第5話
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終業のベルが鳴った。
頼人はすぐにちらりと左斜め後ろを窺う。もちろん、そこにいるのは遠野真理だ。
彼女は帰り支度をしていた。一見、普段と変わらない様子である。だけど知っている。あの落ち着いて見える表情の中で、彼女は色んな事を考えている。
おそらく、頼人がまた話しかけてくるのではないかとも。
「ん」
遠野真理が席を立ったタイミングを見計らって、頼人も自然に立ち上がる。とっくに準備は済ませてある。出遅れるわけにはいかない。
教室を遠野真理の後ろに五歩程度遅れて出る。放課後の喧騒に満ちる廊下を付かず離れずの距離を保ちつつ、図書室に向けて歩いていく。
前を歩く遠野真理は、一度も頼人を振り返らなかった。でも、きっと後ろにいることは分かっているだろう。もともと、こうして歩くことだって、頼人が放課後すぐに図書室へ向かうときにはよくあったことなのだ。
昨日と同じ階段を上る。教室のあるエリアから離れているせいか、周囲に他の生徒は誰もいない。もうしばらく歩けば、図書室についてしまう。
話しかけるのなら、今しかない。
「あの、遠野」
喉に意識を集中させて、はっきりと呼びかける。遠野真理は昨日と同じように、階段を上りきったところで、振り返った。
だけど今日は違う。頼人は階段を上り、遠野真理の隣に立った。遠野真理の身長は頼人より、頭一つ分――おそらくあのレコードと同じぐらい――15センチは低い。
視点の高さは違うが、立っている場所はこれで同じだ。
「昨日は、ごめん。いきなり声かけちゃったりして」
頼人はまっすぐに遠野真理を見る。遠野真理も眼鏡の奥にある瞳を向けて頼人を見ていた。
「この、レコードのことで話したくて」
頼人は鞄の中から15センチのレコードが入った紙ケースを取り出す。ぴくん、と遠野真理の肩が震えたような気がした。
「遠野、これのこと知ってるんだよな。ごめん。勝手に聞いちゃった。二回も」
頭を下げる。素直な気持ちだった。
「……うぅ」
「え?」
唸っているような声がして、頼人は下げていた頭を上げた。すると、正面に立つ遠野真理が顔を真っ赤にして、口を真一文字に結んでいた。
「あ、ご、ごめん! そりゃ、恥ずかしいよな。ごめん、本当にごめん! 悪気があったわけじゃなくて、なんか気になっちゃって。最初は、遠野がどんな音楽を聴くのかってさ。うち、レコード聴ける部屋があるから。あ、いや、僕の部屋じゃなくて父さんの部屋なんだけどっ」
あたふたと取っ散らかった説明をする頼人に、遠野真理は顔を真っ赤にしたまま、首を振った。長い髪がばさばさとはためくほど、勢いよく。
「……違うの」
「え?」
「違うの。わたしも、佐倉君に謝らないと」
「え……?」
たどたどしく、一音一音をゆっくりと発音するように、遠野真理は言った。そして、抱えていた鞄を開き、そこに手を差し入れる。初めから、そこにあるのを知っていたかのような――まるで、何度も想定していたかのような、滑らかさで、それは取り出された。
「え、それって……」
こくり、と遠野真理は頷く。
「わたしも、拾ったの。佐倉君の、レコード」
「まさか、あの時……?」
「……うん」
同じだった。再生紙のようなざらざらとした厚紙のケース。おおよそ、頼人と遠野真理の身長差程度の大きさ。
「わたしの家にも、レコードプレイヤーがあるから、聞いてみたの。最初は、佐倉君と同じで、どんな音楽を聴いてるのか、気になって。佐倉君、レコードで音楽を聴くみたいな話、前にしていたの聞いてたから」
「うわ……」
思わず声が漏れた。
嫌悪ではない。羞恥だ。
とてつもなく恥ずかしい。なんてことだ。つい先程の遠野真理の気持ちが嫌というほど分かる。あんな風に、自分も顔を真っ赤にしているのではないだろうか。
「でも、遠野、そんな感じのことは、何も言って……」
言いかけて、勝手に納得する。
15センチのレコードは、片面に長くても四分程度しか録音できない。両面を合わせても八分程度。それは一日の長さを思えば、はるかに小さいものだ。遠野真理が心の声を録音するレコードについて考えていないときが録音されていても、何らおかしな話ではない。
「わたしも、ごめんね」
か細く、遠野真理が謝罪する。頼人は力なく首を振った。
そして、そのままへたり込んだ。
駄目だ。
恥ずかしい。
遠野真理に、自分の心の声を聴かれたなんて――。
それはつまり、頼人が常日頃から彼女のことを見ていたということを知られてしまうことと等しいのだ。
「ああ……」
叫びたかった。まるで、録音されていた遠野真理のように。
でも、後悔ばかりはしていられない。切り替えないといけない。
言葉は考えてきたのだ。今回の、この15センチのレコードを踏まえて、これからの佐倉頼人と遠野真理の関係を作るための言葉だ。自分だけがレコードを持っていると思って考えたものだが、遠野真理が持っていても、きっと意味合いは変わらない。
「佐倉君」
「え――」
意気込んで、顔を上げ、声をかけようとしたときだった。先に、遠野真理が口を開いた。
頼人はしゃがみ込んでいて、見上げるような体制である。逆に、遠野真理は見下ろすような形だ。まるで、つい先程と正反対。
「わたし、このレコードで、佐倉君のこと知れたけど――」
ああ、くそ。
正反対だ。
「15センチのレコードには、収まらないこと、もっと話したいと思って、ます」
それは、頼人が考えてきた台詞だ。
何度も心の中で繰り返してしていたから、彼女はもう聞いていたのだろうか。
「…………」
いや、そうじゃなくても、単に同じように思っただけだったのかもしれない。
真実は分からない。
それを確かめるには、15センチのレコードじゃ遅すぎる。
「――うん。僕も、同じだよ」
立ち上がり、そう答える。
火照った頬と、目頭を擦って、笑いかける。遠野真理も、紅潮した顔を向けて、笑ってくれた。
「とりあえず、図書室に行こうか。短いけど、まずはその間だけでも、話そう」
「……うん」
ほんの少しだけ離れて、並び歩く。
まだ距離はある。
でも、少しずつ。
少なくとも、15センチのレコードを通していた距離よりは、今は近い。
そして、いつか。
その距離が、15センチを超えて、ゼロになる日まで。
fin
直径15センチの声 吾妻巧 @estakumi
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