第4話 耐火性少女の不明





 雲が重く垂れ込める、梅雨の到来を予感するような、気の滅入る月曜日だった。

 神田は傘を持って三階建ての安アパートの階段を降りていった。

 アパートの玄関横で二人組の男と会った。一度会ったことがあった。品川と大崎という名前の刑事だ。


「神田先生、前に一度お会いしましたよね」


 年かさの品川が声をかけた。


「そうですね。……ええと、刑事さんでしたっけ」


 神田は目を合わさないようにして答えた。


「ちょっとバス停まで話しませんか」


「はぁ。いいですよ」


 品川はタバコをくわえると神田にも勧めた。神田はそれを遮って、タバコを吸わないことを示した。神田は酒もタバコもやらなかった。特にタバコは。遺伝子が傷つくからだ。


「大久保実莉ですが、やはり見つかりませんな」


 品川はなんでもないようにそう切り出した。


「そうですか」


「下校すると友達に言ったのを最後に、目撃はおろか、通学路の防犯カメラにも映っていません」


「はあ」


「不審な人物や車が映っていれば誘拐のセンもありますが、それもなし。となると家出か駆け落ちか」


「そうなんですか」


 アパートから出てしばらくは一車線のゆるゆるとした上り坂だ。神田は品川と並んで歩いた。大崎は数歩遅れて後ろをついてきていた。


「とはいえ行方不明になってから一週間以上、友達を含めて誰にも連絡をとらないというのは、かなり異常な事態です」


 もちろん、実莉のスマートフォンを処分したのは神田だ。今は市の中心部を流れる川の水底だ。


「だから、家出のセンも薄い。当然、本気で家出するなら連絡は断つでしょうが、中学生でそこまでするのはとても難しい。社交的で友達も少なくなかったようですし、トラブルに巻き込まれたという話も聞かない。受験でプレッシャーを受けていたわけでもないようだ」


「じゃあ、どういうことなんですか」


「それをこちらが聞きたいんです。これまでの二人はむしろ問題を抱えていた生徒だった。だから、共謀した家出や誰か大人がバックにいる可能性を考えていたんです。しかし大久保実莉は真逆です。あまりにも普通。とても自分から家出したり体を売ったりするような女の子とは思えない」


「さあどうなんでしょうね」


 あまり興味がないというのを示すのもよくないと思い、神田は独自の私見を披露することにした。


「人は外から見ただけでは分かりませんからね。親や友達にも言えない悩みごとがあったのかもしれない」


「ふむ」


 品川はいかにもその通りだという顔をした。


「先生の授業では?」


「あまり集中している風には見えませんでしたが、他の生徒と比べて特に目立つことはありませんでしたね」


 それは一面では真実だった。


「先生は大久保を覚えてらした?」


「一応、非常勤とはいえ仕事ですから」


「失礼ですが、お仕事は講師の他には?」


 品川は質問の方向を変えた。神田は横断歩道の信号を待ちながら答えた。


「前は大学院で学生に教えたりTAをやったりしていたんですが、親も死んで蓄えもなかったので、それからはずっと非常勤で教師を……」


「親御さんも学者さんだったんですか?」


「ええまあ……」


「じゃあ子供の頃から勉強づけだ」


 信号が変わり、二人は横断歩道を歩き出した。


「いいですなあ。うちのボウズも全然勉強しませんもんで。先生の爪のアカでも飲ませたいですよ」


「はあ」


「大学ではどんなことを研究していたんですか?」


「はあ」


「理系の先生の研究だから、どうせわたしには分かりませんけど、まあ一つ簡単にお願いしますよ」


 品川は片手で拝みながら頭を下げた。神田は品川の顔を見下ろして考えた。


「品川さんは、エアコンの仕組みをご存知ですか?」


「ええと、冷風が出たり温風が出たり?」


「そうですね。エアコンは周囲の温度が理想の温度より高ければ冷風を出し、低ければ温風を出します。そして両者が同じになったときはエアコンの機能は停止します。まあ、それをもっと複雑にした研究ですよ」


「ほほお。例えば?」


 道を歩きながら、神田は適度に身振りを交えて品川に説明した。


「例えば子供を育てるときに、悪いことをすれば罰を与え、良いことをすれば報酬を与える。これを繰り返すのが教育です。〈いい〉と〈悪い〉が数学のプラスとマイナスのような一次元的なものならいいですが、現実ではもっと価値観は多様です。それの折衝というか、制御の数学的証明がわたしの専門です」


「話を聞いてるとなんだか難しそうというか、そんなことまで数学で証明できてしまうんですなあ」


 神田は苦笑いした。


「まあ肩身が狭いというか、同じ理系でもロボットを造るような誰でも見てすぐ分かるような分野ではないですね」


 品川も笑った。


「ロボットだったらわたしでも見て凄さが分かりますからね。子供の頃にやってた〈鉄人28号〉(1980年版ですけどね)とか、〈マクロス〉、〈コブラ〉……おっとコブラはサイボーグだっけ……」


 ちょうどバス停に着いたので、神田は品川に別れを告げた。


「では捜査頑張ってください」


「いえ。先生こそ、お仕事頑張ってください。中学生なんて生意気盛りですから」


「いえ、だいたいはいい子ですよ」


「あ、そうそう。さっきの話ですけどね」


 品川は内緒話でもするかのように口を手で隠して、


「わたしはね、子供の頃、〈コブラ〉になりたかったんですよ」


 ちょうどその時バスが到着した。扉が開いて、乗客が何人か降りた。神田が一歩踏み出した。


「じゃ、そういうわけでさよなら」


 去っていく品川と大崎の背中を眺めていると、神田は耳元に冷気を感じた。


「ほとんど、世間話だったわね」


 小声で囁かれた声の主は高田夜霧だと知っていた。神田のアパートからずっと品川と神田の会話を聞いていたのだ。


「品川という刑事、彼は油断ならないな。高田君、彼らをつけてくれないか」


 同じく小声で呟くと、「OK」と声が聞こえ、冷気はいなくなった。神田はバスに乗り込んだ。






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