいた。片方は着崩した和服姿で、もう一人は隙なく身につけたスーツ姿だった。見事に対照的な男達は、外見だけを見るならば20代の半ば頃。実際は遥かに年を重ねているだろうことを歩は知っているが、問題はそんなところではない。

 何故か先ほどから、眼前の二人が心に優しくないやりとりを続けており、空気が張り詰めているのだ。五歳の子供である歩にとって、それが何なのかはわからない。わからないが、不機嫌そうな見知らぬ男性二人の前で、ただひたすらに正座を強いられるのは辛く苦しいものであった。何の拷問かと思う状況だ。


「おめぇは相変わらず細けぇことをぐだぐだと」

「貴方は相変わらず考え無しのままですね」

「あぁ?」

「みっともない姿を見せないで下さい。子供の前ですよ」

「おめぇこそ子供の前でねちねちとしつけーだろうが」

「どちらが」


 顔を合わせもせずに、双方共に視線は適当に室内を見ながらの台詞であるが、その険悪なやりとりを延々と聞かされている状態の歩にしてみれば、たまったものではない。子供の前でというなら、どうかケンカをしないで欲しいと彼が願うのも無理は無かった。

 狭間の当代と枢木の当代は、仲が悪いのだろうか。幼い歩がそう思っても無理はないほどに、男2人は険悪なやりとりを続けている。しかし、当人達は普通に会話をしているだけなのだ。彼らはこれでも数十年相棒として共に生きている間柄で、交わす言葉に情が見えずとも、その本質は繋がっていた。とはいえ、未だ幼児である歩にそんなことが解るべくもない。

 誰か助けてくれないだろうかと、口を開くことも出来ず、ひたすらに正座を続けている歩であった。そうして心から、本日顔合わせをする相手である、枢木の次代と目されている相手の到着を待った。彼の人が来てくれれば、本題に入ってもらえるだろうということぐらいは、幼い歩でも理解できたからだ。

 その歩の祈りが通じたのか、失礼しますという淡々とした声と共に、背後の障子が開かれた。歩がゆっくりと振り返ると、そこには歩と同じように余所行きの服に身を包んだ子供がいた。切れ長の瞳が印象的なその子供は、正座の状態で障子を開けており、そのまま深々と頭を下げてから室内へと入ってくる。勿論、敷居を踏むような愚は犯さない。


「お初にお目にかかります。枢木真琴まことと申します。年は、先日十になりました」


 凜とした声が口上を述べる。たどたどしく名乗りをした歩と異なり、その姿には既に自信と気概が満ちあふれていた。十になったということは、歩より五歳年長ということになる。幼子の間は一つの年の差が大きな壁として立ちふさがるのが常。それを思えば、五歳年長の相手は、歩にとっては途方もなく大きな存在に見えた。

 端的に言えば、歩の胸中を満たしたのは恰好良いという憧れだった。自分と同じ子供でありながら、自分と違って大人のように見える真琴の姿に、歩はただ、憧れた。幼児は身近なところに憧れを見いだすのが得意であるが、今まさに歩は、傍らの子供に憧れたのである。


「揃いましたか。……何を黙っているのです。説明をするのではないのですか」

「あぁ?そういうのはおめぇの方が得意だろうが。俺様にさせようとすんな」

「まったく、貴方はいつもそのように……。歩、真琴、今日は良く来てくれました。私は枢木蒼也そうや。この愚か者は狭間弥一やいちです」

「誰が愚か者だ、この堅物」

「お黙りなさい。説明役を私に押し付けるというのなら、大人しく黙っているのが貴方の役目です」

「ちっ」


 静かな口調で二人に名乗った枢木の当代、隙無くスーツを着こなす美丈夫・蒼也に二人はぺこりと頭を下げた。雑な扱いをされたことに和装姿の偉丈夫・弥一が口を挟むが、ぴしりと懐に入れていた扇子を突きつけてきた蒼也の言葉に大人しく黙った。

 ……本来、狭間と枢木では主導権を握るのは狭間であり、それ故にこの場合も幼い二人に説明をするのは狭間の当代である弥一のはずであった。だが、弥一の言にあるように、彼はこういったことが苦手であった。着崩した和装からも解るように、彼は幾分粗野な気性をしている。言葉を重ねて説明をするのはどうにも苦手であるのだ。そして反対に、蒼也はそういった細やかなことを得手としていた。適材適所とはよく言ったものである。


「貴方達二人は、私達から役目を引き継ぐ可能性のある、いわば次代です」

「「はい」」

「狭間が異質を見つけ、枢木が閂を落とす。そうして異質からこの国を護るのが我々一族の役目となります。……ここまでは、解りますか?」

「「はい」」


 蒼也の穏やかな問いかけに、歩と真琴は声をそろえて神妙に頷いた。幼子であっても、自分たちの一族が何であるのかは知らされている。人知れずこの国を護ってきた異能の一族。誰に頼まれたわけでも、誰に願われたわけでも無い。ただ、遠い遠い祖先の時代から、能力を持ち得た一族は、この国を護ってきた。きっとそれは誰かのためでありながら、誰のためでもなかったのだろう。愚直に自分たちがそういった存在だと信じていたからに違いない。

 蒼也は言葉を続ける。

 古き時代、この国は古きもの達の楽園とも呼べた。異質も非日常も当たり前のように傍らにあり、けれど同時に人々の畏敬もそこにはあった。人々は目に見えぬ存在を恐れると同時に崇めていた。……その頃は異質も活性化していたが、同時にそれを相手にする狭間や枢木の異能もまた、今よりずっと強かった。

 正確に言えば、現在の狭間が目となり枢木が剣となっている状況は、今から二代前から始まった取り決めに過ぎなかった。二人一組でこの国を巡り、異質を祓う。その役目の形は、《初代》と呼ばれる二人の人物から始まっている。

 その《初代》と呼ばれる人々以前は、枢木はただ全国各地の神域を守護する留守居役にすぎなかった。閂と呼ばれる異界との境界を閉じる能力を有した枢木の一族は、尊き神域の守護者として、近付く全てを祓うだけであった。見える目は持たずとも、神域と異なる空気を全て拒絶すれば良かったのだから。

 そしてその頃は、狭間の一族は、全てを見通す目とあらゆる扉、境界を開閉する能力を有していた。つまり、今二人一組で果たしている役目は、本来ならば狭間の一族だけで果たせるものであったのだ。また、各地を巡る能力者の数も複数いたという。

 けれど、《初代》と呼ばれる二人の時代に、今の在り方へと変更された。それ以前より、狭間の一族に能力を引き継げる存在が減り続けていたのも現実だった。《初代》の頃にはもはや、《彼女》以外に先祖代々の能力を受け継げる器は存在せず、また、その《彼女》にしても、小さな異質を押し返す程度の閂を落とすことしか出来なかったという。

 そして、その《彼女》の傍らに、護衛を兼任して佇むことを定められたのが、《初代》の片割れ、枢木の一族随一の能力を有していた人物であったという。あらゆる閂を落とし、あらゆる異質を境界の向こう側へ押し返す能力を有した《彼》は、《彼女》の剣として、盾として、傍らにあったという。

 その《初代》二人から能力を受け継いだのが、先代になる。先代は仲の良い女性の2人組であったという。時代が時代であるので女性の2人旅はなかなかに過酷であったそうだが、それでも彼女達も役目を果たし、当代である弥一と蒼也に能力を託して、朽ちた。

 弥一と蒼也が三代目。その2人から能力を受け継ぐ可能性のある歩と真琴は、四代目になる。狭間と枢木の一族の歴史は長いが、その長い歴史の中で幾ばくか浅い場所から始まった《初代》という呼び名は、彼ら一族のターニングポイントとも言えた。


「今はまだ、貴方達は幼い。その幼い貴方達に、役目を託すことは出来ません」

「「……」」

「無理に急いで大人になる必要はありません。貴方達2人が、心も体も立派に役目を受け継ぐに値するその日まで、全ては私と弥一が背負います」

「そんな心配そうな顔しねぇでも、おめぇらが大人になるまでの間ぐらい、死にやしねぇよ」

「弥一」


 話の腰を折らないでください、と蒼也の冷ややかな声が告げる。カカカと楽しげに笑った弥一はそれ以上口を挟むつもりは無いのか、にぃっと口元に笑みを浮かべたまま蒼也を見ている。そんな相棒に蒼也は小さく息を吐き、目を白黒させている歩と、相変わらず無感情に見える真琴に向き直る。

 幼児そのままに素直に感情を表に出している歩と異なり、真琴は幼いながらに感情制御をしようとしている。それは次代として見るならば実に頼もしいことであったが、蒼也が口にしたのは別の言葉だった。


「真琴。無理に大人になろうとしなくて良いのです。貴方はまだ十の少女なのですから」

「……ですが」

「子供でいられる時間は短いのです。その間は、幼子として振る舞うのも大切です」

「……はい」


 弥一の言葉に、真琴は困ったような顔をして、それでも素直に頷いた。そんなことを言われても、どうすれば良いのか解らない。真琴のぎこちない表情がそれを物語っていた。そんな真琴の、先ほどまでの凜々しさとは異なる姿を見て、歩はぽかんとしていた。

 いや、歩が驚いたのはそこではなかった。


「……お姉さんだったの?」

「…………何だ」

「あ、ご、ごめんなさい」


 面倒そうに、どこか不機嫌そうに言われて、歩は慌てて頭を下げた。耳まで真っ赤になってしまっている。失礼なことを言ってしまったと、歩は下げた頭で必死にどうやって許してもらおうかを考えていた。

 ただし、客観的に見て、歩は悪くない。歩と同じように余所行きの服を着ている真琴は、ズボン姿なのだ。小さな紳士と言われても納得するような恰好をしている、短い髪の凜々しい面差しの子供を見て、少女と見抜けというのは酷であろう。真琴の言動も少女らしさと言うよりは少年のそれに近いので、余計にだ。


「真琴、そのことで歩を責めるのは筋違いでしょう。貴方の服装にも問題はありますよ」

「……当代」

「用意されていた衣装を拒絶したと聞きましたけれど?」

「……ヒラヒラした服は、苦手なのです」


 ぼそりと真琴が呟いた。その姿は年齢相応のものだった。この年頃の少女に時折現れる、「可愛らしい恰好をするのが気恥ずかしい」というアレだった。スカートが嫌いなわけでは無いが、当代に拝謁するためにと用意された晴れ着は、真琴の好みから外れた可愛らしい衣装だったのである。それにかんしゃくを起こし、背格好の近い親類から晴れ着一式を借り受けての、本日であったのだ。

 勿論、歩はそんなことは知らない。知らないからこそ、恰好良いお兄さんだと思っていた真琴が実はお姉さんだと知って驚いたし、彼女が不機嫌になったのを見ておろおろしている。それに気付いて、真琴は少しだけ困ったように歩を見ていた。

 歩は狭間の次代。真琴は枢木の次代。それはつまり、彼ら2人が、眼前の当代達のように2人一組で役目を果たす相棒になるということだ。この気弱そうな少年と自分が?と考えて、真琴はそっと視線を畳へと移動させた。少女らしさのかけらも存在しない自分が少々異質であることは、真琴にも解っていた。何かを言われるだろうかと考えもした。

 けれど。


「まことちゃん、その服がにあってるから、すごいと思う」

「……え?」

「僕は、服だけかっこういいから」

「……えーっと、ありがと、う?」

「うん」


 きらきらとした瞳を向けてくる歩に、真琴は困惑しつつも礼を言った。歩は嬉しそうだった。口にした言葉は真実だった。真琴が女の子だと知った瞬間こそ驚いたけれど、女の子なのに自分よりもずっとずっと格好良い真琴の姿に、歩は純粋に感動していた。幼い子供は純粋で、だからその口からこぼれ落ちる言葉は本心でしかない。

 ふふふ、と蒼也が小さく笑いを零した。いぶかしげな顔をする弥一に気付いたのか、こぼれた笑みを隠すように扇子を広げる。その蒼也の視線の先では、歩と真琴が先ほどまでの緊張とは裏腹に、幼い子供そのままに会話をしている。実に微笑ましい光景で、それを見て、あぁと弥一もまた、口元をほころばせた。


「あいつらが、次代か」

「当面、その予定でしょう。……心配せずとも、真琴は役目を果たせるように育ててもらいますよ」

「……誰もそんなこたぁ言ってねぇ」

「狭間を護るのが我々枢木の役目です。……それだけですよ」

「そうかよ」


 静かな、何の感情も宿さない声だった。それに答える弥一の声もどこか、感情を排除しているようだった。これは彼ら2人の間で何度も繰り返されたやりとりだった。狭間は目であり、枢木は剣である、と。枢木の一族は狭間の一族に仕える立場である、と。連綿と続いてきた一族の思想は、彼らの中にも息づいていた。

 けれど、と弥一は思う。無邪気に言葉を交わしている歩と真琴の間に、そんなものは芽生えないのではないか、と。いや、芽生えてくれるなと彼は思った。ただ、対等の立場の相棒として、あの幼い2人が互いを半身と定めて生きていくのならばそれで良いと。……それが良い、と。


「真琴、歩。今日の話はこれまでで結構です。……おやつをいただいてお戻りなさい」

「わかりました」

「本日は、お時間をありがとうございました」

「腹一杯食って帰れよー」

「「はい」」


 からからと楽しげに笑う弥一の言葉に、歩と真琴は元気よく返事をした。その息ぴったりの姿は幼い子供らしくて、見送る弥一と蒼也の目元が緩んだ。障子をぱたんと閉めて去って行く小さな背中。自分たちの次を担う子供達を見詰める当代2人の眼差しはどこまでも静かで、……そして、申し訳なさそうであった。

 そんな大人の気持ちなど慮れない子供2人は、並んで長い廊下を歩いていた。おやつの言葉につられてうきうきしているのは、歩だけではない。真琴もおやつを楽しみにしていた。当代への面会という一仕事を終えた後のおやつなので、期待してしまっても仕方ないだろう。


「まことちゃん」

「真琴で良い」

「じゃあ、まことは、僕といっしょに、おやくめをついでくれるの?」

「そうだ。……まぁ、大人になったときに、もっと相応しい人がいたら、違うだろうけれど」

「そっか。でも僕、まことといっしょがいいなぁ」

「……え?」


 てくてくと廊下を歩く歩が何気なく口にした言葉に、真琴はぽかんとした。彼らは今日出会ったばかりだ。それなのに何故と真琴が思うのは無理の無いことだった。けれど歩もまた、今日出会ったばかりだと解っていても、そう思ったのである。直感というのだろうか。この相手なら大丈夫ということを、本能で察してしまったのだ。

 おやつに浮かれてスキップでもしそうになりながら進む歩の小さな背中。自分より幾分小さなそれを見詰めながら、真琴はそっと、身体の横で拳を握った。次代と目された頃より周囲から言い聞かされていた言葉が、蘇る。




――狭間に異質と戦う力はもう残っていない。それを守れるのは、我々枢木だけだ。




 それはきっと、一歩間違えれば呪いになるだろう言葉だった。けれど、《初代》の枢木が《彼女》を守ろうと決意したのと同じように、真琴も幼いながらに決意した。出会うまでは思わなかった。ただ、役目を受け継ぐに相応しく立派になろうと思っていただけだった。

 けれど今は、違う。

 あの、自分に向けて無邪気に笑った子供の、剣になろうと決めた。剣になり、盾になり、共にこの国を護ろうと。あの優しい笑顔がずっとそこにあるように、側で護り続けようと。愚かと誰かに言われるかも知れなくても、真琴は決意した。

 きっとそれは、陳腐な言葉で表現するなら、運命を感じたというようなものなのだろう。欠けた何かが呼び合うように、彼らは互いが半身だと認識した。幼い子供で、いや、幼い子供だからこそ、先入観など持たずにただ純粋にそれを理解したのだ。

 ただ、それだけだった。




 この日出会った2人が先代より能力を継承し四代目となるのは、これから13年後のことであった。




FIN

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はざまとくるるぎ 港瀬つかさ @minatose

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