第18話 最終話

 その後、私たちはカラキさんとどのように知り合ったのか、彼が逃亡するまでのやり取りなどを細かく訊ねられた。

 瑞来ちゃんがカラキさんに接触するきっかけになったのは、先週の日曜日に雑貨屋で偶然出会い、そのまま連絡先を交換したことだった。昨日の夜に電話が掛かってきて、「明日いつもの時間よりも早めに家を出て欲しい。君にしか頼めないから」と、言われたとそうだ。

 そして、今朝待ち合わせた場所へ行き、カラキさんの車に乗せられてN寺に向かった。私が今朝の登校中に車から降りて来たカラキさんと鉢合わせた時、既に瑞来ちゃんはN寺にいたのだ。

 そして、自宅のアパートで意識を失っていた白木先生は昨夜私たちと別れた後、二人で駅近くのレストランで食事をしたことまでは覚えているが、その後の記憶がないと話していると言う。彼とは近所の居酒屋で知り合ったそうで、よく仕事の愚痴や悩みなどを聞いて貰っていたと。

 警察の話では、若い男性がよく女子中高生や若い女性と話しているという目撃情報が寄せられていたが、女性側からトラブルの相談もなかったため、警察側がカラキさんに直接事情を聴くことはなかったそうだ。

 警察官が駆け付けた際、私は彼が逃げた方向を伝え、その後を追って貰ったが、行方は掴めず、更に捜査員を増やしてN寺の周辺や近くにある空き家、少し離れた場所にある住宅街も捜索や聞き込みの対象となった。それでも、結局カラキさんは捕まることはなかった。彼が利用していたビジネスホテルも捜索が行われたが、今回の事件に関係するものは何も見つからなかった。

 そのビジネスホテルの近くにある空き家の一室から行方不明となっていた女子大生が発見された。衰弱していたものの命に別状はなく、現在は病院で入院していると、警察から聞いた。

 その一件以来、女子中高生や若い女性の失踪事件もなくなり、平凡な日時に戻っていった。

 白木先生は間もなく退職する旨を学校側に伝え、地元へ帰っていった。

 瑞来ちゃんと私は中学校を卒業すると、別々の高校に進学した。違う高校に行っても休みの日は連絡を取り合い、遊ぶこともあった。高校を卒業すると、瑞来ちゃんとは専門学校に進学し、私は就職活動を経て、無事に地元から少し離れた企業から内定を貰うことが出来た。 

 姉も何とか無事に高校を卒業し、自衛隊に入隊した。時々連絡を取り合っているが、その内容は日々訓練に励んでいる様子が想像出来た。

 私は実家を離れて一人暮らしを始めた。仕事も三ヶ月が経ち、少しずつ慣れてきた頃だった。 

 私はいつもと同じように、通勤時に利用する横断歩道で信号が変わるのを待っていた。その日は、出勤日で一日研修のある日だったので、いつもより早めに家を出たのだ。

 信号の色が赤から青に変わり、誘導音である『通りゃんせ』が流れ始め、私は前に数歩進んだところで向かい側の歩道から見覚えのある人物がゆっくり歩いて来るのを視界に捉えた。帽子を深く被り顔は伏せているため、表情は見えなかったがその瞬間胸騒ぎを覚えた。不安という言葉が自分の中で波打つのを感じた。頭の中で、ここから早く逃げろと、警鐘が鳴っている。

 信号が変わる前は車道で車が行き交っていたため、気付かなかったのだ。

 私は元来た道を戻ろうと、一瞬立ち止まった。その時背後にいた男性とぶつかった。相手に睨み付けられたが、そんなことはどうでも良かった。早くこの場所から逃げ出したかった。

 だが、今更戻れないと諦めて、顔を伏せたまま足早に横断歩道を渡った。

 あの日の光景が脳裏に浮かぶ。走馬灯のように蘇る、穏やかな笑みを浮かべる若い男の人、流れ続けては蒸発していく謎の真っ赤な鮮血――。

 横断歩道を渡りきると、近くにあるビルの前まで走った。自分を落ち着かせようと荒い呼吸を整える。顔は見ていないが、背が高く、モデルを思わせる体型と帽子を被っていても分かる柔らかそうな髪。そして、今まで思い出すことのなかったあの甘い香り。

 私は首を横に振った。そんなことあるはずがない。自分の思い違いだ。もう二度と会うはずがないのだから。

早く職場に行って、研修で使う資料に目を通さなければ。

 「千歳ちゃん」

 聞き覚えのある声で名を呼ばれ、身体がびくりと大きく震えた。

 穏やかで優しげな低い声は、間違えようのないものだった。

 私はゆっくりと振り返った。瞬間、まるで自分の心臓が握り潰されたようだった。悲鳴を上げるのも忘れて、私は数歩よろけた。震える声で目の前にいる男の人に訊ねる。

 「どうしてここにいるの? あなた……」

 当時と何一つ変わらないカラキさんが私の前に立っていた。

笑みを浮かべたまま被っていた帽子をとると、真っ直ぐこちらを見つめた。

「久しぶり、また会えて嬉しいよ。今度は逃がさないからね」

 顔には笑顔が浮かんでいたが、目は少しも笑っていなかった。

 相変わらず色白で整った顔立ちをしていたが、左側の頬から下顎にかけて付けられた傷跡は、生々しく残っているままだった。

                                  (了) 

 

 

 

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麗魔(れいま) 野沢 響 @0rea

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