第16話 現れたカノリ

「エリナ、ほら見て」


 しなびた葉の奥を見るように促すと、横にいたエリナがスカートの裾を抱えてしゃがみこんだ。


「わ……む、虫が……」


 長く伸びた葉に顔を近づけ、黒胡麻虫を目の前にしたエリナの顔がひきつる。


「虫じゃなくて、ほら、一番奥に緑の葉が残ってるだろ? まだ生きてるんだ」


「本当だ。……まだ……生きてる……ね」


 エリナは顔をひきつらせたまま立ち上がると、2、3歩後ろへ下がった。黒胡麻虫は俺が見ても気色悪いので、この反応は普通だ。

 とりあえず、手元の1本を引き抜いてみると、根が少し丸みを帯びている。


 これは……カブだ。やはりまだ根の方までは枯れていない。


 引き抜いたカブを元に戻し、まだ成長途中の人参や玉ねぎを引き抜いてみると、どれも根までは枯れていない。小さなキャベツも葉をめくると中の方はまだ緑だ。

 

 今ならまだ間に合う。俺はファラエやソーナを呼び出した時と同じように指先にオドを集めてカノリへ向かって念じる。


 ──カノリ、この畑を守れるように俺に力を貸してくれ……。


 俺は目を閉じて、ひたすら集中し続ける。


 おかしい……カノリが現れてくれるように念じながら、かなりの時間が過ぎても何の変化も無い。

 すぐには現れてくれなかったソーナの時よりずっと集中し続けているのに……。

 俺は念じるのを一度やめて目を開けた。


「カノリが姿を見せてくれるように念じてるんだけど、何の変化も無いんだ」


「うん……もしかして、姿を現せるだけの力が残ってないのかも。もっと沢山のオドを指先に集めてみて」


 心配そうにエリナが見ている横で、俺はもう一度目を閉じ、さらに沢山のオドを指先に集める。全身のオドをもっと指先の方へ……もっと……。


「うっ……」


 全身の力が抜かれてしまうような脱力感を一瞬感じて目を開けると、手の上に現れたオレンジ色に輝く小人が俺の顔を見上げていた。


「初めまして、カノリ」


 ゆっくり頷いたカノリは俺の顔を見たまま笑っているようだ。それを横で見ていたエリナもほっとした表情を浮かべている。少し心配したけれど、無事現れてくれて良かった。そして疲れた……今までに無いほど一気にオドを持って行かれたのが分かる。


 だが、とりあえずこれで目の前の畑も何とか出来そうだ。


 再び指先にオドを集めてあたり一帯の黒胡麻虫退治、それに今にも枯れそうな野菜の回復を念じると、手の上にいたカノリの姿が消えた。すると、俺が立っている部分を中心に波紋が広がるように何度も葉が揺れる。


「わあ……何だか綺麗……」


 葉の擦れる音と共に広がってゆく波紋を見てエリナが呟いた。風が吹いている訳でもないのに不思議な光景だ。波紋を数回繰り返すと、畑には何事も無かったかのような静寂が戻ってきた。

 しなびた葉をめくってみると、さっきまでうごめいていた沢山の黒胡麻虫は固まったように全く動かなくなっていた。葉を振るとポロポロと落ち、地面に落ちた虫はひっくり返ったまま動かない。全部死んでいるようだ。

 さっき埋め戻したカブは僅かに残っていた緑の葉の下から新しい葉が生まれている。


「もう大丈夫そうだな。それじゃ、リーシャの家に戻ろうか」


「うん、これでリーシャの家族も困らないね」


 俺は心の中でカノリに礼を言い、畑を後にした。

 心残りも無くなりリーシャの家に戻ると、俺達は早速家の中に招かれた。


「まあ座って、何ももてなせないが、ヤギの乳でも飲んで下さい」


 俺とエリナが長椅子に座ると、リーシャがテーブルにひとつずつコップを並べ、3つのコップを並べ終わるとエリナの横に勢いよく座り、向かいには父親が腰を下ろした。


「あの、ちょっと聞きたいんだが……その、あなた方は神の力を持つ特別な人間なんですか?」


 父親が落ち着きのない様子で聞いてきた。さっき見た奇跡を理解するためには神の力と考えるしかないのだろう。


「いや、俺達は……普通の人間です。普通じゃない力は持ってますが……それより黒胡麻虫にやられていた畑にさっきまじないをかけておきました。もう心配いりません」


「えっ、何だって! あの畑が! えっ、ちょっと見てきていいか?」


 父親は慌てて立ち上がると、家から駆け出して行った。エリナは体を寄せてきたリーシャを見て微笑んでいる。これで心置きなく発てると考えていたところへ、突然雄たけびのような叫び声が聞こえてきた。

 父親は家の裏で何やら大声で叫んだ後、すぐに家へ戻ってきた。


「虫が全部死んで野菜が生き返ってる! 信じられねえ……こんなの信じられねえ」


 激しく動揺している父親にリーシャが近寄ると、父親はリーシャを抱きしめ、満面の笑みで涙を流した。


「リーシャ……もう、心配しなくていいんだ」


「……そろそろ行こうか」

 

 エリナの耳元で囁くと、エリナは穏やかな笑顔で頷き、椅子の上にあった俺の手を握った。


「それじゃ、俺達はそろそろ行きます」


 俺が声をかけると、リーシャを抱きしめていた父親が涙で濡らした顔を上げた。


「どこまで行くんですか?」


「ネルトリコのウィンリスです」


「また帰りにはぜひ寄ってください。お礼をしなきゃ俺の気が済まない」


「エリナ様、アーウィン様、また来てね。次は素敵なところに案内するから。待ってるからね」


 リーシャはエリナに抱きついて顔を押し付けると、ひと呼吸おいて離れた。


「じゃあね、リーシャちゃん。また今度ね」


「また寄らせてもらいます」


 俺達は家の前で見送る二人に手を振り、石畳のグレナ街道へ戻ってきた。


 この先にあるのはマーログ村だ。小さな猟師の村だと聞いているけれど、詳しくは分からない。


 遠くの教会を見ると、塔の時計は11時になろうとしている。俺達は日が暮れる前に着けるよう、急いでマーログへ向かった。

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魔女の隠し子は精霊と星を見る 仁和 英介 @eisuken

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