解決編

 これを読む頃、私はこの世にいないでしょう。

 まさか、私がこんな文章を書く日が来るとは思っていませんでした。だってつい先月まで彼氏も友達もいたのですもの。

 あの日逃げてしまってから、私は耐え難い苦痛を味わっております。

 そう、どれもこれも、アレの所為です。


 夏のあの日、私は彼氏の那谷から呼び出されました。

「明日、言いたいことがあるから来てほしい」

 と、

「きっと喜ぶはずだから」

 と。

 言いたいことがある、だけなら別れ話のようでドキッとし、喜ぶはずの言葉で安堵したのを覚えています。

 メールで毎日やり取りはしていましたけれど、

 場所が八王子の山奥だったことだけは気になりましたが、そこは長く付き合った恋人の言葉、会って聞けば良いと思いました。


 暑い日でした。

 蝉は煩いし、見栄えを気にしてヒールで行ったのは我ながら馬鹿だと思います。

 事前にインターネットで調べても貴方の言ったような、防空壕だったとかの情報は出てきませんでした。やはりそういったことは地域住民の口コミしかあてにならないのでしょう。

 私がそれを見たとき思ったのは、

「どっしりした円形の、小さなドームがあるなぁ」

 でした。

 側にいるひょろっとした男も気になりましたが、公共の場ですから仕方ありません。

 ともかく、彼を待ちました。


「暑いですね。」

 そう、その男は話しかけてきたのです。

「そうですね。」

 気のない返事で誤魔化しても男はにやにやとしたままでした。

 男は薄っぺらいという言葉が似合うような外見でした。髪は細く脂っこく額に張り付き、落ち窪んだ目と頬はだらしなく突き出された口と合わせると、醜悪な印象を受けます。

 思わず視線を合わせないよう、反らして、彼の早い到着を期待しました。

 ドーム型のせいでしょうか、空洞に音が反響しているのが聞こえています。彼ならその原理とかを教えてくれるのでしょうが、無学な私には出来ません。

「あの、これ、お返ししますね。」

 いつの間にか近づいていた男が私に囁きます。気持ち悪い、煩わしいと一瞬だけ考えたのが吹き飛びました。


 それは彼の携帯電話でした。


 ロックはどうやったのか常時開放されており、メールの送信画面が開いたままです。

「なんであんたがそれを持っているのよ!」

 思わず怒鳴りました。目の前の男が痩せていて容易に勝てると感じたのも一因でしょう。

 その勢いのまま、ビンタをしようとして、私は足を止めました。

 目の前にはナイフが突き出されていたからです。

 突き出しただけではありませんでした、別のナイフは私の右足の甲に刺さっていました。

 突然の痛みに混乱します。だってこんな、事も無げに人を刺すなんて。

 そんな人がいるなんて。

 男は言います。

「愛佳ちゃん、那谷くんを追ってきたんだね、偉いね、けど、こんな乱暴しちゃ駄目だよ、こうなるからね、那谷くんがどこにいるかわかるかな、わからないよね、そういう子だものね、お馬鹿ね、あ、警察には言っちゃ駄目よ、楽しくないからね、そんなことしたら、君の妹もどうなるか、そこはわかるよね、わかんないかな」

 べらべら並べ立てられても聞き取れません。

 私は蹲って右足のナイフを取ろうとしていました。動転しているのと少し動くだけで痛いのとで上手く取れません。早く、早く取って、動けるようにならないと、助けてよ那谷。

 話慣れていない人特有の甲高い声で彼は続けます。

「那谷くんはもう来てるよ、ずっといるよ」

 ふと、風鳴りの音が一定の意味を持って動いているのに気がつきました。


 逃げて

 人を呼んで

 もう1ヶ月

 限界だよ

 助けて

 愛佳ちゃん


 それはその堅固な小ドームの中から聞こえてきました。愛しの彼はこの中にいるのです。

「わかっていると思うけど、駄目だよ、人呼んじゃ、愛佳ちゃん、僕はずっと君たちを見ていたんだから。」


 どうしようもなかったのです、逃げるしか、全てを忘れて布団の中に潜り込むしか。

 私が警察を呼んだらきっとあの不気味な男がやってきて、家族共々滅多刺しにされていたことでしょう。そう、思ってしまったのです。

 一日、一日と過ぎました。

 彼からのメールはもう来ません。

 彼の携帯電話はあそこに置き忘れてしまいました。回収しようにもあの場所に近づいたら、男に捕まるかもしれません。

 せめて、人がたくさん来るようにと噂話をまきました。日本兵の霊を見た、あの場所を彷徨っていると。思惑通り、あそこは心霊スポットとなって人が沢山行くようになりました。

 私は安堵しました。

 これで男の言葉に反せず、彼を救い出せるに違いありません。

 早く誰か、彼を見つけて通報してくれないかと、その日を今か今かと待ちました。

 あれから1ヶ月が経ちました。

 その日は来ませんでした。


 昨日貴方に会って、噂の顛末を聞き、嘔吐してすみません。

 呻き声が聞こえる? 覗き穴の中に顔を突っ込むのがゴール?

 私はそんな噂、流していません。

 呻き声、きっと、彼が出したものです。

 覗いて、彼を見た人はたくさんいるはずです。

 なんてことでしょう。

 私が期待した無辜の善意は全て存在しなかったのです。

 肝試しに行った皆で彼を殺したのです。

 私だけのせいではありません。

 そうですよね、真さん。

 そうだと言ってください。

(文字の滲みが酷い)


 ですが、私が責任の一端を担っているのは確かです。

 だからもっと人を集めることにしました。プロ、警察も呼べるように、もう一つ死体を作ることにしたのです。

 だって、そうしないと私は彼に償えない。あの時逃げてごめんなさいと、あのドームの中と同じくらいの地獄に行って会わないと、そうしないといけないのです。


 自殺だとバレたらそこらへんの処理をして終わりかもしれません。自動で首が締まって吊るされるように小細工を致しました。

 真さん、リュックにはそのために必要だった道具が入っています。

 それを持ち帰ってくださいますか。

 私の他殺体は完成します。

 これで私は彼と同じ被害者になれる。


 きっと警察が来て調べてくれるでしょう。

 彼の死体もきっと見つかるはずです。

 あの男は私を永遠に苦しめるつもりだったでしょうが、そうはいきません。

 ざまあみろ!!!


 ※


 なんて被害者意識の強い女なのだろう。

 雨と何かで濡れた紙をぐしゃぐしゃにしてハンカチに包み、しまい込む。

 今度こそこのはなくさないようにしなければ。朝になったら燃やしてしまおうか、それとも保身の為に取っておいた方が良いだろうか。

 これがないと私は家に帰れない、帰っても、いつこの惨状を私のせいにされるかと緊張して眠れなくなってしまう。


 まさに惨状だ。


 首吊り死体に気絶した男、この手紙に書かれていることが本当なら防空壕の中の死体。

 雨の日で良かった、死体があるとしたら、虫や匂いがきっと酷くしただろう。

 八王子は山がちな場所だ。不良も多い。暇な学生も多い。

 きっと、それぞれが不安を感じて、その恐れから逃れるために、自分を守るために、その思いに蓋をしたのだろう。他力本願な彼女みたいに。

 今時の若者としてはここまで親身に物事に取り組む人は珍しいと評価されたいところだ。

 彼女のリュックを気を失っている男に背負わせる。

 遺書の内容からしてこの人が「男」だろう、15cmのナイフもスタンガンも持っていた。醜悪な見た目というが、十人並みな容姿をしている。

 抱えながら痩せているなぁ、と感じる。私みたいに、幽霊が怖いと言っても信じてもらえないくらいごつい見た目にならずとも、最低限の筋肉はあった方が便利なのに、と考える。

 この防空壕の広場なんか、軽い筋トレにぴったりなのに。

 もう来れることはない防空壕をじっと見て、男を谷底へ投げる。

 気を失っているとはいえ生命の危機には起きるかと思ったが、無言で、目を閉じたまま、彼は落ちていった。

 遠目で確認してみたが、手足が変な方向に曲がっているからきっと大丈夫だろう。

 ちゃんと殺せただろう。後は一刻も早くここから立ち去るのみだ。

 彼女の、ここに人を集めたいという願いも、彼女を殺人犯の毒牙にかかった被害者にしてほしいという願いも、両方叶えられた。

 ほーんと、なんて親切な同級生なのだろう。

 だから呪わないでね、と心の中で呟きながら山道を駆け下りた。幽霊は怖い、物理で解決できないものは怖い。

 後は誰かが通報してくれるに違いない。


 そう、彼女と同じことを考えていたと気づいたのは、家に帰って鍵をしっかりかけて、布団に潜り込んでからだった。


 ※


「よう真、おはよう」

「おはよう、大学で新聞広げてるのお前くらいだから目立つな。」

「習慣なんだよ」

「ネットニュースの方が便利じゃない?」

「ローカルな話題はそうでも、興味のある話題しか見ないから偏るじゃんか。」

「まぁ確かに」

「ローカルニュースも意外とあるしな、これなんかお前の家の近くじゃね?」

 連続殺人鬼か? 第三の被害者か?

 と、小さな記事が載っている。

「警察では崖に落ちた男を殺人犯だということにして捜査を打ち切ったらしいけど本当かねぇ。」

 彼女の思惑通りにプロは判断したらしいけれど、無辜の民は、善意はそうは思わなかったらしい。彼女と同じく、犯人の男も被害者かもしれないと考える人は、案外少なくない。

「昼前に胸糞悪い話しないでよ。」

「良いじゃねぇか、好きなんだよこういう話題。」

 何でも、と声を潜めて友人は言う。

「この大学でもこの監禁場所に行った奴らが多くて、錯乱した奴らの欠席が増えてるんだってよ。」

 7月の中間テストの前だってのに、災難だねぇ、と友人はからから笑った。この友人は大概な性格をしている。

「じゃあ今期は単位が取りやすいかもな。」

「おうよ、それが一番良かったことだな。殺人犯様々、だ。」

 友人の放言を聞いているとどんなに失礼な内容でも、そうだと同意したくなるのだから不思議だ。

 私が捕まる気配はまるでない。

 まぁ世の中には手足を縛られたあるのだからさもありなんだろう。

 月見そばについていた生卵を箸で割る。黄身が全体に上手くかかって、小さな喜びが湧いてくる。

 生きるのは楽しいことだらけだ。

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肝試しの帰り道 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

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