第3話 夢のお話とひとつまみの犠牲





夢は叶わないから夢なのだ、と誰かが言っていた。





一理ある、と心の中のぼくが呟く。



叶ってしまったらもうそれは夢ではない。只の事実に成り下がる。夢が夢であるためには、叶わない、という必要条件が備わっていなければならないのだ。なんとも皮肉なことだが。



たらたらと述べてはみたが、別に今ここで哲学者ばりに夢について論じようというのではない。



それに、先ほど述べたものの中に、ぼくは頭数に含まれていない。



簡単なことだ。



ぼくにとって夢は、叶わなくとも構わないものなのだから。





ぼくは歌うことが好きだ。


カラオケにはよく行くし、といってもまぁほぼ一人でだが、それに軽音楽部に所属してギターボーカルなんかをやったりもしている。


もっとも、専門はアコースティックギターの弾き語りで、シンガーソングライターとして歌ったり曲を作ったりして活動しており、ライブに出してもらうこともある。



そのくらい、ぼくは音楽が好きだ。



だが、音楽家になろう、ましてや歌手になろうと思ったことはない。

いや少し言い過ぎか。なろうとは思っていない。



ぼくがライブに出るたび、周りは称賛の声をぼくに向ける。ぼくが曲を作るたび、周りは口を揃えて「凄くいいよ!」と言う。


そして、ぼくが礼を述べるたび、お決まりの「やっぱり夢はメジャーデビューだよね」の声と、歯切れの悪いぼくの愛想笑い。



考えてみればなんともありがたい話だ。素人に毛が生えたような一個人の歌を、わざわざライブハウスまで来て聴いてくれて、拍手を贈ってくれるのである。



だがそれでも、ぼくは歌手を夢見てこの先の未来を生きていくなんてことはきっとないのだろうな、と思う。




書くことにしてもそうだ。


心の中から湧き上がるものの言語化の置き場所、それがぼくにとっての書き物である。

それ以上でもそれ以下でもない。




心理学にしたってそうだ。


大学で専攻したいと思い、まずその大学に入るために日々勉強というものをしているわけだが、心理学自体がこの先の夢に繋がるというわけではない。更に言えば、就職もなかなか厳しいのがこの心理学の分野だ。一体なんのために大学へ進むのか、と言われても致し方ない有様である。




共通点など一つしかない。




ぼくは、好きだからやっているだけだ。

今やりたいから、やっているだけなのだ。

今でなければ意味がない。

後でやろう、では遅いのだ。




だからぼくには、夢というものがない。


あるのかもしれないか、それは叶っても叶わなくてもどちらでもよいものだ。さして気にはしない。


執着が薄いのだろうか。分からない。


だが、ひとつ言えることがあるとするならば。



夢のためといえども、そのために今をなおざりにするようなことがあってはならない。



苦しかったら逃げるのも手である。


辛かったらズル休みするのも悪くない。




未来のために今を犠牲に、というのは、少々筋の通らない話のように思われる。



まるで機械が何かのように、黙々と勉強という名の労働に耐える同級生たち。

将来のためといえば聞こえはいいが、本当にその犠牲は今必要なのだろうか。




まぁ、ぼくには関係ないけれど。








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